2008年4月アーカイブ ..

学習院大学経済学部
教授 内野 崇先生

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    変化の時代を生き抜く「ヒトと組織の変革」とは(前編)

     

    組織の改編やリストラ、人事制度の改革など、さまざまな企業においてさまざまな手法で変革が試みられています。しかし、それらの変革が成功する確率は必ずしも高いとはいえません。変革がうまくいかないとすれば、それはなぜか。何が変革成功の原動力になるのか。研究と実務の両面から企業変革に携わってこられた、学習院大学経済学部教授 内野 崇先生に伺ったインタビューを3回シリーズでご紹介します。

  • TAKASHI UCHINO

    1951年生まれ。東京大学大学院博士課程を経て学習院大学教授に就任。主たる専門は経営組織論。組織学会理事。研究・教育に携わるかたわら、10数年にわたりエネルギー関連、商社、薬品、電器、IT、金融等の大手および中小企業を対象に、特にCI、戦略、組織改革、人事制度、給与制度等を中心にコンサルティング業務に従事。92年から96年にかけては学校法人学習院企画部長として21世紀計画の策定および、改革本部長として実際の学校改革にも従事する。著書に「変革のマネジメント(生産性出版刊)」、主要論文は「企業文化とその改革」「組織革新の動向」ほか多数。

  • 「信じるに足る未来像」を掲げることが、変革成功の礎になる

    ────変革を目指す企業は数多くある一方で、成功例は少ないのが現状です。企業のこの状況をどうご覧になりますか。

    変革が成功しない原因の一つはその出発点、「変革のトリガー(引き金)」にあります。例えば「トリガー」になりやすいものとして、「業績の悪化」がありますね。業績が下がってきたといって、慌てて変革に取り組む。しかし業績は遅行変数ですから、数字に表れたときにはすでに手遅れなんです。

    また、各部門に現状を分析させて、出てきた課題の解決策を考えるというのもよくあるパターン。実はこれも問題で、このやり方では自分たちの部門で対処できる課題しかあがってこないことが多いのです。QCサークルなどならそれでもいいのですが、全社的な変革に取り組むときに現状分析からスタートするのは、あまり良いスキーム(枠組み)とは言えません。

    では何が大事か。私はいつも「未来像」という表現を使うのですが、会社がどんな未来像を持っているのかということが、変革成功の鍵を握っていると思うんですね。そう考えるポイントは2つあるのですが、1つは未来像がなければ大胆な意思決定ができず、判断が前例踏襲主義になってしまうということ。

    ベンチャーの草分けともいうべきある経営者が言っていた次の言葉も、まさにこれを象徴しています。「私たちは相場師ではないから、数カ月後の株価がどうなるかは分からない。しかし、3年後、5年後にどんな時代が来るのか、その時代の中で自社の位置づけがどうあるべきかということは、いつも考えています」と。未来像というのは、取捨選択の基準になりえる。今の時代には、そういう意識の強い経営者が必要です。

    ※内野氏の著書「変革のマネジメント(生産性出版刊)」では、会社の未来像に即した経営判断の例として、東芝の大型投資が紹介されている。以下、本書より抜粋(注釈はOBT人財マガジン編集部)。
    「かつて東芝の大胆な投資が、ビジネスの世界で話題になったことがあります。1つは、世界における原子力発電の代名詞ともいうべきWH(ウエスチング・ハウス)の大型買収(*1)、もう1つは、半導体への積極投資です(*2)。両方併せると一兆円近い大型投資であり(中略)、会社としての「明確な未来像のデザイン」抜きには、こうした決断はありえなかったでしょう」。
    *1 2006年に54億ドルで買収。 
    *2 2004年から2006年の3年間で半導体関連設備に5000億円近い投資を行った。

    もう1つのポイントは、未来像は従業員にとっての羅針盤にもなるということです。現実がどんなに辛くても、信じるに足る未来があれば人は生きていけます。その意味でも、会社が未来像を掲げることは非常に大事なんですね。

    ところがこういう話をすると、「当社も中期経営計画は作っています」と言われる経営者が多い。しかし、未来像はそれとは少しニュアンスが違うんです。中期経営計画は、各部門が出してきた数字を取りまとめたものが多いですね。つまり、過去の延長型になる傾向があります。そうではなくて、未来像とは、例えば5、6年先にどんな会社にするかといった、もう少し踏み込んだ会社の未来の姿のことなんです。

