2011年3月アーカイブ ..

メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄さん

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    目先の利に走らない"非合理な発想"が顧客を創造する(後編)

     

    こだわり抜いた上質なシャツを1枚4900円で提供するという独自のビジネスモデルで、不況をものともせず業績を伸ばしてきたメーカーズシャツ鎌倉。創業者である貞末良雄会長は経営の真髄は「顧客の創造」にあると話す。それを体現しているエピソードがある。リーマン・ブラザーズ倒産直後、全社に向けて「3000万円損する計画書を作ってくれ」と号令をかけたのだ。今こそ「顧客との関係を深めるチャンス」と見極めたのである。結果的には利益が出たのに加え、同社製品の品質に満足するファンが増えた。目先の利益に走った安売りとは訳が違う。「右にならえ」の考えでは決してこのような発想は出てこないだろう。これからの経営リーダーには、深く、大局的な見地で経営、事業、顧客などを捉え、他に流されない独自の道理を持つことが必要となるのではないだろうか。(聞き手:OBT協会代表 及川昭)

  • メーカーズシャツ鎌倉株式会社 http://www.shirt.co.jp/
    1993年創業。コンセプトは、"上質なシャツを、誰もが手が届く価格で販売する"こと。最上質の80番手双糸以上の生地に、メイド・イン・ジャパンにこだわった手の込んだ縫製を施し、天然貝のボタンを使用するなど、商品のクオリティを追求。製造から販売までを一貫して手がけるSPA型(製造型小売)のビジネスモデルで、1枚4900円という低価格を実現した。第一号店は、コンビニエンスストアの2階にある15坪の店舗。商品が評判となってクチコミが広がり、95年に横浜ランドマークタワーに出店、96年に50坪の鎌倉本店をオープン。2010年には対前年160%の売り上げを記録するなど、快進撃を続けている。
    企業データ/資本金:5000万円、従業員数/70名(2010年5月現在)、売上高/20億円(2010年5月決算)

    YOSHIO SADASUE

    1940年生まれ。工業大学卒業後、電気メーカーに就職。26歳でVANヂャケットに入社。VAN創業者・石津謙介氏に師事するも、1978年に同社が倒産。その後、アパレル4社を経て1993年に創業。

  • 聞き手:OBT協会  及川 昭

    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • リーマンショック対策の切り札は、「損をする計画」

    ────リーマンショック以降、多くの企業が打撃を受けましたが、ご業績への影響はいかがでしたか。

    リーマンショックの後に、当社は売上が伸びました。それは、なぜか。私は全社に「損をしなさい」という指示を出したのです。リーマン・ブラザーズの倒産は2008年9月のことでしたが、その翌年の1月から決算月の5月までに「3000万円損する計画書を作ってくれ」と。こう号令をかけたんです。

    売り上げをあげようなんて一切思うな、今がお客さまとの関係を深めるチャンスだと。みんなが慌ててバーゲンをする前に、私たちは3000万円を使って顧客を囲い込もうと。そうすると、社員が嬉々として方策を考え、損をする計画を出してくれました。みんなやる気満々でしたね。

    ────どのような対策を打たれたのでしょう。

    例えば、オーダーシャツを、値段を下げてご提案しました。すると、いつもの10倍のお客さまが詰めかけてこられました。それによって工場が稼動し、元気づきます。お客さまも、オーダー品の隣に既製品が4900円であるのを見て、「何だ、いいシャツがあるな」と。既製品にも関心を持っていただけるわけです。これが一番大きな策でしたが、そのほかも正月の福袋には新品を入れて、通常は1枚4900円のところを3枚6000円。これを3000個作って売り出したんです。

    ※2009年1月、2月の2カ月間、国産生地は2枚で15750円(通常1枚10290円)、輸入生地は2枚で18900円(通常1枚12600円)のフェアを実施。

    社内には、そんなことをしたらお客さまがしばらく買わなくなるという人もいましたが、私は逆だと。量への欲望はある限界で満たされても、質への欲望は止まることを知らない。従って、この方策は呼び水になると。どちらが勝つか社員と勝負して、見事、私が勝ちました(笑)。

    ────キャンペーンは「需要の先食い」だとよく言われますが、そういった安易な特売とは一線を画す戦略ですね。

    私どもの経営は、常に「顧客の創造」がテーマです。その発想がなければ、ただの先食いになりますね。結果的には3000万円損をしましたが、売り上げが1億円増えて、利益は4000万円のプラスでしたので、差し引き1000万円の増益でした。

