2010年8月アーカイブ ..

株式会社有隣堂
代表取締役社長 松信 裕さん

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    【長寿企業研究】創業1400年。
    本業に加えて多彩な基盤を持つ"拡げる経営"(後編)

     

    『長寿企業特集』のシリーズ第5回は、明治42年(1909年)創業の書店、有隣堂の松信 裕代表取締役社長にお話を伺います。横浜が開港50周年を迎えた年に、伊勢佐木町の地に誕生し、創業の当時から書籍のほかに高級文具も販売。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、時代の先をいく書店経営を展開してこられました。その一方で、コンピュータソフトやOA機器の販売、音楽教室運営も手がけるなど、多彩な顔を持つ企業でもあります。環境の変化をくぐり抜け、歴史を紡ぐ有隣堂の経営術とは。松信社長に伺いました。

  • 株式会社 有隣堂 http://www.yurindo.co.jp/)1909年に創業者・松信大助氏が横浜・伊勢佐木町に「第四有隣堂」を開業。松信氏の長兄、大野貞造氏が開いた「有隣堂」をのれん分けしたもので、これが現在の有隣堂のスタートとなる。間口2間、奥行き3間の小さな書店から始まり、大正時代中頃には横浜市内第3位の書店にまで成長。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、文化の発信基地としても市民や県民から大きな支持を受ける。戦後は書店経営のほかに、ITソリューションやOA機器の販売、ピアノ販売、音楽教室運営などの事業も展開。多彩な事業で経営の基盤を築く。
    企業データ/資本金:2億6400万円、従業員数/2217名(正社員654名、サブスタッフ 1563名、2010年5月末現在)、売上高/536億円(2009年8月期実績)

    HIROSHI MATSUNOBU

    1944年生まれ。1967年に朝日新聞社に入社。販売部、国際営業部長、宣伝部長などを歴任した後、1994年に株式会社有隣堂 取締役に就任。翌年に常務取締役、1997年に専務取締役に就任し、1999年に代表取締役社長に就任。学校法人山手英学院理事、書店未来研究会理事長、日本出版販売株式会社相談役などを兼務。

  • 書籍の仕入れはできる限り各店に任せ、現場の選書眼を育てる

    ────書店ではスタッフの正社員比率を高め、売り場づくりは現場に任せておられると伺いました。

    書店の売り場づくりというのは、結局のところ仕入れをどうするかという問題なんですね。採算だけを考えれば、本部で一括して仕入れて各店の棚を同じような構成にし、金太郎アメのような店にしてしまうのが、一番効率がいい。店のスタッフは、納品された本を言われた通りに並べるだけですから、社員が一人いればあとはアルバイトで運営できます。

    けれども、当社は現場の社員に仕入れを任せていますから、あの店にあったのにこの店にはないという本も出てくる。それが店の面白さにつながるわけです。その一方で、失敗する可能性もあります。その社員がとんでもない仕入れをしたら、どうしようもないですからね。人件費もかかる。そのどちらを取るかということなんです。当社は、何とか今のやり方のままでいきたいなと思いますね。

    ────仕入れ全体の何割程度を、各店に任せておられるのですか。

    半分以上はそうでしょうね。出版社との契約上、本部で一括して仕入れる書籍もありますが、それ以外は各店に任せています。本部が仕入れてしまうと、現場には選書する目はいらないわけですから、いくら本を触ってもちっとも覚えませんよね。

    ちなみに書籍は今、年間に約8万点が出版されています。ある学者の方の調査によると、江戸時代の260年間で約6万5000種類の本が出されたそうで、それを1年間で超えたのが6、7年前ぐらいのこと。今年はさらに増えて8万点を超える見込みで、365日で割ると1日に200点以上の本が出ている計算になります。

    ────膨大な数ですね。

    しかし携帯小説は、1年間に100万タイトル以上が発表されているそうです。書籍と比べて、数だけでいえば完全に勝負ありましたね。

    ────iPadやキンドルの登場で書籍が電子され、既存の書籍も流通形態が大きく変わるのではないかといわれています。そういった中、書店の売り場はどうあるべきだとお考えになりますか。

