2010年4月アーカイブ ..

株式会社船橋屋
代表取締役社長 渡辺雅司さん

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    【長寿企業研究】
    社員の力を引き出す"幸せの経営"(後編)

     

    不況が長引く中で、持ちこたえる会社とダメージを受ける会社は、何が違うのか。困難に社員一丸となって立ち向かう会社と、難題を前に士気を失う会社の分かれ道はどこにあるのか。『この人に聞く』では、企業存続の秘けつを探るために、今回からシリーズで『長寿企業研究』をお届けします。第一回目にご登場いただくのは、創業205年の歴史を誇る和菓子の老舗、船橋屋。江戸の昔から受け継ぐ『くず餅』の味を守り続け、昭和27年に法人化して以降、1期の赤字も出さずに成長してきた驚異の企業です。変化する時代の中で伝統を守り続ける経営の極意を、8代目当主・渡辺雅司さんに伺いました。

  • 株式会社船橋屋 http://www.funabashiya.co.jp/)1805年創業。下総船橋出身の初代勘助が、亀戸天神の参道に創業。出身地の地名をとり、屋号を『船橋屋』とする。独自に開発した『くず餅』は、葛粉を使う関西の葛餅とは違い、小麦粉を乳酸菌で発酵させたもの。厳選した小麦粉の澱粉質を450日間という長い年月をかけて発酵・熟成させてつくり上げる。保存料や添加物は一切加えないため、賞味期限はわずかに2日間。効率が優先される今の時代にあって、頑固なまでに『本物』にこだわり続けている。その味を愛して、亀戸本店には吉川回英治氏や芥川龍之介氏らの文豪も通い詰めた。1952年に法人化、2005年には創業200年記念店舗『こよみ』 を東京・広尾にオープンし、新感覚の『和』のスイーツを展開するなど、伝統と新進を融合させた経営に取り組む。
    企業データ/資本金:2000万円、従業員数/160名、売上高/14億円(2009年3月末現在)

    MASASHI WATANABE

    1964年生まれ。1986年に大手都市銀行に入行。融資業務やディーリング業務、法人営業などを手がけた後、1993年に船橋屋に入社。専務取締役時代から、業界初となるISO9001の認証を取得するなど、伝統を守り続けるための経営改革に着手。2008年8月に代表取締役に就任する。

  • 経営の孤独の中で見つけた、究極の答え

    ────社内が思うように活性化しないという状況(前編参照)の中で、どのような「経営の原点」を見つけられたのでしょうか。

    まず気づいたのは、問題の原因は私にあったということです。私はそれまでずっと、社員に対して「なぜ私の指示がわからないのか」、「なぜできないのか」ということばかりいっていた。まさに、ここに原因があったんです。

    どういうことかといいますと、例えば目玉焼きを食べるときに塩を使う人、ソースを使う人、醤油を使う人と色々ですよね。それは人それぞれが持つ価値観で他の人が決めるものではありません。一見当たりまえのことなんですが、私はソースで食べるのが絶対だと思い込み、「醤油をかけるなんて非常識」と言う。社員は「醤油が美味しいのに社長がソースだというので機嫌を損ねるのでそうしておこう」となりコミュニケーションを絶ち思考を停止したうえで指示を待つようになる。それに対し「なんて自主性がないんだ」と憤る。このような価値観の押しつけによる弊害が結構起きていたのです。

    でもそれは、天に向かって唾を吐くのと同じで、すべて自分に返ってきます。会社の業績は伸びましたが、幸せではないんですね。どんどん孤独になっていくんです。それに気がつかないで、「なぜ私の言うことがわからないのか」と、ずっとガリガリやってきたわけです。

    ────その問題を、どのようにして解決されたのでしょうか。

    自分を変えるために大切なのは、己を知るということ。自分が抱えている問題に気づくということです。ただし自分で自分に気づくのは難しいですから、第三者に指摘してもらう必要があります。私も、ある方に指摘されたことで自分の問題に気がつきました。その意味では、メンターを持つということは、経営者にとって大切な事だと思いますね。