    みんな、売上高も利益も右肩上がりでしか考えませんが、私はオーナー経営者ですから、下がってもいいんじゃないのと。消費が冷えているときに無理に伸ばそうとしたら、どこかがおかしくなります。「売り上げも利益も上げろ」なんてことは、「ロケットなしで月に行け」と言うのと同じ。トップは、不可能なことを言ってはいけないんです。言えるのは、可能なことだけです。

    そして、みんな途方に暮れていたのが、「損する計画」と聞いて喜んで動き始める。活動が始まって、回転し始めるんです。それが企業のダイナミズムだと言えるのではないでしょうか。

    組織はできるものであって、作るものではない

    ────企業のダイナミズムについてのお話が出たところで、組織や人についてもお伺いします。御社の社風を、貞末会長はどうご覧になられますか。

    当社は組織がなく、上司・部下という堅苦しいヒエラルキーを排除していますので、自由闊達な雰囲気ですね。業務の都合上、店には店長を置き、本社にも責任者の立場にある人は若干名いますが、部課長といった役職は一切設けていません。各自が何をすべきかは、顧客の満足につながるか、つながらないかで判断する。これが、われわれの考え方です。自部門の仕事をすればそれでいいという会社ではないんです。

    そのために経営者がすべきことは、自分の気配を消すことです。経営者がいると意識させたときに、会社の機能は止まってしまうのです。ですから、私は自分のお茶は自分で淹れますし、コピーも自分で取ります。机はみんなと一緒。会長室や社長室はありません。

    ────それは過去に経験された会社で得たご教訓でしょうか。

    私は5つの会社に勤めてみんな倒産しましたが、すべてヒエラルキーの塊でしたね。会社というのは、異なる経験をしてきた人が集まる場です。それぞれの知見がぶつかったら、個人のノウハウが集積され、ひと一人の何十倍もの経験が一挙に会社の財産になる。そのために、自由に議論できる社風を作ることが会社を立ち上げたときからの願望です。ですから、議論をすることと考えることは、当社の社是のようなものになっています。

    ────そのためには組織はないほうがいいと。

    組織はできるものであって、作るものではありません。サルの集団がまさにそうで、組織図はなくても組織的に動いていますね。同様に、自然発生的に組織が生まれる方が正しいということです。絵を描くには、得意な人に任せるのが一番。そこに絵が描けない人を配属したら会社はどうなりますか。組織には、そんなことがよく起きますね。そうではなく、自然に自分の得意なところに集まるような流れを作りたいんです。そのために、あえて組織の垣根は大きく作らないということです。

    また、組織を作ると、組織と組織の接合点で空白が生まれます。そういった組織の重なりや隙間というものについても、企業はもっと神経を使わなければいけないと思いますね。

    ────自明の理はときに稚拙なものですが、今おっしゃられた例もまさにそうで、「組織は必要である」という前提を疑ってかからなくてはいけませんね。

    大企業の組織図を真似して「○○部」などと、部に一人ずつしかいないのに部署をいくつも作ったりね。それで対外的な面子が保てると思うのかもしれませんが、肩書きの効果なんて3日も持ちませんよ。得意先に「部長」を名乗っても、相応の仕事ができていなければ相手はそうとは認めてくれません。ですから当社は、一切の役職を設けていないんです。

    ────ご創業からここに至るまでに、いくつかの山谷はございましたか。

    それはありました。会社がある程度大きくなって、社員が50名ほどになると、さまざまな方から助言をいただく機会が増えましてね。組織はこうあるべきだ、会社はこういうスタイルでやるべきだと。それが、実は危機でしたね。

    ────わかりますね。

    そういったアドバイスで経営の判断がぶれかけてしまった。それに早く気づかなければ、会社が破綻していたかもしれないという、そんな局面がいくつかありました。これからもあるのではないでしょうか。企業経営というのはそんなもので、絶対ということはないんですね。

    白でも黒でもない世界こそが経営

    ────同様のケースに、私も多く接してきました。特に、経営を数字だけで見るようになると、うまくいかなくなりますね。

    残念ながら数字は白黒がはっきりしていますが、白でも黒でもない世界こそが経営です。白黒がつかないことを考えることが、ものを考えるということなんです。そのための五感や六感を仕事の中で否定してしまったら、人間がやる意味がありません。私は、そう考えて会社を運営しているつもりですし、社員にもそういう話をいつもしています。「お客さまに接するときには、五感でお客さまを感じてください」と。

