2011年6月アーカイブ ..

日本理化学工業株式会社
取締役会長 大山 泰弘さん

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    「人を仕事に」ではなく、
    「仕事を人に」あわせて生産性を高める逆転の発想(後編)

     

    チョークの製造で国内トップシェアを誇る日本理化学工業では障害者雇用を推し進め、社員の7割以上が知的障害者だ。しかしながら同社はそれをハンディキャップとしていない。製造工程を工夫することで他社に劣らない生産性をあげ、社員の幸福と企業の成長を同時に実現している。「障害者の方々に支えられて今がある」「人のために一所懸命にやっていると多くの人が応援してくれる」大山会長はこれ迄の道のりをこう振り、「利他の経営」が企業存続の秘けつであると語る。社員があって為される仕事か、仕事のためにいる社員か―何を重視するかによって企業の在り方は大きく変わる。(聞き手:OBT協会 伊藤みづほ)。

  • [OBT協会の視点]

    「幸せになりたかったら、まず、人を喜ばすこと勉強しなさい」──これはイギリスの詩人、M・プリオールの言葉です。自分の幸せしか考えられない人は、結局のところは幸せになれない。相手のことを第一に考えて行動すれば、結果は自分に返ってくる。人の幸せの道を「利他の精神」に見出すこの言葉は、企業経営にも当てはまるのではないでしょうか。真のリーダーに求められるのは、人に尽くす精神や、他人の幸せを自分の喜びに思える感性。この資質を持たない人がリーダーになると、組織の歯車が狂い始め、現場が疲弊し、不祥事といわれるような間違いが生じます。日本理化学工業の大山泰弘会長が貫かれているのも、まさに「利他の経営」。これを「きれいごと」と見るか、「真理」と受けとめるかによって、今後の自社のありようが見えるインタビューです。

  • 日本理化学工業株式会社 http://www.rikagaku.co.jp/
    1937年設立。石膏チョークが主流で教師に肺結核が多かった日本で、初めて炭酸カルシウム製チョークの国産化に成功。衛生無害なチョークとしてシェアを伸ばす。1960年から知的障害者の雇用に取り組み、1975年に全国初の心身障害者多数雇用モデル工場を開設。1981年には北海道美唄市にも同モデル工場を開設。これが縁となり、北海道立工業試験場との共同研究によって世界的にも稀なホタテ貝殻を再利用したダストレス・チョークを、2005年に開発。同年、粉がまったく出ない固形マーカー「キットパス」を早稲田大学と共同開発。幼児教育などの分野にも販路を拡げる。長年に亘る障害者雇用が評価され、労働大臣賞や企業フィランソロピー大賞社会共生賞など受賞歴も多数。
    企業データ/資本金:2000万円、従業員数/74名(2011年5月現在)

    YASUHIRO OHYAMA

    1932年生まれ。父が設立した日本理化学工業に、1956年、大学卒業と同時に入社。病身の父の後を継ぎ、1974年に社長に就任。2008年から現職。1960年から障害者雇用に取り組み、障害者雇用割合70%を実現。その経営姿勢が評価され、2009年に渋沢栄一賞を受賞。 著書に「働く幸せ」(WAVE出版刊)、「利他のすすめ」(同)。

  • 知的障害者の雇用は「四方一両得」

    ────御社では、人を仕事にあわせるのではなく、仕事を人にあわせることで、知的障害者の方々がいきいきと働ける職場を実現しておられます(前編参照)。一方で、利益をあげることも企業の命題ですが、この2つをどのように両立されているのでしょうか。

    「両立」ということではなく、労働力をいかに効率よく活用して生産するか、私が考えるのはこの1点です。障害者を雇用していて大変だから、経営が成り立たないというわけにはいかない。少しでも効率よく生産するというのが、企業の宿題でしょう。

    ────雇用しているのが健常者であれ、障害者であれ、企業活動に違いはないということですね。

    障害者は、働いて役に立つことに幸せを感じます。企業は、事業である以上は彼らに役に立ってもらわなくてはいけない。この共通点があるから彼らも成長し、企業も努力して発展します。しかし今の社会では、職業訓練を福祉施設で行いますね。そこに私は、社会のムダがあると思うんです。

