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信じるのは、自分のものさし。
徹底的なリーダーシップで拓いた企業再生の道(後編)刺身は3切れから販売し、太巻き寿司は1切れずつ小分けにパック──ダイシン百貨店は、住民の高齢化が進む東京都大田区大森の地で、高齢者に優しい店づくりを徹底し、『半径500m圏内のシェア100%』を目指す老舗企業です。年間約400万人が買い物に訪れる同社ですが、今から7年前、2004年に資金繰りの悪化が判明して倒産の危機に直面。経営再建にあたったのが、建築設計事務所から転じた異色の経営者、西山 敷社長です。経営危機をどう乗り越え、売り場に活気を取り戻したのか。企業再生の道のりと西山社長の経営観をうかがいました(聞き手:OBT協会 及川 昭)。
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[及川昭の視点]
経営リーダーに必要な直感的能力の重要さ
直感というと一見ヤマカン的印象があるが、リーダーには、データの分析からでは得られない非論理的なものの積み重ねから生まれる構想力や判断力が非常に重要となる。
所詮、理詰めやロッジック等で勝てる事業は大したことはない。それだけでは勝てない時が必ず来る。本当の勝負はそのロジックの限界点から始まる。
数値化された科学的確率といえる分析データは守りには活用出来るものの、そこからの将来は全く生み出せず、未来に向けての構想には全く不向きといえる。
その場、その瞬間ごとに自分の感覚や判断によって鋭敏に察知していかなければならない。
それは、様々な修羅場的体験等を通して積み重ねられたものが判断や意思決定の物差しとなっている。
ダイシン百貨店を再生した西山社長は、まさにこのような経営リーダーとお見受けした。聞き手:OBT協会 及川 昭
企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。 -
株式会社ダイシン百貨店 ( http://www.daishin-jp.com/)
1948年に、創業者の竹内義年氏が長野からリンゴを売りにやってきた大森で株式会社信濃屋を創業。戦後の高度成長の波に乗って事業を拡大し、1964年に株式会社ダイシン百貨店に商号を変更。1992年に竹内義年氏が死去し、後を継いだ長男の竹内洋一氏も2004年に死去。この時点で洋一氏による無理な拡大路線がもたらした財務悪化が発覚し、同社は一転、倒産の危機に直面する。設計事務所の所長としてダイシングループの店舗設計・建設も手がけていた西山 敷氏が役員として経営に参画し、2006年に代表取締役社長に就任。資産を大幅にリストラし、品揃えやサービス、在庫管理などを強化して業績をV字回復させる。現在は営業を継続しながら建て替え工事を実施中。2012年夏にグランドオープンを予定している。
企業データ/資本金:9690万円(グループ合計)、売上高/60億円(平成22年度実績)、従業員数/社員100名 契約社員50名 パート100名HIROSHI NISHIYAMA
1947年生まれ。大学卒業後、建設会社を経て、大手スーパーチェーンの長崎屋に入社。ショッピングセンターの開発や、フランチャイズチェーンの開発に携わる。1977年に株式会社商業建築計画研究所(現・株式会社商業建築)を設立。数多くの商業施設の建築設計を手がける。2004年に株式会社ダイシン百貨店の取締役に就任。2006年に創業家の株を買い取り、名実ともにトップとして代表取締役社長に就任。著書に「"下町百貨店・ダイシン"はなぜ、不況に強いのか」(講談社)。
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「みんなで楽しくやろうぜ」が、経営の原点
────店の規模を必要以上に大きくしないという西山社長のお考えに、僕はとても関心があります。大きくしようとすると、効率ばかりを追って、本当にやりたかったことができなくなるように思うんです。
ですから僕は、経営者としては失格かもしれませんね。商店のデカイのをつくって、みんなで楽しくやろうぜという考えですのでね。例えば、今年は韓国への仕入れ旅行に、社員を20名ほど公募で連れて行くんですよ。費用は、半分は会社が出すけれども、半分は一年ローン。自費です。昨年は社員のほかに、お客さまや問屋さんもお誘いして、島根県へのツアーを企画しました。なかなか、一度には連れて行けないじゃないですか。お金もありませんしね。だから、こうして工夫してみんなで楽しくやろうぜと。
