2010年1月アーカイブ ..

ファイテン株式会社
代表取締役 平田 好宏さん

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    経営状況が『良い時』に危機感を保てるかどうかが、
    企業の成長を決める(後編)

     

    企業の成長には、外部環境に適応すべく、社内に危機感があるかどうかが重要となるが、最も難しいのは経営状況が『良い時』に保つことである。71億円だった売上高が202億円に急伸した2002年のブーム時に危機感を募らせ、社内の意識改革に着手した平田社長。同氏は「大きな成功の陰には、必ず大きな危機が潜んでいる」と語る。もし、ブームに安住していたら、その後、新たな商品は生まれていただろうか。また、社員の意識を変えるには相当な時間とパワーがかかるため、ブームに陰りが見えてから「危機意識を」と言っても、組織の活力を取り戻せなかったのではないだろうか。組織の脆弱化を防ぎ、企業としての成長を持続させるためには、経営状況が良い時に、どれだけ危機感を保てるかどうかにかかっている。

  • ファイテン株式会社 http://www.phiten.com/

    1983年設立。平田氏が個人経営による治療院から転じ、創業。プロ野球選手を始め、スポーツ界には同社製品の愛用者が多く、2002年のFIFAワールドカップ開催時には、日本代表選手が同社の『RAKUWAネック』をつけていたことから一般消費者の間でも大流行。2007年には日本で初めて、MLB(メジャーリーグ)とオーセンティックコレクションライセンス契約を締結。MLB選手がグラウンドで使用する野球製品の各カテゴリーにつき1社のみに発行される特殊なライセンスを獲得する。現在では、スキンケア製品や食品・飲料にも商品を拡大。航空会社などの他社に素材を提供する素材事業も拡大中。
    企業データ/資本金:3000万円、従業員数/680名(2009年4月末現在)、国内店舗数/150店、海外店舗数13店(2009年4月末現在)

    YOSHIHIRO HIRATA

    1953年生まれ。1972年、京都の織物メーカー・矢代仁に入社。1973年に料理人に転向し、複数の料理店で経験を積む。1980年に突然倒れ、膠原病と診断されるが半年ほどで自然治癒。この体験を機に1982年に個人治療院を開業、1983年にファイテン株式会社を設立。代表取締役に就任。

  • トップ自ら象徴的な事例をつくり、社内の意識を改革

    ────『昔のファイテンに戻る取り組み』(前編参照)とは、どのようなものでしょうか。

    当社には3種類の社員がいます。まず、『昔のファイテン』をよく知る、ブーム以前からいる社員。そして、ブームの真っただ中に入社してきた社員。最後に、ブームの後に入社してきた社員です。この中で人数が一番多いのがブームの最中に入社してきた社員で、彼らが一番のネックになっています。当社がプロモーション戦略で物を売ろうとしていた時代に入ってきましたから、その発想が抜けないんですね。

    ────具体的にはどのようなことをされているのでしょうか。

    我々がやるべきなのは、宣伝戦略でものを売ることでも、収益だけを追求することでもなく、お客さまの笑顔を増やすこと。彼らの価値観を、そう変換しなくてはいけません。しかし、これは言葉で言っても伝わらない。お客さまに喜ばれるのがどういうことなのかを、形にして見せなくてはいけないんです。

    ────社員の意識改革も商品開発と同様(前編参照)、理屈ではなく実践から入るということでしょうか。

    そうです。例えば、「ガンに効く薬ができた」といっても、理論だけでは人の気持ちは動きませんよね。実際にその薬でガンが治った人がいるという話になると、ワッと注目が集まるわけです。事実には、すべてを突き抜ける力がある。問題は、その事実をいかにつくり、見せつけるかということです。

    その一つの試みとして一昨年、『PSS商品』というまったく新しい商品を開発しました。関わったのは、私とベテラン社員一人のみ。この商品開発で、私はいくつかのルールを決めました。まず、大々的なプロモーション活動はしない。『PSS』とは、『ファイテンサポートシステム(Phiten support system)』の略ですが、『PSS友の会』というファイテンの友の会会員の方々にだけ、クチコミで販売しようということです。

