2011年2月アーカイブ ..

株式会社ガリバーインターナショナル
代表取締役会長 羽鳥 兼市さん

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    従来の業界の旨みを捨て、顧客の支持を獲得
    高みを目指す「挑戦する経営」(後編)

     

    中古車業界に後発参入し、社員1名からスタート。設立からわずか4年で店頭公開、東証一部上場も8年10ヶ月という異例のスピードで実現したガリバーインターナショナル。その成功の背景には「買取専門」「オークションで販売」といった新たなビジネスモデルの存在もあるが、注目すべきは、買取価格を本部一括査定、最低の根拠をオープンとして標準化している点である。要は従来の業界も旨みを捨て、完全に顧客サイドに立脚しているのである。これが、結果的に顧客の支持を獲得し、一躍中古車買い取りの最大手へと成長した。大方の場合、売り手と顧客の利益は相反するケースが多い。ガリバーインターナショナルの事例は、不利益を利益に転換することこそが経営に求められる知恵だということを示唆している。(聞き手:OBT協会代表 及川昭)

  • 株式会社ガリバーインターナショナル http://www.glv.co.jp/)1994年設立。東京マイカー販売株式会社の車買取部門としてガリバー1号店安積店をオープン。不透明だった買い取り価格を標準化し、消費者が安心して取り引きできる業界に改革することを使命に、中古車業界で初めて「買い取り専門」という新しいビジネスモデルを立ち上げる。1996年に商号を株式会社ガリバーインターナショナルに変更。1998年に店頭公開、2000年に東証二部、2003年後に東証一部に上場。2004年に初の海外拠点としてGulliver USA, Inc.を設立。2009年には電気自動車の研究開発を手がける株式会社SIM-Driveの設立に参画。コンバージョンEV(改造電気自動車)の普及を支援し、中古車の新時代を切り開いている。
    企業データ/資本金:41億5700万円、従業員数/2253人(2010年2月28日現在)、売上高/1,448億5,300万円(2010年2月期連結)

    KENICHI HATORI

    1940年生まれ。高校卒業後、父が立ち上げた羽鳥自動車工業に入社。事業を大きく育てるも1975年に詐欺にあい倒産し、3億円の負債をかかえて中古車販売の東京マイカー販売を設立。1994年に買取専門のガリバーを立ち上げる。2008年、長男の羽鳥由宇介専務、次男の羽鳥貴夫専務の代表取締役社長への昇格に伴い、代表取締役会長に就任。

  • 聞き手:OBT協会  及川 昭

    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • 我欲を捨てれば、夢は必ず実現する

    ────御社では、返品サービスや最長10年のアフター保証といった前例のないサービスを手がけておられますが、これはどのような発想から生まれるのでしょうか。

    本部の社員はほとんどが異業界から来た人ですから(前編参照)、消費者側に立って物を考えることができるんですね。自分なら10年保証があれば安心して買えるなとか、すべて消費者の視点でつくっているんです。

    ────やってみたもののうまくいかなかった、というものもありますか。

    たくさんあります。挑戦するということは、いろんな失敗をすることとイコールですから。画像で車を販売するドルフィネットも12年前に始めて、もう本当に失敗して、失敗して。なかなか売れない時代がありました。でも、諦めたら失敗は失敗ですが、挑戦している間は、失敗は経験なんです。ですから失敗というよりも、そういった意味での経験はたくさんしていますね。

    ────異業界から来られた方のご提案の中には、これは今一つだなというものもあるかと思います。そういったときには、どう対応されるのですか。

    社員たちには、入社してくるときにこう言いますね。「どんどん提案しなさい。ただし、どんどん却下しますよ」と。提案が却下されるのは当たり前というような、タフな人間にならないとだめですね。信念があれば、何回でも提案してくるはずです。そうなればどちらが根負けするかであって、「そこまで言うならやってみるか」となるかもしれません。だから、どんどん提案しなさいと。でも、どんどん却下しますよと(笑)。

