OBT 人財マガジン
2006.07.26 : VOL4 UPDATED
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学問の進めとパラドックス
最近、我が家でも脳年齢を測定するゲーム機に家族が夢中になっている。
売れ行きがいいから在庫が逼迫して某ブランドのものは、入手するのはかなりの時間を要する
ということだそうだ。何故こんなものが流行るのだろうか?
確かに、我が身を振り返ってみると自らの手で文書やメモを書こうとすると最近とみにまず漢字が思い出せない。
また、以前であれば十分記憶していた親戚や知人の電話番号等も頭に浮かばないし手帳の住所録で確認することすらしようとしない。
全て、パソコンや携帯電話の性能に依存してしまっている。そして、この便利さがやがて当たり前のことになってしまっている。
これは記憶する、考えるという器官をどんどん鈍化させてしまうという結果につながる。
要は、使う器官は進化し、使わない器官は退化するということである。退化させないためには、我々が常識としているところを疑ってみるということが大事ではないだろうか。
例えば、我々日本人が暗黙のうちに信じてきた"優秀さ"ということの真理。
我々はこれまで一体何を持って"優秀さ"としてきたのだろうか。
一流大学卒、一流企業の社員、中央官庁の官僚等等。然しながら、彼らのどのような能力、どのような行動を見て我々は優秀と見なしていたんだろうかということを本当に突き詰めて考えたことがあるだろうか。日本という国、経済や行政のメカニズム等何ひとつとっても全く改革することも出来ない官僚達が本当に優秀といえるのだろうか?
自分の欲求や論理を押し殺して組織の論理に押しつぶされて"生活のためだから"とか"企業とはそのようなものである"と嘯いて単に一流という企業の名前だけにしがみついている人達が本当に優秀といえるのだろうか。そろそろ我々日本人もステレオタイプに紋切り型にこのようなことを唱えることはやめて、自分の目で自分の頭で物事の本質を捉えて自分で判断し、自分なりの意見を持つということを一人ひとりがしていかないとこの国は決して変わらないだろう。
企業組織でも、自ら考える、自ら調べる等といった自らの労力や汗を惜しみ効率性や生産性のみの追求に走っている組織ほど単に意味もない流行りの手法の導入に走り、現場での知恵とか知恵の蓄積ということが全く出来ていないというケースが多い。
最も重要なことは、知的能力を開発することでもなく、使われていない右脳を使うことでもなく、常識を開発・発達させることである。
ロジカルシンキングが重要なのでなく、全てのことを自分の頭の中で考える対象として捉えられるかどうかそして全ては、この常識をいかに使うかということではないだろうか。