2012年10月アーカイブ ..

人とホスピタリティ研究所所長
前リッツ・カールトン日本支社長
高野 登さん

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    【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
    成熟化社会は、ホスピタリティが鍵となる(後編)

     

    モノやサービスが溢れ、経済が成熟化した今、顧客と強い絆を結ぶ鍵は何か。今回はその手がかりを求めて、前リッツ・カールトン日本支社長の高野登さんにお話をうかがいました。リッツ・カールトンはホスピタリティを中心とした理念を掲げ、独自のブランドを築き上げたことで知られるホテルです。顧客の心に徹底して寄り添うその企業姿勢には、あらゆる業界に通じる貴重なヒントが潜んでいます。現在は、人とホスピタリティ研究所所長としてホスピタリティに基づく生き方を提唱する高野さんに、これからの時代に求められる人と組織のあり方について語っていただきました。(聞き手:OBT協会代表 及川 昭)

  • [及川昭の視点]

    長い間、いろいろな企業で組織変革や競争優位作りなどにかかわっていて思うことがある。例えば、競争優位=差別化だとすると、どんなに頑張っても昨今は機能面だけで違いを出すというのは極めて難しくなってきている。 そうすると結局行きつくところは、サービス業はもとより、製造業、流通業、或いは医師や弁護士といったある種の専門性を持っている人達でも「ホスピタリティ」的なものが、その優位性や差別化という意味でも重要な能力となってくる。
    高野登氏が、「ホスピタリティとは、OSである」と仰っているとはとても納得感がある。

    聞き手:OBT協会  及川 昭
    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • NOBORU TAKANO

    1953年生まれ。プリンス・ホテルスクール(現日本ホテルスクール)卒業後、渡米。NYプラザホテル、LAボナベンチャー、SFフェアモントホテルなどの名門ホテルでマネジメントを経験し、1990年にザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコの開業に携わる。1994年にリッツ・カールトン日本支社長に就任。1997年にザ・リッツ・カールトン大阪、2007年にザ・リッツ・カールトン東京の開業をサポート。2009年に退社し、長野市長選に出馬するも651票差で惜敗。同年、人とホスピタリティ研究所を設立し、日本各地で人財、組織、地域づくりのサポートを行っている。『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』(かんき出版)など著書多数。2012年8月に『リッツ・カールトンと日本人の流儀』(ポプラ社)を上梓。

  • ホスピタリティは「資質」ではなく、訓練で強化できる「能力」

    ────私は仕事柄、毎日多くのビジネスマンにお会いしますが、ホスピタリティがある人とまったくない人と、人は2つに分かれるように思います。何が違うかといえば、他人といい関係を築ける能力や、他人の幸せに喜びを感じる能力、相手の状況に身を置いて考えられる能力といったものが前提にないとダメなのではないかという気がしておりましてね。これは履歴書には特技として表現出来ない能力ですが、大変な能力だと思うんです。こうした能力は学習して身につくものなのかどうか、高野さんはどうお考えになりますか。

    身につくと思いますね。例えば、私が生まれ育った長野の田舎では、年寄りの知恵が次の世代をつくるという、日常の中でのトレーニングがありました。田植えや稲刈りは村の人が総出でやるのですが、それぞれお互いの田んぼを見ているんですね。「あいつのところがそろそろ稲刈りだ」となると、誰彼ともなくその日を空ける。同じように、自分のところの稲刈りが近づけば、自然とみんなが集まってきてくれる。こうしたことが当たり前に行われて、子どもたちはそれを見ながら育っていく。これが心のトレーニングになるのです。

    また昔は、ガキ大将がいましたよね。学校帰りにみんなで道草をくったり、いたずらしたり。お腹が減っているから、キュウリ畑に入っていったりするわけです。そのときにガキ大将が、「大きいのを取れ」と言うんです。育ちすぎて商品にならないものをちゃんと知っていて、ちょうどいい大きさのものは絶対に取らせない。農家の人もそれがわかっているから、あまり怒らないんです。

    これも、ホスピタリティに則っていますよね。こうした感性は、性格や性質だと捉えられがちですが、僕は鍛えることができる能力だと考えています。昔は遊びにもこうしたルールがあって、子どもたちは鍛えられながら大きくなっていきました。こういう社会が健全なんですよ。