    ────どのくらいの思いがあるかが、最終な判断基準になるということですね。

    そういうことです。仕事でも何でも、「命を懸ける」なんていうレベルでは甘いんです。社員には、「命を捨てなさい」と。命を捨てるというのは、すべての我欲を捨てるということです。見栄とか、失敗したらどうしようとか。そんなことを考えていたら、成功しないでしょう。全部捨てて本気で取り組んだときは、失敗するかもしれない事業でも成功してしまいますよね。命を捨てれば、夢は必ず実現するんです。

  • 社員の不安や悩みを取り除いて、やる気にスイッチを入れる

    ────「我欲を捨てる」というレベルに至る以前に、そもそも社員のやる気にスイッチが入らないという悩みを持つ経営者の方も少なくありません。

    そこが一番の大変なところではないでしょうか。会社の経営というのはね。筑波大学名誉教授の村上和雄先生の研究によれば、人間の遺伝子にはオンとオフのスイッチがあって、オンになれば何倍もの能力を発揮できるのに、ほとんどの人はオフのまま一生を終えてしまうそうです。

    では、どうすればオンになるのか。それはやはり、命を捨てたときだと思いますね。火事場の馬鹿力というように、すべてを集中したときには、とんでもない力を発揮するんです。一生この仕事で生きていくのだという気持ちを持てば、絶対にみんなが成功していきますよ。

    ────社員の方々にそういった気持ちを持ってもらうために、羽鳥会長が大切にされているのはどのようなことでしょうか。

    コミュニケーションですね。どんなことで悩んでいるのかとか、社員とはよく話します。そうすると、つまらない問題で悩んでいることがあるんですね。でも問題というのは、自分に解決できるレベルのものしか起きません。それなのにそこから逃げたら、どんどん小さな人間になってしまうんです。

    問題を1つ解決すると、今度は必ずもっと大きな壁にぶつかりますが、それも逃げないでチャレンジする。それでも解決できない問題も当然ありますが、それは時間が解決してくれるんです。だから人生、悩む必要は何もないんですよ。

    先日もうちのある店舗に行ったら、一人の営業マンが暗い顔をしているんです。聞くと、「最近、商談がうまくいきません」と言う。「あなた年はいくつ?」「41です」、「お子さんは?」「高校生の息子が1人います」と。話を聞いてみると、どうやら奥さんとのことで悩みがあって、それを引きずって仕事に入っているんですね。

    ────会長になられた今も、そうして全国の店舗を回っておられるのですか。

    回りますね。その彼には、こう話しました。「40にもなってプライベートな悩みを引きずって仕事場に入るのは、本気で取り組んでないからだ」と。でも、「ガリバーが好きで、ガリバーの仕事に惚れています」と言うから、だったらもっと自信のある顔になりなさいと。

    そのためには、うちの会社は健康第一、仕事は第二。「あんたはちょっと暗いから、走りなさい」と(笑)。当社では、毎日1時間のランニングは業務と見なします。健康でなければ、マイナス思考になって、いい仕事はできませんからね。

    もう1つ違う例を言えば、昨年は新車にだけ国から購入支援の補助があって、中古車が売れないという人もいました。でも、そんなこと言ったってしょうがないじゃないですか、国が決めたことですから。これはもうプラス思考で捉えなくちゃならない。

    私は、うちの社員にはこう言うんです。新車は川上であって、我々の中古車のビジネスは川下。川上に雨が降らなければ、川下に水は流れて来ないんだよと。新車がどんどん売れれば、中古車がどんどん流れてくる。国の補助で新車を安く買われていますから、中古車になったときも安く流出できるわけです。そう考えれば、ありがたいことなんです。プラス思考で捉えたら、悩むことなんて何もないんですよ。

  • 高みを目指す組織は、ゆらがない

    ────今回は「強い企業をつくる」をテーマにお話を伺っています。企業の強さというものは、ビジネスモデルの戦略的な優位性だけでなく、企業内部の組織力や人財の能力も非常に大切です。そういった観点で、御社の強さの秘けつはどのようなところにあるとお考えですか。