    さらに、『アクアチタン』や『アクアゴールド』(※)という、当社のスター素材には頼らない。ウリは「商品の良さ」だけ。社員たちは、「社長がバカなことを始めた」と思っていたでしょうが、結果はどうなったか。『PSS商品』は、会員の間にダーッと一気に広まりました。

    ※『アクアチタン』、『アクアゴールド』:ナノレベルでチタンやゴールドを水中に分散させたもの。

    ────具体的にはどういった商品なのですか。

    セラミックを配合したマッサージクリームなどです。既存のヒット商品に類似する物はつくらないと、これもルールとして決めていました。宣伝もしませんから、どういうクリームなのかは「お客さまがご自分で実感してください」と。そんなやり方で売れるのかと思うような展開をあえてしたわけですが、お客さまに価値を感じていただければ、広告宣伝に頼らなくても商品は広まるんです。

    社員の意識にブレがなければ、こういった象徴的な事例をつくる必要はないかもしれません。しかし、ブームを機に『儲ける』ことに意識が向いてしまった。お客さまが喜んでくださるというベースのうえに、我々の企業の存続や利益があるわけで、『儲かること』が優先されるのは、非常に危険です。ですから、私が自ら『お客さまに喜ばれれば売れる』という事実をつくって、社員の意識をとり戻そうとしているんです。

    『土曜日の会議』や『宴会会議』で組織を活性化

    ただ、組織がこれだけ大きくなると、ワンフロアーで仕事をしていたころとは違って、私の影響力がなかなか隅々にまで及ばなくなります。その中で、どうコミュニケーションを取るか。これについては、いろいろな工夫をしています。

    最近始めたのは、日常業務や互いの立場を離れて、自由に議論できる場を設けることです。具体的には、月に一度、土曜日に社員を集めてミーティングを開いています。「ファイテンで働いていることを活用して、自分のアイデアを何か実現してみないか」と。社員から事業や商品のアイデアを自由に出してもらい、その場には私も入ってみんなで議論するんです。休日ですから、無礼講。会議の終了時間も決めませんし、「お前、何をバカなことをいっているんだ」という怖い上司もいない(笑)。

    みんなでワーッと自由な議論をして、できれば新人からスターを出したいんですね。いいアイデアを出せば採用されて、新人でも事業を任されるという現実を見せてやりたい。社歴や立場を気にして自分を押し殺す組織になりつつありますので、その風土は変えなくてはいけないと感じています。

    また、開発スタッフの思考が硬直化してきたなと感じたら、1泊2日で連れ出すようにしています。そして、美味しいものを食べて酒を飲んで。酔っ払ってくるとお互いの警戒心も解けますから(笑)、本音で話ができるようになってくるんです。これは、ある経営セミナーで聞いたホンダ(本田技研工業)の手法を参考にしたやり方なのですが、ホンダには『三日宴会会議』というものがあったそうです。

    企画関連のトップを集めて会議をすると、最初はお互いにバリアを張ってコミュニケーションがなかなか取れない。それが二日目の宴会が終わって、裸で一緒に風呂に入るころになると、本音の意見が出始めるのだそうです。そして三日目は非常に盛り上がって、「そのアイデア、ぜひやろう」となる。

    まずは警戒心を解いて、同じ会社の仲間なんだということを再認識し、自分をよく見せる必要はないんだとプライドを捨てたときからしか、話は始まらないんですね。

    ────人の気持ちは、理屈だけでは動かないということでしょうか。

    すぐ構えて、すぐに偉くなります。ちょっと物を知ると、もう"博士"になってしまう。チームワークは、自分は相手よりも偉いと思った瞬間にダメになりますね。妙なプライドに固執せず、相手を自分よりもすごいと思っている者同士が、いいチームワークを発揮します。

    健康産業から素材産業へ

    ────今後の事業展開は、どのようにお考えですか。

    事業は今、これまでの健康事業から素材事業へと大きく広がっています。例えば、全日本空輸(全日空)が2010年2月から展開する新しいプロダクト・サービスブランド『Inspiration of Japan』では、機内サービスで提供する寝具に当社のアクアチタン技術が採用されました。