社員の誕生会もそうです(※)。女性と旨いものを食べて、仕事に励む。これが僕のパターンなんですよ(笑)。ですから、社員にもフルコースを食べさせて、プロのミュージシャンに生演奏してもらって、無礼講でチークダンスしてね。みんなもそういう文化をたしなめと。誕生会にはお客さまも招待するんですが、余剰金がでたらみんなで食っちゃおうというのが僕の考えなんです。
※ダイシン百貨店では毎月、その月に誕生日を迎えた社員を招待し、店内のレストランで誕生会を開いている。
「それよりもボーナスを上乗せしてほしい」という人もいるけれど、それはあまり好きじゃない。格好いい言い方をすると、みんなで連帯感と帰属意識を持って楽しもうということなんです。2号店をつくったら、こういうことはでません。運営をマニュアル化しないと、店を維持できない。すると、どんどん冷たくなって、「マニュアル通りにやればいいだろう」という人ばかりになるんです。
経営の継承後、5年間は人事改革を封印
────企業再生の主役はリーダーのリーダーシップだと冒頭に言われたことは、その通りだと思いますが、これから先を考えたときの主役は何だとお考えですか。
それが今のうちの課題ですね。社員は、僕に聞けば全部回答してくれると思っているんです。今の社会は、若い人も含めてほとんど指示待ちですよ。コンプライアンスも含めてそういう風につくってきちゃったから、自分で判断しないようになってるんです。
ただ、僕は5年間は人事改革できないと思っていますので、改革はこれからです。なぜかといえば、今のダイシンには僕が採用した人は一人もいないわけですよ。社長に就任したときも、誰も僕を認めませんでしたしね。僕に挨拶もしない社員もいました。それはそうですよ。1年半前は設計事務所にいて、こき使われていた方なんだから。それが突然やってきて、社長だと言うわけですからね。そこで、「俺に挨拶をしないやつはクビだ」と宣言したんです。
────誰がボスなのかを、ハッキリさせるということですね。
それが一つと、挨拶もできないヤツに、何ができるんだということです。
────それはとても大事なことですね。普通の人が普通にやることができなくて、何ができるんだと。
商売のコツといったいわゆるビジネスは、一年生と十年生との差があるのは当たり前じゃないですか。一年生もいずれ十年生のレベルになるんです。そのときに、基本的なことが曲がったままではまずいなと思うんですよ。
今年、初めて20名の新卒を採用しましてね。彼らが僕の子分です。僕の思想を徹底的に伝えていきます。来年は50名を目標に採用予定です。いわゆる新陳代謝ですね。30年も40年もやってきた人の考え方を変えるのは無理なんですよ。それはもう仕方がない。だから、若い人たちを教育して、彼らがそれをどう身につけてくれるかということを考えているんです。
我がままに──自分のままに生きてきた人生の集大成
考えてみれば、僕の人生は相当わがままな人生で、それはやはり母が常に「お前の思うようにやれ」と言ってくれたことが、一つのベースになったように思いますね。それに、僕は子どものころから気に入らないとすごかったらしくて、モノが欲しいとなったら道路に座って動かない、左利きを矯正するために右手で箸を持たせたら、何日も飯を食わない。僕はもう覚えてないんだけれど(笑)。
────気に入る、気に入らないの基準は、何かあるんですか。
やはり、自分の価値観でしょうね。だから、自己中心ですよ。昔、長崎屋に入社したときも、入って半月も経たないうちに、母校の大学の研究室が30日間のヨーロッパ旅行を計画して、友人が「西山、行こうぜ」と。給料が4万円くらいのときに、30万円くらいかかるんですよ。そこで、長崎屋の重役に談判したんです。「30日間の休みと、30万円を貸してくれ」と(笑)。
────休みはわかりますが、借金まで(笑)。
そうしたら直属の役員が、銀行出身の人でしたが、「わかった、30日の休みをやる」と。「お金は銀行に言っておくから、部長に頼んで借りてもらいなさい」と、そこまで言ってくれましてね。でも部長は、「お前にそんな責任を持たせられない」と。そのときちょうど、全米を回る社員旅行があったんです。功労者が招待される旅行でしたが、「それにお前を行かせる」と(笑)。それで8万円の小遣いまでもらって、ハワイからニューヨーク、シカゴまで行って。初めての海外旅行でした。
────今は、そういう計らいをしてくれる上司はなかなかいないですね。
いませんね。まあ、当時はバブルでしたからね。そこでニューヨークのソーホーを視察したときに、自分の店を出して、自分でデザインした椅子や何かを売っている人がたくさんいましてね。そうやって好きなことをやっている人たちが、次のパワーになっていた。その後ろには、場所を無料で提供する資本家がいるわけです。
僕はそれがやりたくて、ダイシン百貨店の屋上にカフェをつくって、若いスタッフに勝手にやらせているんです。原点はソーホーなんですよ。うちの会社の中で何かをやりたいというヤツがいたら、金がある限りは「やってみようぜ」と。それが飲食店であろうと、小売業であろうとね。
