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銀座発の「つなげる力」と「遊び心」で、
街に自然を、地方に活気を取り戻す(後編)個人として、企業として、社会に何ができるのか。東日本大震災を経て多くの人が自問したであろうこの問いに、一つのヒントを提示してくれる団体があります。東京・銀座の街中でミツバチを飼い、都市と自然環境の共生を目指す銀座ミツバチプロジェクトがその団体。今や、北海道、名古屋、小倉と全国に姉妹プロジェクトも誕生し、街の緑化や地域の活性化など、多彩な活動を展開しています。とかく難しく考えがちな社会問題に向き合うその姿勢は、粋を楽しむ銀座流。遊び心でさまざまな地域をつなげてきたプロジェクトの歩みと活動への思いを、副理事長の田中淳夫さんにお聞きしました(聞き手:OBT協会 及川 昭)。
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[及川昭の視点]
「プロジェクトが予想もしない方向に発展していく」。
田中さんが言われたこの言葉に、社会を変革するための大きなヒントが隠されている。 銀座ミツバチプロジェクトは非営利団体であり、利益の追求を第一の目的とはしていない。しかし、利益につながらない活動であっても、志が正しければ、予想もしない別の形での利益となって帰ってくるのである。
ただし、それには条件がある。活動の対象となる事業や商品、銀座ミツバチプロジェクトでいえば蜂を心から愛おしいと思えなければ、大いなる力は働かない。理屈抜きの愛情から生まれる信念や情熱こそが人を動かし、やがて社会を変革するうねりとなるのである。銀座のミツバチは、そのことを我々に教えてくれている。聞き手:OBT協会 及川 昭
企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。 -
特定非営利活動法人 銀座ミツバチプロジェクト ( http://www.gin-pachi.jp/)
2006年設立。ミツバチの飼育を通じて、銀座の環境と生態系を感じることを目的に発足し、銀座3丁目の紙パルプ会館屋上でミツバチを飼育。有志のボランティアとしてバーの支配人や、スイーツのパティシエ、弁護士、アナリストなど多彩なメンバーが参加し、活動を推進している。銀座周辺は皇居や浜離宮、銀座の街路樹など緑に恵まれ、1年目の2006年には約150キロ、翌年は約260キロのハチミツを採取。6年目の2011年は約1トンを見込む。採れたハチミツは、銀座の老舗の技を活かして和菓子やスイーツなどのオリジナル商品に。活動を通じて銀座にコミュニティが生まれ、全国各地に姉妹プロジェクトも誕生。新潟や福島、茨城などとも交流し、コラボレーション商品を開発して地域の生産者を応援している。ATSUO TANAKA
1957年東京生まれ。1979年に多目的ホールを運営する(株)紙パルプ会館に入社。現在、関係会社フェニックスプラザ代表取締役 兼 (株)紙パルプ会館常務取締役。2006年に特定非営利活動法人銀座ミツバチプロジェクトを立ち上げて副理事長を務める。2010年には農業生産法人・株式会社銀座ミツバチを設立し、代表取締役に就任。著書に「銀座ミツバチ物語―美味しい景観づくりのススメ」(オンブック)、「銀座・ひとと花とミツバチと」(時事通信出版局)共著、「新銀座学」(さんこう社)、共著
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志を持つと、思わぬ出会いが生まれる
────銀座ミツバチプロジェクトでは、『ファームエイド銀座』というイベントも開催しておられます。これはどのようなことから始まったご活動なのですか。
ファームエイド銀座は年4回開催。地域の生産物が並ぶマルシェや地域活性化を考えるフォーラムなど多彩な内容で、都市と農村の交流の場になっている。