    やはり、高い志を持つ社員たちで構成されて、全社一丸となっているということでしょうね。我々は今、中古車の流通において世界一を目指しています。世界一になれば流通量がそれだけ多いわけですから、適正な値段で提供できて、みなさんに喜んでもらえる企業になれる。そこをみんなが目指しているから、ゆらがないんですね。

    私はよくこう例えるのですが、我々は世界一のエベレストの頂上を目指しているんです。16年かけてやっと麓にベースキャンプができた。今は第2の創業として、頂上を目指して登り始めたところで、これからが本当に険しい大変な道になります。滑り落ちて大けがをするかもしれない。凍傷で指を失うかもしれない。これが、挑戦なんです。

    例えば、近所の裏山で転んで指を切断したとしたら、大変な騒ぎになりますね。「登らなければよかった」と。でもエベレストから帰ってきた人は、指を失ったとしても「登らなければよかった」とは言いません。「お陰様で成功しました、ありがとう」と、涙を流して感動するでしょう。同じ指を失っても、高い志でやった人とそうでない人とでは、痛さが違う。うちの社員たちが強いのは、そこです。世界一を目指しているから強いんです。

  • 非常識な発想がなければ、企業は飛躍しない

    ────第2の創業期というお話が出ましたが、羽鳥会長は2008年に社長から会長になられ、今、社長はお2人いらっしゃいますね。

    これがまたユニークな会社でしてね。社長2人体制、まして息子を2人とも社長にしたというのは、東証一部上場企業では歴史上一回もないようです。それだけ面白い会社なんですね。常識を越えた非常識な発想で常に経営をしていかなければ、会社を大きく発展させることはできないというのが私の信条です。経営体制でいえば、本当は社長は2人でも3人でもいいかもしれない。これにチャレンジしていないだけなんですね。

    といっても、「社長を自分たち2人にやらせて欲しい」と彼らから話があったときには、考えました。「何を言っているんだ」と。しかし、「非常識の発想でいえば社長は2人がベストだ」と言い切るんですね。1人では間違った判断をするかもしれない。2人ならとことん議論して闘って、ベストな判断ができると。

    2人が同じ力関係でないと闘えませんが、私は彼らが学生のときに同時に学生店長をやらせたんです。株も同じ株数を持たせています。長男と次男ではあるけれど、年の差は関係ない。入社も持ち株も一緒。ただ、違う考えを持っていないといい答えが出せませんが、幸いにも2人は性格が違う。これがベストだからやらせて欲しいと言うわけです。

    そうはいっても「企業を私物化している」と、これはマスコミに相当叩かれるよと言ったのですが、「一番大事なのは50年、100年と続く会社をつくることだ」と。そう言うものですから「一週間考えさせろ」と。真剣に考えました。でも、これからは非常識な発想が必要なのだから、トライさせる価値はあるなと。それも、失敗したら私が戻れる体力があるうちがいいと思い、叩かれるのを覚悟でやらせましてね。今のところは、大きな問題は起きていないですね。

    ────ご子息からそういうご提案が出るのは、うれしいことですね。

    そうですね。私が息子を社長にしたように思われていますがまったく逆で、私は80歳、90歳まで、現役を続けようと思っていたんですけれどもね。

    ────今はかなりお任せになられているのですか。

    ほぼ99%、任せていますね。どうかなと思うときはアドバイスしますが、若い人にはもう、発想が叶わないですね。

  • 70歳でユーラシア大陸走破に挑み、「挑戦」を自ら示す

    ────羽鳥会長にとって、ガリバーインターナショナルはどのような存在でしょうか。

    自分の命ですね。ガリバーは挑戦を常に大切する会社ですが、誰が見ても無理だろうということに挑むのが挑戦です。挑戦するからには、命を捨てて取り組まなくちゃならない。私は、2005年に北米大陸横断マラソンを完走し、今年はユーラシア大陸の走破に挑戦しますが、これも何のためにやるかといえば、挑戦を自らやって見せようということなんです。

