2009年7月アーカイブ ..

株式会社壱番屋
代表取締役社長 浜島 俊哉さん

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    世代を超えて続く企業の法則(前編)

     

    景気の波、顧客や消費者のニーズの変化、競合の台頭、経営者の世代交代......事業にはさまざまな環境変化がつきまといます。それらにどう対処するのか、変化は企業の真価を問う試金石でもあります。時の試練に耐え、世代を超えて繁栄し続けるには、何が必要なのか。2002年に創業者から経営を継承し、3代目経営者として株式会社壱番屋を率いる代表取締役社長 浜島俊哉さんに伺いました。

  • 株式会社壱番屋 http://www.ichibanya.co.jp/

    1978年創業。1982年設立。カレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」を中心に、あんかけスパゲッティ専門店「パスタ・デ・ココ」、カレーらーめん専門店「麺屋ここいち」などを国内外に展開する外食企業。ロイヤリティを徴収しないFCシステムを構築するなどのユニークな経営で右肩上がりの成長を続け、2004年には東証・名証二部に上場。翌2005年には、東証・名証一部に上場。現在は、ハワイ・中国・台湾・韓国・タイにも出店し、『世界のココイチ』に向けて快進撃を続けている。
    企業データ/資本金:15億327万円、従業員数/776名(平成21年5月末)、店舗数/国内 1,176店、海外29店 (平成21年5月末現在)

    TOSHIYA HAMAJIMA

    1959年生まれ。1980年、『カレーハウスCoCo壱番屋』に従事、1982年に壱番屋の法人化に伴いグループ企業である壱番屋店舗運営株式会社に入社。1983年に株式会社壱番屋に移籍。1990年株式会社壱番屋中日本本部長、92年取締役全国統括本部長、96年取締役店舗運営本部長兼全国統括部部長、98年専務取締役店舗運営本部長兼全国統括部長、2000年代表取締役副社長を経て、2002年6月代表取締役社長に就任。

  • 責任を与え、結果を出せばさらに引き上げる

    ────社員の方々の主体性を重んじながら、聖域を設けずに変えるべきは変える。それが、企業としての『時計を作る(前編参照)』ことにつながるのですね。

    そうです。そこにおいては『やりたい人がやる』という原則を貫くことが大切です。例えば中国進出の際には、「行きたい」と手を挙げた課長に、上海1号店を任せました。冗談交じりに「片道切符だと思えよ」と言って送り出したのですが、それくらいの気概で行った人間だから、中国進出を成功させることができたわけです。

    新業態の展開やメニュー開発なども、「やりたい」という者がいれば、いつでも任せます。結局のところ、人を育てるのは仕事なんですよ。責任を与えて、結果を出したらさらに上のポジションに引き上げる。それを繰り返していくしかないんです。

    私やほかの役員クラスも、そうして育ってきました。当時の代表である宗次に「こういうことをしたい。させてください」と言って、結構自由にやらせてもらってきたわけです。「その代わり、責任は取ります」と言ってね。そうやって、一人で二役も三役もこなしながらやらなければ、会社が回らないという事情もありました。

    今は時代も変わって、若い人がそういった経験をできなくなってきていますが、やりたい人間が自己申告できる制度をいずれは作りたいと考えています。「自分はこういう仕事がしたい」「次は違うステップを踏みたい」というのを会社が審査して、意欲のある者には機会を与える。これができれば、それこそ主体性のある組織になりますよ。

    といっても、全員がそうなるのは無理な話。20代、30代、40代と、それぞれの世代に何人かいれば十分です。実際、私は全国を回って現場で働いている人たちとコミュニケーションをとっていますが、30代に2人、20代に1人、そういう社員がいますね。「私が次の社長をやりますから、それまで社長でいてくださいね」といってくるのがね。「だったら、もっと努力しろよ」と私も言うのですが(笑)、やはりそういうことを考えている人間は、同年代と比べて頭が1つ、2つ、上に出ている。日ごろの動きからして違いますね。

    ────行動を変えるには、まずは意識を変えることが必要なのですね。

    そう。一人ひとりが自覚を持つことです。周囲からどんなに言われたところで、本人に自覚がなければ動きは変わりませんからね。その意味では、私はもう自分の退任を視野に入れています。当社は65歳定年なのですが、私は43歳で社長になりましたので、定年まで務めれば22年間になる。そんな長期政権をしいたら、会社はおかしくなりますよ。ある程度のところで、次の世代に引き継ぐことを今から考えて、幹部を育成していかなければならないと思っています。