    では問題に気づいたとして、自分をどう変えていくか。これは、自分にしかできないことなんですね。人に自分を変えてもらうことはできません。変わりたいと強く願うことが、すべての出発点です。過去は変えられないけれど、これからの生き方は選べる。だったら、一度しかない人生をどう生きるかを考えたんです。そして、社員を見る目や接し方を変えていきました。

    "幸せの経営"で、社員の成長意欲を引き出す

    ────人財観は、どのように変わられたのでしょうか。

    『社員満足なくして、顧客満足なし。顧客満足なくして成長なし』ということが、当社の経営の根幹目的。社員が自己成長できる環境を提供したいということを、ずっと考えてきました。そのために必要なのは、まずは社員に対して「キミは今のままで大丈夫だよ」と言ってあげることなのだということに気がついたんです。

    社員が社長の顔色を伺って、社長が喜ぶことをしようとする。これは、経営者がそういう経営をしているからでもありますが、突き詰めて考えると、子どものときに親の顔色を伺っていたのと同じことなんですね。といっても何も特殊なことではなくて、誰でも多かれ少なかれ、幼少期にそういう体験があるはずです。その延長線上のまま大人になった人には、自分に自信がない、人に対してものが言えない、自分から一歩を踏み出すことができないという人が多い。だから経営者は、それに対してこう言ってあげればいいんです。「誰の顔色も見なくていい。今のままで大丈夫だよ」と。

    先ほども言いましたように、人が人を変えることはできません。「なぜ私の指示がわからないんだ」と叱りつけても、そういった外的な圧力で人を変えることはできないんです。自分を大切にするということに目覚めさせて、自分のために自分を変えたい、成長したいと強く願うようにサポートする。これが、人づくりの根幹なのです。

    ────社員の方々への接し方を変えるのは、勇気がいることでもありますね。

    自分の根っこを変えるわけですから、勇気はいりますね。でも、変化できなければ経営者としては失格です。ただ、社員にはすぐには受け入れられないだろうなと思っていました。今までハードなマネジメントをしていた社長が、"愛"だの何だの言いだすわけですから(笑)。実際、みんなが戸惑っているのがわかりましたしね。それに対して、私ができることは一つ。実践あるのみです。行動で示して、自分たちが幸せになった、自分たちの心が強くなったと実感したときに、社員は初めて納得してくれるんです。

    仕事は、人生の目的を達成するためにある

    そのために、まずは社員と一対一でじっくり話をしました。彼らの生い立ちやこれまでの生き様も聞いた。そして「今のままで大丈夫」というメッセージを伝えたら、次に話すのは「人生の目的を持つという」ということです。『目的』とは、何のためにこの世に生まれたのかということ。自分が生を受けた意味は何かを、よく考えるということです。

    ────それは考えて見つかるものでしょうか。

    究極の答えは、一つに行き着くんです。それは、『幸せになる』ことです。それも『物心両面で幸せになる』こと。自分が幸せになることで周囲にも良い影響を与え、そのことでまた自分が幸せになる。これが、生きることの意味。当社の経営目的もそこにあるんです。

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    船橋屋には200年を超えて受け継がれる『社訓』があり、
    それを今の時代に置きかえた『経営理念』と『経営目的』が明文化されている。

    [社訓]
    売るよりつくれ
    浮利を追うな

    [経営理念]
    く・ず・も・ち ひと筋真っ直ぐに
    くじけない心意気
    ずっと磨き続ける自慢の商品
    もっと良いを実現する経営体制
    ちから強く全力で目標達成する人財

    [経営目的]
    私たちは、「仕事を通じて自己成長」をしながら
    「妥協のない商品づくり」と「真心を込めたおもてなし」
    を常に実践し、お客様の「美味しい!」という笑顔を頂きます。
    そして、この事業活動を通し心豊かな社会の実現に貢献することで
    私たち自身も物心両面の豊かな人生を送ります。
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    目的が明らかになれば、次は目標です。ワタミの渡邉(美樹)会長がよくおっしゃっているように、『夢に日付をつける』ということですね。何を年次の目標とし、具体的に何をしていくのか、つまり、生きる目的を会社の中でどう実現するのかを、明らかにしていくということです。プロジェクトは、そのための手段の一つなんです。