    アクアチタンは、これまでは当社の健康事業の中でだけ活用してきましたが、まだまだ大きな可能性を秘めた素材です。新しい農業や半導体への転用など、いろいろな案件が動いています。当社は、外から見れば健康産業を手がける会社ですが、いってみれば『水溶性金属のエキスパート』。今後は、素材事業にも注力していきます。

    ────農業にも応用できるのですか。

    できます。すでに卵も(※1)、お米もつくっています(※2)。他産業への転用も、事実をを示さないと関心を持ってもらえませんから、まずは自社で取り組んでいます。素晴らしい卵やお米ができますよ。

    ※1 ファイテンGエッグ。エサや環境にこだわり、『アクアゴールド』を配合した水で育てた鶏から生まれた卵。

    ※2 ファイテンのこしひかり。発芽、育苗、田植え後のすべての段階で、『アクアゴールド』を配合した水を与えて育てた米。

    近々動く案件としては、京都府と滋賀県の農業試験場と共同で、これまでとはまったく違う卵づくりをして、近畿の特産物に仕上げようという試みを進めています。もうほぼできているのですが、非常に美味しくて、良質なたんぱく質を豊富に含んだ卵です。

    ────なぜ、美味しい卵ができるのですか。

    稲も鶏も、生き物という点では人間と同じです。人間の身体を健康にするのと同じように、農作物も家畜も健康に育ててあげればいいんです。雌鶏の身体を元気にしてあげれば、本当にいい卵をうみますよ。

    鶏にいいということは、ほかの畜産にもいいはずなんですが、豚や牛は成育に時間がかかります。鶏は卵なら毎日採卵できますし、食用肉もブロイラーなら40日で出荷できる。そこで、まずは養鶏で試して、その結果をもとにほかの畜産業に働きかけようと考えています。水産業も同じで、マグロの養殖などは稚魚の死亡率が高いことが課題。稚魚を健康に育てることにも、当社の素材は力を発揮すると思います。

    人は「志」以上のものにはなれない

    ────後継者育成はどのようにお考えですか。

    公の場でいうのは初めてですが、ここ一年ほどで、「世襲はしない」という決心がやっとつきました。社員よりも子どものほうが経営者にふさわしいと思えば後を任せます。しかし、子どもだからというだけで経営権を渡す必要はありません。

    これは悩んだ人にしかわからないと思いますが、世襲問題は創業者にとっては辛いものです。しかし、世襲をあきらめた瞬間に、気持ちが非常に楽になりました。このことはぜひ、世襲問題に悩む世の創業者の方々にもお伝えしたいですね。「諦めましょう」と(笑)。そうすれば、ものすごく楽になります。

    ですから、後継者は私の弟子である社員から選ぼうと考えています。スター性を発揮してメンバーをひっぱっていくようなリーダーが社内に何人も誕生していますので、次に引き継ぐ準備はできています。ただ、私が急にいなくなることはやはり会社にショックを与えますので、問題はどういったステップでバトンタッチしていくかということですが、人は育っていますので心配はしていません。ただ、私のような創業者のカリスマ時代は、次の経営者には持ち込まないほうがいいと思いますね。

    ────平田社長はいつも、将来の目標をどれくらい先まで見越してお考えになるのですか。

    これは社員にもよくいうことなのですが、目的を持たず、目標だけを掲げると道を誤ります。目的は、今後歩こうとする道のセンターラインのようなもの。目標は、その途中にある一里塚のようなものです。『燃え尽き症候群』という言葉がありますが、あれは目標だけを見るからそうなるんです。ですから社員には、「まず目的を持ちなさい」といっています。できれば、次世代に継承できるくらいの目的が持てるといいですね。

    また、私には「種土水光(しゅどすいこう)」という座右の銘があるのですが、これも同様の考えを表したもの。もう十年以上前のことになりますが、ある夜、不思議な夢を見たんです。私は、杉林の中で違う種類の木の種をまいていまして、それを杉に育てようとするのですが、何をどうやっても杉にはならない。なぜだろうと考えて、あっと気づいたんですね。そもそも種が違う、と。まいた後に何をしても、種のDNAの通りのものにしか育たない。そのことに思いが至ったときに、ぱっと『種土水光』の文字が現れた。そこで目が覚めました。

