2009年8月アーカイブ ..

ホーユー株式会社
代表取締役社長 水野 新平さん

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    得意分野に資源を集中する深堀り経営(後編)

     

    今年、創業104年目を迎えたホーユーは、自宅で手軽に白髪を染めるという習慣を日本の生活に定着させ、さらにファッションとしてのヘアカラー市場を開拓することで、ヘアカラーの文化を育ててきました。家庭用ヘアカラーでは国内トップのシェアを誇ります。ナンバーワンであり続ける競争力の秘訣はどこにあるのか。ホーユー株式会社代表取締役社長、水野新平さんに伺いました。

  • ホーユー株式会社 http://www.hoyu.co.jp/

    1905年に家庭薬製造販売業『水野甘苦堂』として創業。1921年に、数時間かかっていた染毛時間を30分に短縮する画期的な白髪染め『元禄』を発売。73年間のロングセラーとなる。1923年に「株式会社朋友商会」を設立。1957年に、ホーユーの代名詞となる粉末白髪染め『ビゲン』を発売。1991年には、イギリスの有名ヘアカラーリスト、ダニエル・ギャルビン氏との提携ブランドを立ち上げ、プロ向け市場でも確固たるポジションを築く。トップシェアを誇る家庭向け市場では、Bigen(ビゲン)、CIELO(シエロ)などの6ブランド、プロ向け市場ではPROMASTER (プロマスター) 、QUALITIS (クオリティス)などの11ブランドを展開。海外9カ国にも拠点を持ち、約70カ国に製品を輸出。海外戦略も積極的に展開している。
    企業データ/資本金:9800万円、従業員数/853名(2009年2月現在)、売上高/409億円 (2008年10月期)

    SHIMPEI MIZUNO

    1956年生まれ。1980年にホーユーに入社。1986年に取締役に就任。副社長を経て、1997年に父・金平氏の後を継ぎ3代目社長に就任。

  • 『スピード』と『品質』のさらなる追求が今後のテーマ

    ────ヘアカラー市場が成熟した今、消費者には新たなアプローチが必要になってきているということですね。

    そうですね。さらに、変化のスピードが非常に速くなっている。これも、実感することです。まず、ファッションとしてのヘアカラーが広まったことで、若いお客さまが増えました。白髪染めのお客さまは、一度ご満足いただければ長く愛用くださるのですが、若い人たちは次々と新しいものを求めますね。時代の流れも、どんどん速くなっています。それに比して我々も、製品開発や売り方を変えていく必要がある。それは、速さに対応できる企業風土を作っていくということでもあるんですね。

    しかし、例えば商品サイクルを短縮化しても、当然のことながら品質はしっかり保ち、今までいただいてきたご支持や信頼感にお応えできるものを提供していかなくてはいけません。スピードを速めることで、これまでの当社の良い面が失われることがあってはいけないわけです。これが、今の一番の課題かもしれませんね。

    ────変化のスピードに対応しつつ、商品やサービスの品質を守る。2つのテーマを両立するのは容易ではありませんね。

    そこにおいては、時代が変化していく中で、当社の良い社風をいかに損なわずに発揮していくかという問題もあります。どういうことかといいますと、自由に何にでもチャレンジできる社風があることが当社の強みの1つですが、その良い面が出にくくなっているように思うんですね。昔は何にでもチャレンジできたけれども、今は失敗を恐れて躊躇する場面が増えてきたのではないか。そう感じています。

    製造現場でいえば、例えばオートメーション化が進んだことがその一因です。機械化が進んでいなかった時代なら、何か1つ失敗してもロスはそのときに作った1個で済みます。けれども、今の生産ラインで何かのミスがあったら、膨大な数の不良品ができてしまうわけです。

    営業の現場でも、同じことが起こっています。昔は『セット』といって、ヘアカラー商品をセットにした段ボール箱をかついで、薬店ごとに営業に回っていましたから、交渉が不成立でもその店にそのセットが売れなかったというだけ。しかし、今や商談の場はドラッグストアチェーンの本部に移り、交渉する相手はバイヤーの方々。交渉の結果によっては、売り上げが大きく変わることになります。それに対するストレスや失敗できないというプレッシャーが、思いきったチャレンジを阻止しかねないわけです。

