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祖父の会社を「再生」させた、3代目社長の経営改革(後編)
カエルを水に入れてゆっくりと温めると、水温の上昇に気づかず茹であがってしまう──。ゆでガエルの法則さながらに、環境変化への対応が後手に回る企業はいまだ少なくありません。2009年に創業70周年を迎える日本原料も、20年前に齋藤安弘社長が入社した時点では、旧態依然とした体質が染みついていました。しかし、数々の施策を導入して組織の活性化に成功。祖父が興した会社を見事に「再生」させた日本原料代表取締役社長、齋藤安弘さんに改革のドキュメントを伺いました。
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日本原料株式会社 ( http://www.genryo.co.jp/)
1939年創立。初代社長、齋藤廣次氏により、ろ過砂の生産・販売会社として設立。1951年には日本濾過砂研究所を設立し、1968年には水道事業の発展に寄与した功績により、齋藤廣次氏が日本水道協会から有功賞を授与される。1970年に廣次氏が逝去し、妻である齋藤キン氏が2代目社長に就任。1998年に齋藤廣次氏の孫である齋藤安弘・現社長が3代目社長に就任。2002年に、ろ材交換の必要がない画期的なろ過装置「シフォン・タンク」を発表し、日本商工会議所会頭発明賞を初めとする数々の賞を獲得。齋藤・現社長が就任した1998年度の売上高10億4000万円から、2005年度の売上高25億2000万円へと、水処理のトータルプロデュース企業として右肩上がりの成長を続ける。
YASUHIRO SAITO
1962年生まれ。1986年に横河北辰電機(現・横河電機)に入社。1989年に日本原料に入社し、営業部、企画開発推進本部を経て、1997年に代表取締役社長に就任。数々の社内改革や新製品開発の陣頭指揮を取り、2007年には「文部科学大臣表彰科学技術賞 技術部門」の表彰を受ける。
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分散と集中をこまめに切り替える経営で、急成長を実現
────平成7年に高萩工場のリニューアルに成功された後、同年には「21世紀プロジェクト(※)」を、3年後の平成10年には「ブルーバード制度(※)」を導入するなど、社内を活性化する取り組みに次々と着手されました。これらの制度は、どういった経緯で導入されたのでしょうか。
高萩工場のリニューアルプロジェクトを一緒にやった10人のメンバーの中から、「今度はこういうことをやってみたい」といった声が、次々とあがったんです。ならば、会社の制度としてそういったことができる仕組みを整えようと考えてつくったのが、「21世紀プロジェクト」。この制度によって、「表の組織」と「裏の組織」をつくりたいと考えたんです。どういうことかといいますと、組織のあり方としてこういったイメージ(下のマトリックス図)が、昔から私の頭の中にあるんですね。
(画像提供:日本原料株式会社)
赤い球は、営業部や経理部といった普通の組織。つまり「表の組織」です。紫の球がプロジェクト活動で、これを日本原料では「裏の組織」と呼んでいます。新しい仕事のネタにつながるようなプロジェクトがいろいろと発生して、成功すると赤い球に吸収されることもあれば、紫の球がそのまま赤い球になることもある。常にいろいろな球が生まれながら、組織の形を変えていく。そういうことを応援するために「21世紀プロジェクト」や「ブルーバード制度」、「自己啓発制度」や「希望調査制度」という制度(※)をつくったわけです。
