2013年1月アーカイブ ..

七福醸造株式会社
代表取締役会長 犬塚 敦統さん

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    【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
    人が気づき、変わる瞬間とは(後編)

     

    社員が自発的に成長する風土を育むことは、強い組織づくりの永遠のテーマ。施策はさまざまにあるももの、どのような環境や経験を与えても本人の"気づき"がなければ成長にはつながりません。人はどのようなときに気づき、変わるのでしょうか。愛知県の醤油メーカー、七福醸造では"気づかせる教育"を徹底して行い、一体感が自然と生まれる組織をつくり上げています。「組織の都合で人を育てるのではなく、本人の幸せを心から願うことが大切」と語る大塚敦統会長に、同社の"気づきの教育"について伺いました。(聞き手:OBT協会 菅原加良子)

  • [OBT協会の視点]

    今回、お話を伺った犬塚会長は、"逆境の中での気づきこそが教育の本質"であると語っている。逆境の中での挫折感や自己嫌悪、そして、その際手を差し伸べてくれた人へのありがたみは、経験しなくては分からない貴重な体験であるという。
    我々OBT協会でも、人の育成において『環境を与える→経験させる→気づきを与える』 この流れが、最も重要だと考える。環境がなければ、経験することも出来ず、経験をすることがなければ、気づくという成長を生む機会も与えられないからである。然しながら、多くの企業では"経験を積ませる環境"をなかなか用意出来ないのが現状である。
    人財にとって経験出来る環境 = 企業側にとってのリスクでもあるからだ。だからこそ、経験ある人財を優先的に割り振ってしまうのである。しかし、企業にとって好都合な環境では、新たな人財の力を開花させることは出来ない。要は、企業側がどれだけリスクを背負う覚悟があるのか。経験の場を積極的に作ることが出来るかが、今後、企業で鍵となってくるのではないだろうか。

  • 七福醸造株式会社(http://www.shirodashi.co.jp/)
    1951年創立。白醤油の醸造メーカーとしてスタートする。1978年に日本初の白だし醤油「料亭白だし」を発売。ホテルや料亭の料理人に高く評価され、ヒット商品となる。個人客からの引き合いが増えたことを受けて1988年に通販部門を分社化し、株式会社味とこころを創立。1998年、ISO14001認証取得。2001年には有機JAS認定工場を取得し、日本で唯一の白醤油の『JAS有機認定工場』となる。2006年にISO22000認証取得。安心・安全な自然な食品の開発に注力すると同時に、環境活動や社員の"心の革新"にも取り組み、中国・内モンゴル砂漠での植林活動などに参加。1996年から社員研修の一環として始めた『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』は、外部参加者も含めて1500名を超える大イベントとなり、多方面からの注目を集めている。
    企業概要/資本金:1億円、従業員数:34名、売上高:8億3千万円(2011年度)

    ATSUNORI INUZUKA

    1941年生まれ。明治大学卒業後、七福醸造に入社。80年に専務取締役、85年に代表取締役社長に就任。2011年4月から現職。

  • 社員の成長を"信じて待つ"

    ────『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』では、さまざまな気づきや感動があるということですが、同じ体験でもそこから何を受け取るかは、人によって差があるともいえるでしょうか。

    感受性の強い人と弱い人では、全然違いますね。

    ────その成長を"待つ"ことも必要ですか。

    そう。教えたら絶対にだめです。

    ────時間がかかっても、ご本人が気づくまで。

    自分の心で納得しないとね。だから、待たなきゃだめなんです。「お前はまだ至らない」と教えてやるのは簡単ですよ。でも、人間は他人に欠点を指摘されるとムカッとくるんですね。受け入れたフリはしても、本当には受け入れられない。100kmを歩くことにしても、「こういうときにこう感じるんですよ」と教えたら、そんなものは頭に入ってもすぐに忘れてしまいます。