    知的障害者を20歳から60歳まで福祉施設でケアした場合、1人あたり約2億円の社会保障費がかかると言われています。日本理化学は障害者雇用を続けて50年、60歳を過ぎた社員が5人もいます。それだけで10億円分の社会貢献になっているそうで、こうした取り組みが評価されて、平成21年に第7回渋沢栄一賞を受賞しました。それまでも労働大臣賞などはいただいていましたが、経済的な貢献にもなっていたとは、私自身も驚きました。

    ベルギーには、企業が障害者を雇用すると、最低賃金額を国が助成してくれる制度があります。日本でいえば、最低賃金は年額にして150万円前後。施設でケアすれば40年で2億円、年額500万円の社会保障費がかかります。つまり、雇用を促進して最低賃金額を助成すれば、国は社会保障費を抑えられるのです。障害者は収入を得て自立でき、働くことで「究極の4つの幸せ」(前編参照)も味わえますから、意欲が湧いて成長します。そういった人財が中小企業で育ったら、企業体質の強化にもつながります。

    ────障害者の方々を受け入れるにあたって、製造工程や業務フローを見直すことが、企業体質の強化につながるということでしょうか。

    そうです。なぜそれができるかといえば、日本には「職人文化」があるからなのです。あるとき、ハンガリー人のジャーナリストが「日本には『職人文化』があるから、文字が読めない人もこうして戦力として活躍しているのですね」と、素晴らしい示唆を与えてくれたんです。欧米のマニュアル文化は、文字が読めることが前提です。しかし日本理化学では、砂時計を使うといった工夫で(前編参照)、知的障害者が働いています。それを「職人文化」といってくれた。

    となると、そうした職人文化を受け継ぐ日本全国の中小企業が働く場を用意できる仕組みをうまく作れば、知的障害者が自立できて働く喜びを得られますし、親御さんも助かるでしょう。企業は経営体質を強化でき、国は社会保障費を抑えられます。これを私は、「四方一両得」と言っているんです。このことを一人でも多くの方々に知っていただくことも、日本理化学の役割だと思っています。

    人間には、役に立てることを喜びと感じる本能がある

    そういう意識でいると、いろんな情報がタイムリーに入ってくるんですね。ある雑誌でたまたま読んだのですが、東京都立駒込病院脳神経外科の篠浦部長(篠浦伸禎氏)の説によると、人間の脳には「動物脳」と「人間脳」があるそうです。動物脳には本能や情動に関する機能が集まり、人間脳は知性や論理を司る。周囲の役に立つことに喜びを感じるのも、人間脳の働きだそうです。このことは「人を育てる」ということを考えるうえで、大変貴重な情報になりました。

    ────周囲の役に立つことに快感を覚えるのは人間だけ、そしてその性質は誰にでもあるということですか。

    そういうことです。

    ────しかし実際の職場では、「ここが足りない」と至らない点ばかりを指摘されることが多くあります。自分が何かに役立っているという実感や、働く喜びを感じられなくなっている人が増えているように思うのですが・・・。

    人はみな人間脳を持っているという前提でコミュニケーションを取れば、相手を見る目も変わるのではないかと思いますね。相手の理解が悪いとすれば、その人の人間脳を目覚めさせるこちらの努力が足りないということ。そう思えば、人のせいにはできませんよ。

    食堂には社員それぞれの目標が貼られている。スローガンは「まわりの人に役立つ成長をしよう」。「時間を守る」「パウダーの計量を間違えないようにする」など具体的な目標を掲げることで、成長意欲を引き出している。

