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目先の利に走らない"非合理な発想"が顧客を創造する(後編)
こだわり抜いた上質なシャツを1枚4900円で提供するという独自のビジネスモデルで、不況をものともせず業績を伸ばしてきたメーカーズシャツ鎌倉。創業者である貞末良雄会長は経営の真髄は「顧客の創造」にあると話す。それを体現しているエピソードがある。リーマン・ブラザーズ倒産直後、全社に向けて「3000万円損する計画書を作ってくれ」と号令をかけたのだ。今こそ「顧客との関係を深めるチャンス」と見極めたのである。結果的には利益が出たのに加え、同社製品の品質に満足するファンが増えた。目先の利益に走った安売りとは訳が違う。「右にならえ」の考えでは決してこのような発想は出てこないだろう。これからの経営リーダーには、深く、大局的な見地で経営、事業、顧客などを捉え、他に流されない独自の道理を持つことが必要となるのではないだろうか。(聞き手:OBT協会代表 及川昭)
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メーカーズシャツ鎌倉株式会社 ( http://www.shirt.co.jp/)
1993年創業。コンセプトは、"上質なシャツを、誰もが手が届く価格で販売する"こと。最上質の80番手双糸以上の生地に、メイド・イン・ジャパンにこだわった手の込んだ縫製を施し、天然貝のボタンを使用するなど、商品のクオリティを追求。製造から販売までを一貫して手がけるSPA型(製造型小売)のビジネスモデルで、1枚4900円という低価格を実現した。第一号店は、コンビニエンスストアの2階にある15坪の店舗。商品が評判となってクチコミが広がり、95年に横浜ランドマークタワーに出店、96年に50坪の鎌倉本店をオープン。2010年には対前年160%の売り上げを記録するなど、快進撃を続けている。
企業データ/資本金:5000万円、従業員数/70名(2010年5月現在)、売上高/20億円(2010年5月決算)YOSHIO SADASUE
1940年生まれ。工業大学卒業後、電気メーカーに就職。26歳でVANヂャケットに入社。VAN創業者・石津謙介氏に師事するも、1978年に同社が倒産。その後、アパレル4社を経て1993年に創業。
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聞き手:OBT協会 及川 昭
企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。
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リーマンショック対策の切り札は、「損をする計画」
────リーマンショック以降、多くの企業が打撃を受けましたが、ご業績への影響はいかがでしたか。
リーマンショックの後に、当社は売上が伸びました。それは、なぜか。私は全社に「損をしなさい」という指示を出したのです。リーマン・ブラザーズの倒産は2008年9月のことでしたが、その翌年の1月から決算月の5月までに「3000万円損する計画書を作ってくれ」と。こう号令をかけたんです。
売り上げをあげようなんて一切思うな、今がお客さまとの関係を深めるチャンスだと。みんなが慌ててバーゲンをする前に、私たちは3000万円を使って顧客を囲い込もうと。そうすると、社員が嬉々として方策を考え、損をする計画を出してくれました。みんなやる気満々でしたね。
────どのような対策を打たれたのでしょう。
例えば、オーダーシャツを、値段を下げてご提案しました。すると、いつもの10倍のお客さまが詰めかけてこられました。それによって工場が稼動し、元気づきます。お客さまも、オーダー品の隣に既製品が4900円であるのを見て、「何だ、いいシャツがあるな」と。既製品にも関心を持っていただけるわけです。これが一番大きな策でしたが、そのほかも正月の福袋には新品を入れて、通常は1枚4900円のところを3枚6000円。これを3000個作って売り出したんです。
※2009年1月、2月の2カ月間、国産生地は2枚で15750円(通常1枚10290円)、輸入生地は2枚で18900円(通常1枚12600円)のフェアを実施。
社内には、そんなことをしたらお客さまがしばらく買わなくなるという人もいましたが、私は逆だと。量への欲望はある限界で満たされても、質への欲望は止まることを知らない。従って、この方策は呼び水になると。どちらが勝つか社員と勝負して、見事、私が勝ちました(笑)。
────キャンペーンは「需要の先食い」だとよく言われますが、そういった安易な特売とは一線を画す戦略ですね。
私どもの経営は、常に「顧客の創造」がテーマです。その発想がなければ、ただの先食いになりますね。結果的には3000万円損をしましたが、売り上げが1億円増えて、利益は4000万円のプラスでしたので、差し引き1000万円の増益でした。