    例えば、大学を出た新入社員の女の子が歩いたときは、家族に猛反対されたんです。「そんなのは無茶だ、何のために歩くんだ」と。今はすぐ理屈でくるんですね。「何のためかは歩いてから聞け」と言うんですけれども。

    でも、新入社員はみんな歩きますから「私も歩く」と参加して、一緒に入社した高卒の子と製造の男性社員がずっと引っ張ってくれたんです。ところが50kmくらいからだんだん辛くなり、「なぜこんな思いをしなくてはいけないのか」と、悪いことばかり考えるようになった。85kmを過ぎたあたりでとうとうついて行けなくなって、「私も諦めないで頑張るから、先に行ってください」と同行の2人と別れたそうです。ところが、そうは言っても大卒の彼女はやはり悔しいわけです。しかも寒くて、辛くて、眠くてね。「こんな会社は辞める」と思いながら歩いたと、感想文に書いてありました。

    そうするうちに、前方にある男性が足を引きずって歩くのが見えてきて、私のような人がまだいるのだと彼女はホッとした。ところがその彼が、追い抜かれるときにニコッと笑って「頑張ろうね」と言ったんだそうです。それを聞いて「びっくりした」と。この辛いときになぜあんな笑顔ができるのか。弱い人が強い人を励ますなんて...。それに比べて私の心は何と貧しいことか、と。

    そして、97km地点の最後の休憩ポイントに着くと、先に行ったはずの2人が待っていてくれたのだそうです。「一緒にゴールしたいと思って」と言われて、「涙を抑えるのが精一杯だった」と書いてありました。そして歩き終えた途端に、高卒の女の子が座り込んで動けなくなってしまって。泣いているのです。考えてみれば、辛くないわけがないんです。それを見せずに大卒の彼女を気遣ってくれていたと知って、大卒の子は高卒の子のことを「私は一生尊敬します」と、感想文はそう書いて終わっていました。

    学歴じゃない。心の豊かさなんだと。人間の勝負はそこなんだということを、大卒の彼女は学んだわけです。だから、人は自分で本当に苦労したときに「自分は至らない」と受け入れるんですね。ちょっと苦しい程度のことではだめで、本当の逆境の中で気づいたことは深く入る。そのために「うちは強制するよ」と社員には言っているんです。犯罪をしろとか、悪い強制はいかんでしょうけど、いい強制はやらなきゃ。だから「キミたちを川まで連れて行って、馬のツラを水の中に突っ込む」と。

    ────よく言われるのは馬を川に連れて行くところまでですが、顔を水の中に突っ込むところまでされると。

    そう。でも水を飲むか飲まないかは、私の力では何ともなりません。先ほど言われたように、わかる人はものすごく成長が速いし、感受性が鈍い人は成長が遅い。これが自分の成長につながるとか、みんなのためにもなるとか、そういういろんなことを理解するのは「キミたち自身だよ」と話しているんです。

    ────ただ、それでもやはり「人は必ず変わる」ということを信じておられるように感じます。

    それは、今までやってきてみんなそうですからね。

    社員の理解を超える体験を与えることがトップの役目

    ただそういう体験は、社員にしてみたらやはり最初は意味がわからないんです。だからといって、社員が理解できることだけやっていたのでは効果はあがらない。理解できなくても強制的にやらせれば、何とかなるんですよ。

    だから社員教育を考える方には、教育を即、業績向上に結びつけることに慌てなさんなと言いたいですね。体験を通した気づきを与えることで、社員が幸せになるという大きな目的を一つ達成しているんですから。

    砂漠で木を植えているのもそうです(※)。社員全員を2回にわけて連れて行きましたが、これも社員を良くしてやろうとかそういうことじゃなくて、私がまず内モンゴルに行って感激したその思いを社員にも味あわせてやりたいと。自分の娘や息子ならそう思いますよ。だから連れて行くんです。現地に行かれるとわかりますが、豚が放し飼いでね。私が子どもの頃に育った環境と極めて似ていて、ここは日本の故郷だと嬉しくなったんです。そういう現場を見せないと、本当のところがわからないんですよ。