※21世紀プロジェクト:通常の業務とは別に、自分の企画をプロジェクトとして発足できる制度。プロジェクトメンバーも自由に選定でき、社長や取締役、部長といった経営陣や役職者をメンバーとして自分の下につけることもできる。 ※ブルーバード制度:一年の任期で社員に取締役権限を与える、青年取締役制度。「ブルー」は青年の「青」、「バード」は取締の「取」をもじったもの。申請資格は次長以下。任期終了後はもとのポジションに戻ることはなく、2段階以上の特進で昇進できる。 ※自己啓発制度:会社の業務に準じた資格取得や講習の受講に対して、会社が時間的・金銭的なバックアップを行う制度。 ※希望調査制度:配属部署の希望調査。年に1回行われ、3年続けて同じ部署を申請すると希望が叶えられる。
「21世紀プロジェクト」は社員の声を受けてつくったものでしたが、「ブルーバード制度」は私の経験がもとになっています。浄水場の事故の対応や福岡工場の売却といった、取締役権限でしかできないような仕事を経験したことで、私は急激に成長させてもらったし、物事の考え方もずいぶん変わりました(前編参照)。
私の下にも若くてエネルギーがある人がたくさんいるのに、何年もかけて昇進しないと、そういった楽しくて苦しい思いができないのは可哀そうです。役員権限がなければできないような大きなプロジェクトをしたいという人がいたら、それは早くやらせてやりたいと思ったんですね。
ですから、「ブルーバード制度」で選ばれた社員には取締役権限を与え、取締役会にも出席させます。給与も、一気に取締役並に引き上げます。私が26歳で入社して36歳で社長になるまでの間にやってきたことを社員はみんな見ているわけですから、自分にもやれないことはないと思っているはず。それができるステージをつくってあげたいんです。
次は、私が40代をどう楽しんできたかということをもとに、また新たな制度をつくるかもしれませんし、私がつくった20代向けの制度に20代の社員たちが満足できないなら、それを壊して自分たちで新しいのを作ればいい。制度のあり方は、今後も変わっていくと思います。
────「21世紀プロジェクト」や「ブルーバード制度」を導入することに、社内の反対はありませんでしたか。
まったくありませんでした。高萩の工場のリニューアルの後、なし崩し的に「21世紀プロジェクト」が始まり、会社の中では当たり前のことになっていたんですね。私が社長になって「ブルーバード制度をつくるぞ」といっても、「またいってるよ」という感じで(笑)。みんな、そんなに驚かなかったですね。
────プロジェクトは順調に立ち上がったのでしょうか。
導入した平成7年のうちに、4つか5つが動き出したのではないでしょうか。私もプロジェクトを立ち上げました。最初はリーダーシップを取る立場の人間がやって見せることが大切ですから。
────経営者が率先してやることが大切だと。
そうです。「こんな制度をつくったから、やっていいぞ」といったって、誰も怖くてやりませんよね。しかし、私が実際にやってみて失敗も成功も全部見せれば、面白そうだということも、苦しそうだということもわかる。それが、「私もやってみよう」ということにつながるわけです。
これが例えば、私が完ぺきで何の失敗もなく成功してしまったら、誰もやろうとはしないけれど、失敗は失敗として、見せるというよりも見られてしまいますから、私も「失敗して何が悪い、失敗は成功の母だ」と(笑)。私がそんな態度でいるから、みんなもやる気になるのではないかと思うんですね。
────具体的には、どのようなプロジェクトが生まれたのでしょうか。
平成7年以降の新製品はすべてプロジェクト活動から生まれたものですし、ISOの9000シリーズの取得や経理の新システムの導入、研究所の別法人化など、プロジェクトの成果はたくさんあります。その中には、社員が自主的に立ち上げたものもありますし、私のアイデアがもとになっているものもあります。
────社長が自ら種をまかれることもあるのですか。
ありますね。会社の方向性や課題として考えていることは、社内に常に発信するようにしていますから。社員と飲んだときなどにできそうなヤツを呼んで、「こんなネタがあるけど、やってみたら面白いんじゃないの」と声をかけておくと、半年後には企画書が出てきたりね(笑)。でも、私は思いつきを口にするだけであって、大事なのはそれを具体的な計画にして、本気で実現してくれる素晴らしい人財がいるということなんです。