    今年の7月にフランスからスタートして東京まで15000㎞。1年をかけて、毎日50㎞を休まず走ります。これまでに成功したのは2人、フランスのセルジュ・ジラールという方が51歳で走破して、あとは今年の1月に間寛平さんが地球を一周する「アースマラソン」を見事に完走されましたね。ユーラシア大陸の走破は、私が3番目です。これから100歳、120歳まで生きる時代になるんですから、70歳なんてまだまだ青年。社員にも70歳でこんなに頑張っているのだから、若い者も挑戦しなさいというのを、身を持って示そうと。それが今度のユーラシア大陸横断マラソンなんです。

    人間は、やはり苦労をたくさんしたほうが強くなりますね。苦労は遺伝子のスイッチがオンになるチャンスなんです。でもみんな、辛いからといって逃げでしまうでしょう。それを乗り越えたときに、スイッチがオンになるんです。

    ────何かを成し遂げる人とそうでない人は、そこが違うのですね。

    昨年は自殺者が3万2000人を超えましたが、死んだ気になってもう1回やってみようと考えたら、遺伝子がオンになるんです。何十倍もの力が発揮できて、まったく違う人生が待っているのに、今までの人生がそのまま続くと思い込んでいる。自殺しようと覚悟を決めた人なら、遺伝子がオンになるんですよ。私は倒産を経験して、遺伝子がオンになりました。倒産しなければ、つまらない人生を送っていたと思いますね。

    ────35歳のときに詐欺にあわれて、3億円の負債を抱えて倒産されたと伺いました。

    そうです。ですから私にとっては、倒産はありがたいことなんです。

    ────その試練を乗り越えるか、挫けるか。そこが分かれ道なのですね。

    そう。だから挫けてしまうのは、本当にもったいないですよね。ただ、ユーラシア大陸マラソンでいえば、走ることが好きだからといって走れる距離はせいぜい500㎞なんです。これは、私が以前アメリカ大陸横断に挑戦する前に、フォークシンガーの高石ともやさん(※)からお聞きした話ですが、「何くそ頑張るぞという気持ちでは、500㎞しか走れませんよ」と。これまでに3000名以上の若いアスリートが挑戦して、みんなその辺りでリタイヤしているそうなんです。走破したのは過去5年前で28名だけで、私が29番目。それしかゴールできていないんです。

    ※高石ともや氏は1993年に51歳日本人で初めて北米大陸横断マラソンを完走。羽鳥兼市氏は2007年に64歳で同レースを完走した。

    「では、どうすればゴールできますか」と聞いたら、「毎日、すべてに感謝しなさい」と。太陽が熱くても太陽に感謝。雨が降っても、雨のお陰で植物が生きられることに感謝する。道路をつくってくれた開拓者に感謝する。すべてに感謝しないとゴールできないということを、高石ともやさんから教えてもらいましてね。

    これは仕事にも人生にも、すべてに共通するんです。仕事ができない人ほどできない理由を被けて、人のせいにする。そうではなくて、すべてに感謝れば成功するんです。119日かかりましたが北米大陸の横断に成功して、今度はユーラシアです。何でも、中途半端にやるならつまらないですよ。本気で挑戦するから楽しいし、人生、面白いんですね。

    ────ユーラシア大陸マラソンのご無事とご成功を、心からお祈りいたします。本日は貴重なお話をありがとうございました。

株式会社ガリバーインターナショナル
代表取締役会長 羽鳥 兼市さん

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    従来の業界の旨みを捨て、顧客の支持を獲得
    高みを目指す「挑戦する経営」(前編)

     

    中古車業界に後発参入し、社員1名からスタート。設立からわずか4年で店頭公開、東証一部上場も8年10ヶ月という異例のスピードで実現したガリバーインターナショナル。その成功の背景には「買取専門」「オークションで販売」といった新たなビジネスモデルの存在もあるが、注目すべきは、買取価格を本部一括査定、最低の根拠をオープンとして標準化している点である。要は従来の業界も旨みを捨て、完全に顧客サイドに立脚しているのである。これが、結果的に顧客の支持を獲得し、一躍中古車買い取りの最大手へと成長した。大方の場合、売り手と顧客の利益は相反するケースが多い。ガリバーインターナショナルの事例は、不利益を利益に転換することこそが経営に求められる知恵だということを示唆している。(聞き手:OBT協会代表 及川昭)