    ※同社では、内モンゴルの沙漠での植林活動にも社員が参加している。

    夜8時頃、向こうの生活が見たいと頼んで、ある家庭にも連れて行ってもらいましたが、家の中に飾りも何にもないんですね。夜はマイナス30度近くにもなるのに、暖房は囲炉裏だけ。それも薪がもったいないから、食事をつくるときしか燃やさない。食べるのも1日2食とか1食の日もある。それでも親子3人が着ぶくれて、ニコニコしているわけです。本当にいいを顔しているんですよ。私たちは、食べ物が豊富にあるのに美味いだの不味いだのと言って、服でも靴でもいっぱい持っているのに文句ばかり言っている。自分たちがいかに恵まれ過ぎているかがわかって、女子社員なんかはみんな感動して、泣いている子もいましたね。

    「日本に戻ったら、もっと小さなアパートに引っ越そうと思います」という社員もいました。彼は新婚さんで赤ちゃんがもうじき生まれるから、本当は大きい部屋に移るつもりだったそうです。でも、今よりも小さな部屋で十分だと思うようになったと。これが教育ですよ。感動は「感じて動く」と書くでしょう。感じても動かないような教育は、何回やっても一緒です。こうやって社員のレベルが上がっていくことがすべて、お客ささまへの気持ちのいい応対につながり、業績に自然と結びついていくんです。

    社員に伝えたいのは"日本人の心"

    ────会長は、社員の皆さんの心に何を一番伝えたいと思われますか。

    日本人の心ですね。人のためを思える本当に優しい心。今回の東日本大震災でも、日本人の心が世界中で褒められたでしょう。あれが、人間の幸せの基本なんです。通販部門を分社化させた会社に『株式会社味とこころ』という名前を付けたのも、味も大事だれけど心はもっと大事だよということを伝えたかったから。阪神大震災のときにわかりましたが、日本のDNAはしっかり残っています。これを刺激して広めるのが『味とこころ』の責任、目的だということで、そういう名前をつけたんです。

    阪神大震災の炊き出しで、油揚げを買いに行ったときの話です。最初はスーパーに行って、1カ所で買い占めるとほかのお客さんが困りますから、何軒も回って集めていたのですが、大変だから油揚げをつくっているところで分けてもらおうと。それで豆腐屋さんに行ったら「何に使うんだ」と。「いや、震災の炊き出しで」というと「それなら持っていけ」と代金を取らないんです。

    そこだけに負担をかけられませんから、当初は500人分だった買い出しが1200人分に増えた段階で別の豆腐屋さんにも行って、そこでは代金を取ってくれるようにお願いしたら、品物と一緒に「不良品がたくさん出たから」と大きな袋につめた油揚げを無料でつけてくれましてね。これは助かったと、もらって帰って開けてみたら、どれもみんなきれいな油揚げで不良品じゃない。これが日本人の心なんですよ。

    ねぎを分けてもらいに畑まで行ったときも、1000本を買う約束で取りに行ったら1300本あったんです。「余分は私の気持ちだ。持っていけ」と。大根も白菜もそう。人参もあの年は高くて大変でしたが、毎日30kgを置きに来てパッと帰っちゃう農家さんがいましてね。私に見つかると礼を言われるからと。それはね、もう感動ですよ。

    ────今は、感動するということがあまりないですから、お話をうかがうだけでも心にしみます。

    そう。だから買い出しには必ず若い社員を1人つけて、勉強のために毎日交替で行かせました。「必ず感動することあるから」と。不良品だと言って商品をくれた豆腐屋さんでは、「神戸で困っている人がいるのに代金なんか取れない。私たちは行きたくても行けないから、せめて協力させてほしい」と言われて、向こうの社長とうちの女の子が一緒においおい泣いたそうです。私自身も炊き出しの38日間、毎日感動して泣いていました。