    ────以前、養老孟司さんのお話を聞いたときに、この手の能力を「私は教養だと思う」と言っておられました。こうした感性が備わっている人が、教養ある人なのだと。いい表現だと、とても印象に残っています。

    僕の中の教養の定義は、「大人の感性」です。ですから、子どもに教養を「強要」してもダメなんです(笑)。子どもの段階は「教育」です。とにかく教えて育てるしかない。その教えが積み重なって成熟した大人を育て、成熟した社会をつくるというのが本来ではないかと思いますが、今は大人が少なすぎますね。

    ────さきほど言われたような地域社会も失われつつあります。人と触れ合わないまま大人になった人の感性を、企業が採用後に育てることはできるでしょうか。

    不可能ではないと思います。身体の筋肉は、高齢でも訓練すれば強化できることが証明されていますよね。同じように、心も鍛えてこなかっただけのことですから、きちんとトレーニングをすれば育ちます。ただ、その方法は難しいですね。途中で心が折れてしまうこともありますから、かなりしっかりとしたトレーニングが必要です。

    その仕組みをつくったのが、リッツ・カールトンなのです。52週間、つまり1年間にわたって行う「ラインナップ(朝礼)」がそれで、毎日15分から20分間行う朝礼でクレドカードから一つのテーマを取り上げ、それに対する考えを自分の言葉で発表させるのです。人と触れ合わないことで一番衰えるのは、人のことを考える筋肉です。それを鍛えるには、人のことを考えさせる仕組みが必要だということです。

    土台を築く過程では「力技」も必要

    ────ザ・リッツ・カールトン大阪を開業されたときには、新規に採用された方のうちホテル経験者は何割くらいおられたのですか。

    未経験者は全体の数%いたかどうか、ほとんどがホテル経験者でしたね。

    ────他のホテルの経験がある方にクレドを浸透させるのは、簡単なことではなかったと思います。具体的には、どのようにして伝えていかれたのでしょうか。

    それには「力技」が必要です。先ほどお話したラインナップもそうですが、毎日、強制的に話をさせるわけです。スタッフが自主的に発表していると思われているようですが、それは開業から何年か経ったときの話であってね。始めから思いを持っている人ばかりではありませんから、まずはこちらが思いを語り、その思いをまだ自分のものにできていない人にも、とにかく自分の言葉で発表してもらう。最初はそういったプロセスが必要なんです。

    また、ザ・リッツ・カールトン大阪では、休憩時にペットボトル飲料を飲むときには、ボトルに直接口をつけてはいけないといったルールも設けました。グラスに注いで飲むのが、日本人本来の美しい所作です。日頃のそうしたことから徹底しないと、お客さまの前できちんとした立ち居振る舞いはできません。

    当時、リッツ・カールトンは日本ではまだ知名度が低く、「外資系のホテル」といった印象でしたので、我々は日本人以上に日本人らしくあろうと。教養や所作、しつらえや装いといったことを意識して、徹底して身につけていきました。

    ────変化はどれくらいで現れるものですか。

    2年近くはかかりますね。ただ、人によって差があり、経験が少ない人の方がやはり早く吸収します。経験が長い人は、プライドがどうしても邪魔をするんですね。それでも言い続けて、本人にも自分の言葉で語ってもらう。そうしていると、少しずつ行動が変わってきます。

    ────そうしたリッツ・カールトンのスタイルが合わずに、辞めていかれた方というのもおられますか。

    もちろんいました。ごく稀でしたが、「外資系のホテルで一旗揚げよう」といった考えの人もいて、そういう人にはリッツ・カールトンの仕組みはしんどいんですね。こんな大変な思いまでして続けたくないと、去っていった人も何人かいました。ですから、仕組みを徹底していると、本当に思いがある人だけが残るということですね。

    学歴や偏差値では、人の真価はわからない

    ────高野さんは、採用が非常に重要だとかねてから言われていますが、どのような点を重視して選考されていたのでしょうか。

    リッツ・カールトンには、「QSP(Quality Selection Process)」という採用のシステムがあります。そこで見るのは、木に例えれば「根っこ」の部分。土から上の部分はだいたい見当がつきますし、偏差値を見ればどんな勉強をしてきたのかも分かります。しかし、偏差値が低いからといってその人の心が育ってないかというと、そんなことはなくて、ガキ大将タイプで面倒見がいいという人もいます。そうした学歴や偏差値からは見えない「根っこ」のところを探るのがQSPなんです。