    そういった、中期経営計画よりももっと大きな未来像を掲げると、当然ながら現実との間にギャップが生まれることになりますが、そのギャップを埋めることこそが「変革」なのです。「現状分析」も、「業績悪化」も、変革のトリガーにはなりえない。「信じるに足る未来像を掲げ、現実とのギャップを埋める」。これが、変革の最大のキーワードです。

    真の未来像は、過去の延長線上にはない

    ────中期経営計画は過去の延長になりがちだということですが、どのようにすれば過去の延長型の思考を脱却できるのでしょうか。

    経験則で考えず、理論的に考えること。これがポイントです。例えば、自著で紹介した東芝のケースでいえば、西田厚聡社長は「これかはら原子力発電が有望だ」と考えたから大きな投資の決断をしたわけです。アメリカが原子力政策を転換し(*3)、原油も値上がりしてきている。中国もこれから原子力発電所をたくさん作ることになるだろう、と。

    *3 2001年5月にブッシュ大統領が「国家エネルギー政策」を発表。温室効果ガスを排出しない原子力エネルギーの利用拡大を支持した。

    ところが当時はヨーロッパで脱原子力政策がいわれていたことから、マーケットには「原子力発電はそれほど伸びない」という見方もあった。実際どうなったかといえば、全世界的な原子力発電の見直しがあり、東芝は見事にその時流に乗りました。

    一方で、未来像の構想に失敗した例もあります。例えば、今、新東京銀行の経営悪化が問題になっていますね。「中小企業を支援する」という未来像を掲げていたわけですが、実は企業に対するお金の入れ方には融資以外にもう一つ方法があります。株式を発行させて、その株式を買う。つまりファンドを設立して投資するという方法です。

    ファンドは当たれば100倍になることもありますから、20社に投資して1社当たれば成り立つけれども、融資は利回りがせいぜい7%程度。20社に融資して19社が倒産したら、もうどうしようもない。つまり、ハイリスク・ハイリターンの世界で戦わなくてはいけなかったのに、ハイリスク・ローリターンの世界で勝負してしまったわけです。

    こういったことは、あらゆる企業についていえるのではないでしょうか。未来を構想するには徹底して理論的に考えて、あらゆる可能性を検討することが必要です。理論的に考える力と未来を構想する力はセットなんですね。

    もう1つ必要なのは、未来像という「今はまだないもの」を信じる力です。逆にいえば、「あるもの」を疑う力。過去と現実は目の前にありますが、それを信じると危ない。「ないもの」を信じる力こそが大切なのです。

    ────経営者にとってみれば、とても勇気のいることですね。

    ええ、勇気がいりますね。リスクを取るような変革をするよりも、過去の経験則に従ったほうが安全ですが、実は勇気のいることこそがビジネスの本質。その認識を持たない経営者の方も意外に多いのではないでしょうか。

    変革成功の鍵を握るのは、現場のリーダーの力

    ────では、企業の未来像を描くのは、やはり経営者の役割なのでしょうか。

    いえ、むしろ各部門がそれぞれに未来像を描くことが大切です。トップは現実のさまざまなビジネスに精通しているわけではありませんからね。ですから、ある種の知的格闘技といいますか、自分たちの会社の未来について、若い人も含めてもっと自由に意見が出るような仕組みを作るべきだと私は思いますね。会社全体を未来志向にするということです。

    ところが最近はリスクマネジメントが強すぎて、失敗に対して大きなペナルティを課す会社が多い。アイデアは会社の中にたくさんあるのに、経営者が握り潰しているケースもあります。そんな中で「未来志向」といっても、それではかけ声倒れ。変革に成功する組織になるためには、この状況をどのように再生するかということが非常に大切になります。

    ────どうすれば、会社を未来志向にできるのでしょうか。

    キーワードは、「ミドルマネジメント」です。「社長がすべてを決めて、現場はそれを実行するだけ」とならないことが大事なのであって、そのためには「経営者と部門長の連携」や「部門長のマネジメントスタイル」が重要になるんですね。

    ────しかし多くの企業で、現場は業務に忙殺されています。未来像を考える余裕がないミドルマネジャーも多いのではないでしょうか。

    多いでしょうね。昨年の10月に、当大学の学生約200人を対象にあるアンケートを実施したのですが、そこでも同様の結果が出ました。「あなたのお父さんは、幸せそうに仕事をしていますか」と聞いたんです。そうしたら、200人中105人の学生が「幸せそうには見えない」と言う。「なぜか」と聞くと、「いつも疲れている」「家族に気を使って元気そうに振舞っているが、やはり辛そうだ」と。これは異常な事態。非常にショックを受けました。