    その日本人の気持ちを、社員にはわかってほしいんです。お金や損得じゃない。みんなで支え合っていく。これが一番いいじゃないかということを体験させてあげたいんですよ。

    経営に夢を持つ。そこにトップの生きる道がある

    ────会長は、初めから今のようなお考えを持たれていたわけではなかったと思うのですが、ご自分を変えることができたのは何が一番大きかったのでしょうか。

    一番は、やはり会社が潰れそうになった体験ですね。もうあんな思いは二度としたくない。そのためには、考えられることや思いつくことは全部やってみようと。それも、この程度でというのじゃなくて、とことんやろうと。そう思えたわけです。

    結局、今までの人生を振り返っても、厳しいときだけが私を育ててくれるんです。嫌なことや辛いことだけが、私を育ててくれる。だから絶対逃げちゃいかん。ああ、ありがたいと思わないといけないんです。

    ────では、自分を変えられない人は、まだそこまで厳しい経験をしていないといえるでしょうか。

    そうだと思いますよ。といっても、人生で失敗したら大変ですが、100kmで失敗するならいいじゃないですか。だから初めて参加する人には、若い人などは練習したら歩けてしまいますから、「練習しないで来てください」と言うんです。挫折した方がいいですからね。

    今、うちは事業でも苦戦しています。リーマンショック以降は、やはり安いもののほうがいいということで、経営を譲った息子2人は非常に苦しんでいる。だから、ありがたいんです。逆境に何回遭うかが、社長の強みですからね。われわれはもっとひどいことをいっぱい、夜も眠れないようなことを何回も経験しきましたので、今の状況もどうってことない。中小企業の社長というのは命を削って生きているんです。だから、中小の社長なんて絶対やっちゃいかん(笑)。

    ただ面白いのは、自分の生き方、哲学のままに経営ができるということ。これが中小の一番の醍醐味ですね。俺はこういう社会をつくりたい、日本をこうしたい、子どもたちを幸せに、世界を平和にしなきゃだめだ。それには俺はこうやってやるんだ、食品をこうするんだという大きな夢があるでしょう。だから辛くても、何としてもやっていくわけです。自分に考えがなければ、社長なんかできませんよ。ただ親から継いだというだけで、自分に夢がないのは辛い。可愛そうですね。

    ────会社の今後についてはどのようにお考えですか。

    息子たちがここで苦しんでくれれば、社員に対する感謝の念も、お客さまに対する感謝の念も深くなるでしょうし、親にも感謝するでしょう。苦労しなければ、感謝が出てこない。だから、辛ければ辛いほどいいと思っています。

    今回、大きな借金をして工場の耐震工事をしたんです。売上が右肩下がりのときに大型の設備投資をするのは本当はいけないけれど、東海地震がくると盛んに言われて、以前の工場は耐震性がないことがわかっていましたのでね。資金がないことを理由に、社員に何かがあってはいけない。それで思い切ったんです。

    ですから、東海地震がきても何とか社員の命だけは守れるようになったと思います。お客さま第一ではありますが、一番大事なのは実は社員。社員が自分の息子や娘と思えるか。その思いをいつも心に持って、息子たちにもそれを伝えていきたいと思いますね。

    ────社員を、業績を上げるためのモノと見なすのではなく、一人の人間として尊重して愛情を注ぐ。人財観の大切な基本を改めて教えていただいたように思います。本日はありがとうございました。

  • 聞き手:OBT協会 菅原加良子

    OBT協会とは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

七福醸造株式会社
代表取締役会長 犬塚 敦統さん

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    【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
    人が気づき、変わる瞬間とは(前編)

     