    変化のスピードが速くなっただけでなく、一人ひとりの仕事の重みが、昔に比べて非常に大きくなっている。その中で、みんな本当によくやっていると思います。昔とは比べものにならないくらい、みんな勉強していますし、頑張っています。しかし問題は、その頑張りが変化への対応に結びついているかどうかということなんですね。

    教育の早期化で、変化に対応できる人財を育成する

    ────『先が読めない時代』ということもよくいわれますが、そのような時代に対応できる人財は、どうすれば育てることができるのでしょうか。

    大きな方向性はトップが示さなくてはいけませんが、現場では現場の変化がさまざまに起こります。そこにおいては、担当者は担当者なりに答えを見出して進まなくてはいけません。それは、いわれた通りに動くだけでは対応できないことですね。変化に合わせて自分の判断で決断しなくてはいけない場面は、今後ますます増えるでしょう。

    その意味では、人財育成の早期化やテーマの見直しが必要だと感じています。例えば管理職の研修を課長になってから行うのではなく、新入社員のときからリーダーシップのあり方を教える。そういったことも、今後は必要になってくるのだろうと思います。管理職になってからリーダー研修を受けさせたのでは、もう間に合わない。最近は特にそう感じますね。

    それも、総合職や幹部候補のための特殊な教育ではなく、昔でいうところの一般職的な社員も、判断力や後輩指導力、人を動かす力といった能力を、入社したときから身に付けていくぐらいの育成の方向性を持つことが必要です。

    人財育成の方向性を見直すにあたって、当社は今期、人事制度を改定しました。従来は『総合職』『一般職』と呼んでいた職掌を、『Gコース』『Aコース』という新たな名称に変更し、各職掌の定義も改定しました。

    『Gコース』は、従来の総合職にあたるもの。全国勤務が可能で、高度な判断力・管理力・専門能力を必要とする業務を担当する職掌です。『Aコース』は、主に定型業務を担うとされていたこれまでの一般職から位置付けを変え、特定分野で深い知識を必要とする業務を担当する職掌と定義しました。役職も課長まで昇進できるようにしましたので、今後は『Aコース』の社員にも判断力や人を動かす力が必要になります。今後は、入社時からそういった能力を身に付けられるような育成が必要になってくるのだろうと思います。

    組織のキーマンに求めるのは『自覚』

    ────時代の変化に対応するには、個々の現場力を高めると同時に、変革の中核を担うキーマンの育成も重要になってくるかと思います。キーマンにどのようなことを期待するか。お考えをお聞かせください。

    ひと言でいうならば『自覚』、ですね。組織の中で自分はどういう存在なのかを自覚するということです。昔は、『愛社精神』というものがありましたね。それは当社に限ったことではなく、日本社会の共通の価値観ともいえるような確固たるものとしての『愛社精神』があった。それを、そのままの形でノスタルジックに求めるべきではないかもしれませんが、少なくとも組織の中での自分を定位させていくことはこれからも変わらず必要であり、そこがすべてのスタートになるのだろうと思います。しかし、世の中全体を見ても、今はそういったことが弱くなっているように感じますね。

    ────『就社』から『就職』へと、若い人たちの就職観が変化しているということもよくいわれます。

    そういった意識の変化が起こっているとしても、やはり『会社』というものはあるわけです。また、仕事を離れても人間である以上は、何らかの人との関わりを持つことになります。家に帰れば家庭があり、町内会があり、趣味のサークルに入ればそこにも組織がある。社会というものがあってそこでの人との交わりの中で活動をしているのが、人間という動物なのです。

    その意味では、組織の中で自分はどうあるべきなのかを自覚することは普遍的なテーマなのだろうと思いますね。ましてや企業においては、そこがすべてのスタート地点になります。企業である以上は組織として成果を出さなくてはいけない。そうしたときにキーマンに期待するのは、組織のリーダーとしての役割です。その役割を自覚することを期待しています。