    ────目的が明確になって初めて、"仕組み"が生きるのですね。

    そうです。人生の目的に気づかせることと、目的を実現するための環境を用意すること。この両輪を回すことが、経営の根幹なのです。自分が何のために生きているのかわからないままに会社に属し、『対前年○%アップ』などと、目標を達成することだけが求められるとすれば、こんなに辛いことはないと思います。

    真の社員満足は、自己成長にある

    『社員満足なくして、顧客満足なし。顧客満足なくして成長なし』。当社はこのテーマを追求し続けていますが、『満足』は人が与えてくれるものではありません。自分の成長を実感することによって、自分で納得するもの。他責ではなく、自責で生きることによってしか、得られないものです。

    社員満足度を高めるために、福利厚生を充実させる、オフィスをきれいに改装するといった話も聞きますが、それも方法の一つではあるものの、真の社員満足は自己成長にあるんです。ですから逆説的なのですが、私は社員が辞表を持ってくると「やっと来たか」と喜ぶんですよ(笑)。

    ────それは、なぜでしょうか。

    辞めたいと思うということは、逃れたいほどの苦しみの中にいるということ。これは、成長する大きなチャンスです。平凡に生きていたのでは、人は変わりません。今までの自分の殻から出ようとしているから苦しいわけです。そうして本当に切羽詰まって、もう打つ手がないと思ったときに、初めて知恵が生まれるんです。ですから、「やっと辞表を持ってきたか。待っていたよ」と。社員は意表を突かれた顔をしますが(笑)、私はそう言って迎えます。

    そして、本人とじっくり話します。その結果、思いとどまった人は、間違いなく大きく成長しますね。現に、幹部として当社を支えてくれている社員は、一通り辞表を提出してきましたから(笑)。辞表を書かないまでも「辞めたい」と騒いでいると耳に入ってきた人もいましたが(笑)、その後にしっかりと乗り越えて大きく成長してくれている。そうやって見守ることができるのも、私自身が過去に苦しみ、悩んだ経験があって今があるから。苦しみなくして、成長はないということです。

    日常業務にも、私はあまり口を出さないと決めています。社長としての権限を行使するのは、商品の安全に影響を及ぼすような事態が起こったときだけ。それ以外は、社員が自分の意思で動くことができ、自己成長を実感できる組織にならなくては、本当の社員満足は成しえないのです。

    自己成長し続けられる組織にするために、昨年は評価制度にも手を入れました。月々の給与は、『行動』に連動させて決定します。そして、賞与にあたる業績給は完全に『業績』にリンクさせる。業績給は月給に係数をかけて算出しますから、『行動』と『業績』のどちらも追求する仕組みにしたということです。

    ────『業績』は数字で表わすことができますが、『行動』は何を基準に評価されるのでしょうか。

    当社では『8つの基本行動』を定めています。経営目的を達成するために、つまり、われわれが幸せになるために、8つの行動を実践しようということです。

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    [8つの基本行動]
    1 私たちは経営目的を満たす定量化出来る目標を設定します
    2 私たちは物事を前向きに捉え積極的に行動します
    3 私たちは約束したことを必ず守ります
    4 私たちは過去の習慣にとらわれず常に改善をします
    5 私たちは事前準備を整え時間を有効に使います
    6 私たちは惜しまず成長の為の自己投資をします
    7 私たちは「共に勝つ」の気持ちで周囲に心を配ります
    8 私たちは仲間の成長を願い自分の一番得意な仕事を教えます
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    社員が自己成長することで会社の業績も伸び、お客さまにも支持していただける。そういった『共に勝つ』組織をつくりたい。これが、私が目指す理想の組織のあり方です。