    いつもなら夢はすぐに忘れてしまうのですが、このときだけはメモに書き留めたんです。それを翌朝にしげしげと見ていたら、これは何かが私にメッセージを送ったのではないかという気さえしてきまして、以来、座右の銘にしています。

    ────『種』『土』『水』『光』は、それぞれ何を象徴しているのでしょうか。

    『種』は『志』です。実際の種子がDNA以外のものにはなれないように、人は志以上の人にはなれない。自分が何者になりたいのかという志を、まずは持たなくてはいけないということです。『土』が意味するのは『努力』です。農業では土づくりが大切ですね。いい作物を育てるには、いい土をつくっていい肥料をやらなくてはならない。それと同じように、志を持ったら、次はわが身磨きを怠らないということです。

    『水』は、『世間』を象徴しています。農業でいえば、水ほど治めにくいものはありません。鉄砲水に流されたり、干ばつで立ち枯れしたり。これは人に置き換えれば、まさしく世間そのものです。いくら志を掲げて自分を磨いても、世間が応援してくれないことにはどうにもならない。だから治水と同じように、自分から世間を動かしていくことが成功には欠かせません。そうすれば『光』が差し、本当の喜びややりがいが得られる。それが、『種土水光』なのです。

    ────ありがとうございました。

ファイテン株式会社
代表取締役 平田 好宏さん

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    経営状況が『良い時』に危機感を保てるかどうかが、
    企業の成長を決める(前編)

     

    企業の成長には、外部環境に適応すべく、社内に危機感があるかどうかが重要となるが、最も難しいのは経営状況が『良い時』に保つことである。71億円だった売上高が202億円に急伸した2002年のブーム時に危機感を募らせ、社内の意識改革に着手した平田社長。同氏は「大きな成功の陰には、必ず大きな危機が潜んでいる」と語る。もし、ブームに安住していたら、その後、新たな商品は生まれていただろうか。また、社員の意識を変えるには相当な時間とパワーがかかるため、ブームに陰りが見えてから「危機意識を」と言っても、組織の活力を取り戻せなかったのではないだろうか。組織の脆弱化を防ぎ、企業としての成長を持続させるためには、経営状況が良い時に、どれだけ危機感を保てるかどうかにかかっている。

  • ファイテン株式会社 http://www.phiten.com/

    1983年設立。平田氏が個人経営による治療院から転じ、創業。プロ野球選手を始め、スポーツ界には同社製品の愛用者が多く、2002年のFIFAワールドカップ開催時には、日本代表選手が同社の『RAKUWAネック』をつけていたことから一般消費者の間でも大流行。2007年には日本で初めて、MLB(メジャーリーグ)とオーセンティックコレクションライセンス契約を締結。MLB選手がグラウンドで使用する野球製品の各カテゴリーにつき1社のみに発行される特殊なライセンスを獲得する。現在では、スキンケア製品や食品・飲料にも商品を拡大。航空会社などの他社に素材を提供する素材事業も拡大中。
    企業データ/資本金:3000万円、従業員数/680名(2009年4月末現在)、国内店舗数/150店、海外店舗数13店(2009年4月末現在)

    YOSHIHIRO HIRATA

    1953年生まれ。1972年、京都の織物メーカー・矢代仁に入社。1973年に料理人に転向し、複数の料理店で経験を積む。1980年に突然倒れ、膠原病と診断されるが半年ほどで自然治癒。この体験を機に1982年に個人治療院を開業、1983年にファイテン株式会社を設立。代表取締役に就任。

  • 大病を機に、料理人から治療の道へ

    ────平田社長は1983年、30歳のときにファイテンを設立されました。そもそもはご自身が大病を患われたことがきっかけだったと伺っています。

    そうですね。27歳のときに、国から難病として指定されている膠原病(こうげんびょう※)を発症しまして、それがきっかけといえばきっかけなのですが、当時はそれほど明確に健康産業を志したわけではありませんでした。お客さまのご要望に応えるうちに、今の姿になったということです。