    これは、いろいろな答えがあって難しいですね。一ついえるのは、iPadやキンドルは、本を検索して探しに行かなくではいけないでしょう。それで果たして売れるのかどうかということですね。例えば評論家の立花隆氏が「ぼくはこんな本を読んできた」という本を出されていますが、あれなどを読むとすごいですよ。猥雑なものから宇宙論、哲学まで、実に幅広い。人間の興味とは、そういうものなのだろうと思うんです。本来ならば大きな可能性があるのに、インターネットでは自分で検索できたものが世界のすべてになってしまいかねない。人間というものを、見くびってはいけないと思うんですね。

    ────確かに、書店では買う予定のない本をつい購入してしまことがよくあります。オンライン書店では関連書籍を勧める機能はあっても、意外な本と出会うことは少ないですね。

    そういうものがインターネットの技術と結びついたら、面白いことができるかもしれませんね。ですから、書店の売り場は無機質なものにはしたくない。しかし、面白い試みも採算が伴わなければできません。そのバランスが難しいところですね。

    人財は"磨かざれば光なし"

    ────インターネットではできないことが、リアルの売り場ではできる。御社では"社員は財産である"として、「人材」ではなく「人財」という字を使っておられますが、魅力的な売り場をつくるために、現場の社員の方々が担う役割は大きいですね。

    ただ、私は全員を「人財」と呼ぶのはどうかと思っています。存在しているだけの「人在」もいるでしょうし、いるだけで罪だという「人罪」もいるはずで、普通の「人材」だっている。"玉磨かざれば光なし"というように、最初から「人財」であることを期待するものではないと思います。

    ────社員の方々を「人財」にするには、磨くことが必要だということでしょうか。

    そうです。ですから、もっと磨かなくてはいけませんね。ギリギリの線まで追い込まれる仕事を経験させて、成功体験を与えて。失敗体験も大切です。失敗したときにもう一度、リカバリーのチャンスを与える。そういった経験を積ませることが必要です。

    ────日本には「失敗してはいけない」という価値観が根強くありますが、そういった減点主義では人は育たないのですね。

    当社も、過去に一度、減点主義の人事制度を採用したことがありましたが、ろくなことがありませんでしたね。今は、2007年に導入した「ミッショングレード制(※)」をもとに処遇を決定しています。これは、1から9までの9段階のミッショングレード(以下MG)を設定し、年に1度の人事考課の際に上司との面談をもとに来期のMGを決定するという仕組みです。

    ※ミッショングレード制:職務の役割やミッションのレベルに応じてグレードを設定し、それに応じて処遇する人事制度

    以前の職能資格制度では、P職、M職、EM職と試験制度によって職級が上がる仕組みでしたが、当社の社員は真面目ですから、みんなちゃんと勉強してきて合格するんですね(笑)。すると、例えば店舗に5人の社員がいたとすると、全員がM職やEM職になって、指示命令系統がうまくいかないんです。そこで、店長のMGは「7」、フロアマネジャーは「6」というようにグレードを分けて、責任体制を明確にしたということです。職種ごとにMGの基準書を作成し、本人には「これがあなたのミッションですよ」と伝えますから、自分の役割がハッキリとわかるわけです。

    ただ、自分はもっと上のことができると思っていても、下に配置されることもあります。店売事業部でいえば、店長職のMG7になれるのは店舗数の34人だけで、それ以外の人は7にはなれない。ミッショングレード制の導入によって給与が下がった人も出ました。給与が下がるのはこれまでにはなかったことですが、これも仕方がありません。会社は経営を維持しなくてはいけませんからね。

    ────MGが下がったとしても、"リカバリーのチャンス"をおっしゃったように、上のMGを狙うこともできるのでしょうか。

    それはありますね。大いに上を狙ってほしいと思います。ただ、当社のやり方には欠点もあって、本屋は育っても経営者は育たないんですね。本を売る、ピアノを売る、コンピュータを売る。そういったことを一所懸命にやりながら、やがては会社全体の方向性や財務を見られるような社員が育ってほしいとは思っているのですが、これがなかなか難しい。そこで、取引銀行から役員を迎えたところ、財務的な感覚といいますか、ものの見方が全く違うんですね。こういった財務の知識や会社全体を見る視点を現場の社員も身につけて、役員候補となるだけの力のある人間が育ってきてくれることを期待しています。

    書店の新たな可能性を追求する

    ────今後の展望としてお考えのことをお聞かせください。

    人財育成という点では、女性社員にもっと前に出てきてほしいと思っています。当社は、1999年には厚生労働省から「均等推進企業 労働大臣努力賞」の表彰を受け、女性を活用する企業として評価をいただいています。仕事と育児の両立支援を推進するための社内委員会も設けて、女性の管理職は8人、執行役員も1人誕生しましたが、女性にはまだまだもっと活躍してほしいですね。