    ────偏差値では、人の真価はわかりませんからね。そういった数字で見ているようではいかがなものかと、僕もいろいろな企業で言っているんです。

    そういう企業が今、みな苦しんでいますよね。

    ────「根っこ」の部分とは、先ほど言われた「人のことを考える力」といった能力を見るということでしょうか。

    そうです。選考ではその人の持っている「相手の立場になって考える力」を探ろうとします。例えば「ここ2週間であなたの大事な人のために何をしましたか」といった質問をして、日常生活の中で「人のことを考える力」をどれだけ発揮できているか、行動に移す力がどれだけあるかといったことを探るのです。

    それは大げさなことでなくても、「友人が試験に合格したので、彼の都合が一番いい時間帯を選んでお祝いの電話をかけました」といったことでもいいんです。相手のことを考えるスイッチを、その人が日常の中でちゃんと持っているかどうか。例えば、笑顔の練習をしてくる人と心の中から自然に笑顔が出てくる人と、長い間こういう仕事をしていますと自然とわかるんですね。その人が持っている感性を、可能な限り探っていくのがQSPなんです。

    ただ、どんなシステムも完璧なものはありませんから、採用した人の6割が期待通りであれば、とても高い確率です。残りの4割は、その6割に続く人に育ってくれればいい。そう考えています。

    個人に置き換えてもそれは同じで、完璧な人間なんていませんよね。これはシュルツィに言われたことですが、人というのは性善説でも性悪説でもなく「性弱説」だと。人は本来、弱いものだということです。誰にでも強い部分と弱い部分があり、そのバランスの上で人は成り立っているわけです。ときどきバランスが崩れる瞬間があっても、それは人間の弱さが出ているわけですから、それも含めて受け入れればいいのだと。それがシュルツィの教えでしたね。

    トップの愛情が、社員のホスピタリティを育てる

    ────ホスピタリティはトレーニングによって育てることができるけれども、採用ではやはり基礎的な能力の高さ、「相手の立場になって考える力」を重視しておられる。そしてその能力は、幼児期からの人との関わりの中で培われるものであるということですね。

    そこなんです。私は今、子どもの教育にとても強い関心を持っているのですが、理由はそこにあります。例えば、「おばあちゃん子」や「おじいちゃん子」という言い方がありますね。以前は、甘やかされて育った子どもの代名詞のように使われていましたが、実は、祖父や祖母が身近にいる子どもの方が、人のことを考える力を持っている傾向があるのです。

    理由はとても簡単で、「愛され度」が違うんです。徹底的に人から愛される時間を過ごした人は、ふとしたときに人の気持ちに添うことができる。それが、僕の最近の結論です。今、都会に暮らす子どもたちは孤独ですね。学校に行けば仲間がいるけれど、昔のように放課後に遊ぶということが少なくなって、みんな塾に行ってしまうでしょう。人と上手に付き合うことを学ばないまま、大人になってしまうんですね。

    ────僕も、親の影響は非常に大きいと常々感じているので、とてもよくわかります。社会に出てからも、上司や仲間といった人との関係性の中で人は成長していきますが、今はそうした関わりも少なくなっているように思います。上司が人としての在り方をきちんと指導して、ときには怒鳴りつけるくらいに関わっていくということがなくなってきているなと。そんな気がしているんです。

    少なくなってきている理由は、トップが大家族の親になるトレーニングを受けていないことにあるのではないかと思います。今回、私の著書(『リッツ・カールトンと日本人の流儀』)でいくつかのすばらしい会社を紹介させていただいていますが、それらの企業には共通して、「会社は家、社長は親」という考えが根底にあります。ある会社の工場長などは、ふとした拍子に会長のことを「うちの親父さんは」と言われる。それを聞くと、ああ、ここは家なのだなと感じるんです。

    トップは家長で、会社は家長が守ってくれる空間。その感覚が働く側にあり、トップもそうした感覚を持たせるように働きかけておられます。「地震、雷、火事、親父」と言うくらいで、昔の家長は怖かったでしょう。