    社員が自発的に成長する風土を育むことは、強い組織づくりの永遠のテーマ。施策はさまざまにあるももの、どのような環境や経験を与えても本人の"気づき"がなければ成長にはつながりません。人はどのようなときに気づき、変わるのでしょうか。愛知県の醤油メーカー、七福醸造では"気づかせる教育"を徹底して行い、一体感が自然と生まれる組織をつくり上げています。「組織の都合で人を育てるのではなく、本人の幸せを心から願うことが大切」と語る犬塚敦統会長に、同社の"気づきの教育"について伺いました。(聞き手:OBT協会 菅原加良子)

  • [OBT協会の視点]

    今回、お話を伺った犬塚会長は、"逆境の中での気づきこそが教育の本質"であると語っている。逆境の中での挫折感や自己嫌悪、そして、その際手を差し伸べてくれた人へのありがたみは、経験しなくては分からない貴重な体験であるという。
    我々OBT協会でも、人の育成において『環境を与える→経験させる→気づきを与える』 この流れが、最も重要だと考える。環境がなければ、経験することも出来ず、経験をすることがなければ、気づくという成長を生む機会も与えられないからである。然しながら、多くの企業では"経験を積ませる環境"をなかなか用意出来ないのが現状である。
    人財にとって経験出来る環境 = 企業側にとってのリスクでもあるからだ。だからこそ、経験ある人財を優先的に割り振ってしまうのである。しかし、企業にとって好都合な環境では、新たな人財の力を開花させることは出来ない。要は、企業側がどれだけリスクを背負う覚悟があるのか。経験の場を積極的に作ることが出来るかが、今後、企業で鍵となってくるのではないだろうか。

  • 七福醸造株式会社(http://www.shirodashi.co.jp/)
    1951年創立。白醤油の醸造メーカーとしてスタートする。1978年に日本初の白だし醤油「料亭白だし」を発売。ホテルや料亭の料理人に高く評価され、ヒット商品となる。個人客からの引き合いが増えたことを受けて1988年に通販部門を分社化し、株式会社味とこころを創立。1998年、ISO14001認証取得。2001年には有機JAS認定工場を取得し、日本で唯一の白醤油の『JAS有機認定工場』となる。2006年にISO22000認証取得。安心・安全な自然な食品の開発に注力すると同時に、環境活動や社員の"心の革新"にも取り組み、中国・内モンゴル砂漠での植林活動などに参加。1996年から社員研修の一環として始めた『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』は、外部参加者も含めて1500名を超える大イベントとなり、多方面からの注目を集めている。
    企業概要/資本金:1億円、従業員数:34名、売上高:8億3千万円(2011年度)

    ATSUNORI INUZUKA

    1941年生まれ。明治大学卒業後、七福醸造に入社。80年に専務取締役、85年に代表取締役社長に就任。2011年4月から現職。

  • 社員は"トップの後姿"を見て育つ

    ────この連載では『人を活かす』ということをテーマに、さまざまな経営者の方にお話をうかがっています。御社は、過去に経営危機に陥られた際に、辞表を出す社員の方が続出したという事態を経験されたとお聞きしていますが、そういった状況からどのようにしてみなさんの意識を変えて、今日のような求心力のある組織をつくり上げてこられたのか。社員の方々との関わりといったことについてお聞きできればと思っています。

    当時は、社員の気持ちを変えるとかそういうことではなくて、お尻に火がついていましたから動かざるを得なかったんです。オイルショックのパニックの後でしたからね。銀行さんに金を借りて社員の給料や仕入れの代金を賄いましたが、醤油は醸造期間がありますから、その間は売上が立たないわけです。

    だから出るものはコンスタントに出て行って、入るものがまったく入ってこない。それが何カ月も続くと、銀行さんも心配になるんですね。私の伯父が「財産分けのつもりで」と田地田畑を全て担保に入れてくれて、それで必要な資金だけは入るようになった。そんな状況でした。