    金銭的な豊かさだけでなく、心の豊かさを評価軸に持つ

    ────成果主義の行きすぎが見直されたように、変化のスピードが速くなっていることも、いずれ揺り戻しがくるのではないでしょうか。

    それはあるかもしれませんし、恐らくはそうならないと、地球温暖化問題といったことも含めて、いろいろな問題が起こってくるのではないかと思いますね。といっても、業界や企業にとっての活力の源はやはり成長ですから、売上高や利益の拡大はもちろん追求すべきことですが、それとは別の評価軸も必要ではないかという気がしています。

    例えば、働く人にとっての『働き甲斐』や、お客さまにとっての『安心感』や『満足感』といった心理的なものを、一つの尺度として考えてもいいかもしれません。『働き甲斐』というのは、当社の社員に限ったことでなく、我々の製品を扱っていただいているヘアサロンや小売店の方々も含めての話。そこで働くとステータスが上がる、働くことにもっと誇りを感じるといった『働き甲斐』のある場に美容業界全体がなる。お客さまには、今よりももっと喜びや楽しみを感じていただけるように、美容業界全体の魅力を高める。そういった観点で、業界の成長を評価する軸があってもいいと思うんですね。

    美容業界は、人を美しくする産業です。物理的な尺度だけで見れば、少子化で人口は減少の一途をたどるといった暗い要素も抱えてはいるものの、心を豊かにする産業という観点で見ると、非常に有望で明るい未来が描ける業界です。

    ────2005年には、『COLOR YOUR HEART <心に彩りを>』というコーポレートスローガンを打ち出されました。この言葉にも、水野社長の思いが込められているのでしょうか。

    私の思いももちろん入っていますが、これは全社アンケートを実施し、寄せられた意見を社内のプロジェクトチームがまとめて作ったスローガンです。『商品やサービスの提供を通じて「心からの豊かな美」を創造し続ける』という、ホーユーの理念が込められた言葉ですね。

    つまるところ、我々がやっているのは笑顔を増やすための仕事です。幸せな仕事に就いて いるなと思いますね。同時に、売上や利益の拡大いう命題もあるわけですが、成長するには、まずは足元が安定していなければなりません。より働き甲斐のある企業を目指してまずは我々の心を豊かにし、それによって『心からの豊かな美』をお客さまにご提供する。そんな企業活動を今後も展開できればと思います。

    ────ありがとうございました。

ホーユー株式会社
代表取締役社長 水野 新平さん

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    得意分野に資源を集中する深堀り経営(前編)

     

    今年、創業104年目を迎えたホーユーは、自宅で手軽に白髪を染めるという習慣を日本の生活に定着させ、さらにファッションとしてのヘアカラー市場を開拓することで、ヘアカラーの文化を育ててきました。家庭用ヘアカラーでは国内トップのシェアを誇ります。ナンバーワンであり続ける競争力の秘訣はどこにあるのか。ホーユー株式会社代表取締役社長、水野新平さんに伺いました。

  • ホーユー株式会社 http://www.hoyu.co.jp/

    1905年に家庭薬製造販売業『水野甘苦堂』として創業。1921年に、数時間かかっていた染毛時間を30分に短縮する画期的な白髪染め『元禄』を発売。73年間のロングセラーとなる。1923年に「株式会社朋友商会」を設立。1957年に、ホーユーの代名詞となる粉末白髪染め『ビゲン』を発売。1991年には、イギリスの有名ヘアカラーリスト、ダニエル・ギャルビン氏との提携ブランドを立ち上げ、プロ向け市場でも確固たるポジションを築く。トップシェアを誇る家庭向け市場では、Bigen(ビゲン)、CIELO(シエロ)などの6ブランド、プロ向け市場ではPROMASTER (プロマスター) 、QUALITIS (クオリティス)などの11ブランドを展開。海外9カ国にも拠点を持ち、約70カ国に製品を輸出。海外戦略も積極的に展開している。
    企業データ/資本金:9800万円、従業員数/853名(2009年2月現在)、売上高/409億円 (2008年10月期)

    SHIMPEI MIZUNO

    1956年生まれ。1980年にホーユーに入社。1986年に取締役に就任。副社長を経て、1997年に父・金平氏の後を継ぎ3代目社長に就任。

  • ヘアカラー事業に経営資源を集中し、カテゴリーシェアの首位に

    ────家庭用ヘアカラーのシェアナンバーワン企業として、ヘアカラー市場での確固たるポジションを築かれています。ナンバーワンのポジションを確立された秘訣はどこにあるのでしょう。

