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企業永続の条件とは
──過去を活かした柔軟な事業展開で、
自社の社会的価値を高める(後編)スタンプ台の要らないハンコでお馴染みのシヤチハタは、創業88年を超える老舗企業である。スタンプ台の製造からスタートし、やがて自社商品を否定することにもなる朱肉やスタンプ台いらずのハンコ、通称"シヤチハタ印"を開発。同社の名前を知らない人はいないほどの、業界トップ企業へと飛躍した。その背景には、自社の社会的な価値向上を目的に「自己否定」と称されることもある柔軟な事業展開をしてきた経緯がある。企業が永続していくためには自社の事業、製品の競争優位性を正しく認識できなければならない。そうでなければ、寿命の過ぎた事業にすがりつくだけで、やがて競争力を失ってしまうだろう。(聞き手:OBT協会代表 及川 昭)。
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[及川昭の視点]
創業86年、トヨタ自動車の車は持っていなくてもシヤチハタのハンコは持っている。紛れもなく日本人の誰もがお世話になっている会社といえる 。今、日本の企業を見てみると過去にはそれなりの実績はあるが、新しい時代に対応出来ず将来に向けての展望が開けていない企業が多い。そんな時、従来の経営の基本ソフ トを捨てて新しい道に踏み出すのも一案である。→→続きを読む...
聞き手:OBT協会 及川 昭
企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体 的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。 -
シヤチハタ株式会社 ( http://www.shachihata.co.jp/)
1925年に創業者の舟橋金造氏と弟の舟橋高次氏がインキ補充を不要にした「万年スタンプ台」を開発し、舟橋商会として創業。1941年、舟橋商会を改組し、シヤチハタ工業株 式会社を設立。1965年にスタンプ台いらずのスタンプ「Xスタンパー(通称シヤチハタ印)」を発売。従来の看板商品である「万年スタンプ台」を否定することにもなるリスク を覚悟のうえで開発に踏み切った「Xスタンパー ネーム印」は、累計販売数1億5000万本という大ヒット商品となる。1995年にはパソコンの普及を先取りして、電子印鑑システ ム「パソコン決裁」を発売。海外展開にも早期から積極的に取り組み1968年には米国・ロサンゼルスに現地法人を設立。海外では筆記具ブランドの「アートライン」を主力商 品に、約80カ国に輸出している。
企業データ/資本金:7億3758万円、従業員数/655人(2011年3月現在・単体)、売上高/172億8224万円(2011年3月期・連結)MASAYOSHI FUNAHASHI
1965年生まれ。1993年に電通に入社。1997年にシヤチハタ工業(現シヤチハタ)に入社。1999年に取締役、2000年に常務取締役、2003年に副社長に就任。マー ケティング、企画開発、事業総括、開発・生産事業、国内販売・商品開発などの担当役員を歴任し、2006年に代表取締役社長に就任。
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ニーズを先読みし、市場のないところに市場を生み出す
────「パソコン決裁」の開発には、どのくらいの期間を費やされたのですか。
「パソコン決裁」。電子印鑑を捺印・管理するためのソフトウェア。
正確なところはわかりませんが、Windows95とほぼ同時期の1995年にリリースして、すぐにバージョン2を出しています。ただ、ネットワークがま だ組まれてない時代でしたので、開発の協力パートナーになっていただいたアスキー・ネットワーク・テクノロジーさんと、オフィスにどう浸透させていくかということから 取り組みました。ですから、かなり先んじてやりすぎていたところはあるかもしれませんね。
────現在は、何社に導入されているのですか。
約1万社、20万ユーザーくらいですね。
────高度成長の当時、スタンプ台はいずれ使われなくなると考えて「Xスタンパー」を開発され、パソコンがまだそれほど普及していな い時期から「パソコン決裁」をリリースされたことを考えますと、やはり御社は何事もかなり先手を打って、市場のないところに市場を生み出してこられたように思います。
先んじすぎて売れずに廃番にしたもので、今、発売したら売れるのではないかという商品も結構多いんですよ。「パソコン決裁」も、発売から15 年間バージョンアップを続けてきて、やっと今からいけるのではないかという状況が来たかなと思いますね。当初は基幹システムに向けた何千万円という案件ばかり見ていま したが、それではなかなか商売にならず、会社全体ではなくて一つの部や課の中で使っていただくとか、勤怠の申請などもできるようにしようとか、いろんなことをやって勉 強してきましたので、今からさまざまな展開ができるのかなと思っています。
過去を活かして、事業を柔軟に展開する