    『売るよりつくる』ことが、長寿の秘けつ

    205年前に初代勘助が残した当社の社訓は、『売るよりつくれ』というもの。『つくる』という言葉には、たくさんの意味が込められているということを、今、改めて実感しています。『安全をつくる』、『人の心をつくる』...くず餅という商品をつくることを通して、われわれはいろいろなものをつくっているんです。そのことを真摯に受け止めて、正直に、まっすぐにやっていきたい。その思いを込めたのが、『く・ず・も・ち ひと筋真っ直ぐに』という経営理念です。

    船橋屋の新卒採用パンフレット。『老舗』のイメージをいい意味で裏切る"漫画仕立て"で、会社の沿革や経営理念を解説。ユニークな表現から、同社の自由な社風が伝わってくる。

    伝統の美味しさを次の時代に伝えるために、会社は大きく変わりました。今では、社員がそれぞれ自分の夢や目的を持ち、目標を達成するために、自分たちで考えて動いてくれています。組織横断のプロジェクト活動も、ISO9001の認証取得後に立ち上げた『品質管理プロジェクト』を皮切りに、『高度衛生管理システムプロジェクト』、『老舗ブランディングプロジェクト』、『社員活性化プロジェクト』、『適正消費プロジェクト』、『可視化プロジェクト』の6つが稼働中です。昔は、「どうしてみんな、私の言うことがわからないのか」と思っていたのが、今は、「こんなにすごい社員が集まっている」と、心の底から思うんです。それは、私が変わったからなんですね。

    ────渡辺社長が目指される組織の状態を『10』とすると、今はどの程度まで近づかれたと思われますか。

    まだまだ道半ば、5点といったところでしょうか。私自身について言えば、まだ4点くらい。こうして聖人君子のようなことを言っていますが(笑)、いまだに「どうしてできないの」と言ってしまうこともありますので...。目標は、引退するときに理想のレベルに達していること。年齢を重ねるごとに自分を変えて、人生を振り返ったときに、私と出会えたことで自分が変わったと言ってくれる人が、一人でも多くいてくれればいいなということが、私の願いなんです。

    組織としては、今の取り組みをさらに続けて、より一層の磨きをかけていきたいと思っています。ゆくゆくは、京セラの稲盛和夫名誉会長が提唱されている『アメーバー経営』も取り入れる予定。さまざまなプロジェクト活動も、その布石として行っているものです。社員一人ひとりが主役になって、共に夢を追いかけて一緒に幸せになれる。そんな会社をつくりたいと思っています。

    ────ありがとうございました。

株式会社船橋屋
代表取締役社長 渡辺雅司さん

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    【長寿企業研究】
    社員の力を引き出す"幸せの経営"(前編)

     

    不況が長引く中で、持ちこたえる会社とダメージを受ける会社は、何が違うのか。困難に社員一丸となって立ち向かう会社と、難題を前に士気を失う会社の分かれ道はどこにあるのか。『この人に聞く』では、企業存続の秘けつを探るために、今回からシリーズで『長寿企業研究』をお届けします。第一回目にご登場いただくのは、創業205年の歴史を誇る和菓子の老舗、船橋屋。江戸の昔から受け継ぐ『くず餅』の味を守り続け、昭和27年に法人化して以降、1期の赤字も出さずに成長してきた驚異の企業です。変化する時代の中で伝統を守り続ける経営の極意を、8代目当主・渡辺雅司さんに伺いました。

  • 株式会社船橋屋 http://www.funabashiya.co.jp/)1805年創業。下総船橋出身の初代勘助が、亀戸天神の参道に創業。出身地の地名をとり、屋号を『船橋屋』とする。独自に開発した『くず餅』は、葛粉を使う関西の葛餅とは違い、小麦粉を乳酸菌で発酵させたもの。厳選した小麦粉の澱粉質を450日間という長い年月をかけて発酵・熟成させてつくり上げる。保存料や添加物は一切加えないため、賞味期限はわずかに2日間。効率が優先される今の時代にあって、頑固なまでに『本物』にこだわり続けている。その味を愛して、亀戸本店には吉川英治氏や芥川龍之介氏らの文豪も通い詰めた。1952年に法人化、2005年には創業200年記念店舗『こよみ』 を東京・広尾にオープンし、新感覚の『和』のスイーツを展開するなど、伝統と新進を融合させた経営に取り組む。
    企業データ/資本金:2000万円、従業員数/160名、売上高/14億円(2009年3月末現在)