    我々がこれまでに取ってきた方法がベストであったかどうかはわかりませんが、1つあるとすれば、ヘアカラーという得意分野に経営資源を集中してきた。これは、1つの戦略として大きな意味があったのだろうと思いますね。

    得意分野に経営資源を集中するというのは、つまり、研究開発から製造、営業に至るまで、ヘアカラーに関するすべての局面においてトップを目指すということです。研究開発でいえば、機能面や品質面、安全面においてトップクラスの研究を行うということ。製造においては、トップクラスの製造技術や生産設備を持つということ。販売においては、ヘアカラーに関してトップクラスの知識を持つ営業スタッフを育成し、彼らの営業を支援するマーケティング活動をさまざまに展開するということ。そして、その一連の流れのすべてにおいて、どこにも負けない組織を作るということ。これらを実直に続けてきたことが、結果としてシェアナンバーワンという成果につながったのだろうと思います。

    ────研究開発面では、今年の4月に平成21年度の『知財功労賞』を受賞されました。常にトップクラスの特許出願件数と高い登録率を維持されていることなどが評価されたそうですね。

    経営資源を集中させるにあたっては、何に投資すべきかを見極めることは非常に重要です。その中で、知的財産の確保は1つの大きなテーマになります。私どもの特許戦略が世間一般においてどのレベルにあるのかはわかりませんが、我々なりには比較的早い時期から、知的財産活動には相当の力を入れて取り組んできました。ベースになる研究開発力を強化するために、社員の8人に1人は研究開発スタッフという人数を配置して研究開発体制を整え、知的財産活動に対する意識づけを行っています。

    また、ヘアカラーというのは、化粧品の中でも化学反応を利用する特殊なものなんですね。その意味でも、研究開発は非常に重要です。化粧品といえば、口紅やファンデーションといった塗るものが一般的ですが、塗るというのは物理反応を利用したもの。ヘアカラーの染めるという機能は、髪の中で起こる染髪剤の化学反応によって発色させているわけです。ですから、ほかの化粧品とはちょっと違う。髪にダメージを与えず、体にも害を与えない、より安全で安心なものを作らなくてはいけないわけです。そういった安全のための基礎研究には、かなりの投資をしています。

    それに加えて、ヘアカラー製品には液状・乳液タイプやクリームタイプ、粉末タイプなどさまざまな剤型があり、タイプによって特徴や用途が異なります。色一つとっても、その時々の流行があります。ライフスタイルの変化に伴ってヘアカラーに対するニーズも変化し、製品が多様化、細分化する傾向にありますから、基礎研究だけでなく、マーケティングと連動した製品化研究も重要です。

    その意味では、我々は美容業界という大きなくくりでいえばヘアカラーの専門メーカーですが、ヘアカラーというカテゴリーの中で見れば、総合メーカーになる。そういう見方もできるのかなと思いますね。

    といっても、次に何が流行するかはそう予測できるものでもありませんから(笑)、「今は売れ筋ではないけれども、将来売れるかもしれない」というようなタイプのヘアカラーも、平素から研究しています。まだ世には出していない製品も、かなりの数のストックがある。時代が変わってそちらの方向にニーズが変わったときには、他社が技術的に追いつけないような体制ができているわけです。こういった表には出ない平素の研究開発が、我々の競争力の源泉です。

    「家族が安心して使えるものを作る」ことが、商品開発の原点

    ────同じ老舗の専門メーカーでも、例えば食品業界などでは偽装事件を起こして、長年の歴史に幕を下ろした企業もあります。御社ではなぜ、安心・安全に対する高い意識を保ち続けることができているのでしょうか。

    逆に、「できている」と言い切ることに怖さを感じますね。「まだまだ、できていないのではないか」と思い続けている方が、自らを律することができるように思います。

    社内にいつも言うのは、「消費者の声を聞く」ということです。研究しているとき、製造しているとき、営業しているときに、消費者の顔が見えているかどうか。それも、不特定多数の消費者ではなく、身近な人を思い浮かべる。これが大切なんですね。例えば自分の母親や妻、子どもが髪を染めているときの様子を思い浮かべれば、少しでも良い物、安全な物を届けたいと思うはずですよね。