    ※膠原病:自己免疫疾患の一つ。自己の免疫に何らかの異常が発生し、関節や皮膚、内臓など、全身を攻撃する炎症性の疾患。厚生労働省によって特定疾患(いわゆる「難病」)に指定されている。

    そもそも私は、京都府北部の丹後ちりめんで有名な絹織物の産地の生まれ。織物工場の跡取り息子として育ったのですが、20歳のときに父親が工場を閉じてしまったんです。本来ならば悲しい出来事なのでしょうが、私は生来の料理好き。料理人に憧れていたものですから、もう解放されたような気分で(笑)。すぐに料理の道に進みました。

    その世界で20歳といえば後発ですから、遅れを取り戻すべく飲食店のアルバイトを3つはかけもちしたでしょうか。朝は京都市中央卸売市場に買出しに行き、昼は高校の給食センターで働いて、夜は 『皿寿司』といって、今でいう回転寿司のような店の板場に立って。働く先は、あえて庶民的な店を選びました。高級店は下積みが長くて、材料を触れるようになるまでに何年もかかる。でも給食センターや皿寿司のような職場なら、すぐに仕事をさせてもらえるんですね。

    ただ無理がたたったのか、27歳で倒れましてね。病院に行ったら、「今すぐ入院してください」と。そして診断されたのが、膠原病でした。相当進行していたようで、家族は医師から「危ない」といわれていたようです。ところが、そのうちに自然と治り始めたんです。膠原病に特有の自己抗体(※)は、今も私の体の中に結構な数があるそうです。でも発症しない。なぜ発症しないのかは、今もわかっていません。謎のままです。

    ※自己抗体:自分自身の組織や細胞を攻撃の対象としてしまう抗体のこと。

    ────民間療法を試すなど、ご自分で何かされたのですか?

    いえ、何もしていません。あえていえば、気を楽に持ったということぐらい(笑)。ただ、難しい病気ですから、いくら楽天的な性分とはいっても心配で、再発しないように『家庭の医学』を始めいろいろな医学書を読み漁って自分なりに研究を続けました。そうするうちに、自分が得た知識や技術を使って、人のことも治したくなってきたんです(笑)。

    そして調べてみると、私の年齢からでも取得できる治療家の資格があった。『療術』という、整体やカイロプラクティックなどで知られる治療法の資格で、夜間の定時制専門学校に通えば取得できると知り、すぐに京都市内の夜間学校に入学しました。そして2年間通って『療術師』の資格を取得し、治療院を開業したんです。これが、健康産業に携わるようになったきっかけです。

    独創的なアイデアの源は『素人の発想』

    ────まずは飛び込んで"実践"するという発想は、料理人時代の店選びと共通していますね。

    そうですね。ですから、私はいつもプロではなくてアマチュア。しかし実は、そのことが一番の強みになりました。アマチュアは知識がありませんから、何にでもゼロから挑戦できる。これが大きいんですね。

    どういうことかといいますと、治療院を開業したときに私が目指したのは、患者さまを『治す』ことでした。それまでの整体やカイロプラクティックは、肩こりや腰痛を『和らげる』治療が主。つまり、症状緩和のための治療なんですね。でも、私は大病をした経験があったせいか、根本的に治す治療がしたかったんです。

    症状の原因の多くは普段の生活習慣にありますから、治すには生活改善が不可欠です。そこで患者さまにホームケアを勧めるのですが、誰もやってくれない(笑)。簡単なホームケアだったのですが、やはりご本人の意思の力がないとだめなんですね。ところが当時は、小さな磁石を絆創膏のようなテープで貼る健康グッズが流行っていた頃。ホームケアができない人も、それは使っているんです。「効きますか?」と聞くと、「いや、どうかな」と首をかしげるんだけれども貼っている。効くか効かないかわからなくても、絆創膏なら貼るわけです。