    「利他の経営」が、企業を永続させる

    ────経営的に厳しい時期もおありだったと伺っています。知的障害者の方々の雇用を守りつつ、どのようにしてそういった局面を乗り越えられたのでしょうか。

    「守りつつ」ではなく、「助けられつつ」ですよ。本当に困ったことがあるのは事実です。例えば、モデル工場(※)をスタートさせたときには「簡単に作れるチョークだから、障害者を大勢雇用できるのだ」と、日本理化学はこう言われていたんです。そこで、チョーク以外もできることを示そうと、東京青年会議所を通じて知り合ったパイオニアの松本さん(三代目社長・故松本誠也氏)に、「何か仕事を発注してもらえませんか」とお願いしたところ、ビデオカセットの組み立てを任せてくださった。一時はチョークよりも売上高が多い事業に育ちました。ところが、カセットはベータ規格でしたから、数年後の「ビデオ戦争」の影響で生産が激減してしまったんです。

    ※昭和50年に国の心身 障害者多数雇用モデル工場第1号として川崎工場を開設

    そのときは大赤字を出しましたが、ビデオカセットの仕事の後は、取引先が「こんな仕事がありますが、やってみませんか」と紹介してくれました。また、モデル工場を作ろうという時、今の取引銀行である三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)が応援してくれました。この銀行とのご縁も、不思議なつながりです。モデル工場の建設費用1億2000万円の融資を信用金庫から断られて困っていたときに、たまたま取引先を開拓していた三菱銀行の人が訪ねてきましてね。経緯を話したら、支店長にかけあって融資を引き受けてくれたのです。取引実績がゼロだったにも関わらず、です。そうしてつなぎ、つなぎでやってきたわけです。

    「カンブリア宮殿」に出たときに、村上龍さんがこう言ってくれました。「障害者を支え人を幸せにしていることが、ブーメランのように返ってくるんですね」と。その通りだと思いますね。人のために一所懸命にやっていると、多くの人が応援してくれる。それによって企業が永続できるのだと思うんです。

    ────2005年には粉がまったく出ない新商品「キットパス」を開発され、販路を広げておられます。ホワイトボードの普及でチョークの需要が減少する中、新しい市場の開拓に成功された秘けつは何だったのでしょうか。

    ホワイトボードマーカーは粉が出ないといいますが、チョークに比べれば少ないけれども、実際は少しは黒い粉が出ます。ですから、粉がまったく出ないチョークを作らないとマーカーに負けてしまう。そこで長年、研究開発に取り組んでいたんです。

    しかし、当社の技術力だけでは難しいので川崎市に相談したところ、産学連携の助成金制度を活用してはどうかと助言していただきましてね。早稲田大学の先生が、「障害者雇用に取り組む会社ならば協力したい」と応援してくださって、キットパスを開発することができたのです。

    ホワイトボードはもちろん、ガラスや鏡など表面が滑らかなものであれば、何にでも描くことができます。これも偶然の発見で、従業員が試作品でガラスに落書きしたんですね。注意したら、慌ててぬれた雑巾でサッと消した。それで、ガラスや鏡にも描いて簡単に消せることがわかったんです。

    しかも、これは子育てに役立つ商品です。子どもを外で安心して遊ばせられる場所が減っている今の時代、キットパスがあれば、外の景色を見ながら窓にお絵描きができるでしょう。木々の枝が風で揺れている、小鳥の声が聞こえると、五感を刺激できる。

    ────そこまで考えて開発されたのですか。

    とんでもない。やはり偶然の発見です。日本初の知的障害児教育施設をつくられた曻地先生(福岡教育大学名誉教授 曻地三郎氏)が、3歳までに五感を刺激すると障害の程度が改善される可能性があると言われているのを、たまたま読んだ本で知りましてね。キットパスはガラスに描けるのだから、白い画用紙に描くよりはずっと五感を刺激します。そこで学校やオフィスなどの従来の販路に加えて、幼児用教材としての可能性も追求しようと考えたのです。

    偶然がこうも続くと、何か仕組まれたみたいでしょう。神様は、誰かの役に立つことをする人には必ず報いてくれる──「神様なんかを当てにして」と言われそうですが、そういうことをもっと信じてもいいのではないかと思います。信じたほうが、結果としてうまくいくように思うんです。

    ────しかし私も含めて、そうしたことを信じる勇気がなく、目の前の損得で判断してしまう人が少なくないように思います。

    でも、人には「人間脳」があるわけですからね。役立つことをしている人は、みんなの支えが得られるんですよ。当社に視察に来られたある経営コンサルタントの方は、「これからは、地域社会にどれだけ貢献できるかが企業永続の条件だ」とおっしゃっていました。私は現実に、こうして周りの応援をいただきながらやってきましたから、そのことを実感しますね。