────社員の自主性に任せたプロジェクト活動は、積極的派と冷ややかに傍観する消極派にわかれるといわれますが、御社ではいかがですか。
導入した初期のころは全員参加にしていたんです。プロジェクトに入ってない社員には、「どうして参加しないのか」と、九州まで私が自分でいいに行ったこともありました。「本当に嫌ならやめてもいいが、とにかく一度入ってみろ」と。それで本当に抜けていった社員もいますが、それはそれでいいのではないでしょうか。
────「21世紀プロジェクト」は13年目を迎えました。順調に定着されていますか。
途中、「21世紀プロジェクト」も「ブルーバード制度」も一切停止していた期間がありました。「シフォンタンク(※)」という新製品を発表し、新市場の開拓に全社的に注力すると決めた期間です。それまでの当社の売り上げは、官公庁との取引が80%。20%が民間という構成だったんですね。民間の20%も水処理の大手プラントメーカーとの取引でしたので、末端顧客でいえば、ほぼ100%が官公庁に由来する売り上げだといってもいい会社です。しかし、官公庁向けの需要はもう頭打ちです。社長に就任する以前からそれは感じていましたので、民間にどうシフトしていくかが私の中での長年の課題だったんです。
※シフォンタンク:ろ材の洗浄機能を持った画期的な水処理用ろ過装置。従来の装置では定期的に行わなくてはならなかった汚れたろ材の交換が不要になり、メンテナンスせずともろ材が半永久的に使用できる。平成17年度には、シフォン式の洗浄原理が「全国発明表彰特別賞『日本商工会議所会頭発明賞』」を受賞。(画像提供:日本原料株式会社)
シフォンタンクの発売が決まると同時に、民間に徹底的にシフトすることを決めたわけですが、1つの大きな目標に向かわなくてはいけないときに、60人ぐらいの規模の会社の中でいろんなプロジェクトを並行してやっていると人員が足りなくなります。そこで、「21世紀プロジェクト」も「ブルーバード制度」も向こう3年間は一切停止すると決め、「会社の命題に徹底的に向かってくれ」と、全員を民間市場の開拓に向かわせたわけです。
────徹底されていますね。
当時は、シフォンタンクがうまくいかなかったら、会社としても大きな危機を迎えるという時期でした。シフォンタンクの前身としてシフォン洗浄機というものを開発したのですが、いくら官公庁にアピールしても、入札では機能よりも価格が優先されます。6年近くアプローチし続けましたが開発コストをまったく回収できず、そうこうするうちに銀行の貸しはがしが始まったんですね。都市銀行が金融庁にガンガンやられていた、あの時代です。
そんな中、起死回生を狙って開発したのがシフォンタンクでした。これがダメならもう終わりという状況で、プロジェクトを凍結したわけです。3年間といいながら、結局は昨年までの5年間凍結しましたが、そのお陰で売上高に占める官公庁の割合は60%にまで下がり、民間との取り引きを40%にまで増やすことができました。
大手企業ならさまざまなことを並行して動かせるでしょうが、中小企業は、今本当に何をすべきなのかを考え、分散と集中をこまめに切り替える必要があります。集中すべきときには勇気を持って集中させ、分散すべきときには勇気を持って分散させることが大切になるわけです。
────凍結していたプロジェクトを昨年から再開されたということは、経営資源を分散させる時期を再び迎えたということでしょうか。
今、何とかして風穴を開けたいと考えている夢があるんですよ。その風穴が開いてワーッと攻め込んでいくときには、経営資源を集中して投入することになりますが、今はまだそこには至らない段階。
こういった、攻め込むにはまだ間があるという段階では、経営資源をきちっと分散させてやるべき仕事をしておかないと、次の集中が始まってそれが終わったときに、ネタがなくなってしまいます。そうならないために、この1、2年は分散の時期と決めて、プロジェクトをもう一度戻せという指示を出したんです。
────先の先まで考えた手を打っておられるのですね。