    営業はどう立て直したかといえば、父が「お前、自分で売りに行け」と。最初の2カ月ほどは営業部長と一緒に回って営業を覚えて、まあ、それでは覚えたとはいえませんが、とにかくそれからは一人で新規開拓に飛び回りました。正月は3日休んだけれども、お盆休みは1日だけ。社長の息子ですから、私がやらにゃいかんという思いがありましたのでね。夢中でやりましたよ。

    ────取引先となる飲食店を開拓して歩かれたということですか。

    飲食店だけでなく、漬物屋さんからあられ屋さん、総菜屋さん。白い醤油が使われる可能性のある、ありとあらゆるところを回りました。『食品年鑑』というものを買ってきましてね。可能性のある会社に印をつけるんです。それを事務員さんが一軒ずつカードにして、県別に分けて、さらに市別に並べてくれて。それを持って、例えば秋田市に行くとすると、前夜に入って市内の地図を見て、訪問する順番にカードを綴じておくんです。

    そして朝8時に最初の訪問先の前に立って、店が開くや「愛知県から白い醤油の紹介に来ました」と言うと、向こうはびっくりして「まあ上がってください」と(笑)。アポイントがないわけですから、断られないようにそういうこともやりましたね。日曜日に出発して、東北方面なら2週間から3週間、ぶっ続けで回りました。新規開拓を始めた初年度に売上を7割伸ばし、翌年さらに4割伸ばして。そうやって立て直したんです。

    そうして私が必死で回っていれば、社員はみんな文句を言いません。結局、小さな会社というのは、トップの後ろ姿しかないんです。これは後年に師事した先生(経営コンサルタント 故・一倉 定氏)の教えでもありますが、当時はそんなことはまだ知りません。ただ必死でしたが、そうすると「社長の息子がそこまで苦労しているのだから、私たちも頑張らなければ」という風になっていくんです。社員を変えるよりも、まず自分が変わる。自分が動くことが、結局は社員を変えることにつながるんです。

    経営観・人財観を変えた痛烈な体験

    ところが、売上を7割伸ばせば黒字になるはずが、景気が良くなってきたことで人件費も25%上がってしまった。翌年さらに28%上がって、その次が32%。この辺りはトヨタさんが人件費を上げると、われわれの醤油でも人がいなくなってしまうんです。売上が伸びたら伸びたで、人件費も上がる。だから、あの当時の醤油屋さんはみんな赤字ですよ。一番大きいところが12人リストラして、翌年、その次に大きいところが8人。うちは一番小さくて危機意識も鈍かったので3年目でしたが、4人に辞めてもらったんです。

    ────そのリストラをなさられた後、辞表を出す方が続いたとお聞きしています。

    辞めてもらった4人に、残った社員のボーナスを集めて退職金を出したんです。社員には「ボーナスはいずれ返すから、ちょっと待って」と。そうしたら、この会社でこんなに退職金がもらえるなら今辞めた方がいいということで、何人かが辞表を持ってきました。まあ2、3人だったと思いますが、そういうことはありましたね。

    ────そのときは、どのようなお気持ちでしたか。

    辞表は、社長に対する"不信任案"ですからね。社員は行動の責任を取ることはあっても、最終の結果責任はすべて社長にある。だから「社長のやり方が悪い」、「先の見通しが悪い」という不信任案。これはもう一番辛いです。しかも、人を集めるのが大変なときに退職願を出されると、ドキッとするわけです。

    社員4人に辞めてもらったことは、もう二度としたくないと思う体験でした。当時はまだ父が社長でしたが、実質は私が切り盛りしていましたから、私が4人に声をかけましてね。結局、それが私の一生の思いになっているんです。だからね、まず"社員の幸せ"が先なんですよ。"社員がいかに働いてくれるか"ではなくて、"社員の幸せが先"なんです。