    ────ご自身も、今でも販売や仕入れの現場を回っておられるのですか。

    もちろんです。中小企業は、経営者が経営資源の最たるもの。トップにその自覚がなければ、経営は成り立ちません。現場も見ずに「よきに計らえ」というのは、なだらかな凪ならいいかもしれませんが、今は海が少々荒れていますね。その荒波に、自分が飛び込む気概で向かう。あまり自負心が強すぎてもいけませんが、そういう姿勢をトップたる者が失ったときに、その会社はどこに進むかわからなるのではないでしょうか。かように、一番苦労するのは経営者でなければなりません。それをまた、楽しいと思わなくてはいけない。これが人の上に立つ人の仕事です。

    戦いとは、勝つための準備をして臨むもの

    ────「負け戦はしない」「リスクを取らなければ成長はない」という持論もお持ちです。

    戦いとは、勝つための準備をして臨むものだということです。どんなに準備しても不確実な要素はありますから、最後はリスクに挑戦するわけですが、限りなくその要素を減らして挑むものなのです。外堀も内堀も埋めて、これなら間違いないと思えたときに、大々的に火蓋を切る。それが、負け戦をしないということです。

    ────「リスク」という観点でいえば、ご創業された1993年はまさにバブル崩壊直後でした。その時期にあえて起業されたのはなぜでしょう。

    事業を興す以上は、必ず成功する興し方をするのが私の主義です。1993年の創業にリスクがあったかと言われたら、それほどのリスクではなかったと思いますね。今まで属してきた会社とは違う組織を作ることができるという自負心がありましたし、希望もありましたから。

    ────「これはいける」というシナリオがあったということですか。

    「まず間違いない」という確信ですね。私の考え方のような経営をしている人は誰もいませんでしたし、私が欲しいと思う店を私が作ったのですから、これはもう間違いないなと。

    ────それまでのご経験があっての読みですね。

    もちろんそうです。経験以外に未来を予測する方法はありませんから。

    ────「知識」と「知覚」はまったく別物ですが、経営においては「知覚」がとても大事になりますね。

    私はいつも、自分で何でもやってきました。ですから、五感を使うことには慣れていますし、匂いを嗅ぎ分けて「これなら戦える」と察知する第六感も養われています。いつも切り結んで、満身創痍で失敗に失敗を重ね、いかなるときに失敗するかを身体で会得してきたわけです。これがもし、サラリーマン時代に第一線で身を削って仕事をしてこなければ、創業は不可能だったと思いますね。

    「メイド・イン・ジャパン」で世界に挑む

    ────貞末会長にとって、メーカーズシャツ鎌倉は、どのような存在ですか。

    私の子どもですね。私がアイデアを温めて、賛同してくれた家内がいて、手をかけているうちに、だんだん優秀な子どもに育ってきました。数十億円という金額で買収のお話をいただいたこともありましたが、子どもをお金で売ることはできません。もちろんお断りしました。かつては上場のお誘いもよくありましたが、今はもう当社は上場しないとわかっていただいていますから、そんな話も来なくなりましたね。

    ────今後の展開についてもお聞かせください。

    年間50万着の売り上げを実現し、3年以内に100万着に届く見込みができてきました。次は海外です。「メイド・イン・ジャパン」というブランドで、工場のみなさんと一緒になって海外に打って出たいと考えています。今、日本の製造業がどんどん疲弊していますので、私としては、工場の方々に夢と希望を持ってもらいたいのです。

    そのためには、製造業の経営を変えていかなくてはいけません。従来のように安い労働力を使って下請け業をやるような、非生産的な事業ではいけない。ガバナンスを変えて、近代的な経営に切り替える必要があるんです。例えば、人を大切にする労務管理を行う。若い人たちが「あそこなら働きたい」と思うような工場にする。そういったことが、これまで配慮されていませんでした。だから人が来てくれず、海外からの研修生が働き手の中心になりつつあります。

    それを、もっと近代化しようじゃないかと。私どもも工場に資本を出してガバナンスを持ち、職場環境を整え、機械化を促進し、工場利益を出すために全力を挙げてサポートしようということです。資本注入することで銀行の与信枠も増えますし、「メーカーズシャツ鎌倉○○工場」という形で立ち上げれば、近隣の学校関係の方々からも「あの会社の工場なら」と、生徒さんを推薦していただける。そういう流れを九州地区、近畿地区、北陸地区と東北地区と、全国に作り上げていきたいと考えているのです。

