2012年4月アーカイブ ..

有限会社秋山木工
代表取締役社長 秋山 利輝さん

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    日本復権のカギ
    ──丁稚制度が育む「日本の心」(後編)

     

    入社後4年間は、男女を問わず頭を丸刈り。寮に住み込み、起床は5時前。携帯電話、家族との面会、恋愛は一切禁止。職人の手仕事による注文家具製造の秋山木工は、江戸時代さながらの丁稚制度を実践し、未経験の若者を一流の家具職人に育て上げることで知られる会社です。「一流の仕事をするには、一流の心を持たなくてはいけない」と語る秋山社長が重視するのは、人間教育。その眼差しは自社の損得を超えて、日本のものづくりの復権に向けられています。何事もスピードが要求される今の時代にあって、効率や短期的な成果を追い求めた結果、失われたものとは。強い日本を再生するために、私たちはどこに立ち戻るべきなのか。秋山社長にじっくりとうかがいました(聞き手:OBT協会 伊藤みづほ)。

  • [OBT協会の視点]

    私たちは人の育成にどこまで関わっているのだろうか...。
    少なくとも、今回の秋山木工のような人財育成をしている企業は日本では見かけなくなり、丁稚という言葉自体を聞かなくなった。
    秋山社長は『こういった形でなくては、心と技術を一流にまで高めることは出来ない』という。会社に居る時だけ、仕事をしている時だけではない、24時間周りの仲間達と接し、常に人に気を使える・人の気持ちが分かる人間、つまり"できた職人"でなくては、人が感動するものを作れないというのだ。これが秋山木工の人財育成である。しかし、それは、簡単なことではない。24時間公私を問わず指導するという覚悟がなくては出来ないのである。今回お話をお伺いし、その根本に日本の素晴らしき技術を後世に残したいという強い思いを感じた。

  • 有限会社秋山木工 http://www.akiyamamokkou.co.jp/
    1971年に、家具工房4社で修業を重ねた秋山氏が職人仲間3人と設立。1977年から新入社員研修制度を設け、家具職人の養成を始める。修業期間は、丁稚として4年、職人として4年の合計8年間。最初の4年間は会社の寮に住み、1年目の丁稚は4時半に起床して朝食を準備。6時から全員でランニングし、その後に朝食、町内を清掃してから仕事を開始。昔の丁稚制度を採り入れたスパルタ教育が、世界から注目を集める。厳しい修業を経た職人の技術は高い評価を受け、迎賓館や国会議事堂、宮内庁や有名ホテルなどにも納品実績を持つ。2010年には一般社団法人秋山学校を設立。技能と人間力を兼ね備えた一流の木工職人の養成に取り組んでいる。
    企業データ/資本金:300万円、売上高:10億円(2008年度)、従業員数:本社10名、製造24名

    TOSHITERU AKIYAMA

    1944年生まれ。中学卒業後に木工職人の道に入り、注文家具メーカー2社で経験を積む。2社目では働きながら、桑沢デザイン研究所の夜間クラスに通学。その後、大手デパートの木工部門を経て1971年に27歳で秋山木工を設立し、代表取締役に就任。2010年、一般社団法人秋山学校の代表理事に就任。著書に「丁稚のすすめ」(幻冬舎)。

  • 唯一の採用基準は「素直」であること

    ────採用選考では、最低3時間は面接されるとうかがいました。ご本人のどういったところを見極めておられるのですか。

    この人物ならと期待できると思った子は、僕は一日面接しますからね。面接の一環として、工房で少し作業をしてもらうこともあります。仕事の様子も見せないといけませんし、丁稚や職人に実際に働いてみてどうか話を聞いてみろと。そうしたら、丁稚や職人はみんな「やめたほうがいい」と言うわけです。なのにどうして君たちはここで修行しているの? みたいなね(笑)。そうして応募者を面接する中で見ているのは、僕の話を右から左に抜けるかどうかということです。

    ────右から左に抜けるとは、どういうことでしょうか。

    面接にくる子は、みんな僕の話を真剣に聞きます。けれども、大卒者は右から左に抜くことができないんです。耳に鉄のフタがついているんですよ。大学に4年行ったら、厚さ4ミリの鉄板がある。というのは、心の中で僕と戦うんですね。「社長はこう言ったけれど、違うのではないか」と。固定観念が僕の話をはねつけて、右から入っていかないんです。