    一倉先生には、「社員は息子や娘だと思えるか?」と言われました。私は、会社が潰れそうになった経験をしてから先生の話を聞いていますから、「まさしくそうだ」と。そういう体験をして聞くのと、しないで聞くのとでは、雲泥の差があります。体験がない人は頭で聞くから、言葉の意味はわかっても、本当の意味は理解できない。私は心で受け止めて、腹の底で理解しました。だから、自分を変えることができたんです。

    経営者として、言行一致をどこまで貫けるか

    ────ご創業者である先々代の社長も、社員の方々を大切にする経営をされていたとうかがっています。そうであっても退職を希望した方がいたということは、信頼関係を築くのはそれだけ難しいことだともいえるのでしょうか。

    いやいや、そういうことをやるのはすべて新しい人ですよ。長年いた方が定年退職して、その後に採用した新しい人。やはり、年月が信頼関係を育てるということはあると思いますね。実績が信頼を生むわけですから。「この社長は口と腹が一緒だ」と、実績で社員に思わせなくてはいけないんです。

    その意味で社員が私のことを本当に信頼したのは、阪神大震災のとき。うちの会社で38日間、炊き出しを行ったときのことだったと思います。社員を少ないときで4分の1、多いときは3分の1を駆り出して買い出しやら準備をして、被災地には3人から5人を交替で2泊3日で送って。20日もすると、さすがに暇な会社でも人手が足りなくなって、現場が無茶苦茶になってくるんです。だから「社長、炊き出しの人数を減らしてください」と。炊き出しを手伝ってくれる人も集まってきていましたから、その分だけ社員の派遣を減らしてほしいと言うので、私はこう返したんです。「応援が来るということは、天からの『もっとやれ』というメッセージだ」と。

    ────なぜそこまでしようと思われたのですか。

    困っている人がいたら、助けるのは当たり前でしょう。助けられる人は幸せなんです。日本人はみんな、そういう気持ちを持ってますよ。費用もかかりましたから「会社が潰れる」という人もいましたが、潰れたらまた興せばいいじゃないかと。今現在、困っている人がいるんだから、3000食でも5000食でも受けなあいかんじゃないかと言って炊き出しを続けた。

    だからでしょうね。なんだ、社長は腹で思ったこととやることが一緒かと。この親父ならついて行ってもいいと思ってくれたのだと思うんです。結局、炊き出しに1000万円以上を使いましたが、安い教育料だったと思いますね。

    "逆境の中での気づき"が人を育てる

    『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』では、制限時間30時間で100kmを歩く。1996年に社員教育の一環として始め、17年の歴史を数える2012年には外部参加者も含め歩者1581名、スタッフ92名が参加する一大イベントとなった。

    そうして社長の後ろ姿を見せるということと、もう一つ、教育には"逆境の中での気づき"が大切です。そのために、うちでは毎年『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』を開いているんです。

    ────メディアにも取り上げられた有名な大会ですね。始められたきっかけは何だったのでしょう。

    ある知人の社長が、男性だけで50kmを歩く会をやっていると聞きましてね。「ものすごく感動するよ」と言うのでそりゃ面白そうだなと、うちも春と秋に30km、女性社員も入れて歩き始めた。それが始まりです。

    ────長い距離を歩き通す挑戦が、"逆境"の体験になるということですね。最初から"逆境の中での気づき"を意図されてのことだったのですか。

    いや、はっきり意識したのはもっと後です。何回かやってみて「ああ、これが教育の本質か」と思い至ったんです。どいうことかといえば、例えばうちの工場長が大学4年生の息子と100kmに挑戦したときのことですが、ずっと息子を引っ張って歩いていた工場長が、97kmの休憩ポイントでマッサージを受けたとき、もう足を触られただけでも痛いから揉まれるともっと痛くて、みっともないと思ってもうめき声と涙が出て。悲鳴を上げて、手を一寸離した時に泣きながら、"ありがとうございます"と何回も繰り返していたんです。