────それが人を育てることにつながりますね。
育てるというか、僕がそうでしたからね。長崎屋では、その後いろいろあって左遷されてしまったんですが、左遷された先が売り場だったんです。これが一番勉強になりましたね。仕入れして、棚卸して。万引きによる減亡率をどうするかとか。それに利益を乗せていかなきゃいけないとかね。その後、独立してからは、フランチャイズチェーンの立ち上げにいくつか関わって、契約書やマニュアルのつくり方を勉強しましたので、それが今、非常に役に立っていますね。
百貨店発の『街づくり構想』
────ダイシン百貨店は、『住んで良かった街づくり』を目指しておられます。小売業である御社がなぜ『街づくり』なのか、そもそも西山社長にとってビジネスとはどういうものなのでしょうか。
これまでの僕にとっては、ビジネスは金稼ぎですよ。金にはとにかく苦労してきましたし、金があってはじめて何でもできるわけですから。でもこの年になると少し資金もできて、それもどうかなという感じになってね。僕も建築家の端くれですから、住み良い街をつくってみたいという思いがあるんです。東京のほかの街がどんどんきれいになっているのに、大田区大森はずっと昔のままですからね。
だから今、隣の土地のマンション建築に僕は正式に反対しているんです(※)。こういう開発を続けてきたことで、日本は成長したけれど、泣いている人がたくさんいるわけです。格差社会、それも収入の格差だけではなく、地域の格差ができてしまった。六本木のミッドタウンと大田区大森と、どれだけ違うんだということです。だからうちは「屋上に小さなミッドタウンをつくろう」といって、和食レストランと川が流れる屋上庭園を設けたんですよ。
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※ダイシン百貨店が売却した北側隣接地に、24階建ての超高層分譲マンション建設が予定され、建築主と地権者に計画の見直しを求めている。反対姿勢を明確に表明するため、店舗のエントランスに超高層マンションの建築模型を設置(写真左)。模型の上にパネルを掲げ、『住んで良かった街づくり』の構想を地域住民に向けて発信している(写真右)。
さらに、近隣の空き家が目立つ区域を再開発して大学を誘致し、教育と芸術・文化の拠点をつくって若者を街に呼びこむ。これを『ムーミン村構想』と名づけて運動しているんです。ダイシンで買い物したポイントを使って、地域で医療サービスを受けられるようにするという構想もあります。こういうのを住民の人たちはみんな喜んでくれるんだけど、行政は何もしないんですよね。最初は「いいね」と言うんだけども、突っ込んでいくと「ノー」。ダメなんですね。
うちが今、走らせているバスだって、「コミュニティバスを出そう」という話が地域で出始めて、15年経っても出ない。「じゃあ、勝手に出しますよ」といってスタートさせたのが、ダイシン送迎バスなんです。
────西山社長が言われることは、地域との共生という観点で考えると、これからはとても大事になることだと思いますね。
でもそれは、大それた考えですよ。街のランドマークになっているダイシン百貨店というポテンシャルがあって、お客さまと一緒にここで63年歩んできたという歴史があるから、こういう生意気なことを言っているんです。
それに、これまで僕はとにかく人に助けてもらいましたからね。でも、助けてもらおうとは思ってなかったですね。無我夢中でしたから。この年になって思うのは、やはり助けると、助けてくれるんですね。まあ、いちいち「助けるぞ」とか、そんなことは考えないんですけれども。
────自分がやったことが返ってくる、やってもらえば返すということなんでしょうね。お客さまとの関係でも同じですよね。こちらがコストをかけて先に何かをすれば、結果的に返ってくるように思います。
そうですね。つまり、理屈は抜きにして『ファンづくり』なんですよ。よく「ダイシンの極意」と言われるけれども、僕はそんなことは何も言ってないですよ。小売業というのは自分のところで商品をつくっているわけじゃないから、店は違っても品物は同じなんです。
では何が違うかといえば、お客さまの心をどれだけつかめるかということなんですよ。そのために、うちはイベントも配達も送迎も、すべて社員の手づくり。失敗してもいいから社員がやることで、ごひいきにしてもらおうということが原点にある。それは『システム』じゃないんですよね。そのことをみんな、忘れているんじゃないですか。
────後付けの理屈やシステムに頼らない。非常に大切なポイントですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。