    事業展開については、出版業界では必ず出るテーマですが、返品率をいかにして減少させるかということが大きな課題です。書店のマージン率を高めるには、返品率を下げるしかない。そのシステムをどうつくるかということですね。

    特徴のある専門的な書店も、手がけたいと思っていることの一つです。当社は以前、横浜の馬車道に「ユーリンファボリ」という専門店を開いていましてね。芸術関連の書籍と芸術にまつわる小物を置いた店で、画材やデザインの道具、楽器、書道用具、貸しスタジオもあった。いってみれば、有隣堂の「芸術館」ですね。場所が良くなかったのと時代が早すぎたのとで1990年代に閉鎖したのを、まだ完全な形ではありませんが、2009年にたまプラーザテラス店の一角に「favori(ファボリ)」という名前で復活させました。

    ────お客さまの反応はいかがですか。

    いいですよ。売れ行きはとてもいいですね。そのつながりでいいますと、もう一つ考えているのは、「有隣堂科学館」です。「ロボット屋をやりたい」とさんざん言って、みんなからバカにされてきたのですが(笑)、科学は面白いじゃないですか。横浜には大学がいくつかありますから、工学部の学生さんと連携して店内で実験を実演してもらって。お客さまも実験を体験できて、コンピューター部品や実験器具といった科学にまつわるエトセトラを書籍と一緒に提供する。そういう店をいつか実現したいですね。

    実はこれには、見本があるんです。アメリカのポートランドにある「パウエルズ・シティ・オブ・ブックス」という独立系の書店がそれで、約2000坪の本店のほかに、周辺に支店がいくつかある。それぞれ特徴があって、例えば"クッキング・パウエルズ"といって料理の本から鍋まで売っている支店があります。店内では料理研究家による料理教室も開かれ、「今日はこの本のレシピで料理を作りましょう」とやると、お客さまは本と鍋を一緒に買っていく。

    パウエルズよりも前から私はこういう店をやりたいと考えていましたから、これを知ったときには、「ああ、ここにもうあった」と(笑)。パウエルズには、ほかにも旅行をテーマにした店や児童書や知育玩具を置いた子ども向けの店などがあり、テーマがハッキリしています。そういう店を、いつかやってみたいと思いますね。

    ただ、何度も言うようですが、こういったことも経営として成り立つことが条件です。会社を存続させるためにはどうすべきかということは常に考えています。

    ────ありがとうございました。

株式会社有隣堂
代表取締役社長 松信 裕さん

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    【長寿企業研究】創業1400年。
    本業に加えて多彩な基盤を持つ"拡げる経営"(前編)

     

    『長寿企業特集』のシリーズ第5回は、明治42年(1909年)創業の書店、有隣堂の松信 裕代表取締役社長にお話を伺います。横浜が開港50周年を迎えた年に、伊勢佐木町の地に誕生し、創業の当時から書籍のほかに高級文具も販売。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、時代の先をいく書店経営を展開してこられました。その一方で、コンピュータソフトやOA機器の販売、音楽教室運営も手がけるなど、多彩な顔を持つ企業でもあります。環境の変化をくぐり抜け、歴史を紡ぐ有隣堂の経営術とは。松信社長に伺いました。

  • 株式会社 有隣堂 http://www.yurindo.co.jp/)1909年に創業者・松信大助氏が横浜・伊勢佐木町に「第四有隣堂」を開業。松信氏の長兄、大野貞造氏が開いた「有隣堂」をのれん分けしたもので、これが現在の有隣堂のスタートとなる。間口2間、奥行き3間の小さな書店から始まり、大正時代中頃には横浜市内第3位の書店にまで成長。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、文化の発信基地としても市民や県民から大きな支持を受ける。戦後は書店経営のほかに、ITソリューションやOA機器の販売、ピアノ販売、音楽教室運営などの事業も展開。多彩な事業で経営の基盤を築く。
    企業データ/資本金:2億6400万円、従業員数/2217名(正社員654名、サブスタッフ 1563名、2010年5月末現在)、売上高/536億円(2009年8月期実績)