先の先を考えるというよりは、先の先が怖いんですね。そのときのために、やれることをやって備えておこうということです。
発展途上国の人々に、シフォンタンクを届けたい
────風穴を開けたい夢とは、どのようなことですか。
1つはシフォンタンクの海外展開です。もう1つは、シフォンタンクを災害の備えとして各自治体に設置していただくということ。これらが、シフォンタンクという技術の1つの最終型になるんだろうなと考えて、プロジェクト形式で取り組んでいるところです。
────海外ではかなりのニーズが期待できるのではないですか。
すでに、ドイツやオランダ、イギリス、韓国、台湾といった国で現地の法人とシフォンタンクの代理店契約を結びました。ただ、海外に出ていくと、こういった先進国の市場だけでなく、本当に水が飲めなくて苦しんでいる人たちも見えてくるんですね。
カンボジアやアフリカの国々では、集落単位で泥水を飲んでいるところもありますし、カンボジアでは、水をくみに行った子どもたちが地雷にやられて足を失うといったことがたびたび起きています。
その子たちは何も、親のいいつけに逆らって地雷原に突っ込んで行ったわけではないんです。雨期に豪雨が降って水があふれると、地雷は浮くんですね。そして水が引くと、今までとは違うところに沈む。大丈夫だったはずの道に、地雷が埋まるわけです。そうとは知らずに水をくみに行った子どもたちが、ドーンとやられてしまう。いろいろなことを、海外から教えてもらいました。
例えばそういうところに大手プラントメーカーの水処理施設を持っていっても、フィルターの交換というメンテナンスが必ず発生します。ODAの資金で1億円、2億円という水処理機器を設置しても、メンテナンスできなくて数年後には鉄くず同然になっている。そんなことが、たくさんあるわけです。
ところが当社のシフォンタンクは、非常にシンプルな機械ですが、10年でも15年でもメンテナンスしないで水がつくれるわけです。しかも、1000万円や2000万円という予算で導入できますから、そういった国々の役に立てる製品だと思っていますし、実際に欲しいといってくれる人もたくさんいるんです。
ですから、ODAの事業やNGOなどの活動と一緒になって、1つでも2つでもいいから現地に持っていきたい。それを事業として成り立たせたいということが、私の夢なんです。それで大儲けをしようとは考えていませんが、寄付やボランティアという形ではなく、メーカーとしてわれわれの技術をみなさんに役立ててもらうという形を作っていきたいんですね。
何事にも「完ぺき」はない。常に柔軟であれ
経営者は有言実行であるべきだと思っていますので、今のような話をいろいろなところでするようにしています。そうすると、「社長の話を雑誌で読みました」「テレビで見ました」と、明確な志望動機を持って応募してくれる人が増えてきました。「水を通じて社会貢献をしたい」「日本原料で自己実現をしたい」と、思いが明確な人が多い。そういう人は、面接もしやすいんですね。
────過去には採用した方が全員1年以内に辞めてしまったというお話もありましたが(前編参照)、定着率は改善されたのでしょうか。
ある時期、年間を通して誰も辞めなかった年が続いて、その間の定着率でいえば100%になったことがありましたね。でも、今度はそれが嫌でね(笑)。
────なぜでしょうか。
定着率が100%の職場には甘えが出てきますし、変化も起りにくくなります。定着率がよすぎるのも、いけないことなんですよ。それに、60人や70人の社員がいたら、考え方が違って辞めていく人がいないとおかしいじゃないですか。誰も辞めないとすれば、会社の中に問題があるのか世の中に問題があるのか、そのどちらかです。会社がパーフェクトだから誰も辞めないなんてことが、あるわけがないんですよ。
ですから、人事のスタッフにも「なぜ誰も辞めないのか」と私から聞いたりしまして(笑)、この1年ほどの間には何人か辞めていきました。その中には辞めてほしくない人もいましたが、その程度のバランス感覚でいいと思うんですね。会社は人の集まりですから、「完ぺき」なんてことはあってはいけないし、ありえない。ありえないことを持続させるために労力を使うことほど、無駄なことはないんですよ。