    ────怖いけれど、愛情がありましたね。

    そう、愛情ある怖さがトップにあるんです。そういった関係がなくなっていくのは、少し淋しい気がしますね。

    100年先を見据えて、人とのつながりを育む

    ────この先、高野さんがおやりになりたいこととして、どのようなテーマをお考えですか。

    ホスピタリティという生き方を提唱していくことを、ライフワークの一つとしてこれからもやっていきたいと思います。その一環として、『寺子屋百年塾』という学びの場を2010年の夏に長野県の善光寺で開講しました。これは研修会や講演と違って、参加者同士が学びを通じてつながり合うという、コミュニティづくりを目指す活動です。100年先を見据えて、今をいかに生きるかを考える機会をつくろうと、志を同じくする仲間が集まってスタートしました。3年目に入った今は、東京、北九州と開催地が広がっています。

    もう一つ、農業のお手伝いも始めているのですが、現場にいると厳しい現実や問題がいろいろと見えてきましてね。巷には安価な食品があふれ、食べる人のことを本当に考えて、丁寧につくっているものが売れない。これだけものが豊かにある時代に、「食」が貧しくなっている。この矛盾を、何とかしたいと考えています。

    ────それは、ほかの産業でも同じことが言えるかもしれませんね。手間暇かけたものが本当はいいものなのに、その価値が認められない。そんなことが、あちこちで起こっているように思います。

    そうですね。これは広い意味でいうと国家が持つべきホスピタリティだと思いますが、今は国家が機能していませんから、自分たちで解決していくしかない。そう思っているんです。

    ────日本には「おもてなしの心」というホスピタリティがあり、それは突き詰めれば「何をもって何をなすか」だということにもつながりますね。そうして一人ひとりが自分の使命を考えて生きることが、組織の強さにつながると改めて感じます。今日は貴重なお話をありがとうございました。

人とホスピタリティ研究所所長
前リッツ・カールトン日本支社長
高野 登さん

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    【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
    成熟化社会は、ホスピタリティが鍵となる(前編)

     

    モノやサービスが溢れ、経済が成熟化した今、顧客と強い絆を結ぶ鍵は何か。今回はその手がかりを求めて、前リッツ・カールトン日本支社長の高野登さんにお話をうかがいました。リッツ・カールトンはホスピタリティを中心とした理念を掲げ、独自のブランドを築き上げたことで知られるホテルです。顧客の心に徹底して寄り添うその企業姿勢には、あらゆる業界に通じる貴重なヒントが潜んでいます。現在は、人とホスピタリティ研究所所長としてホスピタリティに基づく生き方を提唱する高野さんに、これからの時代に求められる人と組織のあり方について語っていただきました。(聞き手:OBT協会代表 及川 昭)

  • [及川昭の視点]

    長い間、いろいろな企業で組織変革や競争優位作りなどにかかわっていて思うことがある。例えば、競争優位=差別化だとすると、どんなに頑張っても昨今は機能面だけで違いを出すというのは極めて難しくなってきている。 そうすると結局行きつくところは、サービス業はもとより、製造業、流通業、或いは医師や弁護士といったある種の専門性を持っている人達でも「ホスピタリティ」的なものが、その優位性や差別化という意味でも重要な能力となってくる。
    高野登氏が、「ホスピタリティとは、OSである」と仰っているとはとても納得感がある。

    聞き手:OBT協会  及川 昭
    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • NOBORU TAKANO

    1953年生まれ。プリンス・ホテルスクール(現日本ホテルスクール)卒業後、渡米。NYプラザホテル、LAボナベンチャー、SFフェアモントホテルなどの名門ホテルでマネジメントを経験し、1990年にザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコの開業に携わる。1994年にリッツ・カールトン日本支社長に就任。1997年にザ・リッツ・カールトン大阪、2007年にザ・リッツ・カールトン東京の開業をサポート。2009年に退社し、長野市長選に出馬するも651票差で惜敗。同年、人とホスピタリティ研究所を設立し、日本各地で人財、組織、地域づくりのサポートを行っている。『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』(かんき出版)など著書多数。2012年8月に『リッツ・カールトンと日本人の流儀』(ポプラ社)を上梓。

  • 小手先の顧客主義ではなく、企業の根幹として
    ホスピタリティを根付かせることが、競争優位につながる

    ────今日は「ホスピタリティ」について、高野さんの今までのご経験からくる知見やご見解をお聞きしたいと思っています。といいますのは、2006年のことでしたがダニエル・ピンク(※)の著作『ハイ・コンセプト』で出会った言葉が、私の心に残っているんです。物質的な豊かさが満たされた社会では機能性よりも、「美しさや精神性、感情といったものに、より大きな価値が見出されるようになる」と。私どもは、さまざまな企業の組織変革や競争優位強化に関わらせていただいていますが、そうした中でもやはり、特に日本企業は機能面での差別化は限界に達しているように感じます。では何が問われるかといえば、精神的な豊かさを生み出す 「ホスピタリティ」が鍵になるのではないかと。これはサービス業だけでなく他の産業も然り、あらゆる仕事でホスピタリティ的なものが間違いなく必要になってくる。こうしたことについて、高野さんはどうお考えになられますか。