    HIROSHI MATSUNOBU

    1944年生まれ。1967年に朝日新聞社に入社。販売部、国際営業部長、宣伝部長などを歴任した後、1994年に株式会社有隣堂 取締役に就任。翌年に常務取締役、1997年に専務取締役に就任し、1999年に代表取締役社長に就任。学校法人山手英学院理事、書店未来研究会理事長、日本出版販売株式会社相談役などを兼務。

  • 事業を多角化し、環境変化に強い体質をつくる

    ────御社は1909年にご創業され、今では書店経営のほかに、文具や教育機器、ソフトウェアなどのITソリューション、OA機器の販売、音楽教室の運営やピアノの販売など、さまざまなご事業を展開されています。多角化にはいつ頃から取り組んでおられるのでしょうか。

    文房具は、創業した当時から扱っていました。ビーカーやフラスコなども店頭で売っていましたので、教育機器も早くから販売していましたね。ITソリューションやOA機器の販売は戦後、1950年頃からだと思います。オフィス設計やオフィス家具の販売も同時期。ピアノ販売も戦後で、1960年代には神奈川県に団地が次々とでき、お子さまにピアノを習わせるご家庭が増えましてね。当時、当社は日本で1、2を争うピアノの販売店でしたので、夜中の2時、3時までかかって納品したと、その頃にいた先輩から聞いています。

    今はそういったお子さまのピアノブームが去って、"大人の音楽教室"が活況です。団塊世代の方が定年退職されて、「美空ひばりさんの『川の流れのように』を1曲だけでもいいからピアノで弾きたい」、と。そういったお客さまが、当社の音楽教室でも増えています。そんな形で、意識的に枝葉を茂らせてきたわけではありませんが、ある程度はバランス感覚よく広がってきたのかなとは思いますね。

    今では、全売上高に占める店売り(書籍や文具など)の割合は、約6割。書店だけに頼っていたら、今の当社はなかったでしょう。わかりやすい例でいえば、当社の年間売上高に占める雑誌の割合は約7%ですが、個人経営のいわゆる町の本屋さんなどでは25%から30%になるといわれ、割合が高いほど雑誌の売れ行きが経営に与える影響が大きくなります。雑誌が売れなくなっている昨今、その意味では、ある程度のリスクヘッジはできているんだろうなという気はしますね。

    ────事業を多角化することで、リスクを分散してこられたということでしょうか。

    結果論ですが、そういうことになるのでしょう。ただ、それがいいのか悪いのかは、わかりません。書店のあり方として、書籍販売だけにかける生き方もあるわけですから。しかしその一方で、企業として経営を維持するためにはどうすべきかも考えなくてはいけない。企業のありようは、それぞれだと思いますね。

    開放的な"浜っ子気質"が、新規事業育成の土壌に

    ────新しい事業を検討されるときに、採用するか否かは何を基準に判断されるのでしょうか。

    何かのご縁があってお話をいただいて、社内で検討して「これならいけるね」と。そんな形で広がってきたものばかりで、それほど論理的にやっているわけではありません。例えば、当社はオフィス用品通販のアスクルの代理店事業も手がけていますが、これなどもそうです。アスクル事業が立ち上がるときに、たまたま母体のプラスさん(プラス株式会社)からお声をかけていただきましてね。当社が、代理店第一号なんですよ。

    アスクルの登場は文房具販売界における大構造改革で、業界内では異論もありました。商品の調達と物流はアスクルが行い、代理店は営業と与信管理、代金回収を受け持つ。これが、代理店制度の仕組みです。代理店側は在庫を持つ必要がなく、物流コストもセーブできますが、粗利率はいわゆる店売りの文房具よりもはるかに低い。だから、「冗談じゃない」という文具店も多かったんですね。

    でも、私はそうは考えませんでした。これからの文具販売は、アスクルのようなシステムが主流の一つになるだろう、と。だからやってみようと思ったわけです。一時は、文具屋仲間から排斥されかかったこともありましたが、今では、アスクルの代理店の中で売上高は全国第2位、年間70億円以上を売り上げるまでになっています。

    売り上げの内容も面白くて、文房具は全体の4割程度。残りは、ミネラルウォーターやティッシュペーパーなどのオフィスで使われる生活用品です。われわれは、知らず知らずのうちに、そういったものも販売しているわけです。仮に、当社が同様のシステムを独自に立ち上げたとしたら、ここまで商品群は広がっていないでしょう。アスクルの事業を始めたことで、新しい商材を販売する機会も得たということですね。