    これだ、と。絆創膏のように貼るだけでいい手軽なもので、治療に効果のあるものがつくれないかと考えたんです。といっても、私はアマチュアで知識がありませんから、人がいいという物を手当たり次第に試しました。そして最初に見つけたのが、超伝導のセラミックです。次に、独自に加工した石英ガラスの粒を開発し、これが大評判になりました。ホームケア用の貸出用品として開発したものでしたが、「わけてほしい」という依頼が次々とくるようになり、治療院を閉めて製造に専念するようになったというわけです。

    これが、『素人パワー』なんです。専門家なら、できるかできないかをまずは理論上で判断しますね。しかし、素人は理論を知りませんから、人がいいといえば何でも試します。そうやって、普通の治療家なら絶対に思いつかないような素材と出会ったことが、今につながっているんです。

    ────石英ガラスに出会われるまでに、どれくらいの数の素材を試されたのですか?

    それはもう、ものすごい数ですね。当時はヒーリングストーンがブームになっていた頃でもありましたので、天然石は一通り試しました。でもダメでしたね。「"気"が入る」とか何とかというけれども、あれは『イワシの頭』の世界ですよ(笑)。

    ────素材はご自身の身体で試されるのですか?

    自分自身でも試しましたし、患者さまにも使ってもらいましたね。気心の知れた方ばかりでしたから、「いい物をつくりましたよ」といってね(笑)。たいていは効果を確認しても、「効いてるようにも思うけれど、気のせいかもしれない」という程度の反応だったのですが、石英ガラスを試したときだけは「先生、あれはものすごくいいですね」と、みなさんがおっしゃる。「うわあ、じゃあこれだ」と。偶然の発見です。

    ほかの業界でも、こういうことはよくありますね。例えば日本酒なども、昔は濁り酒しかなかったのが、たまたま樽に木灰が混入し、灰のアクに濁りが吸収されて澄んだ清酒ができたと聞きます。新しい発見は、偶然によるものも多いですね。

    思い込みを捨てれば、不可能も可能になる

    ────どのようにすれば、偶然の発見に出会うことができるのでしょうか?

    これという方法があるわけではありません。アマチュアの発想を大切にして、人がいいということを素直に受け取る。これだけです。プロ意識を持つと、素直に取り組むことができなくなるんですね。そうならないように、今も意識してアマチュア精神を忘れないようにしていますが、当社の開発スタッフなどはすぐに『知識汚染』を起こしますね。

    ────『知識汚染』、ですか?

    私にいわせれば、知識は汚染物です。開発スタッフに新しいテーマを与えると、すぐにわかりますよ。「頭の中で否定し始めたな」と。研究室に入ったばかりの何も知らない社員は、私がいうことはすべて信じますから、「これはできる」といったら「できる」と信じるんです。「社長、そうはいっても...」と異論を唱える社員には、「試しもしないで、なぜできないといえるのか」と。その点は、よく話すようにしています。

    ────その後、水には溶けないといわれていたチタンを溶かすことにも成功されました。

    これもまずよかったのは、チタンは溶けないということを、我々が知らなかったということです。チタンは加工用素材としては、非常に優れているんですね。チタンそのものには健康に対する効力はありませんが、我々はある種のエネルギーを帯びさせる技術を開発したわけです。チタンは硬くて扱いにくい。水に溶かして布に染めることができれば、応用範囲はグッと広がりますから、「ならば、水に溶かそう」と。

    さっそく実験を指示したところ、「チタンは水に溶けるのですか」と開発チームが聞いてきましたので、「世の中に水に溶けないものなんてないだろう」と一喝しましてね(笑)。彼らは私の言葉を信じますから、あらゆる資料を調べて、物を溶かす方法を片っ端から試し始めるわけです。そうこうするうちに、「溶けました」と。開発スタッフがチタンの水溶液を持ってきたんです。

    コバルトブルーの溶液でした。しばらく待っても沈殿せず、上下の濃度が変わらない。これは溶けたぞということで特許申請したのですが、最初は受け付けてもらえませんでした。「ファイテンさん、嘘はいけませんよ」と(笑)。水に溶けるということが、信じてもらえなかったんです。そこで追試を行って改めてデータを提出し、『超微粒子チタン分散水』として特許登録しました。