    ※アメリカの作家・ジャーナリスト。アル・ゴア副大統領の首席スピーチライターなどを経てフリーに。『ワシントン・ポスト』などで経済動向やピジネス戦略についての記事や論文を執筆している。

    リッツ・カールトンが言い続けてきたのは、「ホスピタリティとサービスは別物である」ということです。例えば「サービスを突き詰めた先にホスピタリティがある」、もしくは「これからはサービスではなく、ホスピタリティを付加価値として強化しよう」といった捉え方をしてしまいがちですね。それは本来のホスピタリティではないということを、リッツ・カールトンはずっと言い続けているのです。

    ホスピタリティとは、人の生き方、あるいは企業の在り方の土台となるもの。パソコンに例えれば、OS(オペレーティングシステム)のようなものです。サービスやスキル、知識といったものは、そのOSの上で機能するソフトウェアです。

    「ホスピタリティとは、おもてなしの心ですね」と言われる方もよくいますが、接客接遇のもてなしと捉えると、これはOSではなくなってしまいます。「もてなす」とは本来、「何をもって何をなすか」ということ。企業でいえば、何をもって何をなすためにこの会社があるのかを考えることが、「もてなす」ということです。

    しかし、こうしたことを言い始めたのが早すぎたものですから、当初は誰も耳を傾けてくれませんでした(笑)。それでもリッツ・カールトンはこの考えを貫き、「ホスピタリティとは一人ひとりの生き方、働き方のOSである」とする姿勢を徹底してきました。そのことが、今のリッツ・カールトンをつくり上げ、結果として他社との差別化につながったということなのです。

    また、先ほどのお話で言うと、私がいただく講演や研修のご依頼は、医療業界からのものが一番多いですね。次に多いのが自治体で、その次に流通業界や通信業界。製造業界からのご相談も多くいただきます。例えば自動車の部品メーカーであれば、完成車メーカーに納めることだけを考えるのではなく、その車に乗るファミリーの笑顔を想像できなければ、良い部品をつくることはできない。自分たちの製品を誰が使うのか、最終的な「シーン」を想像し、洞察することが必要だと。皆さんの考えが、急激にそちらに移行しているように思いますね。

    時流に惑わされない、本質を見据えた取り組みを

    ────もはや、そうした本質に立ち戻るしか道はないということに、多くの企業が気づいているように思いますね。

    本来、日本の商売はそういうものでしたよね。「三方よし」とよく言いますが、昔の商売人は「売り手・買い手・世間」の三方だけでなく、「天」も意識していました。「天に恥じない」という思いを常に持っていた。だから、本当は「四方よし」なのです。この思いが、日本の強さを支えてきました。その歯車がどこかで少し狂っただけのことですから、ホスピタリティに立ち戻るというのは、実は原点回帰なんですよ。

    ────ホスピタリティをそのように捉えている企業は、少ないように思います。

    「ホスピタリティというものが話題になっているらしい」といったことで関心を持たれる企業もありますね。しかし、そうした姿勢では、せっかく研修を企画して社員の方々が真剣にディスカッションしても、何カ月後かに社長が「最近はこれが流行らしい」と別なことに目を向けたら、皆さんの意識もそちらに向いてしまいますよね。

    ────そういった企業では、受講者が高い意識でアウトプットしたものも、結局は取り上げられずに終わりますから、研修の成果が活かされません。すると経営者は「教育では会社は変わらない」と、教育そのもののせいにする。そして「何か別な方法はないのか」と。そんなことを繰り返す企業が、僕らの経験でも非常に多いなと思います。

    ホスピタリティはOSですので、これを本気で会社の軸にするのは大変なことです。生き方そのものを変えなければいけないということが、たくさん出てきます。それでも取り組むのか、トップの覚悟が問われます。

    しかし、なかにはトップが研修に参加されないこともあって、やむをえない事情なら仕方ありませんが、「ゴルフが入ったので」などとおっしゃると、私は何回かのシリーズの研修であっても、2回目以降はお受けしないこともあります。会社として何を目指すのかというトップの意思が、研修の参加者に伝われなければ意味がありませんから。