銀座から、地域の生産者を応援しようと始めたイベントです。一昨年でしたか、世界各地でミツバチが突然いなくなったことがありましたが、農薬が原因の一つではないかといわれているんです。その一方で、農薬や化学肥料をなるべく使わず、環境を大切にしている生産者の方もいる。そういう方々を銀座に招いて、生産物を売るだけではなく、できれば銀座の技とつなげて商品をつくってしまおうと。そんな仕組みになればと思ってやっています。
例えば、ファームエイドで新潟との交流が生まれ、『トキ×ミツバチ応援プロジェクト』が立ちあがりました。佐渡ではトキが棲める環境づくりのために、農薬をできるだけ減らした環境保全型の農業に取り組んでおられるんです。そうした生産者の方々を応援しようと。自然栽培のコシヒカリ『トキひかり』を生産されているのですが、どうしても規格外のお米が出ますから、僕らはそれを米粉にしてもらって、ハチミツとあわせたロールケーキを松屋銀座さんで販売していただきました。
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『トキ×ミツバチ応援プロジェクト』では、新潟産イチゴの越後姫を
使ったハチミツスイーツも開発。地域を応援するオリジナルブランドが、次々と銀座で誕生している。同じように福島市の方々と立ち上げたのが、通称『うさっぱちプロジェクト(※)』。吾妻山に毎年春になるとうさぎの形に雪が残って、これが農業の始まりを知らせる合図になるんだそうです。だから、福島地方では雪うさぎが農業のシンボル。それがミツバチと組んで、『うさっぱち』というわけです。福島からは、毎年銀座の冬の蜜源に菜の花の苗を提供していただいていまして、銀ぱちが受粉させた菜の花の種から搾った「菜の花オイル」を、銀座で売り出そうと考えています。菜の花オイルは福島では天ぷら油が中心ですが、銀座だとシェフが岩塩とガーリックを加えてオリーブオイルと同じ食べ方を提案したりね。銀座の技で、いろいろな形に展開できるなと考えているんです。
※正式名称は「雪うさぎ×銀ぱち 福島・銀座 交流プロジェクト」
異質なものとのつながりが、新しい価値を生む
────多彩なご活動が、次々と広がっておられますね。
「こんなことができたらいいね」と冗談みたいな話をしていると、どんどんつながって、実現してしまうんですよ。皆さんそれぞれに活躍されている方々ですから、ちょっとした発想をお話すると、ご自身の何かにポッと火がつくんですね。
銀座では、ほかにもいろいろなつながりが生まれています。例えば『トキ×ミツバチ応援プロジェクト』の一環で、新潟の黒埼茶豆を銀座の屋上で育てているのですが、銀座のクラブのママさんたちにも苗を植えるのを手伝ってもらったんです。それも着物姿で農作業して、収穫した暁には夜のおつまみにしようと(笑)。新潟市の篠田市長もお見えになって、クラブのママと一緒に苗を植えている様子が朝日新聞や新潟日報に掲載されました。
地域同士のつながりとして、徳島県の阿南市と大分県の竹田市の交流も生まれています。阿南市の名産は『すだち』、竹田市は『かぼす』。サンマにかけるのは『すだち』か『かぼす』か、すごい論争をしてきたわけです(笑)。それがファームエイドに出店する中でご縁ができ、それぞれの市長さんが来られて、銀座に『すだち』と『かぼす』の苗を植えたんです。10月にその収穫祭が行われ、やはり両市の市長さんが見えて「今まではライバル同士だったが、銀座の屋上で仲間になった。これからは『かぼすだち』でいこう」と(笑)。地元紙がそれを取り上げて、話題をつくっていくわけです。
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(写真左)収穫祭では大分県竹田市の首藤勝次市長(写真右端)と、徳島県阿南市の岩浅嘉仁市長(写真左端)が揃ってかぼすとすだちを収穫。「かんきつ文化を共に広めよう」と交流を温めた。(写真右)会場となったのは、銀座白鶴ビル屋上にある『天空農園』。独自開発の酒米『白鶴錦』が栽培されており、都会の案山子が銀座の街を見守っている。