    もう1つ、現場の疲弊を象徴する寓話があります。「金の卵とガチョウ」という、イソップ童話がありますね。あの話の最後では、欲深い農夫が金の卵欲しさにガチョウの腹を裂いて殺してしまいますが、実は、会社もそれと同じことをしているわけです。金の卵ばかりを見て、ガチョウの体力が落ちていることに気づいていない。実際、多くの職場はガタガタになっています。

    現場を取りまとめる部長や部門長はどうかといえば、叩き上げで管理職になっていますからマネジメントが自己流になってしまっている。しかも部門長の評価は、たいていは業績評価のみ。実はこれが一番問題で、態度やプロセスの評価は一切なく、要するに結果が大事だということなんですね。ですからマネジメントがマネジメントの体をなしておらず、かなりひどい状況の部門もあります。

    そういった部門の部下の人たちに「辛くないか?」と聞いたら、「辛いけれど、どうしようもありません。いずれ今の部門長は去りますから、それまでの我慢です」と言うんですね。これはまさにリーダーシップの劣化そのものです。

    ガチョウの体力が落ちていては、金の卵を産むことはできません。変革リーダーというと「戦略を実現して、何か新しいことをする人」というイメージを抱きがちですが、まずはその定義を変える必要があるのではないでしょうか。

    本当の変革リーダーとは、「職場を元気にして、職場とヒトの劣化を防ぐ人」。つまり、ガチョウの体力をどう強化するか。劣化した職場を再生できるミドルマネジャーを輩出することに、経営者はもっと一生懸命になるべきなのです。

    日本の多くの企業現場で、目に見えない職場の制度疲労の蓄積が進行していると、内野先生は警鐘を鳴らします。では、職場とヒトの劣化は、なぜ進んでしまったのか。中編では、企業社会が抱える問題の構造について伺います。

*続きは中編でどうぞ。
  変化の時代を生き抜く「ヒトと組織の変革」とは(中編)

大須商店街連盟
会長 小野 章雄さん

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    商店街を再生した人と組織の力とは(後編)

    かつては賑わっていた商店街に、次々とシャッターが下りる──商店街の空洞化は、問題視されるとともに時代を象徴するものとしても語られてきました。長引く消費不況や他の商業施設の進出といった外部環境の変化に打ち勝つことはできないのか。自組織の内部環境を変え、活力を取り戻すにはどうすればよいのか。商店街の再生に見事成功した、大須商店街連盟の会長、小野章雄さんに伺ったインタビュー3回シリーズの最終回をお送りします。

  • 大須商店街http://www.osu.co.jp/

    1612年に大須郷(岐阜県羽島市大須)から移転した大須観音の門前町として発展。戦前は名古屋一の繁華街といわれる。しかし戦後の大規模都市計画により周辺に幹線道路が敷設されて陸の孤島と化し、オイルショックの影響も受けて深刻な客離れに見舞われる。1978年に始まった大須大道町人祭の成功を契機に活気を取り戻し、昔ながらの店と若者向けの店が共存するユニークな商店街として発展を遂げ、現在では空き店舗ゼロを誇る。大須商店街連盟は1955年の設立。現在は8つの商店街振興組合の369会員が加盟する(2007年6月1日現在)。

    AKIO ONO

    1948年生まれ。1991年に大須商店街連盟常任理事に就任以来、1996年に専務理事、2005年連盟会長に就任し現在に至る。

  • イベントは楽しくやることが、継続する秘けつ

    ────物事は継続することが一番難しいといわれています。30年続いている大須大道町人祭を始め、大須ではなぜ、さまざまなイベントを継続することができているのでしょうか。

    みんなにもいつも言うのですが、「お祭りは楽しくやろう」ということなんですね。嫌々やっていたのではお客様も楽しくない。それでは何の意味もないわけです。だから「楽しくやろう」、と。

    そのためには、会議は会議として行いますが、終わったらすぐにテーブルを真中につけて、飲み会を始めます。事務所の冷蔵庫には、ビールか焼酎しか入っていません(笑)。それが楽しみで、若い人も参加してくれるわけです。会議で「はい、順番に意見を」と言ったって、そんな決まり切った進行ではいい意見も出ません。人前で話すのが嫌な人もいるわけですし、「こんなこと言っていいのかな」という気にもなる。そんな会議では若い人も出てこなくなります。

    ところが、みんなで飲みながら話をすると、雑談の中からいろんな意見がでるわけです。人が集まってきて、自然とまとまりもできてくる。やはりそういうことが大事だろうと思うんですね。