    トップの夢とビジョンがない企業に、ホスピタリティは生まれない

    ────人財育成にも明確な考えがなく、何か曖昧模糊としたところで研修を実施されている企業も多いですね。

    入社後のオリエンテーションや新入社員研修、その後の教育プログラムなど、教育体系を整えておられても、それぞれの位置づけが明確でないと、受ける側が今は何の時間なのかがわかなくなります。自分のどの筋肉を鍛えればいいのかと。ですから比較的わかりやすい、スキルや知識といった目に見えるものを教える研修が中心になってしまうのですね。

    ────私もまったくそう思います。結局、企業が見ているのは作業遂行能力なんです。我々はいろいろな企業で、社員の方々のアセスメントをすることがよくあります。管理職への登用時などに、外部の目も導入して能力を測ろうということでご依頼いただくのですが、そのときに僕は人事の方にこう申し上げるんです。「組織の長に一番大切なのは、"人に対する感性"と"組織に対する感性"です」と。この能力のない人が組織の長になると、管理するだけになってしまう。組織というのはそうして停滞し、活性化しなくなっていくのですと。

    もちろん、スキルを教える研修や教育も大切ですが、リッツ・カールトンでは入社後の初期段階でそれらに使うエネルギーは、全体を100とすると25%ずつ。残りの50%は、夢とビジョンを共有することに費やします。具体的には、入社後のオリエンテーションで2日間をかけて夢とビジョンを語り、その後52週間にわたって心の筋トレを重ねるのです。

    ────つまり、企業に夢やビジョンがなければ始まらないということですね。

    そうです。それがなければ、現場の社員のモチベーションも高まりませんよね。そして、仕事ではなく作業しかしなくなってしまいます。けれども夢を共有できると、自分が会社に存在する理由が見えるようになり、夢の実現に自分はどう役に立てるのかを考え始めます。教育で一番大切なことは、人間力を育てることです。人としての器を広げていく。それが心の筋トレにつながり、ホスピタリティマインドを持った人財を育むのです。

    トップの言葉が社員の心を動かした、ある企業のケース

    ────リッツ・カールトンの「クレド」は有名ですが、従業員の方々は「クレド」をどのように受け止めておられるのでしょうか。

    クレドカードには、ホスピタリティをOSにするための生き方がすべて書かれています。ですから、カードを見れば自分がそれに則っているかを確認でき、ふと迷ったときに見直すとブレを調整できる。不思議なことに、持っていることで安心感も生まれます。感性の「羅針盤」であり、働くうえでの「お守り」のようなものでもあるといえますね。

    ────クレドカードに類するものをつくって社員に配る企業もありますが、そのようにして働き方のスタンダードとして活用されているケースは非常に少ないように思います。リッツ・カールトンでクレドカードがそこまで浸透しているのは、やはりトップの本気度が違うということなのでしょうか。

    トップの本気度を、どれだけあのカードに封じ込めるかということだと思いますね。クレドカードは、つくろうとすると上手くいかないんです。お客さまにどのような価値を提供する会社でありたいのか、社員にとってどんな会社でありたいのか。リッツ・カールトンでは、創業メンバーが何日もこうしたディスカッションを重ね、分厚いレポートにまとめたものを、海水を煮詰めるように言葉を削っていきました。そうして生まれた結晶が、クレドカードなのです。頭でつくったものは頭にしか伝わりませんが、心の中から生まれたものは相手の心に届く。この違いだと思います。

    ────まったくそうですね。とてもよくわかります。

    一度だけ、ある企業のクレドづくりをお手伝いしたことがあります。今もそのクレドカードが機能している数少ないケースですが、「若い社員を集めてクレド制作委員会を立ち上げた」と社長がおっしゃるので、僕は「社長も参加してください」とお願いしたんです。

    そして、会社の研修所で1泊2日のディスカッションを行い、初日は社長のビジョンや事業への思いを語っていただく時間にあてました。最初は「私の話なんて」とあまり言葉が出なかったのですが、昼頃から徐々にエンジンがかかってきましてね。学生時代のご経験から、それが今の経営にどうつながり、何を実現したいと思っておられるのかを、一気に話されたのです。