  • 株式会社ガリバーインターナショナル http://www.glv.co.jp/)1994年設立。東京マイカー販売株式会社の車買取部門としてガリバー1号店安積店をオープン。不透明だった買い取り価格を標準化し、消費者が安心して取り引きできる業界に改革することを使命に、中古車業界で初めて「買い取り専門」という新しいビジネスモデルを立ち上げる。1996年に商号を株式会社ガリバーインターナショナルに変更。1998年に店頭公開、2000年に東証二部、2003年後に東証一部に上場。2004年に初の海外拠点としてGulliver USA, Inc.を設立。2009年には電気自動車の研究開発を手がける株式会社SIM-Driveの設立に参画。コンバージョンEV(改造電気自動車)の普及を支援し、中古車の新時代を切り開いている。
    企業データ/資本金:41億5700万円、従業員数/2253人(2010年2月28日現在)、売上高/1,448億5,300万円(2010年2月期連結)

    KENICHI HATORI

    1940年生まれ。高校卒業後、父が立ち上げた羽鳥自動車工業に入社。事業を大きく育てるも1975年に詐欺にあい倒産し、3億円の負債をかかえて中古車販売の東京マイカー販売を設立。1994年に買取専門のガリバーを立ち上げる。2008年、長男の羽鳥由宇介専務、次男の羽鳥貴夫専務の代表取締役社長への昇格に伴い、代表取締役会長に就任。

  • 聞き手:OBT協会  及川 昭

    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • 創業の志がぶれない組織は強い

    ────御社はご創業から9年で東証一部に上場され、大変な躍進を遂げられました。今日は、その強さの理由や今後のご展望についてお聞きできればと思います。

    当社を創業したのが1994年。最初は私と社員1人との2人からのスタートでしたが、なぜ「買取専門」だったのか。そのことが、ガリバーの強さにつながっていると思いますね。企業ですから利益は出さなくてはいけませんが、お金儲けが目的ではないんですよ。当時の中古車業界は値段があってないようなもので、何を信用していいかわからない状態でしてね。足元を見られて安く買い叩かれる、事故車を売りつけられるといったことも起こっていました。

    でも実際は、ほとんどの中古車屋さんは真面目にやっています。一部の人たちのために、中古車業界にダーティなイメージがついてしまっていた。これを変えなくちゃならない。そのために、中古車の流通価格の基準をつくろうと。そんな大それた志を持ってスタートしたのがガリバーなんです。その志に共感した社員たちが入ってきて、真剣に取り組んでくれている。そこがガリバーの強いところではないでしょうか。

    ────買い手が情報劣位にあった業界のありようを正して、情報や知識を公開していこうということですね。

    そうです。そのことによって相場の適正な基準を確立するのには、全国に500店舗は必要だと概算して、5年以内に立ち上げようと。「1999年12月31日までに500店舗達成」という目標を書いて、毎朝、社員1人と私とで唱和しました。そうしたらその通りに、1999年12月までかからないで9月に500店舗を達成したんです。

    ────その間、どのようなことに一番ご苦労されたのでしょうか。

    車金融と勘違いされることもあって、そのイメージを払しょくするのに苦労しましたね。中古車の買い取りも、うさん臭い目で見られた時代でしたから、早く脱皮しなくちゃならない。まずは社会の信用を得ようと、それで上場を急いだんです。1998年には店頭公開して2年後に東証二部、3年後に東京一部に上場と、全社一丸となってね。我々は資金集めが目的ではなく、信用を勝ち取るために上場するのだと。社員がそれを理解して、本当に頑張ってくれた。だから、これほどの短期間で上場できたんです。

    ────そうした御社の台頭が、ご業界の透明性の向上に与えた影響は大きいですね。

    中古車業者は安心して取り引きできる会社なのだということを、消費者の方々に納得していただく。それを、ガリバーが先頭切って頑張るのだという思いでやってきました。そのためには、温泉でいえば源泉のようなもので、お客さまが車を手放すところを押さえなくては、適正な値段で流通させることはできない。だから「買取専門」なんです。

