OBT 人財マガジン
2007.05.16 : VOL22 UPDATED
-
同世代に思うこと
フランスの新大統領に右派与党・国民運動連合(UMP)のニコラ・サルコジ氏が選ばれた6日夜、首都パリをはじめフランス各地で、同氏の大統領就任に反発する抗議行動が多発した。パリ東部のバスチーユ広場では、若者ら約2000人がサルコジ氏の大統領就任に反対する集会を開催し、参加者は警官隊に瓶や石を投げつけたのに対し、警官隊は催涙弾や放水で対抗した。
「フランスはこれ以上の外国人移民を受け入れられない。まずは職に困るフランス国民を助けなければならない」という一般市民の声に裏づけされるように、サルコジ氏の支持者の多くはサルコジ氏の厳しい移民・治安対策、経済活性化策に共鳴したと考えられる。
一方、ロワイヤル氏の支持者の一人は「警官隊のこの横暴はサルコジが指揮したに違いない。彼は移民をはじめ貧しい者をいじめ、金持ちだけを助ける」と語り、集会では「サルコジはファシストだ」との叫び声が響いていた。人権問題を含め、貧困や不平等、不正、社会的周辺化、排斥の問題は日本でも深刻な問題である。どうしてこのような問題が起こるのだろうか。これらの問題の原因は一体何なのだろうか。
昔(戦後)の日本は貧しかった。食べ物も満足になかった。しかし、今日より活気があったのではないだろうか。それぞれがそれぞれの幸せを感じていたのではないだろうか。少なくとも、現代の人より明確な目標があり、「生きている」という存在意義を認識していたのだと思う。
しかし今は違う。この現代社会では物が溢れ、何不自由なく暮らしていける。一方で心が満たされない若者で溢れている。自分の存在意義すらわからない。常に虚無感でいっぱいである。日本に限ってのことかも知れないが、僕はそのことが諸悪の根源ではないかと思う。
どうしても心が満たされない。したがって、周りが見えず、お金の量でしか幸せを認識できない。自分の利益追求のために周囲を犠牲にしてしまう。それでは、今と昔とでは一体何が違うというのだろうか。それは、『未来』だと思う。昔(戦後)の人たちは貧しかった。しかし、『未来』があった。未来の日本は自分の肩にかかっていると多くの人が思っていた。夢を持っていた。常に前を見て前進することだけを考えていた。自分の進んでいく道がはっきり見えていたのではないだろうか。しかし、現代の人には次世代を自分の手で築いていこうというバイタリティがない。それは、多くが未来に不安を感じているからだと思う。
そういった根本にある感情が上記した社会問題を引き起こしているのではないかと僕は考える。
現代人は個人主義と自己利益にのみ集中している。強者はより強者になり、弱者はより弱者になる。そうして貧富の差は広がる。
しかし、僕は個人主義には賛成である。個人主義だからといって、伝統的な共同体が解体されるとは思わない。正義や愛、思いやり、同情、共感、共同体、連帯、そして公益に満ちた社会を築くことも十分にできると思う。
家族との絆や、地域社会との絆を除外して個人主義を唱えることに大きな問題があるのではないだろうか。自分は自然の中で生かされている、自分を取り巻く周囲の人たちによって生かされている、と自覚している人の個人主義思想は、周囲との絆を認識していないで個人主義を否定している人より、よっぽど他人を思いやる気持ちを持っていると思う。
間違った個人主義はすべての諸問題において悪影響を及ぼす。しかし、共同体を認識していない反個人主義者も同じくらい社会に悪影響を及ぼしているのではないだろうか。フランスの大統領選の結果にあれだけ大勢の若者が暴動を起こしたということは、それだけ政治に関心があり、自国の将来を考えているからなのではないだろうか。果たして日本での選挙結果であれだけの若者が反発するだろうか。いや、きっと何も起こらない。それだけ現代の若者は無関心である。政治だけではない。もしかしたら隣にいる人にも無関心な人が多いのではないだろうか。不平や不満は言うものの実際に行動するまでには至らない。将来に不安はあるものの、「こうしたい!」という意志が無い。関心すら持てない。
物が溢れているが故、周囲に無関心になる。目に見えないプレッシャーに押し潰され、息苦しさを感じてしまう。周囲に対する感謝の気持ち、思いやり、いたわり、優しさ。我々若者はそういった気持ちを意識して大切にしなくてはいけないのではないだろうか。
OBT協会 伊藤誠司