    同社の食堂の窓にも、キットパスで絵が描かれている。社員は誰でも自由に描くことができ、自分たちがどのような商品を作っているかが実感できる。

    「働く」とは、人のために動くこと

    ────その一方で、職場で疲弊し、働く幸せを感じられなくなっている人も多くいます。企業や人はどのようにすればこの現状を変えられるでしょうか。

    人間の究極の幸せは、人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人から必要とされること。この4つであると、禅寺のご住職が私に言われましたが(前編参照)、これは人間が幸せになるための道を説いたものでもあると思いますね。人間はみな、愛されることを求めています。そのためには、まずは褒められることをして、自分の存在を周りに示さなくてはいけない。次に周りの役に立つことをして、必要とされるようにならなくてはいけないんです。

    今の若い人はどうかすると、幸せがくるのを待っているようなところがありますね。そうではなく、自分から動かなくてはだめだということです。

    ────「生活のために働く」のではなく、「自分の幸せのために働く」というように、働く側も意識と行動を変えなくてはいけないということですね。

    「働」という文字は、日本で作られた国字だそうです。「人」と「動」が組み合わさってできているこの文字は、神社の宮司かお寺の僧侶が作ったのではないかと思うんです。禅寺のご住職に教えられた「究極の幸せ」は、まさに「人のために動くこと」でしょう。それが、「働く」ということなんですよ。

    工場見学にくる小・中学校の子どもたちに「働くってどういうことか知っていますか」と聞くと、「はい!」とみんな手を挙げて言うのは、「会社に行ってお金をもらうことです」(笑)。だから、こう話すんです。「ただ来るだけでは、会社はお金をあげないよ。働くとは、人のために動くことだよ」と。文字の成り立ちと一緒に説明すると、みんな働くことの意味をわかってくれますよ。

    ────働くとは、人のために動くこと。とてもシンプルですべてが集約されている表現ですね。最後に一つご質問させてください。大山会長にとって日本理化学工業はどのような存在でしょうか。

    宿命、ですね。やむを得ず父の後を継いだわけですが、日本理化学に入ったから、それもチョークだったから、今の私があるのだと思います。振り返ってみれば、大学受験がうまくいかなかったり、思うような道は歩めませんでした。日本理化学の社長にも、渋々なりました。けれども、そのことで一番教えられたのは、逆境の中でも自分を最大限に活かす努力をするということです。

    チョークの市場規模は決して大きくありませんが、そこで障害者雇用に取り組んでいたら、世の中がそういうことに注目するようになって、本当に不思議なくらいにさまざまな応援をいただきました。これは単なる運やツキではなく、人の幸せのために頑張っている人は神様が応援してくれるということなんですよ。

    ────しかし、天の応援をアテにする気持ちがあったのでは、事はそのようには運ばなかったのではないかと思います。大山会長ご自身が、懸命に努力なさられたからこそではないでしょか。

    でも、それも自分の幸せのためにやっているわけでしょう。人間は、人の役に立つことが幸せなんですから。そして、それをみんなが応援してくれる。こんないいことはありませんよね(笑)。

    ────何のために働くのか。今日お話を伺って、私自身も働くことの意味を改めて考えたいと思いました。貴重なお話をありがとうございました。

    正門横に建つ「働く幸せ」のブロンズ像。障害者雇用に取り組むきっかけとなった禅宗の住職の言葉に寄せる、大山会長の思いが刻まれている。
    「導師は人間の究極の幸せは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされること、の四つと云われた。
    働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのだ。
    私はその愛までも得られると思う」

  • 聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

    OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

日本理化学工業株式会社
取締役会長 大山 泰弘さん

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    「人を仕事に」ではなく、
    「仕事を人に」あわせて生産性を高める逆転の発想(前編)

     