    ある製品の仕様をAとBのどちらでいくか迷ったときなどに、今のような問いかけをすることはよくあります。「自分の家族が使うとすれば、どちらにしますか」と。もちろん、一般の消費者の方々を対象にした大規模なマーケティングテストも行いますが、統計結果はあくまでも数字。数字と同時に、使う人の顔が思い浮かぶことが大事なんです。

    ────4年前には、お客さま相談室を総合研究所に組み入れるという組織改革も実施されました。

    以前は営業に近い部署にあったのですが、当社製品をお使いいただいている方々の声を研究開発に反映するために改編しました。といっても、総合研究所に移した一方で、営業サイドとどうコミュニケーションをとっていくかということが次の悩みになってくるわけですが、お客さまの声を製品開発に活かしやすいという利点は大きいですね。

    市場を創ることから始めた営業活動

    ──── 一方で、販売面においては単なる営業にとどまらず、美容サロン向けのセミナーを開く、ヘアカラーリスト育成の学校「ホーユーテクニカルアカデミー」を設立するなど、ヘアカラー製品の普及に尽力され、市場を創出してこられました。

    我々としては、市場を作ることを意識して営業活動をしてきたわけではないんです。その時々で、どのようにすれば製品が売れるかを考えながらやってきた。それが、振り返ってみれば市場を作ったことになっていたということなのだろうと思います。

    例えば、昭和46年(1971年)に『ビゲンヘアカラー』を発売したときは、製品の発売にあわせて専門の講習会を開き、本社で無料の染毛サービスを行いました。『無料染毛サービス券』というものを作って、本社近隣の薬局で商品を購入されたお客さまにお配りし、「チケットを持参された方は、無料で染毛しますよ」といってね。それまでは粉末タイプのへアカラーがほとんどだったところに液体式の『ビゲンヘアカラー』が登場し、製品の使い方からお客さまにご説明する必要があったわけです。

    『サロンカー』というものを走らせたこともありましたね。昭和60年(1985年)ごろのことです。車内でシャンプーや毛染めができようにした、特注の改造バスを作ったんです。当時、ドラッグと呼ばれる量販店の販売力がアップしてきて、社員の質の向上を図るため、社員教育に力を入れはじめた時期でした。小売店の店主さんや店員さんは、なかなかお店を離れられませんから、当社のセミナーに来ていただくのは難しい。だったら、こちらからお店まで行こうという発想です。店舗の前にバスを止めて専門講習会を開いて、「こういうタイプの製品はこのようにして染めてください」ということを体験していただくわけです。改造費だけで、当時の金額でバス1台あたり2000万円はかかったでしょうか。それを3台作りました。

    その後、へアカラーリストを本格的に養成するために、1997 年に名古屋に『ホーユーテクニカルアカデミー(※)』を開設しました。さらに、国内各地の教育拠点として東京、大阪、仙台、福岡に『ホーユースタジオ』を展開しています。

    ※ホーユーテクニカルアカデミー:理美容師を対象にした、ヘアカラー技術向上のための教育機関。職業訓練校の認定も受け、開校以来2000名近い卒業生を送り出している。

    その間、ヘアカラー市場は大きく拡大しました。私が入社した1980年当時のヘアカラー市場は、シャンプー市場の約半分。シャンプーの国内の年間総出荷額が約800億円あったのに対して、ヘアカラーは約400億円という規模でしたが、今はシャンプー市場と同規模にまで育ちました。それはつまり、ヘアカラーを1度は経験されているという方が増えているということでもあります。昔は、まったくご存知ない方に使い方をお伝えすることが必要でしたが、今はまた別な情報をご提供することが必要になってきている。それが今後の我々のテーマの1つでしょうね。

    ヘアカラー市場が成熟期を迎えた今、市場に対して新たなアプローチを展開するには、どのような人財が求められるのか。後編ではホーユーの人財観を中心に伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  得意分野に資源を集中する深堀り経営(後編)

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