    MASASHI WATANABE

    1964年生まれ。1986年に大手都市銀行に入行。融資業務やディーリング業務、法人営業などを手がけた後、1993年に船橋屋に入社。専務取締役時代から、業界初となるISO9001の認証を取得するなど、伝統を守り続けるための経営改革に着手。2008年8月に代表取締役に就任する。

  • 銀行員時代に、経営の原点を見つける

    ────渡辺社長は、大手都市銀行でのご勤務を経て、船橋屋様にご入社されました。経営を継承されるということは、ご自身の中では早くから決心されていたのでしょうか。

    父は何も言いませんでしたが、「いずれ継ぐのだろうな」という自覚は子どもの頃からありました。ただ、そうであったとしても、外の世界を知っておくべきだというのが父の考え。ですから、私は本店がある亀戸には、生まれたときの3年間と結婚してからの2年間を除いては住んだことがないんです。小学校卒業までは千葉県・船橋市の自然の中で過ごし、その後は麹町と、亀戸からは離れた地域で育てられました。銀行に入行したのも、経済の流れを広く知るため。銀行ではさまざまな企業の案件審査も担当させていただきましたが、船橋屋は貸借対照表も損益計算書も、一度も見たことがなかったんです(笑)。

    銀行に勤務したのは、1986年から1993年というまさにバブル時代。最後の2年間は銀座支店に配属になり、銀座6、7、8丁目という日本で一番難しいといわれる地域を担当しました。今のようにブランドチェーンが入ってくる前の時代です。銀座がこれからどう生き残っていくかという仕掛けをいろいろとお手伝いさせていただき、もう楽しくて、日曜日の夜になると「今週は何を提案しようか」とワクワクしていました。

    その一方で、浮き沈みにもたくさん接しました。バブルの絶頂期から崩壊までですから、それはもういろんなことがありました。札束で相手を叩くようにしていた人が次々と消えていった。私は当初、『ヒト、モノ、カネ』の中で、『カネ』が経営の根幹だと思っていたのですが、これはどうも違うな、と。大切なのは商品である『モノ』であり、モノをつくる『ヒト』なのだということに、思いが至ったのです。ここで学んだことが、今の私の経営の原点につながっています。

    待っていたのは、親方が絶対の"職人の世界"

    ────そして1993年に船橋屋様ご入社されました。会社の第一印象は、どのようなものでしたか。

    ひと言でいえば、"職人の会社"ですね。工場には、昔ながらの職人さんがたくさんいまして、一番驚いたのは夕方の4時でも親方が「酒を飲もう」といったらみんなで飲み始めてしまうこと。「今日の仕事は終わったんだからいいだろう」というわけです。親方の言うことが絶対で、若手は黙ってついて行くという世界ですね。

    ────厳しい徒弟制度は、日本古来の伝統文化でもあるように思います。その職人世界のあり方に、問題を感じたということでしょうか。

    そうですね...。職人さんたちが、頑固なまでに昔ながらの製法を守り続けてくれているからこそ船橋屋の歴史があります。当社の社訓は、「売るよりつくれ」というもの。これは、初代勘助が残した言葉であり、利益の追求に走らず、こだわったものづくりをすることが、商売の永続につながることを諭した言葉です。社内に入ってみて、その伝統を実践し続けることの重みを改めて強く感じました。

    ただその一方で、今の慣習を続けたのでは、若手が自分の思考を奪われてしまうことになりかねないのではないかという危機感を抱いたんです。また、まだ今のように『食の安全』がいわれる前のことではありましたが、いずれ『伝統の製法』という以上のことが求められる時代がくる。船橋屋の伝統は守りつつも、工場の管理など、いろいろな面で近代化や合理化も必要になるのではないかということも、同時に感じました。