    さらに、日本全国だけでなく海外にも輸出するという考えで、本部で一括査定しますから、地方のお客さまが1000万円のベンツを持ってきても、一番高く売れるのはどこだということで、その価格を基準に買い取ります。その地方だけで流通を考えると、ベンツなんて売れないとなれば、1000万円の価値があっても300万円とか400万円という値段をつけてしまうんですね。

    しかも、例えばお客さまが女性だったら、相場を知らないから安く買えるなと、足元を見てしまうじゃないですか。でもガリバーでは本部は東京にいますから、お客さまを見て買うことができない。これが大事なんです。車の状態を分析して、翌週のどこのオークションでいくらで売れるかというのが、すべてコンピューターで出るようになっている。これによって適正な値段がつけられるのが、ガリバーのビジネスモデルなんです。

    ────ではご創業当時から、本部で一括査定するというモデルを構想しておられたのですか。

    そうです。そして社員は99%が異業種からきた人です。店舗も、当初は資金力がなく人財もいませんでしたからフランチャイズで加盟店を募集しましたが、異業種の方にだけ加盟していただきました。今は一部のディーラーさんにも加盟していただいていますが、ベテランの中古車屋さんはこれまでのやり方が染みついて我々の新しいビジネスモデルに従ってもらえませんから、最初は業者の方はお断りしましてね。社員も店舗も、異業種の人たちだけでつくった。それがよかったですね。

  • 「寝袋合宿」で、社員と朝まで夢を語り合う

    ────急拡大した組織では、トップのお考えが全体に行き渡らなくなりがちです。社員の方々に、どのようにして羽鳥会長のメッセージを伝えておられるのですか。

    100人や200人なら私の声も届きますが、1000人、2000人となるとやはり難しい。私の考えをきちっと伝えられる人を、まず育てなくちゃなりません。これは役員でありマネジャーであり、彼らに一番大事な会社の理念を理解してもらうために、「寝袋合宿」というものをやっていた時期がありました。

    浦安(千葉県浦安市・当時の本社)の会議室に30人から40人ずつ交替で、夜の8時から朝の8時まで。みんなでみのむしみたいに寝袋に寝て、会社の現状や将来について話し合いました。「会社はどういう方向に行くんですか」、「○年後はどうなっているんですか」と、社員が聞いてくる質問に、私がこんな風に答えるわけです。「ガリバーは、なぜ社名に『インターナショナル』とつけたか。我々がこの業界を変える必要があるからで、それは日本だけではなく、ヨーロッパもアメリカもそうだ」と。

    今、世界には9億台以上の車が走っています。日本は7600万台くらいでしょうか。ですから社員には「世界にはとんでもないマーケットが広がっていて、世界の消費者の方々に受け入れられたら、大変なことになるんですよ。そのためには、まずは日本で信頼される企業になって、その次には世界なんだ」と。そういう夢を語っていると、皆の向かう方向が一緒になるんですね。

    ────寝袋合宿は何年ぐらい続けられたのですか。

    社員が1000人くらいになるまではやっていましたので、創業から4、5年でしょうか。ただ、社員は交替で質問して、交替で寝てしまうのですが、こちらはみんなの質問に答えますので一睡もできないんです(笑)。やはりきついですから、1週間に2回がせいぜいでしたね。

    ────会長は休めませんね(笑)。なぜ寝袋で話そうと思われたのですか。

    会議室で限られた時間でやっても、本音が出ないじゃないですか。やはりいいですよ、社長が自ら社員と朝まで語り合うというのはね。500人くらいの規模までなら、ぜひお勧めします。

    これがベースになって、今では温泉会議とういうものをやっています。幹部を50人、100人と温泉に、それも超一流のところに連れていくんです。そこで会議をして、休憩時間には昼間からさぶんと露天風呂に入って、また会議をやる。夜の11時くらいからが本題の時間で、朝方の3時、4時まで。ここで人事やそのほかの重要なことは、決まってしまうんです。温泉会議、これもいいですよ。