    負のエネルギーがプラスに転換するときに、人は成長する

    ────創業期の試練をご存知ない世代の方々に自覚を持っていただくには、どうすればよいのでしょう。

    先ほどからお話しているように、意欲のある者に機会を与えるということと、もう一つ、マイナスエネルギーがプラスに転換するときに、人は成長するということがあります。企業でいえば、降格人事。これが、一番効果がありますね。まさに私が、当社の降格人事第一号でしたから(笑)。

    ────お店を一軒、潰されたそうですね。

    そう、21歳のときのことです。7店目にあたる『カレーハウスCoCo壱番屋 尾西起(びさいおこし)店』の店長を任されたのですが、業績が伸びず、半年で閉店することになってしまった。そこで降格人事の対象になったわけですが、「どうして俺が降格になるんだ」という気持ちが、ものすごくあったんですね。「今に見ていろ、このままでは終わらないぞ」と(笑)。

    ────その後に大型店のオープン店長を任されたときには、大成功を収められたと伺っています。

    運もあったと思いますが、降格人事を経験していないもう一人の自分が任されていたら、あそこまで頑張ることはできなかったかもしれないとも思いますね。あの経験があったからこそ、自分は何をすべきかをものすごく考えましたし、降格から学んだことがその後の私のマネジメントのベースにもなっているんです。

    ただ、降格人事が効果的だといっても、あまり年次を重ねてからでは本人へのダメージが大きい。やるなら、30代から40代のころが一番いいと思いますね。といっても、やみくもにやるものではありませんが、停滞しているなと思ったら、思い切って降ろしてやるのも方法だと思いますね。

    ────実際に、降格人事の実例はあるのですか。

    ありますね。先月、新しい期を迎えましたが、カムバックした人間が何人かいますし、逆に落っこちた人間もいます。みな、今お話したように、30代から40代の社員です。悔しさやコンプレックスといったマイナスエネルギーが、「今に見ていろ」というプラスに転換されると、ものすごく強いエネルギーになる。見ていると、這いあがってくる人間は伸びますよ。一様にね。

    外食産業の本質は、『ホスピタリティー』にある

    ──── 一方で、外部環境に目を向けますと、このところの経済状況を受けて、さまざまな業界で価格競争が激しくなっています。この風潮をどうご覧になりますか。

    他社はどうであれ、低価格を追求することは当社の哲学ではありません。お客さまが減ったから値下げするというような価格の決め方ではなく、提供する価値に見合った適正な価格をいただく。それがビジネスなのではないでしょうか。

    その意味ではお客さまからの声も、『お応えできるもの』と『お応えできないもの』は区別していますね。社長になってすぐ、品質保証部を立ち上げると同時に、お客さまサービスセンターも社長直轄組織で作ったのですが、ここにはアンケートハガキだけで年間に約60万枚、Eメールも含めると63万件近いお客さまからの声が寄せられます。

    店舗の入り口にスロープを設ける、化粧室にオムツ替え用シートを備え付けるなど、お客さまの声から実現したものは数多くあります。お応えすべきご要望には、その声がどんなに少数であってもお応えしたいと考えていますが、逆に、当社のミッションとは相いれないご要望にはお応えできません。

    ────具体的には、どのような要望が寄せられるのですか。

    例えば、当社とは業態の違う他の外食チェーンさんと比較して「同じ価格にしてほしい」といったものなどですね。業態や提供するメニューによって、かけている原価も手間も違いますから、当然、価格も違ってくるわけです。

    壱番屋がお客さまに提供するのは、トータルの『食としての価値』。先ほどもお話したように、その『価値』に見合った適正な価格をいただこうということです。では、『価値』とは何か。社内には常々、『V=(Q+S+C+A+G)÷P』なんだよという話をしています。

    Vはバリュー(価値)、Qはクオリティ(品質)、Sはサービス、Cはクリンネス(清潔さ)、Aはアトモスフェア(雰囲気)、Gはグッドウィル(信頼)、そしてPがプライス(価格)です。『Q、S、C、A、G』をすべて足して価格で割ったものが価値なんですよ。むやみに価格を下げるのではなく、分子である『Q、S、C、A、G』を高めることで、価値を創造しようと。社内には、そのことをいつも言っています。

    ────外食産業全体を見れば、低価格競争が進んでいるにも関わらず、外食する人が減っているという皮肉な現象も起きています。消費者に応える『食』のあり方が、改めて問われているともいえるのでしょうか。