また、屋上農園にはどうしても草が生えますから、地元の福祉作業所『さわやかワーク中央』の方々に委託して、草取りをお願いしています。僕らはハチミツを有償でお分けし、それをインセンティブとして皆さんの働く場にしていただこうということです。
最初は屋上でミツバチを育てることだったのが、今は何か地域を元気にするような、そういう一つの役割を担い始めている。そんな活動になってきましたね。
────そうしてやっておられることの1つずつの点が、いつか大きな面につながる可能性もありますね。
そうですね。今、鉄道会社さんからもミツバチを飼いたいと相談を受けているのですが、駅舎の屋上緑化だけでなく、線路沿いにも花を植えていけば、都会から奥山へと広がる生態系のつながりができるかもしれない。海外からも、ソウルや台湾などからミツバチを飼いたいという話があって、いろんな方からいろいろな相談をいただいています。
────普通なら、時間とコストをかけてつくり上げたものを教えてくれといわれたら、何か見返りがあるのかというような、抱え込む発想に陥りがちですが、そうしてノウハウをオープンにされているから、つながりが広がっていかれるのでしょうね。
僕らがやっていることが参考になるならお伝えしますし、皆さんがいい取り組みをされれば、僕らも教えてもらえますし。異質なものとつながることって、学ぶことが多いですよね。でも中には、こちらが時間をかけて養蜂を教えて、スタートしたら、「我々は銀座とは違う」と何かコンペティターのような話をされるところもあって、それは残念だなと思いますね。
社会性のある、健全なお金の流れをつくる
────お話をうかがっていますと、銀座ミツバチプロジェクトのご活動には「世の中のために」という強い思いがあって、だからこそここまで発展してこられのだということを実感します。
そうなればいいなと思いますよね。例えば、松屋銀座さんでは、クリスマスシーズンに合わせて、銀座ミツバチのチャリティー蜜蝋キャンドルをつくられ、収益は東日本大震災で被災した遺児の支援にあてられます。家族と過ごす幸せな時間であるクリスマスに、両親とケーキを食べられない子どもたちがいる。その子たちのへのドネーションにしようということなんです。
そういうものが健全なお金のめぐり方なのかなと思っていまして、こうした動きが街に広がっていけば、銀座の街のブランド価値をまた上げていってくれるのではないかと思うんですね。
また、まさに僕らが今、買うことで地域を応援し、誰かを支える仕組みをつくっているところですよね。震災を経て、いろんな方々の中に考えることがあったのだと思いますが、おそらく社会はこれからそういう方向に向かうのではないでしょうか。だから、ミツバチを飼うことから始まった活動が、こういった形で動き出したのだと思います。
────『行きすぎた資本主義』や『行きすぎた利益の追求』といったことが、社会問題化してきていますけれども、銀座ミツバチプロジェクトのご活動は『ソーシャルイノベーション』といいますか、そういった問題の一つの解決になっておられるという気がとてもします。
私も企業に勤めていますので、効率や収益を求めるのは、株主に対する会社のあり方として当然だと思います。しかし、ビジネスもさまざまな皆さんとつながって成り立っているわけですから、関わる方々をステークホルダーとして捉えて、大きなお金ではないけれどもそれが社会に優しく、うまく還元するような仕組みがあってしかるべきだと思うんですよね。
活動を育てるために大切なのは「続ける」こと
────田中さんたちが取り組まれてきたことは、これからの日本や世界のあり方の、一つのモデルのようなものになると思います。同様のことを模索する人たちもたくさんいますが、うまくいくためのポイントは何だと思われますか。
続けられることではないかと思いますね。街の中にはまだ、「ミツバチは危ない」と思っておられる方もいると思いますし、そういった我々には見えない意見や思いは、やはりいろいろあると思うんです。けれども、ミツバチが街の中で共生しているのは、悪い事じゃないよと。そういう風に多くの方々が考えるようなことになれば、ありがたいなと思います。