みんな、売上高も利益も右肩上がりでしか考えませんが、私はオーナー経営者ですから、下がってもいいんじゃないのと。消費が冷えているときに無理に伸ばそうとしたら、どこかがおかしくなります。「売り上げも利益も上げろ」なんてことは、「ロケットなしで月に行け」と言うのと同じ。トップは、不可能なことを言ってはいけないんです。言えるのは、可能なことだけです。
そして、みんな途方に暮れていたのが、「損する計画」と聞いて喜んで動き始める。活動が始まって、回転し始めるんです。それが企業のダイナミズムだと言えるのではないでしょうか。
組織はできるものであって、作るものではない
────企業のダイナミズムについてのお話が出たところで、組織や人についてもお伺いします。御社の社風を、貞末会長はどうご覧になられますか。
当社は組織がなく、上司・部下という堅苦しいヒエラルキーを排除していますので、自由闊達な雰囲気ですね。業務の都合上、店には店長を置き、本社にも責任者の立場にある人は若干名いますが、部課長といった役職は一切設けていません。各自が何をすべきかは、顧客の満足につながるか、つながらないかで判断する。これが、われわれの考え方です。自部門の仕事をすればそれでいいという会社ではないんです。
そのために経営者がすべきことは、自分の気配を消すことです。経営者がいると意識させたときに、会社の機能は止まってしまうのです。ですから、私は自分のお茶は自分で淹れますし、コピーも自分で取ります。机はみんなと一緒。会長室や社長室はありません。
────それは過去に経験された会社で得たご教訓でしょうか。
私は5つの会社に勤めてみんな倒産しましたが、すべてヒエラルキーの塊でしたね。会社というのは、異なる経験をしてきた人が集まる場です。それぞれの知見がぶつかったら、個人のノウハウが集積され、ひと一人の何十倍もの経験が一挙に会社の財産になる。そのために、自由に議論できる社風を作ることが会社を立ち上げたときからの願望です。ですから、議論をすることと考えることは、当社の社是のようなものになっています。
────そのためには組織はないほうがいいと。
組織はできるものであって、作るものではありません。サルの集団がまさにそうで、組織図はなくても組織的に動いていますね。同様に、自然発生的に組織が生まれる方が正しいということです。絵を描くには、得意な人に任せるのが一番。そこに絵が描けない人を配属したら会社はどうなりますか。組織には、そんなことがよく起きますね。そうではなく、自然に自分の得意なところに集まるような流れを作りたいんです。そのために、あえて組織の垣根は大きく作らないということです。
また、組織を作ると、組織と組織の接合点で空白が生まれます。そういった組織の重なりや隙間というものについても、企業はもっと神経を使わなければいけないと思いますね。
────自明の理はときに稚拙なものですが、今おっしゃられた例もまさにそうで、「組織は必要である」という前提を疑ってかからなくてはいけませんね。
大企業の組織図を真似して「○○部」などと、部に一人ずつしかいないのに部署をいくつも作ったりね。それで対外的な面子が保てると思うのかもしれませんが、肩書きの効果なんて3日も持ちませんよ。得意先に「部長」を名乗っても、相応の仕事ができていなければ相手はそうとは認めてくれません。ですから当社は、一切の役職を設けていないんです。
────ご創業からここに至るまでに、いくつかの山谷はございましたか。
それはありました。会社がある程度大きくなって、社員が50名ほどになると、さまざまな方から助言をいただく機会が増えましてね。組織はこうあるべきだ、会社はこういうスタイルでやるべきだと。それが、実は危機でしたね。
────わかりますね。
そういったアドバイスで経営の判断がぶれかけてしまった。それに早く気づかなければ、会社が破綻していたかもしれないという、そんな局面がいくつかありました。これからもあるのではないでしょうか。企業経営というのはそんなもので、絶対ということはないんですね。
白でも黒でもない世界こそが経営
────同様のケースに、私も多く接してきました。特に、経営を数字だけで見るようになると、うまくいかなくなりますね。
残念ながら数字は白黒がはっきりしていますが、白でも黒でもない世界こそが経営です。白黒がつかないことを考えることが、ものを考えるということなんです。そのための五感や六感を仕事の中で否定してしまったら、人間がやる意味がありません。私は、そう考えて会社を運営しているつもりですし、社員にもそういう話をいつもしています。「お客さまに接するときには、五感でお客さまを感じてください」と。
────ご自身も、今でも販売や仕入れの現場を回っておられるのですか。