    古くからの取引先も、社員も、聖域を設けずに改革

    ────最初に手をつけたのは、どのようなことだったのでしょうか。

    新人の私が何をいっても耳を貸してもらえないと思いましたので、5年間は黙々と働こうと決めました。その間に現場にも積極的に出て、課題を自分なりに整理したうえで、5年後にまず手を付けたのは経費の削減と合理化です。具体的には、これまでおつき合いのあった業者さんとの関係をすべて見直していきました。小豆屋さん、砂糖屋さん、寒天屋さん、折り箱屋さん...と、戦前・戦後を通じて当社を支えてくださった業者さんがたくさんありましたが、残念ながら今もお取引を続けているのはわずかです。

    ────どういった観点で見直しをされたのでしょうか。

    例えば、砂糖や小豆の価格は、通常なら市場の変動相場で決まります。それが、バブル時代に高騰した価格のまま据え置きになっていたんですね。「価格を変動制にしてください」とお願いすると、「それでは安定供給できない」とおっしゃる。「他社の見積りも検討しています」とお話しても、「うちはできません」と。そこで苦渋の決断でしたが、お取引先を替えていったのです。

    私は銀行でバブルを経験しましたので、これからは大変な不景気がくると予想していました。『山が高ければ谷深し』、です。現に、銀行を辞める少し前から、経済は悪化し始めていました。そのディフェンスをどうするかということが、念頭にあったんです。当時はバブルの余熱がまだあった時期で、そこまで考える人は少なかったと思いますが、私には大きな危機感があった。ですから、一気に手を入れたのです。

    古くからの社員の中には、反発して退職していった人もいましたが、それもやむなしと受け止めました。もちろん、今も残って支えてくれている人もいます。当社は基本的には定年がなく、本人が「もう勘弁してください」というまで頑張ってもらうんです(笑)。今も、最高齢は70歳の社員が2人、頑張ってくれていますよ。

    "魂"のない仕組みは、ただの"箱"にすぎない

    ────当時の社長(7代目当主、渡辺孝至・現会長)とお考えがぶつかることはありませんでしたか。

    私から見た会社の現状と課題を伝えたうえでのことでしたので、会長も理解してくれました。それはありがたかったですね。進め方が厳しいのではないかといわれたこともありましたが、私にはこれからの時代の変化に対応する会社をつくりたいという強い思いがあった。ですから、取引先の見直しといった改革を進めていったのです。

    次に、現場の社員も経営に参加できる組織をつくりたいと考えて、2001年にISOの認証取得に向けたプロジェクトを立ち上げました。職人の勘がモノをいう伝統的な和菓子の製法でISOを取得するのは大変な挑戦でしたが、いくつもの困難を乗り越えて2003年にISO 9001の認証を取得。そして、これをきっかけに品質管理プロジェクトや高度衛生管理システムプロジェクトなどのプロジェクトを立ち上げ、組織を横断するチームによる全員参加型の経営に向けて動き出しました。

    しかし、見ていると、どうも参加している社員に元気がない。神輿でいえば"魂"が入っていない状態と言いますか、プロジェクトという"箱"はつくったものの、うまく機能していないんですね。なぜうまく回らないのだろうと、悩む日々が続きました。問題を確信したのは、社員活性化プロジェクトという3つ目のプロジェクトをつくったときのこと。メンバーから、「社員満足度が低い」という指摘を受けて、愕然としたんです。

    それまでも、手がけてきた改革に対する葛藤はありました。これで本当に正しいのだろうか、と。現に、社内も思うように活性化していない。眠れない夜が続き、どうにもこうにも窮したときに、私は、経営の根幹に関わる究極の答えを見つけたんです。これを機に私自身は大きく変わりましたし、会社も変わりました。このときに見つけた答えが、私の経営のすべての原点になっているんです。

    バブル崩壊後、どの企業も大きなパラダイム転換を強いられた時代に200年の伝統を受け継ぎ、今も未曾有の世界同時不況の中、経営の舵を取る渡辺社長。「経営の原点」と語るのは、どのようなことなのでしょうか。後編では、渡辺社長の経営観、人財観を伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  長寿企業研究 ──社員の力を引き出す"幸せの経営"(後編)

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