  • 1本の矢より、100本の矢

    もう1つ、当社では「100人の侍構想」というものを立ち上げています。毛利元就の教えは「3本の矢」ですが、3本より100本の方が強いはず。創業者意識を持った社員を100人育てようという構想です。

    ※毛利元就が3人の息子(隆元・元春・隆景)を呼び寄せ、1本の矢は簡単に手で折れるが3本の矢束は折れないことを説き、兄弟の結束を訴えたという逸話。

    私は、入社してくる社員はこう言うんです。「サラリーマンはいらない。経営者もいらない。創業者の意識になりなさい」と。では、経営者と創業者は何が違うか。経営者は、高給を提示されたらライバル会社でも移ってしまうかもしれません。しかし創業者は、1億円出すと言われても他社には行かない。死ぬまでこの会社でやる覚悟があるのが創業者。ここが違うんですよ。

    「100人の侍構想」では、侍に成長しそうな人を毎年100人選んで、トゥールジャルダンといった一流レストランを貸し切って、ブラックタイとタキシードで参加させます。無駄遣いに見えるかもしれませんが、そうではなくて、やはりガリバーは世界一を目指しているわけです。先ほどの高級温泉での会議も同じで、現状で満足するならそんなことはしなくていい。世界一になる企業の社員は、一流レストランでのマナーもできなくてはいけないし、タキシードも着こなせなくてはいけない。それを学んでほしいということなんです。それに、一流のところでやると自分も呼ばれたいと思って頑張るじゃないですか。

    ────「侍」として育たれた方は何人くらいいらっしゃいますか。

    200人近くはいますね。「侍」には届きませんが、「さむら」くらいまできているのはそれくらいいます(笑)。役員クラスはもう「侍」になっていますが、あとはもう一声ですね。

    ────「侍」となりえるために、羽鳥会長が一番大事にされているのはどのようなことでしょうか。

    愛社精神です。100人は実績などのデータをもとに人選しますが、実績は教育すれば伸ばせますのでね。

    ────それが、創業者意識につながるわけですね。

    そうです。会社を愛しているかどうか。このことを、一番大事にしていますね。

  • コンバージョンEVの普及で、中古車の新時代をつくる

    ────世界に向けて、今後はどのような事業展開をお考えでしょうか。

    ガリバーがこれから力を入れていくのは、コンバージョンEV(改造電気自動車)の普及活動です。電気自動車は地球環境に優しいだけでなく、パワーがガソリン車とまったく違い、パーツの数がガソリン車の約4分の1ですから故障が少ない。間違いなくこれは普及しますよ。

    ────そのときに、御社はどのようなモデルで参画されるのですか。

    今はシムドライブ(株式会社SIM-Drive※)に出資していまして、先行開発車事業第1号には当社も参画しています。代表の慶應義塾大学の清水教授(環境情報学部教授 清水浩氏)は電気自動車を30年来研究してきた方で、世界で一番進んだ技術を持っているのがシムドライブです。そのノウハウをすべてオープンソースで提供というね、電気自動車を早く普及させることが目的なんです。

    ※車輪内部に電気モーターを設置する「インホイールモーター電気自動車」の世界的普及を目指す、慶應義塾大学発のベンチャー企業(http://www.sim-drive.com/)。羽鳥会長はSIM-Drive社の取締役も務める。

    もう1つ、シムドライブは新車開発ですが、中古車のモーターを載せ換えるコンバージョンの普及にも取り組んでいます。これは、日本だけで7000万台の潜在需要がありますから、早く環境を整備することが必要です。というのは、コンバージョンは民間の整備工場でも簡単にできるんですね。しかし、それで事故が起きたら、電気自動車の時代に向けたスピードが鈍ってしまいます。

    そこで安全基準をつくるために電気自動車普及協議会というものが設立され、当社も参加して、毎月コンバージョン部会をここ(ガリバー本社)で開いているんです。5年後、10年後には、中古車のコンバージョンがガリバーの事業の大きな柱になるのではないかと思いますね。