もちろんです。中小企業は、経営者が経営資源の最たるもの。トップにその自覚がなければ、経営は成り立ちません。現場も見ずに「よきに計らえ」というのは、なだらかな凪ならいいかもしれませんが、今は海が少々荒れていますね。その荒波に、自分が飛び込む気概で向かう。あまり自負心が強すぎてもいけませんが、そういう姿勢をトップたる者が失ったときに、その会社はどこに進むかわからなるのではないでしょうか。かように、一番苦労するのは経営者でなければなりません。それをまた、楽しいと思わなくてはいけない。これが人の上に立つ人の仕事です。
戦いとは、勝つための準備をして臨むもの
────「負け戦はしない」「リスクを取らなければ成長はない」という持論もお持ちです。
戦いとは、勝つための準備をして臨むものだということです。どんなに準備しても不確実な要素はありますから、最後はリスクに挑戦するわけですが、限りなくその要素を減らして挑むものなのです。外堀も内堀も埋めて、これなら間違いないと思えたときに、大々的に火蓋を切る。それが、負け戦をしないということです。
────「リスク」という観点でいえば、ご創業された1993年はまさにバブル崩壊直後でした。その時期にあえて起業されたのはなぜでしょう。
事業を興す以上は、必ず成功する興し方をするのが私の主義です。1993年の創業にリスクがあったかと言われたら、それほどのリスクではなかったと思いますね。今まで属してきた会社とは違う組織を作ることができるという自負心がありましたし、希望もありましたから。
────「これはいける」というシナリオがあったということですか。
「まず間違いない」という確信ですね。私の考え方のような経営をしている人は誰もいませんでしたし、私が欲しいと思う店を私が作ったのですから、これはもう間違いないなと。
────それまでのご経験があっての読みですね。
もちろんそうです。経験以外に未来を予測する方法はありませんから。
────「知識」と「知覚」はまったく別物ですが、経営においては「知覚」がとても大事になりますね。
私はいつも、自分で何でもやってきました。ですから、五感を使うことには慣れていますし、匂いを嗅ぎ分けて「これなら戦える」と察知する第六感も養われています。いつも切り結んで、満身創痍で失敗に失敗を重ね、いかなるときに失敗するかを身体で会得してきたわけです。これがもし、サラリーマン時代に第一線で身を削って仕事をしてこなければ、創業は不可能だったと思いますね。
「メイド・イン・ジャパン」で世界に挑む
────貞末会長にとって、メーカーズシャツ鎌倉は、どのような存在ですか。
私の子どもですね。私がアイデアを温めて、賛同してくれた家内がいて、手をかけているうちに、だんだん優秀な子どもに育ってきました。数十億円という金額で買収のお話をいただいたこともありましたが、子どもをお金で売ることはできません。もちろんお断りしました。かつては上場のお誘いもよくありましたが、今はもう当社は上場しないとわかっていただいていますから、そんな話も来なくなりましたね。
────今後の展開についてもお聞かせください。
年間50万着の売り上げを実現し、3年以内に100万着に届く見込みができてきました。次は海外です。「メイド・イン・ジャパン」というブランドで、工場のみなさんと一緒になって海外に打って出たいと考えています。今、日本の製造業がどんどん疲弊していますので、私としては、工場の方々に夢と希望を持ってもらいたいのです。
そのためには、製造業の経営を変えていかなくてはいけません。従来のように安い労働力を使って下請け業をやるような、非生産的な事業ではいけない。ガバナンスを変えて、近代的な経営に切り替える必要があるんです。例えば、人を大切にする労務管理を行う。若い人たちが「あそこなら働きたい」と思うような工場にする。そういったことが、これまで配慮されていませんでした。だから人が来てくれず、海外からの研修生が働き手の中心になりつつあります。
それを、もっと近代化しようじゃないかと。私どもも工場に資本を出してガバナンスを持ち、職場環境を整え、機械化を促進し、工場利益を出すために全力を挙げてサポートしようということです。資本注入することで銀行の与信枠も増えますし、「メーカーズシャツ鎌倉○○工場」という形で立ち上げれば、近隣の学校関係の方々からも「あの会社の工場なら」と、生徒さんを推薦していただける。そういう流れを九州地区、近畿地区、北陸地区と東北地区と、全国に作り上げていきたいと考えているのです。
────それによって、製造業の未来を担う若い方が育ちますね。
育って欲しいですし、育てなくてはいけないんです。今のままでは製造業の明日がないと、官民挙げて大合唱していますが、具体的な進展はあまり見られません。従って私が先鞭をつけて国内工場に資本参加し、製造業と小売業が一緒になったときにどのようなパワーを発揮するのかということを実証したい。世界中どこにもない新しい協業関係を結んで、海外に打って出たいと考えているのです。
────本日は貴重なお話をありがとうございました。