    その間、委員会のメンバーには発言を控えてもらいましたが、初日の夕食時に「ここからは、皆さんの感想や意見を聞かせてください」と水を向けると、全員が一斉に話し始めました。「社長の話を初めて聞いた」、「もっと早く聞きたかった」と。

    これでもう大丈夫だと思い、翌朝、社長には予定を切り上げて会社に戻っていただいて、委員会メンバーとディスカッションを始めたら、議論が止まらないんですね。一緒に働く仲間と何を共有したいか。5年後、10年後に、どんな会社であってほしいか。たくさん出た言葉をみんなで煮詰め、2日目が終わる頃には、粗削りながらも四つ折りのカードに言葉がびっしり詰まったクレドカードができあがりました。その後、その会社では時間をかけてさらに言葉を削り、今はかなりきちんとしたクレドカードができて社内に浸透しています。

    ────社長の思いが委員会メンバーの方々に伝わって、みなさんの心を動かしたのですね。合宿には参加していない社員の方々には、その思いどのようにして伝えていかれたのですか。

    委員会のメンバーが、社長の思いを語るんです。

    ────みなさんが伝道師になっていかれる。

    そうです。同時に、全社会議などの社員が集まる機会が増えるようになりました。社長がご自分の言葉のパワーに気づかれたのですね。社員は自分の話に興味を持たないと思っておられたのが、合宿で委員会メンバーが丸一日、目を輝かせて話を聞いてくれた。そこで社長の心にスイッチが入ったんです。ですから、クレドをつくったことで社長が一番変わられましたね。それは横で見ていてもわかりました。2日目の朝、会社に戻るときに、とても名残惜しそうにされていましたから(笑)。

    ────トップの心にスイッチが入って初めてホスピタリティがOSになり、そこからクレドが生まれ、機能していくということですね。

    それが一番正しい形だと、僕は思います。

    ────人の変化や成長は、高野さんはどのようなところでお感じになるのですか。

    目を見ればわかります。顔の筋肉はトレーニングできますが、目だけは鍛えることができませんから。本気の目をしている社長とそうでない社長って、おわかりになりますよね?

    ────ええ、わかります。

    任期が3年、5年と決まっていてそのスパンで見ている方と、もっとずっと先を見据えている方とでは、目の輝きがまったく違います。私が尊敬するある経営者の方は、もう80歳近いお年ですが、100年先を見ておられる。覚悟の度合いが違うのです。クレドづくりをお手伝いしたその社長も、合宿の初日と2日目とでは目の輝きがまったく違いました。人は一日で変われるということなんですね。

    ブレない組織の中心にあるものとは

    ────リッツ・カールトンでは、ホスピタリティがスタッフの方々に共有されているだけでなく、組織能力にまで高まっているように思います。組織全体にそこまで浸透させるにはどのようなことが大事になるのでしょうか。

    やはり、トップの思いの強さですね。ホスピタリティを自分たちのOSにしてこの会社をつくるのだという覚悟が、トップにあるかどうかということです。うまくいかないケースは大抵、トップがブレています。リッツ・カールトンの創業者であるホルスト・シュルツィ氏は、彼が部屋に入ってきた瞬間にその部屋の温度が上がる気がするほど、太陽のように強烈な思いを持っていました。だから周囲に伝わるのです。

    もう一つ、トップの思いを受け継ぐ2番手がいることも大切です。組織がなぜうまく機能しないかというと、これは私の個人的な理論ですが、地球は丸いのに、会社ができたときに三角形のヒエラルキー型の組織をつくってしまった。このあたりからおかしくなったのではないかというのが、僕の持論です。

    丸型の組織では中心に太陽がいて、その思いに引き寄せられた二番手が衛星のように太陽を囲み、その周りに三番手がいるといった形で広がっていきます。実はリッツ・カールトンの組織は、このイメージに近いんです。もちろん役職はありますが、それはヒエラルキー型の組織のように権限の上下関係を表すものではなく、任されている役割が違うというだけのこと。そうした中で二番手が太陽の思いをしっかり受け継いでいれば、組織はブレません。これは非常に大切なことです。

    ホスピタリティを企業の軸に据えるために必要なのは、トップの熱意と覚悟。そして、人財の採用と教育も非常に大切であると高野さんは語ります。ホスピタリティを持ち合わせている人財をどのようにして見極め、育てるのか。後編でご紹介します。


    *続きは後編でどうぞ。
    成熟化社会は、ホスピタリティが鍵となる(後編)


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