    チョークの製造で国内トップシェアを誇る日本理化学工業では障害者雇用を推し進め、社員の7割以上が知的障害者だ。しかしながら同社はそれをハンディキャップとしていない。製造工程を工夫することで他社に劣らない生産性をあげ、社員の幸福と企業の成長を同時に実現している。「障害者の方々に支えられて今がある」「人のために一所懸命にやっていると多くの人が応援してくれる」大山会長はこれ迄の道のりをこう振り、「利他の経営」が企業存続の秘けつであると語る。社員があって為される仕事か、仕事のためにいる社員か―何を重視するかによって企業の在り方は大きく変わる。(聞き手:OBT協会 伊藤みづほ)。

  • [OBT協会の視点]

    「幸せになりたかったら、まず、人を喜ばすことを勉強しなさい」──これはイギリスの詩人、M・プリオールの言葉です。自分の幸せしか考えられない人は、結局のところは幸せになれない。相手のことを第一に考えて行動すれば、結果は自分に返ってくる。人の幸せの道を「利他の精神」に見出すこの言葉は、企業経営にも当てはまるのではないでしょうか。真のリーダーに求められるのは、人に尽くす精神や、他人の幸せを自分の喜びに思える感性。この資質を持たない人がリーダーになると、組織の歯車が狂い始め、現場が疲弊し、不祥事といわれるような間違いが生じます。日本理化学工業の大山泰弘会長が貫かれているのも、まさに「利他の経営」。これを「きれいごと」と見るか、「真理」と受けとめるかによって、今後の自社のありようが見えるインタビューです。

  • 日本理化学工業株式会社 http://www.rikagaku.co.jp/
    1937年設立。石膏チョークが主流で教師に肺結核が多かった日本で、初めて炭酸カルシウム製チョークの国産化に成功。衛生無害なチョークとしてシェアを伸ばす。1960年から知的障害者の雇用に取り組み、1975年に全国初の心身障害者多数雇用モデル工場を開設。1981年には北海道美唄市にも同モデル工場を開設。これが縁となり、北海道立工業試験場との共同研究によって世界的にも稀なホタテ貝殻を再利用したダストレス・チョークを、2005年に開発。同年、粉がまったく出ない固形マーカー「キットパス」を早稲田大学と共同開発。幼児教育などの分野にも販路を拡げる。長年に亘る障害者雇用が評価され、労働大臣賞や企業フィランソロピー大賞社会共生賞など受賞歴も多数。
    企業データ/資本金:2000万円、従業員数/74名(2011年5月現在)

    YASUHIRO OHYAMA

    1932年生まれ。父が設立した日本理化学工業に、1956年、大学卒業と同時に入社。病身の父の後を継ぎ、1974年に社長に就任。2008年から現職。1960年から障害者雇用に取り組み、障害者雇用割合70%を実現。その経営姿勢が評価され、2009年に渋沢栄一賞を受賞。 著書に「働く幸せ」(WAVE出版刊)、「利他のすすめ」(同)。

  • 終業チャイムにも気づかず、夢中で働く。何が彼女たちをそうさせたのか

    ────御社は1959年から知的障害の方々の雇用を積極的に進めておられます。人を大切にすることと業績をあげることは両立しうるのか、今日は、障害者雇用に取り組んでおられるお立場からお感じのことをお聞きできればと思います。

    1959年というと、昭和34年ですね。その年の秋に、東京都立青鳥(せいちょう)養護学校という学校の先生が、生徒さんの就職依頼に訪ねて来られましてね。まだ中等部までしかなく、15歳で卒業していた時代です。就職できなければ、親元を離れて施設に入らなくてはいけない。先生は何とか就職させたいと、思案したんですね。学校で使う品物の中で、チョークがいちばん簡単に作れそうだと(笑)。箱を見たら「日本理化学工業」と書いてあった。それで訪ねてこられたんです。

    しかし、その頃はまだ「知的障害者」ではなく「精神薄弱児」と呼んでいましたから、「精神のおかしな人なんて、とんでもない」と、私は大変ひどい言葉でお断りしました。けれども、その先生は二度、三度と訪ねて来られた。「就職は無理でも、せめて一生に一回、『働く』ということを経験させてから、施設に送ってやりたい」と。「一生に一回」なんて言われたら、少しお手伝いしなくてはいけないかなと、2週間の実習を受け入れたことがきっかけです。その時に来た2人のうちの1人は66歳になりますが、まだここで働いてくれているんですよ。