    自分の好みをよく知ってくれている行きつけの店で、「今日のおススメは?」などと話しながらする食事には、価格の安さだけを求めたりはしませんよね。払った料金以上の価値を感じれば、いい食事をしたと思うでしょう。結局は、そういうことなんです。究極の例は、飲み屋さんですよね。

    ────「あの店のママに会いたい」と(笑)。

    そう。「あの店のあの人に会いたい、癒されたい」というね。その感覚が外食店でもできないだろうか、ということなんです。「あの店のおばさんはいつも元気で、行くとかまってくれるんだよな」とかね。それがあるべき姿。外食産業の本質である『ホスピタリティー』に磨きをかけることが、我々の至上課題です。

    ────チェーン展開であっても、各店が個性を持つことが大切なのですね。

    そうです。もちろん、店舗数が多ければ、購買コストやオペレーションコストが下がりますから、いい経営ができるわけですが、経営と店の運営はまた別ですからね。店を運営するのは人。人がすべての鍵を握っているのです。

    ────ありがとうございました。

株式会社壱番屋
代表取締役社長 浜島 俊哉さん

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    世代を超えて続く企業の法則(前編)

     

    景気の波、顧客や消費者のニーズの変化、競合の台頭、経営者の世代交代......事業にはさまざまな環境変化がつきまといます。それらにどう対処するのか、変化は企業の真価を問う試金石でもあります。時の試練に耐え、世代を超えて繁栄し続けるには、何が必要なのか。2002年に創業者から経営を継承し、3代目経営者として株式会社壱番屋を率いる代表取締役社長 浜島俊哉さんに伺いました。

  • 株式会社壱番屋 http://www.ichibanya.co.jp/

    1978年創業。1982年設立。カレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」を中心に、あんかけスパゲッティ専門店「パスタ・デ・ココ」、カレーらーめん専門店「麺屋ここいち」などを国内外に展開する外食企業。ロイヤリティを徴収しないFCシステムを構築するなどのユニークな経営で右肩上がりの成長を続け、2004年には東証・名証二部に上場。翌2005年には、東証・名証一部に上場。現在は、ハワイ・中国・台湾・韓国・タイにも出店し、『世界のココイチ』に向けて快進撃を続けている。
    企業データ/資本金:15億327万円、従業員数/776名(平成21年5月末)、店舗数/国内 1,176店、海外29店 (平成21年5月末現在)

    TOSHIYA HAMAJIMA

    1959年生まれ。1980年、『カレーハウスCoCo壱番屋』に従事、1982年に壱番屋の法人化に伴いグループ企業である壱番屋店舗運営株式会社に入社。1983年に株式会社壱番屋に移籍。1990年株式会社壱番屋中日本本部長、92年取締役全国統括本部長、96年取締役店舗運営本部長兼全国統括部部長、98年専務取締役店舗運営本部長兼全国統括部長、2000年代表取締役副社長を経て、2002年6月代表取締役社長に就任。

  • 創業者が『時を告げ』、継承者が『時計を作る』

    ────2002年に、創業者である宗次徳二氏(現・特別顧問)の後を継いだ宗次直美氏(現・会長)から代表取締役社長の座を継承されました。その2年前、2000年に代表取締役副社長にご昇進されたときに、宗次夫妻から「社長になる自信がついたらいつでも譲る」というお言葉があったと伺っています。そのお言葉を聞かれたときは、どのようなご心境でしたか。

    「ついに来たか」というのが正直な感想ですね。当社は、同じく2000年に株式を店頭登録しています。株式を公開するということは、ひょっとすると、ひょっとするのかなと。公開準備の段階からそれは考えていましたので、2000年のそのときは「ついに来たか」と。それが、正直な感想でした。

    ────その1年半後に「来期から社長を」と申し出られたそうですが、社長就任をご決心されるまでの月日は、どのような期間だったのでしょうか。

    助走期間といいますか、自分なりに気持を整理して、この会社をどうしたいのか、また、どうしなければいけないのかを考えた期間でした。そのために、数多くのビジネス書を読みました。ネットサーフィンならぬ、ブックサーフィン(笑)。気になる本を買って、その中で紹介されている書籍や巻末の参考文献に、片っ端からあたっていくわけです。

    そうするうちにある経営書に出会い、そこに書かれていた言葉がドーンと腹に落ちたんです。『ビジョナリー カンパニー(※)』という、多くの経営者が推奨されている名著で、私も偶然その本にたどり着いたのですが、そこに『時を告げるのではなく、時計をつくる』という一節があったんです。なるほどな、と思いましたね。私は時を告げる必要はなく、時計を作ればいいんだと。