    入社を希望するということは、僕に教えられることを望んでいるわけですから、僕の話はすべて素直に聞かなくてはいけない。例えば「なぜ丸坊主にするのですか」とか、そんな質問をしたらそこで面接は終わりです。これが、高卒者は話が耳に入るんですね。そしてちゃんと左に抜けるんです。だから、帰る頃には全部忘れていますけれど(笑)。

    ────耳に入った話は、抜けずに頭に残ったほうがいいのではないですか。

    でも、仕事というのは経験ですからね。一度教えただけで、上手くできるわけはありませんので、100回やらせて100回怒ればいいんです。そのたびに話は抜けていっても、しずくがポトッ、ポトッと落ちる。それでいいんですよ。だけど、大卒者は怒る価値がない。話が耳に入らないのですから。

    また、例えば新人が10人入ってきたら、学歴を問わず大抵一人だけ飛び抜けて器用な丁稚がいるわけです。すると、人を下に見てバカにするんですね。あとの9人とは一緒にやっていられないと。そして、他の業種に転職してしまったりしてね。だから、こいつは器用だなと思う者ほど実はダメで、3カ月と続かないですよ。傲慢になって、一流になりきれない。大卒者は、僕は「水面下4からのスタート」と言っているのですが、自分が水面下にいることに気づかせるのに、早い丁稚で一年半かかります。いい大学を出た者ほど、時間がかかりますね。

    ────水面下から浮上したかどうか、どのようにして見分けられるのですか。

    こちらの話を素直に聞くようになりますからね。「自分がバカだということに、やっと気がついた?」と聞くと、「気がつきました」と(笑)。これはある方に教わったのですが、溺れている間は、もがいてはいけないんですね。それをみんな、自分の考えで何とかしようともがいてしまう。そうではなくて、溺れるときはさっさと溺れる。そして早く底まで行って、バーッと這い上がってくる。これが一番溺れないで済む方法なんです。



    ●コラム:丁稚・職人の方に聞きました
    秋山学校・生徒 古賀裕子さん(23歳)

    大学を3年生の夏休みに中退し、秋山学校に入学しました。進路を変更したのは、自分の手でものをつくるという夢を叶えたかったから。決心が鈍らないように、就職活動が始まる前に大学を辞めて一歩を踏み出しました。修行生活を始めてみて、今までいかに親に甘えて自分中心に生きてきたかということを実感しています。工房では、もっと周りのことをよく見るようにと怒られる毎日。技術的なことだけでなく、人として大切なことを教えていただいています。

    秋山学校・校長 山口雄作さん(29歳)

    長崎大学を卒業して秋山木工に入社し、6年目になります。最初の頃によく言われたのは、「考えずに言われた通りにやれ。でも考えろ」ということ。何のことかわからなくて(笑)、苦労しました。指示には素直に従い、言われた仕事の意味をよく理解して、最もいいやり方を工夫する。それがわかったのは入社してしばらく経ってからです。独立した先輩と仕事をする機会もあり、最近になって「この先輩のようになりたい」と将来の目標をイメージできるようになってきました。修行期間はあと2年。この期間をどう過ごすか、考えながら毎日を過ごしています。



    丁稚の親も巻き込んで、二人三脚で育てる

    本人に会ってこれはと思う者は、こちらから実家に出向いて、親や祖父母も交えて面接します。その子を一流のスターにする覚悟があるのかどうか。それを確認するんです。うちは、入社したらとことん追い詰めていきますから、だいたい辞めたくなるんですね。ほとんどの子は、毎日辞めたいと思っていますから(笑)。そしていよいよダメだとなったら、一度は必ず実家へ帰します。親の許可が得られたら、辞めてもいいよと。

    その時に、親が子どもの話を聞いてやれるかどうか。本人は、言いたいことが100もあるんですよ。言わせてみたら3つくらいしかないのですが(笑)、まずは心の内を全部聞いてやれるかどうか。そして、子どもが思いを口にしたときに「お前はやっぱりダメだったか」と烙印を押してしまうのか、「自分で決めたことは最後までやり抜け」と背中を押してやれるのか。親の姿勢がものすごく大事なんです。

    ────子どもの可能性を信じていなければ、「最後までやり抜け」という言葉は出てきませんね。

    やはり自分の子どもですからね。ブレイクスルーさせたいという思いはあるけれど、自分ではできないとみなさん思っているわけですよ。できるなら、すでにやっているはずだから。もう、この親方に任せるしかないだろうみたいなね(笑)。