────では、理想の組織を実現するためには、経営者はどのような役割を果たすべきなのでしょうか。
偉そうなことはいえませんが、経営者も「こうあるべきだ」という形にとらわれてはいけないと思います。時代の流れや会社の状態、社員の教育レベルといったことに合わせて、経営者もあり方を変えなくてはいけないと思うんです。
例えば、今年、2つの大きな地震が起きましたよね。まず、6月14日土曜日の朝に岩手・宮城内陸地震が起きた。社員に「浄水場はどうなっているのか」と聞くと、「現地に電話をしましたが、大丈夫だといっています」という。そこで、「ふざけるな。どこで何が起きているのか、自分の目で見てこい」と現地に行かせたわけです。
そうしながら、私の情報ルートを使って現地の様子を確認したら、浄水場が壊れて水が出ないところがあることがわかった。連絡をいれてみると、当社に来てほしいという。そこまでの情報収集を金曜日のうちにやって、3日後の月曜日には現地にモバイルタイプのシフォンタンクを持って行って水をつくりました。それを全部、私が主導してやったわけです。
────社長が自ら、シフォンタンクを現地に設置されたのですか。
そうです。山奥の災害地で、食事をしようにも乾物屋みたいなお店しかないようなところでした。カップ麺を買っても、お湯がないんですね。でも、「山の浄水場を直しにきた」という話をすると、乾物屋のおばちゃんが「あたしがつくってあげるから待ってな」と、お湯を沸かしてくれてね。そういうのが、最高にうれしいわけですよ。仕事って、こういうことのためにしてるんだよな、と。そういう経験をさせておくと、次に同じことがあったときの動きがまったく違うんですね。
1カ月後に青森で地震がありましたが、今度は工事部長から「これは出動ですね」といってきたんです。私が「様子を見よう」といっても、そんなことは聞かないで現地に飛んで行って「お客さんがうちに来てくれといってます」と、もう勝手にやっているわけです。「私も行こうか」と聞くと、「足手まといだから来なくていい」といわれてね(笑)。それがうれしいんです。このときに私がするべきなのは、協力会社が部品をすぐに持ってこないと工事部長がこぼすのを、「急いで届けてくれ」と私から部品会社に電話を入れて。部長を援護するといったことになるわけです。
社長がリーダーシップを取るべきときは自分で身体を動かさなくてはいけないけれども、みんながある程度動けるようになってきたら、次はフィールドを作って応援するほうに回らなくてはいけない。世の中と対峙して、社会や業界のパラダイムを変えるんだというときは、やはり社長が率先してその大きな改革に乗り込まなくてはいけない。社長がいろいろな顔を持って、状況を見ながら、今自分は何をするべきなのかを考えることが、組織を成長させるうえで一番大切なことなのだろうと思います。
────人が成長するのは、どのようなときだと思われますか。
追い込まれたときです。「もうこんな会社、辞めてやる」と限界を感じながら(笑)、それでも「あともう一歩」と頑張ったときに、そこで何かの光が見えるわけです。とどのつまりまで追い込まれて、もうどうしようもないというところを乗り越えた人が飛躍的な成長を遂げる。「苦労は買ってでもしろ」と昔の人がいったのは、そういうことなんですね。先人の時代から人間は生まれたときは「オギャー」なんですから、本質は変わってないんですよ。中には、飛び石を渡るように器用に要領よく生きている人もいますが、そういうのは全体的に薄っぺらな人が多いですよね。
それから、人を育てるうえでもう一つ大切なのは、できなかったときに放置しないことです。できたときに初めて伸びるわけであって、できなくて追い込まれたままの人間が伸びることはありません。ダメだったときには、なぜダメだったかを一緒に考えて、次は確実に成功できるようにしてあげる。それが大切なんです。