    どういうことかといいますと、創業者には強烈なカリスマ性があるわけです。リーダーシップがありますから、みんながついていく。けれども、番頭だった私には、その力はないんですね。調整力はあっても、リーダーシップはない。それならば、むやみやたらにリーダーシップを発揮しようとすることもなかろう、と。それよりも、時計を作るための仕事をしようと。つまり、仕組みや文化といったものを作っていけばいいんだと。この考えに行きついたことが、とても大きかったですね。

    ※『ビジョナリー カンパニー』(ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著、日経BP出版センター刊):時代を超え、際立った存在であり続ける企業を『ビジョナリー カンパニー』と名づけ、ライバル企業との比較を通じて、『ビジョナリー カンパニー』に共通する繁栄の法則を解き明かす。日本での初版は1995年。以来、重版を重ね、ロングセラーを続けている。

    倒産廃業のリスク要因を、徹底的に取り除く

    ────社長ご就任後は、どのようなことから手をつけていかれたのでしょうか。

    社長になったタイミングで作ったのが、品質保証部です。労務管理にも手を入れました。倒産廃業を引き起こすリスク要因には何があるかと考えたら、最も大きいのは食品の事故なんですね。それから、労務管理の問題。この2つは絶対に、いち早く手をつけなければいけないと考えていました。

    労務管理の見直しは少し遅れましたが、品質保証部は就任と同時に稼働できるように組織を編成して、何とか形になったといえるようになったのが、一昨年、昨年くらいでしょうか。5年ほどかかりましたが、現在の品質保証部はやっていることも、店舗に求めていることも、外食企業の中でもトップクラスだと思いますよ。他社から受注ができるくらいのレベルだと自負しています。

    監査対象は、自社工場、お取引先の工場、物流センター、店舗の4つ。総勢25人のスタッフがそれぞれの担当について定期的に、もちろんレベルに合わせて頻度を変えて、監査業務を行っています。中央官庁から発信される重要な情報も、品質保証部で一元管理しています。

    ────店舗は、直営もフランチャイズも、同様の監査をされるのですか。

    同様です。直営、フランチャイズの区別はありません。

    ────フランチャイズには、オーナーという経営者がいます。指導が難しい面はありませんか。

    それはあるでしょうが、仮に事故が起きてしまったら一店舗や一法人の問題で済みませんから、強い姿勢で臨んでいます。

    労務管理は、品質保証部の立ち上げよりも少し遅れたのですが、『サービス残業をゼロにする』という宣言のもとに、労務改革を3回行いました。今はもう、どこからも後ろ指を指されることはないですね。

    さりながら、労務管理を国の基準に合わせて行うと、会社はどうしても弱くなる。ハードワークがしにくくなりますから。どんな仕事でもそうですが、能力を伸ばすには、自分の限界ギリギリまでやるという経験が不可欠です。それを乗り越える経験をしないと、人間というのは絶対成長しないんです。しかし、企業としての『時計を作る』ためには、法令は遵守しなくてはならない。その葛藤は未だにありますね。

    『時計』を動かす原動力──社員の主体性を育てる

    もう一つ、『時計を作る』ためにやったのは、社員を巻き込むことです。創業者が旗を振って動くスタイルから、社員が主体性を持って能動的に前に進むスタイルに変えていこうということです。

    具体的には、まずは副社長時代に、幹部社員を集めた会議で会社の将来を話し合う場を持ちました。われわれが次のステップを踏むためには、何をしなくてはいけないのかをみんなで考えようと。すると、「『CoCo壱番屋』だけに頼らない新しい業態がいる」、「展開エリアをさらに広げよう」、「生産技術を高めて、将来はメーカー的な要素も持ちたい」など、さまざまな意見が出ました。

    ならば、それらを1つずつ実現していこうと。就任してからの7年間で実施したことには、幹部社員から出されたアイデアが多くあります。例えば、就任の翌年、2003年には、あんかけスパゲッティ専門店の『パスタ・デ・ココ』とカレーらーめん専門店の『麺屋ここいち』という2つの新業態を出し、物流センターの統廃合も行いました。

    2004年には中国・上海に1号店を開いてアジアでの展開をスタートさせ、2006年には全工場でISO9001:2000(※)を取得し、HACCP(ハセップ※)の手法も取り入れました。今もそれは変わりませんが、やったほうがいいと思うアイデアは、まずはやってみる。失敗を恐れずにね。その繰り返しです。