    それを見た息子が、「そんなに痛いの?」と。考えてみたら、それまでの休憩ポイントではずっと息子にマッサージを受けさせて、父親はいっぺんも揉んでもらってない。コースの途中でも息子を道端に座らせて、「頑張れ」と足を揉んであげてね。それを息子は、親父が強いと思っていたんです。ところが今、涙をボロボロ流している。その姿を見てドキッときたんでしょうね。「親父、申し訳ない」と息子も最後の3kmを泣きながら歩いていました。これが感謝の心、親子の絆ですよ。

    今は参加者が1500人を超える大会になりましたが、これが恐らくちょっとくらい苦しい大会ならこんなに増えません。100kmでは極限を経験しますから、何回やっても気づきがあるし、感動する。そういう心からの感動の涙を何回流させるかが、社員教育なんです。

    体で理解したことは、いつまでも心に残る

    ────今は、日常生活で逆境に遭うことはあまりないですよね。それをあえて逆境に追い込むことで、人は変わり、成長するということでしょうか。

    そう。30kmでも歩いてみるとわかりますが、ものすごく辛いんです。100kmを歩くときは、40kmから60kmの間に精魂を使い果たすんですよ。あとは"思い"だけで歩く。この辛さが、たまらなくいいんです。普段だと親切にされても「ありがとう」で終わることも、辛いときに親切にされるとものすごく嬉しい。そうした感謝の心も学べるわけです。

    挫折も経験できます。初めて挑戦するときは、むしろ100km歩けなくて挫折した方がいいですね。そうすれば悔しくて、次の年は必ずリベンジできる。それに、そうした挫折体験があると人は優しくなれるんですよ。

    ────仕事ではミスを避ける意識がどうしても働いて、失敗や挫折を経験することは少ないと思いますが、「100km歩けなくて辛かった」という経験にも、人を変える力があると。

    そう。社員教育のために法人として参加する会社もたくさんありますが、ある社長が社員と一緒に歩いたんですよ。で、社員が先に挫折した。そうしたら、社長は「たるんでいる」と言うわけです。挫折した社員にしてみたら、もうどうしようもないでしょう。私は100kmを2回挫折していますから、挫折した子を励ますのはものすごく上手です。その社長は恐らく、挫折を知らないんでしょうね。それでは社員が可愛そうですよ。だから逆境が大事なんです。さんざん辛い中で挫折すれば、人はみんな優しくなるんです。

    ────そうすると職場に戻ってからも変化がありますか。

    まるっきり変わりますね。思いやりがものすごく出てくる。それに、これだけの規模の大会は連携してやらないと運営できませんから、みんなの連帯も生まれます。

    そういった体験をしながら、頭ではなく体で理解させるわけです。ですから、うちの社員教育はすべて"首から下"。首から上で競争しても勝てないから(笑)、首から下の教育しかやりません。その代り、思いやりや心の温かさ、人のためを思える心の豊かさだとかね、体力とか根性とか、連帯感、団結力はものすごくある。うちは"心"で勝負しているんです。

    ────それが社員の方々の幸せにもつながっていくと。

    そう。社員教育の目的は"人間をつくること"にあります。社員に幸せな人生を送ってもらうにはどうすればいいか、隣近所の人や関わる人たちと仲良くやっていけるようにするにはどうすればいいか。それはノウハウやテクニックじゃない。人間の基本を磨かなければいけないんですよ。

    社員教育に大切なのは、トップの後ろ姿を見せることと、逆境の中での気づきを与えること。社員の方々と向き合う犬塚会長の思いの底には、「人は必ず気づき、成長する」と信じる深い愛情があります。その人財観や経営観を、後編でもたっぷりとうかがいます。


  • *続きは後編でどうぞ。
      【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】 人が気づき、変わる瞬間とは(後編)



  • 聞き手:OBT協会 菅原加良子

    OBT協会とは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

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