    ────新しい事業に柔軟に取り組まれるのは、御社の社風でもあるのでしょうか。

    横浜の気質ともいえるかもしれませんね。横浜は城のない代表的な街で、歴史もまだ150年しかない。「3日住めば浜っ子」といわれるくらいに、新しいものが好きで寛容なんです。同時に、東京に隣接しているために、ハレの買い物はみな東京に行ってしまうという商売上の難しさもあります。市内の主だった地域が米軍に接収されている間に、企業はみな東京に行ってしまい、再誘致しようとして県がみなとみらいを開発しましたが、直後にバブルが崩壊して未だに空き地がある。そういった、東京に近いがゆえの悲劇もありますが、横浜には伝統もしがらみもなく、外のものを受け入れる風土があるんです。そういう実験場としての横浜は、面白いなと思いますね。

    ただ、新しい試みも、経営的に成り立つものでなければできません。個人経営ならどんな実験でもできますが、当社には社員とサブスタッフとあわせて約2200人の従業員がいますから、面白いからということだけではできない。そういうジレンマはありますね。

    トップは大きな方向性を示し、あとは社員を信頼して任せる

    ────多角化した事業を成功させておられる秘けつは何でしょうか。

    秘けつなんて、そんなものはありませんよ(笑)。ただ、投機的なことはしない、分をわきまえる、真面目にやる、ということでしょうね。本屋は本屋ですから、あまりかけ離れたことをやってもだめでしょうし、この会社はなかなか真面目なんです。当社が経営方針の第一条に掲げる「有隣の精神」は、論語の「徳は孤ならず、必ず隣有り」に由来したものですが、一所懸命にやっていたら誰かが応援してくれますよ、と。そういう意味合いで理解しています。ですから、社員はみんな真面目。新しい事を始めると、何とか成功させようと思うんですね。

    といっても、新規事業もすべて成功したわけではなく、撤退したものもあります。私が当社に入った当初は、開発室というところで新規事業の開発を手がけましたが、実際には開発したものより止めさせた事業のほうが多かったですからね。

    ────どのような事業から撤退されたのですか。

    カルチャーセンターや旅行代理店、テレフォン便といったものですね。電話で書籍のご注文をいただいてお届けするテレフォン便というサービスがあったのですが、これからはインターネットの時代。電話は時代遅れだからやめよう、と。カルチャーセンターも、とても高度なプログラムで、京都の人間国宝の陶芸家の方に1カ月間師事して清水焼を学ぶ講座や、北海道の日高の牧場で競走馬を育てるといった講座。参加する方が、数人しか集まらないんですね。旅行代理店も売上高はかなりありましたが、利益率が低い。ですから、撤退しようと。

    新規事業としては古書事業を提案したのですが、これは役員をはじめ、現場の社員にも否決されてしまいました。ちょうどブックオフが相模原で創業されて、まだ2店舗くらいしかなかったころのことです。「これからは古書が売れる時代になる」と、独自に古書事業を立ち上げるために古物商の鑑札も受けたのですが、社員から総スカンをくらいましてね(笑)。

    当社は昭和の初期には古書部をつくり、昔から古書を扱っていたんです。ただ、私が提案した当時の有隣堂は新刊専門の本屋でしたから、「なぜ古書を扱う必要があるのか」と。誰も聞く耳を持ちませんでした。その後、無聊十数年、ようやくこの2010年の4月に、藤沢店の一部を「リブックス藤沢店」としてオープンさせ、古書事業を手がけることができたのです。

    ────新規事業立ち上げの際には、現場の社員の方々にも意見を聞かれるのですか。

    もちろん聞きます。実際にその事業に携わる人たちが、自分のこととして取り掛かってくれないと物事は成功しません。社長に言われて仕方なくやるというのでは、うまくいかないと思いますよ。もう一つ大切なのは、新規事業は一番優秀な社員に担当させるということです。やるからには成功させなければいませんから。といってもセオリー通りにはいかないこともありますが、一番優秀な社員に担当させるようにはしています。

    トップの仕事は大きな方向性を示すことで、あとは社員を信頼して任せる。そうすれば人も育ちますし、みんな真面目ですから成果も出てくる。その歴史の結果が今なのだろうと思います。

    書店経営でも、「本の仕入れは、できる限り現場に任せる」と、松信社長。後編では、松信社長の人財観と書店運営の今後の展望を伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  長寿企業研究 ──本業に加えて多彩な基盤を持つ"拡げる経営"(後編)

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