OBT 人財マガジン
2006.05.01 : VOL UPDATED
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風薫る大型連休に思うこと
素晴らしい快晴に恵まれた大型連休。9連休の中で3日ほどは事務所に出たものの何年ぶりだろうかこの連休に十分な時間が持てたのは。
朝早くから愛犬に起こされ一緒に自宅付近を散歩するのは私にとっては、極めて日常的ではあるものの、いつもの風景と一変しているのは、その静けさと小鳥のさえずりの多さである。小生の家は東京の真っ只中にあるが、それでもこの時期の早朝の静けさは、ある種海外のリゾート地の朝の空気と非常に近いものを感じさせる。
そしてこの光景を、マスコミ等は、年末年始と同様東京における非日常として表現されているのは例年のことである。然しながら、本当にこれをステレオタイプ的に大型連休中の非日常と片付けてしまっていいのだろうか?
我々が日常、非日常と区分けしている基準をこれを機に再考して見る必要があるのではないだろうか。
時代が変われば、環境が変われば、非日常が日常になるということは多くの事例が我々に示唆しているところである。連休中の半日、暇に任せてかねてより関心があった“深川丼”なるものを賞味してみようと江東区の深川へ出かけてみた。
連休ということで目指していた店が休業中であったため、深川丼自体への感動は今ひとつであったが、偶然にも清澄庭園の近くにある深川江戸資料館なるものを訪れ感動した。
資料館の中には、江戸時代の深川付近の船宿、民家等の町並みが往時の面影を残したまま、再現されている。
それぞれの民家は隣と軒を接し、それぞれの家の内部は相互にオープンであり、とてもプライバシー等は保つべくもないような住宅事情であったであろう。
然しながら、そのことが相互のコミュニケーションを活性化し、助け合う、支えあう関係を可能としていたのではないだろうか。現代の多くの企業組織に見受けられる汎用的な課題である組織間の壁、自分の仕事最適的な価値観、隣は何をする人ぞ的仕事のスタイルが生み出された背景にあるものは一体何であろうか。
組織に過度な生産性、効率性を求めるあまりに、仕事を細分化、専門化してきたことが組織間の意思疎通を阻害し、視野の狭い蛸壺的価値観を醸成してしまった。江戸時代の大衆家屋におけるコミュニケーションの在り様が現代の企業組織の在り様に示唆しているものは数多い。
我々が当たり前としている考え方や価値基準を本質から考え直してみる時期に来ているのではないだろうか。