    先が見えないときには、トップのリーダーシップが不可欠

    ────「チタンは溶ける」と信じて疑わなかったことが、画期的な発見につながったのですね。

    そうです。「できない」と思った瞬間に、人間は思考と行動を止めます。能力があろうがなかろうが、「できる」と信じている人間だけで開発しないと、新しい試みは実現しないんです。

    ただしスタッフを動かすには、「できる」と確信させなければならない。では誰が確信させるのかといえば、当社でいえば私です。「なぜできるのか」と聞かれれば、「俺には未来が見えるんだ」くらいのことは言いますからね。いや、実際には見えませんよ(笑)。けれども先が見えないときには、トップがしっかりとリーダーシップを取らなくてはいけない。自分の直感を信じて、得体の知れない物事に向かって行動を起こせるかどうか。その勝負だと思いますね。

    「できる」と信じて行動を起こすと、実践を通して得た知識が自分の中に入ってきます。『実践知』ですね。『暗黙知』といってもいいでしょう。自覚していなくても、暗黙知が潜在意識の中にどんどん入ってくる。このことに、非常に意味があるんです。やがて、暗黙知からアイデアが自然と湧き出てきます。そうなれば、不可能を可能にするような発見も、次々と生まれるようになる。そのときのトップの役目は、不可能へのチャレンジを面白がる風土をつくることです。人間、気持ちがのってこないとアイデアは出ませんからね。

    ────そのためには、まずはアイデアを生むに足るだけの暗黙知を蓄積する必要がありますね。

    そうです。ですから、まず、自分は物を知らないということを悟る。そして、夢中になって手足を動かすことが必要なんです。

    ファイテンブームの後に訪れた危機

    ────その後、2002年に行われたサッカーのワールドカップで、日本代表選手がファイテンの『RAKUWAネック(※)』を身につけていたことが話題になりました。その直後からファイテンブームが巻き起こり、2002年度は約71億円だった売上高が、翌年度には202億円にまで急伸したと伺っています。

    ※RAKUWAネック:ファイテンの代表的な製品。ファイテンの『アクアチタン(ナノレベルでチタンを水中に分散させたもの)』を含浸させた生地でつくられている。

    あのブームを境に、当社は明らかに変わってしまいました。ブーム以前は、当社の商品はやはり売りにくいものだったんですね。特に、新規のお客さまにどういうものかをなかなか理解いただけなかった。ですから、どんなものかを解いて理解者を開拓していくという、地道ですが、非常に固い地盤を築く営業スタイルで、右肩上がりの成長を続けてきたんです。

    それが、ワールドカップで大ブレイクして、待っていればお客さまの方から買いにきていただけるようになってしまった。これも、ある種の暗黙知です。一度甘い汁を吸うと、何度も同じ汁が吸いたくなる。ですから、有名なスポーツ選手に『RAKUWAネック』をつけてもらって、コマーシャルをバンバン打って。プロモーションに頼って商品を売るようになり、きちんとした理解者をつくる努力をしなくなってしまったわけです。それ以降、業績は伸びても、企業の実力としての地盤は沈下する時期が続きました。

    ────どういったときに、地盤沈下を感じるのですか。

    お客さまに会うとわかります。当社の商品への期待が薄い方が増えているんです。「(阪神タイガースの)金本選手がつけているから」といって購入される方もいらっしゃいます。当社の商品は、健康を本気で取り戻したい方にご利用いただきたいものであって、ファッショングッズではないんです。それなのに、非常にライトタッチに売れ始めている。ですから、よく売れますが、ドロップアウトしていくユーザーも非常に多くいらっしゃいます。

    ────顧客が定着しないということですか。

    新規のお客さまは次々と獲得できていますが、このままでいけば、業績にも影響しかねません。ですから、我々は大ヒットする前の、昔のファイテンに戻らなくてはいけない。そのためにここ3年ほど、いろいろな工夫や努力を続けているところです。

    「大きな成功の陰には、必ず大きな危機が潜んでいる」と平田社長はいいます。組織をどう立て直すのか。後編では、ファイテンの組織活性化への取り組みを伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  経営状況が『良い時』に危機感を保てるかどうかが、企業の成長を決める(後編)

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