    でも、実際に親と面接してみると、「うちの子はダメだ」と思っている方が非常に多いですね。高卒者でいえば18年間も自分の思うように育てておいて、ダメだと決めつけている。自分を超えられないと思い込んでいますし、そもそも自分を超えさせようという育て方をしていない。だから僕は、親とも最低3時間は面接するんです。そして「ぜひお願いしたい、覚悟します」と。「すべてお任せします」という言葉を聞くまでは、採用しないんです。

    ────秋山社長にとっても、「この人物なら」という可能性を感じられるかどうかが、採用基準の一つになるということでしょうか。

    昔は、どんな子でも育てられると思っていましたが、やってみたらことごとくうまくいかなくてね。この会社の力量では、手に負えませんでした。今は応募倍率が10倍くらいになってきたこともありますが、やはり選んで採るしかないんですね。でも、そうして採用した丁稚も僕一人では育てられませんから、親も親戚縁者も巻き込んで、本人をスターにしていく。うちはそういう会社なんですよ。

    丁稚は毎日一日の終わりに、その日の仕事内容と反省をスケッチブックにまとめ、兄弟子がアドバイスコメントを記入する。一冊書き終わるごとに、会社からそれぞれの親や卒業した学校の先生にも送り、仕事ぶりや成長の様子を報告。そのうえで、親から愛情のこもった叱咤激励のメッセージを書き込んで送り返してもらい、丁稚に返却している。親の温かい愛情に改めて触れて、「自分はみんなに育てられている」と自然と感謝の心を持つようになるという。

    一人ひとりが使命を全うすれば、日本は必ず復活する

    こうして職人を育てる毎日は、戦いです。企業としてやる以上は、これを続けていかなくてはいけない。会社を潰すわけにはいきませんからね。だから、僕は辞めていく丁稚は引き留めないんです。もちろん一度は親元に帰して、こちらもギリギリまで関わります。しかし秋山木工では、一番出来るトップランナーに照準を合わせて事を進めていくわけです。最終ランナーに合わせてトップランナーのスピードを落とさせるわけにはいかない。ですから、ついて行けない者から辞めていくんです。普通は優秀な社員から辞めていくしょう。その逆なんですよ。

    ────ついて来られないのは仕方がないと割り切るのは、辛くはないですか。

    無理に連れていくことは、本人にとっても幸せではないですよね。自分に合うことをやったほうがいいわけだから。それに、割り切るというよりこれは使命なんです。日本がこれだけ傾いているのを、何とかしなくちゃいけない。嵐の前みたいに、日本が沈んでいく前兆はもう現れています。でも、救わなくちゃいけないやつがいる。そいつらを何とかする使命が、僕にはあると思っているんです。

    僕自身が若いころに丁稚を経験したことが、秋山木工の丁稚制度のベースになっていますが、僕はいってみれば丁稚の世界の最終電車に飛び乗って、遺伝子を受け継いだわけです。自分から丁稚を志願したわけではなく、たまたま入った会社がそうだった。世の中から丁稚制度が消えようとしていた時代に、なぜその会社に入ったのかと考えたら、僕にはその遺伝子を受け継ぐ使命があるということだったのだろうと思うんです。

    同じように、人には誰にでも自分の使命があるんですよ。なぜなら、今ここに生きている確率はとんでもない数字なわけで、計算なんかできるものではないですよね。神の仕業としかいいようがない。だから、みんな選ばれた人なのであって、それぞれお役目があるんです。その使命を一人一人がしっかり果たせば、日本はまたすぐ世界のトップランナーになれるんです。

    ────自分の使命が何か、わからない人も多いように思います。

    知らない方が楽かもしれないですね。けれど、僕は「日々有頂天」と言っているのですが、何か事が起きても、どんな逆境でも、僕は楽しくなるんです。その一瞬に人生をかける、みたいなね。でもそれは、どの瞬間も粗末にしないで生きていないと、その一瞬にかけられない。

    それに、人生最大の問題に思えるようなことも、本当に世のため人のために、家族を幸せにしたいのか、従業員を幸せにしたいのかという考えに立てば、たいていのことは解決できるんです。自分のプライドを捨てる、考えを少し変えてみる。そうすれば、簡単に乗り越えられるんですよ。

    ────人づくりについてだけでなく、生き方の指針まで教えていただいたように思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

  • 聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

    OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

有限会社秋山木工
代表取締役社長 秋山 利輝さん

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    日本復権のカギ
    ──丁稚制度が育む「日本の心」(前編)