例えば、iPad やiPhoneを始めとするスマートフォンもそうですが、今は端末がタブレット型になりつつありますよね。そうしたものが今後どうな っていくのかは、とても気になります。時代は指紋認証から静脈認証に移っていますので、静脈を登録したデータから自分の印影を呼び出してタブレット型の端末で捺印でき る、静脈と実際の印鑑のインキが紐付けされてアナログ的にも何かが証明できるといったことが実現すれば、金融機関での活用など、面白いことが提案できるのではないかと 思います。
────アナログと紐付いているのがいいですね。
やはり日本人ですので、一緒に考えた方がいいですよね。海外でいえば、例えばサインをしたインキと整合性を持たせるとか、いろいろ考えてい くと将来的なニーズは結構あるのではないかと思っています。
────事業領域が徐々に変わってきていると思われますか。
そうですね。ただ、我々のまったく手が届かないことをやっているわけではありませんし、核となる部分は変わっていないですね。
────御社に関して「自己否定」という表現がマスコミなどではよく使われていますが、今日、社長のお話をお聞きして、「否定」とい うよりは「フレキシブル」だという印象を受けました。
説明しやすい言葉でとなると「自己否定」になるのかもしれませんし、先人たちはその考えでやってきたのかもしれませんが、新しいものをつく ったからといって、前のものがなくなるわけではありませんから、「否定」ではないんです。今のビジネス環境全体を見ると「自己否定」や「競合とやりあう」ということよ りも、もっとやることがあると感じています。環境が変わってきたからそう思えるのかもしれませんが。
────私はいろいろなオーナー企業と仕事をさせていただいていますが、ご子息が社長になられると自分のカラーを打ち出されて、時に はやや勢い余って過去を否定するような考えでおやりになる方が、比較的多いように感じています。社長からご覧になられて、創業から会社をここまで大きくされたお祖父さ まやお父さまは、どういった存在ですか。
すごいですよ。今の収益はこれまでの事業基盤の上に成り立っているわけですから。そうした先人達がつくった基盤を広げて、30代から50代前半 くらいの我々の世代で、「自分たちはこれをやった」といえるようなものをぜひつくりたいですね。
マレーシアに開発拠点を置き、国際化を加速
────そうした事業分野のテーマのほかに、これからは海外比率を高めていくということも打ち出しておられます。
そうですね。当社は国内ではハンコのイメージが強いのですが、海外ではマレーシア工場を中心に筆記具を生産し、そこから約80カ国に輸出して います。今後は、特に元気があるアジア、具体的には中国、インド、インドネシア、ベトナムといった市場には力を入れていきたいですね。中国とインドは工場と販売会社を 自社で展開していますので、現地市場でブランドを確立するべく注力しています。
────海外で筆記具というのは、どういったご発想だったのですか。
昭和29年から「ケラミックペン」というマーカーを発売していまして、筆記具は初期のころからつくっていたんです。その当時から海外でも現地 の代理店に販売していただいており、海外展開の歴史は意外に古いんですね。
当社の筆記具が海外にこれだけ普及したのは、品質に対する評価を得られたということと、代理店ががんばってくれたお陰です。一般的な筆記具 ではなく、サインペンなどのマーカー系が中心ですが、現在ではオーストラリアが最も市場が大きくて、現地では圧倒的にナンバーワンブランドなんです。こう話すとみなさ ん驚かれるのですが、オーストラリアのほかにもマレーシアや南アフリカ、ヨーロッパの一部の国など、当社が強い国が数カ国あります。
────筆記具の基礎技術は、スタンパーと同じなのですか。
素材とインキという面では一緒ですが、スタンパーも筆記具もどちらも開発できる人間がどのくらいいるかというと、意外にいないですね。
────開発拠点は日本に置いておられるのでしょうか。
今のところ主だった開発は日本です。しかし、生産の海外シフトがほぼ100%完了していますので、今後は筆記具の開発はマレーシアを中心にやっ ていこうと、今、R&Dの部隊を現地につくっているところです。
ただ、スタンパーと筆記具のR&Dが分かれているのはもったいないですし、商品構成も国内はスタンプ、海外は筆記具というのは非効率ですから、 こうした効率をよくしていくことも海外比率を高める一つの要因だと考えています。
社員を育てるのではなく、社員が育つ環境を整える
────そうした今後に向けてのさまざまな手を打っていくにあたって、人財育成や組織運営にはどのように注力されているのでしょうか 。
組織や人財育成というのは、とても難しいですね。組織はいろいろと考えて変えてきましたし、教育制度もさまざまなことを取り入れています。 しかし「これが正解」というものがなく、最終的には一人ひとりの思いや気持ちが大切で、それをいかに導くかということなのだと思います。仕事で何かに悩んだときには、 自分が取り組んでいることがお客さまのためになっているか、社会に貢献できているのか、自分たちや家族のためになっているのかといったことに立ち戻る。それは理念的な ことかもしれませんが、立ち戻れるものがあれば、自ずと社員も成長できると思うんです。