銀座では、毎年春にミキモト本店前のミキモトガーデンプラザで菜の花が咲くのですが、昨年でしたか、心配だったので見にいったら、銀座のミツバチがいっぱいいたわけです。そこに家族連れが来られて、おばあちゃんがお孫さんに「ほら、銀座のミツバチよ」と。「危ないから」なんてことになったらまずいなと思っていたら、しばらく見て、「可愛いね」といって歩いていかれたので、ああよかったと。こんな風に人といろいろな生き物が共生することを街の方々が受け入れていく社会は、健全かなと思うんですね。そういったものが広がることですよね。
また銀座には、資生堂のように世界展開をされるところもありますが、ここだけの老舗の味を守っているところもあります。もっとつくればいいのにお昼で売れてしまう最中屋さんや、「味が変わるなら成長を止めた方がいい」とおっしゃる老舗のおでん屋さんもある。すごいなと思いますよ。そういう考え方ってね。ですから、続けることの難しさって、あると思うんです。続けるためには、その時その時の変化を受け入れて、自身も変わっていかなくてはいけない。でも、変えてはいけないものもあって、そのバランスをどう取るか、なんですね。
視点を変えれば、見えなかった問題が見えてくる
────田中さんたちが、ご自分でミツバチを飼われたことも大きかったのではないかと思います。養蜂家の方に屋上を貸すということでは、今のような発展はなかったのではないでしょうか。
そうですね。「今シーズンは、ハチミツは採れたの?」みたいなね(笑)。
────そのハチミツがいくらで売れて、何%がマージンで、と(笑)。
そういったビジネスにしようとは思っていませんでしたが、採れたものをみんなで飲んだり食べたりして終わっていたかもしれないですね。自分たちで飼い始めると、やはり違いますよね。
────田中さんが書かれた本を読んで、ミツバチの生態の神秘に私自身も感動しました。自分で飼うといっても、そういった感動や愛情を覚えないと、なかなかできないのだろうなと思います。
でも彼らには、飼われているという意識はないんですよ。よくこういって笑われるんですが、ビルや会議室を提供して料金をいただくのが、紙パルプ会館のビジネスです。ですからミツバチも、屋上に巣箱というマンションを用意して、フィーとしてハチミツをいただく(笑)。つまり、彼らにはいてもらっているわけです。
そう考えると、彼らがいられるような場を提供するということにつきると思うんです。そういう小さな生き物の視点でものを見ていくと、銀座の環境が違った目線で見えてくる。日本の環境のあり方も、もしかしたら見えてくるのかもしれないなと思うんですね。
宮城県の気仙沼湾で牡蠣を養殖されている漁師さんで(※)、「海は、川が運ぶ山の滋養で豊かになる」といって、山に木を植える活動をしている方がいます。それも、日本が戦後の大造林で植えたようなスギやヒノキではなく、花が咲く広葉樹を植えておられる。すると花蜜が出ますから、「ミツバチを飼えば、お年寄りや女性の添え仕事になりますよ」と話しているんですが、そうして一つの生態系の中でモノを考えると、いろんなものが見えてくるんですよね。
※NPO法人森は海の恋人・代表 畠山重篤氏。震災時の津波によって気仙沼湾は大きな被害を受けたが、復興に向けて活動を再開されている。
────同じものを見ても、そこに視点や関心を持たないと、問題は見えてこないということですね。
普通なら、そこまでのことは僕も学べなかったと思います。ファームエイドでもいつもフォーラムを開催して議論するんですが、地域の皆さんや友人たちと、環境と農業はどう折り合いをつけるべきか、お金の活かし方はどうあるべきか、自分たちはどう生きてきて、これからどうやって生きていくべきなのかといったことを一緒に考え、皆さんのメッセージを聞くことで、僕もいろんなものが見えてきたのだと思うんです。
────やはり、そういう多様な関係性の中で、『つなげる』というようなことなんでしょうね。世の中が抱える問題を解決するヒントを教えていただいたように思います。貴重なお話をありがとうございました。