    ────それによって、製造業の未来を担う若い方が育ちますね。

    育って欲しいですし、育てなくてはいけないんです。今のままでは製造業の明日がないと、官民挙げて大合唱していますが、具体的な進展はあまり見られません。従って私が先鞭をつけて国内工場に資本参加し、製造業と小売業が一緒になったときにどのようなパワーを発揮するのかということを実証したい。世界中どこにもない新しい協業関係を結んで、海外に打って出たいと考えているのです。

    ────本日は貴重なお話をありがとうございました。

メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄さん

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    目先の利に走らない"非合理な発想"が顧客を創造する(前編)

     

    こだわり抜いた上質なシャツを1枚4900円で提供するという独自のビジネスモデルで、不況をものともせず業績を伸ばしてきたメーカーズシャツ鎌倉。創業者である貞末良雄会長は経営の真髄は「顧客の創造」にあると話す。それを体現しているエピソードがある。リーマン・ブラザーズ倒産直後、全社に向けて「3000万円損する計画書を作ってくれ」と号令をかけたのだ。今こそ「顧客との関係を深めるチャンス」と見極めたのである。結果的には利益が出たのに加え、同社製品の品質に満足するファンが増えた。目先の利益に走った安売りとは訳が違う。「右にならえ」の考えでは決してこのような発想は出てこないだろう。これからの経営リーダーには、深く、大局的な見地で経営、事業、顧客などを捉え、他に流されない独自の道理を持つことが必要となるのではないだろうか。(聞き手:OBT協会代表 及川昭)

  • メーカーズシャツ鎌倉株式会社 http://www.shirt.co.jp/
    1993年創業。コンセプトは、"上質なシャツを、誰もが手が届く価格で販売する"こと。最上質の80番手双糸以上の生地に、メイド・イン・ジャパンにこだわった手の込んだ縫製を施し、天然貝のボタンを使用するなど、商品のクオリティを追求。製造から販売までを一貫して手がけるSPA型(製造型小売)のビジネスモデルで、1枚4900円という低価格を実現した。第一号店は、コンビニエンスストアの2階にある15坪の店舗。商品が評判となってクチコミが広がり、95年に横浜ランドマークタワーに出店、96年に50坪の鎌倉本店をオープン。2010年には対前年160%の売り上げを記録するなど、快進撃を続けている。
    企業データ/資本金:5000万円、従業員数/70名(2010年5月現在)、売上高/20億円(2010年5月決算)

    YOSHIO SADASUE

    1940年生まれ。工業大学卒業後、電気メーカーに就職。26歳でVANヂャケットに入社。VAN創業者・石津謙介氏に師事するも、1978年に同社が倒産。その後、アパレル4社を経て1993年に創業。

  • 聞き手:OBT協会  及川 昭

    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • 急激な拡大路線が、経営破綻を招く

    ────貞末会長は、かつてVANヂャケットにご勤務されていたと伺っています。私はいわゆるVAN世代なものですから、当時を懐かしく思いながらご経歴を拝見しました。

    私が入社した1960年代当時は、VANはアパレル業界のナンバー1でした。けれども1978年、私が37歳のときに倒産してしまいましてね。業績が悪化してからは、あっという間でした。私はその生き証人ですが、今、倒産する会社を見ていても問題点はまったく同じですね。

    それは何かといえば、マーケットが無限大にあると思ってしまうことです。実際にはマーケットは有限ですが、そのことを予測していないから、反動があっても受け止められないんですね。それでもなお突き進む。組織が拡大し、経費が膨張していると、退却という選択がないんです。

    ────成長し続けなくてはいけないという経営の呪縛に陥りますね。

    ですから、怖いのは上場ですね。投資家から資金を募る以上は、売上高も利益も伸ばし続けなくてはいけない。しかし、そんなことは不可能です。もちろん、立派にやっておられる上場企業も多くありますから、一概に私の考えが正しいとはいえませんが、起業家の志と投資家の志とは、やはり相容れないように思います。

    起業家としての思い入れが、お客さまの心に響く。私たちは、このスタイルで今日までやってきました。例えば、当社のシャツにはすべて天然の貝ボタンを使用していますが、「留めるだけなら、プラスチックでいいじゃないか」と言われると、反論のしようがないんです。貝ボタンをやめれば、年間で8000万円以上も利益がアップしますからね。