また、私が入社した当時はまだうちの会長のブレーンの方々がたくさんいて、その方たちに国内や海外のお客さまに引き合わせていただいて、私 の今の環境があります。私はまだ40代ですので、お客さまのところに行って話していても「お前、こうしなきゃだめだよ」と言ってくれる方がいるんですね。これが50代、60 代になったら、そうはいかなくなるでしょうから、本当にありがたいことだと感じています。
そんな風に言っていただくためには、いつも謙虚な態度でいて、自分だけでは何もできないことを自覚して感謝の心を持ち、相手が年下でも年上 でも、素直に人の意見を聞くことが大切で、この3つができれば人は必ず伸びます。こういった環境をつくることが組織づくりであり、教育なのではないかと思いますね。
────現状への不安や危機感を社員の方々とどう共有されているのでしょうか。
これは課題ですね。お客さまらかもたまに「社員に危機感がない」と冗談めいて言われることがあるのですが、小さな成功をしてきた会社ですの で、何か安堵感のようなものが社内に流れているように思います。といっても過去の成功体験は決して悪いことではなく、こんなにありがたいことはありませんので、それが あるうえでしっかりと現状を認識して危機感を持たなくてはいけない。先ほどお話した気持ちの問題も、こうした危機感も、くり返し言い続けるしかないと思いますね。
社会的価値を向上し続けることが、企業永続の条件
────改めて、今後の一番のテーマとしてお考えのことをお聞かせください。
既存事業としてはこれだけグローバルな時代になってきていますので、グローバル調達、グローバル生産で効率を高めながら足腰を固めていくこ とがテーマです。アメリカの工場はアメリカの需要に向けた生産に特化していますので、その他の地域をカバーするのは国内の稲沢工場(愛知県)と中国、インド、マレーシ アの4工場になります。それに対して、素材の調達も含め、どこで製造してどこに販売することが最適なのかを考えることが、今後必要になってくると思っています。
新規事業としては、現在は売上の75%が印章関連の事業によるものですので、印章から認証に脱皮をしていく。これが今の一番のテーマです。
────事業は永遠ではありませんが、企業は永遠でなければなりません。永遠であるためには、どのようなことが大切になると思われま すか。
会社として存在する以上は、働いてくれている社員に今日より明日はもっと幸せになってもらいたいという思いが第一にあります。また、我々の 事業は日本の文化に近いところにありますが、その文化が変わりつつある。それに対応できるのは、おそらく我々しかいませんので、「文化を守る」というとおこがましいで すが、その役割は果たすべきだと考えています。そして、お客さまにもっと便利で安心・安全な商品を提供するという責務を果たす。答えになっているかどうかわかりません が、そういったことではないかと思います。
────社会的価値を向上し続けない限り、企業は永続できない。そのお考えはとてもよくわかります。では、最後に伺わせてください。 社長にとってシヤチハタとはどういう存在でしょうか。
自分の家ですね。社員は家族だと思っています。
────創業者の方もそういうお気持ちで、人生そのものとしてやっておられたのでしょうね。
そうだと思います。
────今後さらにご発展されることをお祈りしています。本日は長いお時間をありがとうございました。
[及川昭の視点]
創業86年、トヨタ自動車の車は持っていなくてもシヤチハタのハンコは持っている。紛れもなく日本人の誰もがお世話になっている会社といえる 。
今、日本の企業を見てみると過去にはそれなりの実績はあるが、新しい時代に対応出来ず将来に向けての展望が開けていない企業が多い。
そんな時、従来の経営の基本ソフトを捨てて新しい道に踏み出すのも一案である。国内生産にこだわってきたが海外生産に軸足を移す。高付加価 値路線をやめて廉価路線に舵を切る。やみくもに過去を否定しろといっているわけではないが、未曾有の環境変化に直面する企業にとって捨てないリスク、過去にしがみつく リスクは日々大きくなってきている。
21世紀の最初の10年が過ぎてしまったが、この間、最も輝いた企業はどこだろうか。アップルであろう。同社は、2001年に従来の基本ソフト(O S)に見切りをつけ、OSX(テン)と呼ぶ新しいOSに切り替えた。PCの頭脳であるOSの全面刷新は容易なことではない。以前のOSに準拠した応用ソフトや使い勝手 の熟練は水の泡となるのでかなりの抵抗があったとのことであるが、ジョブスの決断で押し切った。旧OSにしがみついたままでは、アップルを支える商品競争力は生まれず 、今日の繁栄はなかったであろう。
要は、捨てる決断が功を奏したのである。
シヤチハタ株式会社 舟橋社長とお会いして改めて企業の永続の条件を実感した次第である。
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