    ※ISO9001:2000/品質マネジメントシステムに関する国際規格
    ※HACCP/『Hazard Analysis and Critical Control Point』の略。食品製造の工程における安全管理の手法

    ────裁量権も社員の方々にゆだねるようにしておられると伺いました。

    社長として譲れないもの以外は、すべて権限委譲してもいいと思っています。譲れないのは、『どこで』『何を』売るかということ。出店の決裁とメニューの決裁、この2つだけは、代表取締役の専権事項にしていますが、ほかは判子をついても中はあまり見ていません(笑)。

    というのは、信頼して任せられる人間がちゃんとそこにいるからなんですね。生産や購買、海外事業などは、しっかり統率してくれている役員がいますから、私は「こうしたい」という方向性は示しても、後のことはほとんど口をはさみません。そもそも、細かいことまで私が指示してしまったら、主体性なんて育ちませんしね。

    ただ、主体性を持った社員の絶対数は、まだまだ足りないというのが現実です。会社が順調に成長してきたがゆえに、多くの社員が試練をくぐり抜ける経験をしておらず、組織がぬるま湯になっているんです。その意味では、昨今の世界同時不況は、ぬるま湯を脱却できるチャンスだと思っています。

    守るべきは守り、変えるべきは変える

    ────先ほど、『時計を作る』ことは『仕組みや文化を作る』ことだというお話がありました。それは、新たな『仕組みや文化』を作ることを意味するのでしょうか。

    私が継承した時点で当社には25年の歴史があり、当然のことながら、確固たる文化や仕組みが存在していました。それは、ゆるぎないものではありましたが、同時に、創業者の強力なリーダーシップによって機能しているものでもあった。その点は、変えていかなくてはいけないということです。

    ですからまずは、変えていいものと変えてはいけないものを明確にしました。変えてはいけないのは創業の精神と会社の理念。この2つは絶対に変えてはいけないけれども、それ以外は変えても構わない。すべてゼロベースで考え直そうと。

    ────聖域は設けずに、変えるべきは変える。

    そうです。だって、私は店のロゴマークも変えましたからね(笑)。

    ────ご就任3年目、2005年のことですね。

    そうです。宗次は、経営トップを退いたとはいえ当社の特別顧問。創業者が現役のうちにロゴマークを変えるということは、本来はしないことですよね。タブーだと思います。でも、変えました(笑)。

    たまたま当時、『カレーレストラン CoCo壱番屋』という店舗もテスト的に展開していまして、そこで使っていたのが今のロゴマークです。それを、中国・上海の2号店に使ってみたら、非常に収まりがよかったんですね。

    それまでのロゴは、カタカナとアルファベットと漢字が組み合わさった、とても個性的なものでしたが、カタカナは日本人しか読めません。それを、英語表記に変えたわけです。そうすれば、英語圏の人は『CURRY HOUSE CoCo』まで読めますし、漢字圏の人は『壱番屋』も読める。正確には『壱』という漢字は中国にはないのですが、そこはまあ雰囲気で読めるだろうと(笑)。それを逆輸入して、日本の店にも導入したわけです。

    ────店舗の内装も、ブラウンを基調とした高級感のあるデザインに変更されました。

    これも、『カレーレストラン CoCo壱番屋』の内装を上海の2号店に持っていったところ、ロゴのチェンジとも相まって非常にしっくりきたものですから、やはり逆輸入したんです。

    男性客だけでなく、女性客やファミリー客も入りやすい店になったように感じます。

    そうでしょう。居住性を高めるために、テーブルとイスの間隔も旧タイプ店よりもゆったりと取りました。その分席数は減りましたが、ニュータイプ店の売上高は、改装前を上回る実績をあげています。看板と内装を変えたことで、出店のケースも広がりました。高級感のあるビルや分譲マンションの1階など、今までになかったところにも出店できるようになってきています。

    ・・・

    写真左は旧タイプ、右が新タイプのロゴマークと店舗。スッキリとした書体を採用したロゴマークと、ブラウンを基調にした内外装を採用することで、客層や出店エリアが大幅に広がった。(画像提供/壱番屋)

    聖域は設けずに、変えるべきは変える。その改革を支え、創業者の精神を次代につなぐ『時計』を作るには、主体性を発揮できる人財が欠かせないと浜島社長はいいます。どのようにすれば、社員の主体性を育てることができるのか。後編では、壱番屋流の人財育成について伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  世代を超えて続く企業の法則(後編)

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