    ────今後は、中古車メーカーを目指されるという報道もありました。

    同社が行った次期戦略会見では、ゲストの石田純一さんと山本モナさんが「中古が新しい」をアピールした(写真は会見時の直筆サイン入りボード)

    メーカーではないですね。コンバージョンは支援しますが、我々はあくまでも販売です。「中古車メーカー」というのは、「中古車は新しい」という意味を込めた表現です。中古車屋はみんな、「中古車」というイメージを嫌っているんです。「リフレッシュカー」とか、違う言い方を探しても、「中古車」という言葉が強すぎて敵わない。だったら、中古車から逃げるのではなくて、「中古車はいい商品なのだ」と、ガリバーが伝えていこうと。

    中古車であっても、新しいオーナーが乗るわけですから、新車と同様の意識で提供しなくてはいけない。納車前にきっちり点検・整備して、最長10年のアフター保証もつける。今、もう1つ力を入れ始めているのが、「中古車は新しい」という文化をつくることなんです。

  • 1つのシステムを、12年かけて育てる

    ────そういった中古車の概念の変化や、電気自動車時代の到来を考えると、ご業界のありようは今後、大きく変わっていくといえるでしょうか。

    とんでもない変わりようですね。明治時代でいえば文明開化の波がすぐそこに来ているような、大きな変化が起ころうとしている瞬間です。

    まず、我々が提案してきた画像での車の販売が、12年かかってようやく理解されるようになってきました。中古車の展示場は、売れるのは1カ月でせいぜい3割くらい。その3割に売れ残る分の利益も乗せないと、経営が成り立たちません。ですから、お客さまにとっては高い買い物になってしまうんです。

    これを何とかしようと考えてつくったのが、在庫も展示場も持たずに、画像で車を販売する「ドルフィネットシステム」です。車を買い取ると、写真をインターネットで各店に配信し、車はオークション場に向けて陸送します。運ぶ途中で売れれば、オークションには出さずにお客さまに納車する。これが、コストをかけない究極の流通方法なんです。

    これを理解していただくのに12年かかりましたが、ようやくインターネット時代になって、月に4000台から5000台が売れるようになってきました。特に今後はiPadが便利ですね。車体の傷も室内も、拡大して見ることができる。生意気なようですが、時代がガリバーに追いついたなという感じですね。

    ────表記されている情報と実物が違わないということも、消費者の信頼を得るためには大事なポイントになりますね。

    そう、大事です。現車を試運転しないで買っていただくのは、世界でも例がありませんからね。例えば10センチの傷を「3センチ」と表記したのでは、トラブルになってしまいますから、車の傷などは少しオーバーに登録しているんです。そうすると、実物を見たときに「思ったよりもいいじゃないか」と喜んでいただけます。納車後に不具合があれば、キャンセルもお受けします(※)。さらに最長10年のアフター保証もつける。これも、ガリバーが業界で一番に始めたサービスです。

    ※返品は納車後1カ月以内、一定の条件を満たしている場合に限ります。

    ────ある事業やサービスを軌道に乗せることができるかどうかは、何が分かれ道になるのでしょうか。

    一つ言えるのは、当社は直営店の比率が高いということですね。最初は資金力もなく人財もいませんでしたからフランチャイズで展開しましたが、あるところから直営店を増やしていったんです。ドルフィネットも、直営のいろんな場所で何度もテストしました。加盟店でテストするわけにはいきませんから、直営店がなければ諦めていたかもしれませんね。

    今は直営店が約300店舗で、加盟店が約120店舗。直営を増やしてきちっとした経営ができる確固たる基盤をつくったことが、ガリバーの分岐点といえば分岐点ですね。

    社員1名でスタートした創業時から、世界一を目指してこられた羽鳥会長は、「すべての我欲を捨てて取り組めば、夢は必ず実現する」と語ります。その思いを社員の方々とどのように共有されているのか。後編では羽鳥会長の人財観と人生観を伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  従来の業界の旨みを捨て、顧客の支持を獲得―高みを目指す「挑戦する経営」(後編)

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