────追い込むことは、成功体験を積ませることとセットになって、初めて効果を生むのですね。
そうだと思います。少なくとも私が育ってきた過程や、当社での社員の成長を見ている限りは、そうなんじゃないかと思いますね。
若い人には世界に目を向けてほしい
────組織・人事の面で、今後の課題としてお考えのことはありますか。
世の中全体として、大人しい優等生的な若い人が増えているということを感じますね。海外の展示会などに出ると、町の鉄工場の親父が「お前のところの機械を私につくらせろ」と、自分を売り込みに来たりするんです。日本人に対して、ですよ。ヨーロッパ人もアフリカ人もインド人も中国人も韓国人も、みんなそう。若い人たちも、どんどん自分を売り込んでくる。戦後間もないころに、日本人が恥も外聞もなく「私たちにつくらせてくれ」と海外に出ていったエネルギーのようなものを、彼らはまだ持っているんです。
けれども日本には、「そんなことで恥をかくのはいやだ」という若い人たちが多いでしょう。高度成長とともに生きてきて、一定の状況の中でいわれたことをやっていればいい生活ができるという恩恵に、日本人はあずかっていた。そういう親を見て育った子どもたちが、いっぱいいるわけです。けれども、そんな恵まれた環境は終わりました。これからまたよくなるときがあるかもしれないけれど、悪いときも必ずくるわけですから、それに耐えられるように、若い人には世界に目を向けてほしいんです。小さくまとまってほしくない。
そのためにも、シフォンタンクを早く海外の水に困っている国々の人たちに持って行きたいんですね。そういった人たちに喜んでもらえたときに感じる、アドレナリンが噴き出るような感覚を、若いヤツらに味あわせてやりたい。そんな経験が若いうちにできたら、一生の宝になりますよ。突拍子もないことかもしれないし、失敗するかもしれないけれども、とにかくやってみて成功するまで頑張るんだと思えるようになった人間は、将来強いと思うんです。
そうなると、お金がなければ楽しめないという人生観ではなくなるんですね。私自身も若いころは、「35歳までにポルシェを買って、50歳までに船を買う」ということが目標でしたが、ポルシェは35歳のときに買ったものの、今はもう船なんてまったく欲しくありません。それよりも海外にシフォンタンクを持っていって、現地の人たちと「水が出た」と大喜びしていることをイメージするほうが楽しいんです。
────何がきっかけで、価値観が変わられたのでしょうか。
いろいろな経験がベースになっているとは思いますが、私にも家族ができたということが、一つの大きな理由かもしれません。子どもたちと接することはすごく大切で、私は毎年夏休みに小学校で「泥水から水道水をつくる」という講座を開いているんですが、ここで大きな喜びをもらっているんです。
当社の社員も何人かかりだして、子どもたちと一緒に小さな手づくりの浄水機を5基ぐらいつくるんですが、泥水がきれいな水になって出てくると、みんな「うわーっ」と喜んでくれるんですよ。「保健所の検査を受けていないから飲んではダメだよ」といっても、私たちの目を盗んで友だちとコソコソッとなめて、「うまいぜ」なんていい合って(笑)。それが、毎年楽しいんですよ。
みんな社会見学で浄水場は行ったことはあるけど、あんな大きなところを見たってわからないんですよね。でも、自分たちで泥水を沈殿ろ過して、砂ろ過して、塩素を入れて...とやると興味がわいて、「面白いね」といってくれる。そうすると、10年後ぐらいには当社に入社したいと思うかもしれないという、これも一種の求人活動なんですが(笑)、そういうことをほかの国でもやって、そこの子どもたちが「こんな技術があるんだ」と喜んでくれて、「こんな技術を自分たちも手掛けてみたい」という子どもが出てきてくれたら、それこそが本当の社会貢献であり、世界平和につながることだと思うんですね。そういう喜びを、うちの社員たちにも早く味合わせてやりたいんです。
────企業が存在する意味や働くことの原点を教えていただいたように思います。ありがとうございました。