    ────50年以上もいらっしゃるのですね。

    そうです。実習にきた当時、彼女たちがとにかく一所懸命でしてね。昼のベルが鳴っても気がつかずに、「お弁当を食べるベルですよ」と声をかけるまで仕事をしているんです。その姿が、周りに何かを感じさせたんですね。まして15歳といえば、社員にとっては自分の娘のような年齢です。その子が親元を離れて施設に行くのは可哀想だという、同情心もあったのでしょう。「私たちが面倒をみますから、雇ってあげてください」とみんな言うものだから、「2人くらいなら、何とかなるかもしれないね」と。そこで翌年、1960年に2人を採用したことが始まりです。

    企業は、人間に「究極の幸せ」を与えることができる

    しかしその時は、まさか私が知的障害者の雇用に取り組むことになろうとは思いもしませんでしたが、その後、たまたま法事で訪れた禅寺でご住職とお話する機会がありましてね。どうして彼女たちはあんなに一所懸命に働くのかと、以前から疑問に思っていたことを、ふと質問してみたんです。すると、ご住職はこう言われました。「人間の究極の幸せは次の4つです。人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人から必要とされること。褒められたり、役に立ったり、必要とされることは、施設では得られない。人間を幸せにできるのは、企業なんですよ」と。

    企業が人を幸せにするなんて思ったこともありませんでしたから、この言葉には驚きました。それが人間の幸せなのであれば、一人でも多くの知的障害者が働ける場になるように頑張ろうと。それで、多数雇用を目指すようになったのです。

    もう一つ後押しになったのは、国の施策です。昭和35年に「身体障害者雇用促進法」が制定されましたが、企業での雇用が進まず、昭和48年に障害者を多数雇用するモデル工場をつくるための融資制度を国が立ちあげました(※1)。これに応募しないかと、労働省(当時)から連絡をいただいたんです。昔、石田博英労働大臣(※2)が当社を視察されたことがあって、その記録が残っていたんですね。「身体障害者雇用の申請はあるが、知的障害者を雇用する会社がない。日本理化学さんが応募してくれませんか」と。

    ※1 心身障害者多数雇用事業所に対する特別融資制度
    ※2 1957年から1977年にかけて、4回、計4年間労働大臣(現・厚生労働大臣)を歴任

    融資の条件は、従業員の50%以上が障害者であり、なおかつその過半数が重度の障害者であるというものです。借金してどう返済するのかと考えましたが、その前に禅寺のご住職のお話を聞いていたでしょう。一人でも多く雇用したいという思いでやっていたときでしたから、「よし」と。手をあげてつくったのが今の工場です。

    人を仕事にあわせるのではなく、仕事を人にあわせる

    ────障害を持つ方を多く雇用をすることに、不安や迷いはお感じになりませんでしたか。

    知的障害者のことを、「精神のおかしな人」と思っていたくらいの我々ですからね。スタートのころは、障害者福祉の専門家の力を借りた方がいいだろうと、そういった経験のある方に来ていただいたんです。ところが、採用した子たちも進歩しませんでしたし、専門家は「このIQでは、この作業は難しい」と言うんですね。

    ────数字で判断されるのですね。

    しかし、雇用してしまったわけですから、これはもう自分たちで何とかしようと。彼らが一人で物事を判断して行動するのはどういうときなのかを考えて、ヒントになったのが交通信号です。彼らは文字が読めなくても、ちゃんと横断歩道を渡って会社までやってきます。そうか、この子たちは色の識別はできるんだ、と。それを、材料の計量に応用したのです。

    彼らは、材料が入っている紙袋に印刷してある文字も、「キログラム」といった単位も理解できません。そこで、材料を大きな缶に入れてフタに色を塗り、「赤いフタの缶の材料を量るときは赤いおもり、青いフタの缶には青いおもりを使うんだよ」と。そして「5つ数えてもはかりの針がまん中で止まったままなら、はかりから下ろしていいよ」と。こう工夫したわけです。