     

    入社後4年間は、男女を問わず頭を丸刈り。寮に住み込み、起床は5時前。携帯電話、家族との面会、恋愛は一切禁止。職人の手仕事による注文家具製造の秋山木工は、江戸時代さながらの丁稚制度を実践し、未経験の若者を一流の家具職人に育て上げることで知られる会社です。「一流の仕事をするには、一流の心を持たなくてはいけない」と語る秋山社長が重視するのは、人間教育。その眼差しは自社の損得を超えて、日本のものづくりの復権に向けられています。何事もスピードが要求される今の時代にあって、効率や短期的な成果を追い求めた結果、失われたものとは。強い日本を再生するために、私たちはどこに立ち戻るべきなのか。秋山社長にじっくりとうかがいました(聞き手:OBT協会 伊藤みづほ)。

  • [OBT協会の視点]

    私たちは人の育成にどこまで関わっているのだろうか...。
    少なくとも、今回の秋山木工のような人財育成をしている企業は日本では見かけなくなり、丁稚という言葉自体を聞かなくなった。
    秋山社長は『こういった形でなくては、心と技術を一流にまで高めることは出来ない』という。会社に居る時だけ、仕事をしている時だけではない、24時間周りの仲間達と接し、常に人に気を使える・人の気持ちが分かる人間、つまり"できた職人"でなくては、人が感動するものを作れないというのだ。これが秋山木工の人財育成である。しかし、それは、簡単なことではない。24時間公私を問わず指導するという覚悟がなくては出来ないのである。今回お話をお伺いし、その根本に日本の素晴らしき技術を後世に残したいという強い思いを感じた。

  • 有限会社秋山木工 http://www.akiyamamokkou.co.jp/
    1971年に、家具工房4社で修業を重ねた秋山氏が職人仲間3人と設立。1977年から新入社員研修制度を設け、家具職人の養成を始める。修業期間は、丁稚として4年、職人として4年の合計8年間。最初の4年間は会社の寮に住み、1年目の丁稚は4時半に起床して朝食を準備。6時から全員でランニングし、その後に朝食、町内を清掃してから仕事を開始。昔の丁稚制度を採り入れたスパルタ教育が、世界から注目を集める。厳しい修業を経た職人の技術は高い評価を受け、迎賓館や国会議事堂、宮内庁や有名ホテルなどにも納品実績を持つ。2010年には一般社団法人秋山学校を設立。技能と人間力を兼ね備えた一流の木工職人の養成に取り組んでいる。
    企業データ/資本金:300万円、売上高:10億円(2008年度)、従業員数:本社10名、製造24名

    TOSHITERU AKIYAMA

    1944年生まれ。中学卒業後に木工職人の道に入り、注文家具メーカー2社で経験を積む。2社目では働きながら、桑沢デザイン研究所の夜間クラスに通学。その後、大手デパートの木工部門を経て1971年に27歳で秋山木工を設立し、代表取締役に就任。2010年、一般社団法人秋山学校の代表理事に就任。著書に「丁稚のすすめ」(幻冬舎)。

  • 「出来る人」ではなく、「出来た人」を育てる

    ────私どもは日々、さまざまな経営者や管理職の方々にお会いする中で、「最近の若者は怒ると辞めてしまう」「人を育てることが難しい時代になった」といった声を多くお聞きしています。秋山木工では厳しい丁稚制度を取り入れておられますが、どのようなお考えで実践されているのでしょうか。

    僕は27歳でこの会社をつくりましたが、その時に、この会社は日本で一番になるだろうなと思っていたんです。規模の話ではないですよ。思想で日本一ということです。当時はカラーボックスが普及し始めた頃で、安くて便利な家具がいいというお客さんがたくさんいらっしゃいました。かたや昔ながらの家具職人は、みんな気難しくて威張っていましたから、「そんな人たちのご機嫌を取って家具をつくってもらうのは嫌だ」と。それはそうですよね。そんな職人が21世紀に生きる道はないと、僕は思っていたんです。

    では、どうすべきか。それは人間性を高めることだと。僕がつくりたいのは一流の「出来た職人」なんですよ。技術だけを身につけた「出来る職人」はいらないんです。ですから、秋山木工の評価基準は技術力が40%、人間性が60%という比率。家具職人は、お客さんを感動させてなんぼの商売です。人を感動させる家具を作るには、人間性が大事なんです。