    ────その違いは大きいですね。

    そうです。しかし、だからこそお客さまが支持してくださるわけです。縫製も同様に、破れなければいいわけではなく、手のかかる巻き伏せ本縫いにこだわります(※)。ただ、これは価値観の問題ですから、好き嫌いと同じ。シャツとしての機能のみに価値を見いだす方には、私どものシャツは意味がないんです。

    ※シャツの裏側に縫い代が出ない、美しさと強度を併せ持つ本格縫製

    ですから誰にでも売るということではなく、自分たちが思い描いた人に提供する。私どもは、「顧客」をこう捉えています。では、そのお客さまに買っていただくにはどうすればいいか。これが戦略の第一です。つまり、誰に売りたいのかを答えられないようなものを作ってはいけないということなのです。

    マーケットは「あるもの」ではなく、「つくるもの」

    ────具体的には、どのような顧客像を描かれたのですか。

    私がVANヂャケットにいた時代に、ボタンダウンシャツというものを作りましてね。それまでにないシャツでしたから、年間60万着売れました。しかしその後、あのカーブの美しいボタンダウンをどの会社も作っておられなかった。あるとすればラルフローレンかブルックスブラザーズか、インポートブランドで高くて手が出ない。日本製で、昔のVANの面影をしのばせるシャツを作って世に出せば、恐らくそれを待ちわびている人はたくさんいるはずで、最低60万着は売れるなと。勝手な思い込みです。でも、その確信がなければ、踏み出せなかったかもしれませんね。

    ────なぜシャツだったのでしょう。ほかの商品はお考えになりましたか。

    シャツは、一年中売れる商品です。年齢を問わず、流行も非常に少ない。そして必需品である。つまり、最も安全性が高い商品なんです。ただし、作るのが非常に難しい。いいシャツには、限りがないくらいいいものがあります。

    ────想定された顧客層は、シャツに何を求めるのでしょうか。

    シャツを着ることに誇りやステータスを感じ、人前で胸を張るための勇気を一枚のシャツから得る。シャツとはそういうものです。しかし、インポートブランドは高くて1年に1着買えたらいいところ。それを1年に4着も5着も買える価格で提供すれば、みなさんが複数枚買ってくださって評判が広がり、新たな顧客が創造されていく。こう考えたのです。マーケットが縮小し、競争が激化する中で売り上げを伸ばすには、顧客を創造する以外にありません。昨年、私どもが苦しい中でも対前年160%の売り上げをあげたのも、私どもの商品によって触発されたお客さまが増えたということなのだろうと思います。

    模倣できないビジネスを立ち上げることが、創業の鉄則

    ────ご創業は、コンビニエンスストアの2階のわずか15坪の店舗からのスタートでした。ターゲット層に対する認知を、どのようにして高めていかれたのでしょうか。

    一緒に始めた家内(代表取締役社長 貞末民子氏)には、「半年後には行列ができるよ」と、言い続けました。お客さまが1人来たら、「こんなにいいものがこの値段で」と感動していただけるはず。その方は必ず誰かに話すから、1人のお客さまが2人になり、2人が4人になる。「だから行列ができるよ」と。家内は笑っていましたが、実は本当に半年後にお客さまが並んだんです。当社は広告宣伝費を一切使いませんから、すべてクチコミです。

    ────オープン当初から順調だったのですか。

    それは、最初の1カ月くらいは断末魔ですよ。毎日ゼロで、「あなたの理想と違うわね」と。けれど私には確信がありましたから、まったく心配していませんでした。

    ────それだけの商品を作っておられた、と。

    さまざまな商品を見てきて、「この商品がこの値段なら」というものを作りましたからね。独立する10年以上前から、知り合いの縫製工場の社長に「いずれ30万着を売るシャツ屋を作るから、そのときは協力を頼む。俺はやるよ」と、酒を飲むたびに話しましてね。そうして立ち上げた事業でしたから、確信はありました。しかし、先ごろ30万着を達成したときに、その社長がこう言っていましたね。「大ボラを吹くのもほどほどにしてほしいと思っていた」と(笑)。

    ────ご創業から20年近くが経たちましたが、御社に続くような企業は現れませんね。

    模倣できないビジネスを立ち上げることが、創業の鉄則です。当初、私どもには資本がなく、人材もいませんでした。金にあかせた追随者が簡単に真似できるやり方であれば、今の当社はなかったでしょう。しかし現実には今日に至っても、似たスタイルのものはあっても当社のような会社はゼロです。何が違うかといえば、われわれは利益を計算せずに始めたんです。