    この作業を、集中力がなくて周りが手を焼いていたある知的障害者の従業員に任せたところ、一所懸命にずっとやっているんですね。誤差が少しでもあれば品質に影響しますから、職員がこまめに見に行っては、「上手にできているね」「ちゃんと5つ数えているね」と、褒めていたようです。それもあってか、あっという間に量ってしまい、「もっとやっていいですか」と言うんです。

    理解力に合ったやり方を考えて、ご住職が言われたように褒めてあげれば、こんなにも一所懸命になるのかと。そのことに気づいてからは、材料を練る時間を計るのに砂時計を使うなど、工程をさまざまに工夫するようになりました。そうすれば集中して一所懸命にやるようになりますから、生産性は健常者とそう大きく変わらないんです。

    (写真左)材料が入っている缶のフタとおもりを同じ色に塗り、文字や数字が理解できなくても計量できるように工夫。
    (写真中)材料の撹拌や加熱の時間は、砂時計で計測。時計が読めなくても、作業時間を正確にコントロールできる。
    (写真右)箱詰作業では、数をかぞえる負担を減らすため、所定の本数が載るトレーを開発。

    その次には、作業を余分に覚えた知的障害者の社員を「班長」にしました。彼らは、仲間にはとても親切です。その長所をうまく引き出して、新しく入ってきた社員に仕事を教えることを任せたんです。そうすれば、健常者の指導員を置く必要がありませんから、余分な人件費もかからない。仕事の生産性も、健常者に劣りません。ですから、日本理化学はここまでやってこられたのだろうと思います。

    ────そういった工程の工夫をされるようになったのは、最初に2人の方を雇用されてから、どれくらい経たれたころのことですか。

    4、5年目くらいですね。人数が増えますと、一所懸命やってくれる人もいますが、集中力がなくて困る人もいる。それで何とかしなくてはいけなくなって、工夫が生まれたのです。学校で計量を教えるなら、はかりの原理を理解させて、目盛りを読むための文字や数字も覚えさせますね。しかし、会社では文字が読めても読めなくても、結果がちゃんと出ればいい。そう発想を変えて、本人の理解力に工程を合わせれば、そんなに大変なことではないんですよ。

    天の神様は、誰にでも「世の役に立つ才能」を与えてくれている

    ────社員が「仕事ができない」「成長しない」というのは、仕事の与え方に問題があるということですね。このお話は知的障害者の方々だけでなく、私たちすべてに当てはまるように思います。

    ある大手企業で講演させていただいたときも、同じことを言っておられましたね。このことを私に気づかせてくれたのは、実は小学5年生のお子さんなんです。学校の宿題でチョークの作り方をレポートするために、お母さんと2人で見学に来られましてね。有名な私立小学校の生徒さんでしたから、見学の後にこう話したんです。「君みたいな優秀な学校を卒業した子は一人もいなくて、みんな文字や数がわからない人たちなんだよ」と。そのときは驚いた様子でただ聞いていましたが、後日彼から届いた礼状に、こんな言葉が書かれていました。「天の神様は、どんな人にでも世の中の役に立つ才能を与えてくださっているんですね」と。

    ただ、この子たちも才能が最初からあったわけではありません。彼らが役に立てるような段取りを周りの人がしてあげて、本人も役に立てることが幸せだから一所懸命にやる。それが積もり積もって、才能になるんです。ですから、周囲の役割もとても大切です。小学5年生のお子さんがくれたこの2つの気づきが、日本理化学が今ある原点なのです。

    「人のために一所懸命にやっていると、多くの人が応援してくれる」。大山会長はこれまでの道のりをこう振り、「利他の経営」が企業存続の秘けつであると語ります。この言葉にはどのような思いが込められているのか、後編では社会や企業のあり方について伺います。


  • *続きは後編でどうぞ。
      「人を仕事に」ではなく、「仕事を人に」あわせて生産性を高める逆転の発想(後編)


     
  • 聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

    OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

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