    これはどんな仕事でもそうではないですか? あなた方は、こうして記事を作って人を感動させるわけでしょう。相手を感動させることでお金をいただく。それが仕事なんですよ。

    ────そうした人間性を育てるために、住み込みという形態をとられているということでしょうか。

    そう、ひとつ屋根の下で暮らしてね。うちでは月に一度、すき焼きコンパをするのが恒例で、みんなで同じ鍋をつつくのですが、これにも意味があります。「お前、先に食べろよ」と、相手を気遣う雰囲気が自然と生まれますし、ときには「お前の風邪が俺にもうつるだろう」と兄弟子にパカーンとどつかれたりして(笑)、本当の兄弟みたいになってね。そういう同じ釜の飯を食べた仲間をつくっているんです。そうした信頼関係がないと、言葉が伝わっていきませんのでね。

    ※秋山木工では、目指す職人像を説いた「職人心得30カ条」を設定。全員、そらんじることができ、当たり前のことを大切にする心を徹底して習得している。

    1.挨拶のできた人から現場に行かせてもらえます。
    2.連絡・報告・相談のできる人から現場に行かせてもらえます。
    3.明るい人から現場に行かせてもらえます。
    (中略)
    9. おせっかいな人から現場に行かせてもらえます。
    10. しつこい人から現場に行かせてもらえます。
    (中略)
    29. そろばんのできる人から現場に行かせてもらえます。
    30. レポートがわかりやすい人から現場に行かせてもらえます。

    自社のための人財か、世のための人財か

    さらにいえば、こうして職人を育てているのは日本を救うためなんです。日本のものづくりが復活しなければ、世界の中での日本の復権はありません。でも、それを本気で考えている人はごく少数で、ほとんどの人は自社のことだけを考えている。だから海外に行ってしまうわけです。日本の中で日本を強くしようという意識はないですよね。もしくは、先端技術がどうとかね。でも技術だけでは、すぐに追いつかれてしまうんですよ。

    しかし、日本のものづくりの魂は真似ができない。これは必ず世界で通用します。きれいなものをつくれるのは、きれいな心を持っている人だけです。一つ一つ、心を込めてつくる。ものを大切にして、感謝の心を持つ。人を喜ばせたい、感動させたいと心から願う。心が一流なら、技術も必ず一流になります。僕は、そんな心を持った、世界をまたにかけていける職人を育てたいんです。

    ────職人の世界に限らず、今の日本の社会からそういった心が失われつつあるような気がします。

    今はお金が基準になっている時代ですからね。大震災のときのように、いざとなれば思いやりや譲り合いの心が持てるのに、普段はやらない。みんな、我が我がでね。日本人が昔から持っていた思想や考え方が、ここ50年ほどでどんどん失われていますよね。企業も自社のために人を採りたいだけで、世の中のために若い人を育てることが企業の責任だと思っている経営者は少ないでしょう。社員は一つの駒でしかないから、育てようという意識がないですよね。

    ────しかし、社員の育成に力を入れる企業は多いですし、人がなかなか育たないと真剣に悩む経営者も多くいらっしゃいます。最近では、職場のメンタルヘルス対策も問題になっていて、人を育てることがますます難しい時代になっているように思うのですが。

    それは、会社の都合だけで育てようとするからですよ。こちらの都合で怒ったら、本人だって反発するでしょう。経営者がよく「最近は真面目に働く子がいなくなった」と言うのも、育てる責任を負いたくないからではないですか。社員を叱れないのもそう。怒ったら辞めてしまうかもしれない。どついたら、訴えられるかもしれない。その責任を取りたくないんです。それでもあえて叱ることができる大人は、今は少ないですよね。

    秋山木工では、後輩を叱れない者は、丁稚から職人になることができません。実際に、通常は4年で職人になれるところを4年半かかった丁稚がいるのですが、彼は周りから「日本一人柄がいい」と言われていた男だったんです。でも僕からすれば、それはお人好しでも何でもない。後輩が間違った仕事の仕方をしているのにそれを教えてやらない、失敗しても怒らない。つまり、愛がないんですよ。彼にそれを指摘し続けて、本人が気づいて変わるのに4年半かかりましたね。

    トップの本気と覚悟が、若い社員を変える

    僕自身は、「こいつを何とか一人前にしたい」と本気で思っているから、叱れるし、どつけるんです。そのことで、もしかしたら本人や親から訴えられるかもしれない。でも本心から育てたいと思っていれば、それを超えて叱れるんですよ。その覚悟があるかどうかです。

