OBT 人財マガジン
2006.08.23 : VOL6 UPDATED
-
知るということとわかるということの違い
わかるためには定量情報ではなく定性情報が重要になる!今ほど巷に情報が溢れている時代はない。新聞、雑誌、書籍、インターネット等自分がその気になりさえすればどんな人でも必要な情報は簡単に且つ公平に入手できる時代である。
然しながら、情報量の多さから入ってくる情報が処理しきれないというのが今の実態ではないだろうか。このような時代には、自分にとって必要な情報だけを選別して活用するという情報感性は、大事ではあるものの、もっと重要なことはその情報から一体何がわかったのかということではないだろうか。◆情報には「定量情報」と「定性情報」といわれるものがある。
定量情報というのはご承知のとおり数字だから、100%は誰が見ても100%、80%は誰が見ても80%だから、そういう意味では極めて客観的な情報といえる。
現在多くの企業では、パソコンを操作すれば居ながらにして日本だけではなく世界中の拠点の業績や営業状況が瞬時のうちに把握出来る。どこの拠点が業績がよくてどこの拠点が目標を達成していないかが一目瞭然のうちにわかる。
定量情報というのは、このように関係者であれば誰でも公平に入手できるわけである。
まさに情報化時代の産物であろう。
然しながら、自分の机に居ながらにして定量情報を通じて組織全体の動向を瞬時に知ることが出来たとして本当のところは、一体"何をわかった"といえるのだろうか。◆「知るということ」と「わかるということ」は全く意味の違うことである。
例えば、小売業の売り場で定量情報では1000ケース売れて目標を達成したという結果が出たとしても、"その1000ケースがあっという間に売れたのか或いは長い時間かけてボチボチ売れたのか"ではその意味するものが全く異なる。
定量情報で「知るということ」はできても決して「わかるということ」にはつながらないのである。「わかるということ」は、"1000ケースがどのような売れ方をしたのか"、"その1000ケースがどのような買い方をされたのか"ということにほかならない。
これが「知ること」と「わかること」の違いであろう。◆定量情報は「どうしてこんな結果になったのか」というような異常値を見つけたり、ばらつきを見つけたりする上では客観的な検証を可能とするので極めて意味はあるものの、そこから一定の傾向値を見出す等ということは成立しなくなってきているのが今の時代であろう。
つまり、一昨年が1000、昨年が1500、今年が2000、従って来年は2500かといったら、来年は絶対に分からないということが今の時代ではないかと思う。
何故ならば、一昨年と比較して150%増えたといっても、一昨年がどういう状況だったのか。
一昨年の状況と昨年の状況さらには来年の状況は全く異なるし、いって見れば毎年,特殊事情というのが常態化している現代は、前年に比較してどうか等といった算式で判断することは意味をなさなくなってきているのが実態である。
◆その反面、定性情報というのは定量情報と異なり人によってその理解の仕方は大きく異なる。
人によってわかり方が違うのである。
定性情報というのは聞く人によって聞き方が全く違ってくる。
例えば「仕事がうまくいっていますか?」という質問に対して「まあまあですよ」。
「まあまあですよ」というのは、良いのか悪いのかさっぱりわからないが、この人がこう言ったら良いのだとか、この人が言ったら悪いのだとか、相手によって全部違ってくるのである。何故ならば人によって"モノサシ"が違うからである。
そのために、定性情報というのは三階層でコンタクトしていかないとうまくいかない。
・現場からの報告を受けるだけでなく、経営層自ら出て行く。
経営層は経営層として外に出て行き、経営層としての情報を集めてくる。
・中間管理層は中間層として集めてくる。
・現場は現場として集めてくる。
こういったことが大事になるのである。◆定量情報は横のキーボード一つでパッとディスプレイに表れるが、定性情報というのは聞く気で聞きにいかないと絶対に入ってこないという面で、定性情報というものをいかに集めるかということが今の時代は非常に大事になってくる。
変化の予兆を見たり、顧客満足を追求したり、顧客のウォンツやシーズを見つけたり等といったことのために、これまであまり重要視されてこなかった定性情報というものが随分大事になってきたのではないか思う。
まさに「知ること」から「わかること」への転換である。