    ────事業計画は作られたのですか。

    いいえ。唯一、年間10万着を売るようになったら給料がもらえるかな、と。それだけが、当時考えた計画でした。事業計画の通りにうまく行くことなんてありませんし、いくら儲かる計画を立てても、買いに来る方がいなければ商店経営は成り立たない。逆にいえば、買いに来る方がいる限り可能性はあるわけです。

    では、どうすれば買いに来ていただけるか。それは、私が損をする以外にないんですね。店1軒では、コストダウン能力はありません。工場でも発注枚数が少ないものですから、サンプル製作かと思われたりしましてね。そんなスタートでしたから、原価の発想はありませんでした。「1枚4900円で売る」と、売値だけを決めて始めたのです。

    ────原価計算もされなかったのですか。

    しませんでした。ですから、原価の方が高いものもありましたね。でも、それは当たり前のことなんです。原価から算出した価格でものが売れるなら、誰でもできます。そうではなく、いくらならお客さまが買うかを考えて値段を決めるのが小売業です。原価は私の実力で左右するものであって、お客さまには何の関係もない。原価は数の力で低減しますから、「10万着売らない限り、給料がもらえない」という計画になるんです。

    ────現在の原価率は6割前後だそうですが、これはガイドラインを設けておられるのでしょうか。

    原価率は、今は6割を少し切りますね。年間の販売枚数が40万枚、50万枚という数になってきましたので。ただし、ガイドラインなんてものはありません。今でもとんでもない原価のものもたくさんありますよ。例えば、毛足の長いモンゴル産のカシミアを使ったマフラーを4900円でご提供していますが、とてもこんな値段ではできない商品です。

    しかし、お客さまにファンになっていただくには、こういった商品も必要なんです。私どもは多品種少量生産で、売り切ればそれでおしまい。瞬間風速でなくなるすごい商品が毎週入荷しますから、お客さまは「あの店にはいつもいいものがあって、早く行かなくてはなくなってしまう」、と。

    ────来店頻度が高まりますね。

    高まります。わかっている方は毎週来られますし、手にした商品を周囲に自慢していただけるのでクチコミが広がるんです。

    不況だからものが売れないわけではない

    ────深堀りすれば、マーケットにはまだまだ余地があるということですね。

    ビジネスのスタートは、人々の欲望と不満の解消です。物々交換の時代から、山の人は海のものを、海の人は山のものを欲しいと思い、物と物とを交換することからビジネスというものは始まりました。それは現在も一緒で、どんなに不況になっても人々の欲望が封殺されることはない。「買いたい」という欲望があります。

    その買いに来る店が、隣の店なのか自分の店なのかが問われていることを「不況」というんです。不況だから売れないという店は、お客さまに選択してもらえなかったということ。しかし残念ながら、トップ自らがそれを不況のせいにして、自社の問題点を棚卸していないケースが多いように思いますね。

    ────業績が悪化するには、そうなるだけの理由が必ず自社の中にありますね。

    そうです。もちろん、外的な要因も無関係ではありませんが、それをもってすべてとすると、どんな企業も成り立たなくなります。企業としてやっていく以上は、そういった外的要因によるダメージが、全体の20%なのか30%なのか、10%で終わるのかという、そこを読みきって経営しなくてはならないと思うのです。

    そのダメージの程度がわからない人が、慌てふためくんですね。要するに、不況は地殻変動なんです。地殻変動があっても地球は壊れませんし、人類も滅亡しません。何人かは犠牲者が出るかもしれないけれども、いずれ何事もなかったかのように街はもとに戻り、粛々と人間の生活は営まれます。われわれは、そのことを何度も見ているんです。例えば、あの第二次世界大戦の壊滅的な打撃からわれわれ日本人は復興してきたわけで、「リーマンくらい」となぜ思わなかったのか。物質的なことは何一つ変わらず、世の中のお金の流れの異常さが修正されようとしただけの話です。そう考えると、たいしたことではないと思えるんですよ。

    世界中が震撼したリーマン・ブラザーズの倒産直後、貞末会長は前代未聞の指令を全社に発します。それは「損をする計画を立てろ」というもの。それこそが、経済危機をチャンスン変える秘策だったという貞末会長の経営観、組織観を、後編でじっくりご紹介します。

*続きは後編でどうぞ。
  目先の利に走らない"非合理な発想"が顧客を創造する(後編)

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