    今、秋山木工がこんなに注目されているのは、本気で社員と向き合う会社が少ないからではないですか。採用してもすぐに辞めてしまう。仕事を覚えたらほかへ行ってしまう。本気で育てるなんて、そんな損することはやらないという会社が多いでしょう。

    丁稚制度なんて誰もついてこないだろうということも、ずいぶん言われました。でも秋山木工には、国立大学や有名私立大学を卒業したような若者もたくさん応募してきます。丁稚になりたい、仕事で感動したい、誰かを感動させられる人になりたいと。そういう若者が実際にたくさんいるんですよ。

    そうやって育てても途中で辞めていく丁稚もいますが、その子たちも本気でやりきっているから「秋山木工にいてよかった」とみんな思うんですね。「この経験は必ず役に立つ」と。ご両親もそうです。「使っていただいてよかった」と。でもこれは、こちらが本気で接していないとダメですよ。自分の都合で怒るのではなくてね。

    ────あの叱り方はなかったなと、後になって思われることはありませんか。

    ないです。僕は、自分の言葉に責任を持ちますのでね。"言ってしまった"というようなときも、今まで人生を積み上げてきた中からその言葉を発したわけですから、後は自分が言ったことに責任を持っていくということです。

    ────誰かの採用を決めた日は、決まって眠れなくなるとご著書に書いておられましたが、どのような思いで採用されているのですか。

    僕も経験を重ねましたので、最近は眠れないといったことはなくなりましたが、昔はずっとそうでしたね。ああ、採っちゃったと。その子の一生が、僕にかかっているわけですからね。

    ────それだけ覚悟を持って採用しておられる。

    しかも、そうして育てた職人を8年でクビにする会社ですからね。技能五輪全国大会(※)で金メダルを取ったような子もクビです。8年といえば一番これからというときですが、うちに10年いたら僕のための人間になってしまうんです。僕を超えられない、僕の言うことしか聞かない人間になってしまう。そんな職人が100人いたって、本当の楽しさはありませんのでね。

    ※原則23才以下の青年技能者の技能レベルの日本一を競う技能競技大会。中央職業能力開発協会主催。秋山木工では毎年、社内で選抜された丁稚が大会に出場。地区予選を突破し、全国大会入賞の常連となっている。

    ────秋山社長を超えるような人財を育てたいと。

    いつも僕が脅かされている、みたいなね。「超えられるなら超えてみろ」と言いながら、何だかあいつら超えていきそうだなと(笑)。そう感じながらも、超えられないように自分はもっと先に行く。どこまで行っても追いつけない存在に、自分のことをしておかなくてはいけない。それがリーダーの役目ですよね。

    時代がきたときに、舞台に上る準備をしているか

    今年も新人が10人、入ってきます。なぜそんなに採用するのかとよく言われるのですが、今、本業(注文家具製作)がものすごく忙しいんです。おそらく、これからもっと忙しくなる。職人の時代がきているんですよ。僕は30年ほど前からずっと、「俺たちの時代が必ずくる」と言い続けてきました。どれだけカラーボックスが広まっても、21世紀には必ずまた一流の仕事が求められる時代がくると。

    そのときに、ステージに上がれるようにしっかり準備をしておかなくてはいけない。そう言い続けてきたんです。実際、その通りになっていて、5、6年前から注文家具の依頼が増えてきました。でも同業の人たちは、それを予測していなかったんですね。多くはあきらめて職人を育てていない。だから、うちがものすごく忙しいんですよ。

    ────2010年には、秋山学校を設立されました。これまでずっと丁稚制度を実践してこられて、あえて今、学校にされたのはなぜでしょうか。

    これは突然つくったものではなくて、20年くらい前からいずれ学校にしたいと思っていたんです。経営に手いっぱいでなかなか実現できませんでしたが、ようやくここまで来ました。これまでは仕事をしながら丁稚を育ててきたわけですが、学校にしたことで育成に専念できます。今は体制を整えているところで、今後、しっかりした仕組みをつくっていきたいと思っています。

    1971年に秋山木工を設立した当初から、一流の職人を育てることを使命としてきたという秋山社長。採用選考では何を重視し、育成の照準はどのように設定しておられるのか。後編では、秋山木工の人づくりの実際についてうかがいます。


    *続きは後編でどうぞ。
    日本復権のカギ──丁稚制度が育む「日本の心」(後編)

  • 聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

    OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

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