    ────自分たちが楽しむことで主体性が生まれ、それによってつながりが深まるのですね。

    大須大道町人祭には、ボランティアの方も160人近く参加いただいているのですが、みんな非常に生き生きとしています。楽しんでいるということが、見ていても分かるんですね。祭りの最終日には、会場の片づけが終わってから打ち上げをやるのですが、ボランティアの方も大道芸の芸人さんも区別なく、みんなであぐらをかいて全員参加でやります。それが楽しみで毎年参加しているという方も多くいるぐらいです。

    大須大道町人祭は土日の開催ということもあって、私どものボランティアの方は働いている方が多いんですね。ですから、ボランティア同士で結婚された方も何組もいます。まったく知らない人同士がボランティアで出会って結婚することもある。それくらいに和気あいあいと楽しくやっているということが、継続する要素なんだろうと思いますね。

    イベントは外注せず、自前で運営。手間隙をかけることで、団結が強まる

    大須商店街には、歴史のある店と若者向けの新しい店が共存している。(写真左)創業1885年の帽子店。120年を超える歴史を持ち、大須の地に三代続く老舗。(写真右)創業2005年のカフェ。築60年の木造町屋をコンバージョンし、20代のスタッフが中心になって運営している。

    ────大須商店街は商店主の年齢層も幅広いかと思いますが、世代間のコミュニケーションはうまく取れているのでしょうか。

    そうですね。年輩者にはそれなりに気を遣わなければいけないとは思いますが、それよりも若い人に気を遣うという意識の方が、私は強いですね。年輩者は経験を積まれていますので、事細かに説明しなくてもそれなりの理解はしてくれるだろうと。それよりも、若い人に説明をし、若い人の意見を聞くということが、一番大事なんだろうという気がします。これから担い手になる、若い人たちのやる気をなくしてしまうことが、一番のマイナスですから。

    ────大須大道町人祭の実行委員長は一生に一回限りというお話がありましたが、委員長が毎年必ず交代すれば、世代交代もスムーズに進みますね。

    そうです。そもそも、委員長が毎年交代するのは、なるべく若い人にお願いしたいからなんですね。年輩の方は、もう無理です(笑)。まず、体力がありません。体力がなければ、気力も出ない。若い方は体力もあるし、気力もある。頭の回転もいいから、アイデアも出るわけです。

    一番若い人では、20代の方が委員長を務めたこともありますね。といっても年齢の若さだけをいっているのではなく、精神的に若い方ということですね。最高齢で64歳か63歳ぐらいで委員長をされた方もいますが、精神的に若くて前向きな方にお願いするということです。

    また、第25回の大須大道町人祭のときには、初めて女性の実行委員長が誕生しました。商店主ではなく、テナントとして入っていた方でもあったわけですが、ぜひやっていただこうと。大須は歴史がありますから古めかしく見えるようでいて、実は新しいことを受け入れる風土が非常にあるんです。年齢や性別で区別するということもありません。委員長の人選についても常任理事会の承認は取りますが、そのほかの内容については一切の口出しをしません。変に口出しして「これやれ」「あれやれ」では、委員長になる方も嫌がりますので、好きなようにやっていただくということです。

    それともう一つ、お祭りは自分たちの手づくりでやっています。そのことで、非常にまとまりができるわけですね。大須商店街は、西から東まで約1kmあります。西の人と東の人とが話す機会は、本来はそうないわけですね。しかし、イベントは連盟で一括してやるということで集まる機会ができると、お互いに知り合える。そこでいろんな話をし、お互いにいつ実行委員長が回ってくるかわからないわけですから、協力し合おうという意識が自然とできてきたのだろうと思います。

    ────ではお祭りは、イベント会社などには依頼せずに自前で運営されているのですか。

    夏祭りなどは、舞台の設置や仕掛け花火の申請手続きなどに企画会社が一部入っています。まったく外注しないということではないのですが、基本的には自分たちが楽しんでやらないと意味がありません。イベント会社から出された企画を「じゃあ、それで」と丸呑みでは、いいものにならないと思いますね。ですから夏祭りでも、「世界コスプレサミットパレード」などは私どもの企画。イベント会社が持ってきた企画ではないわけです。サンバにしても、仕掛け花火にしてもそうです。

    ────しかし、手づくりの運営には手間と時間がかかります。

    手間と時間はかけないと、いいものはできないですね。手間と時間をかけることで、実行委員の意欲が変わってくるんです。例えば、大須大道町人祭の30回記念で「お鍬(くわ)祭り」をやったとお話しましたが、その際に制作したはりぼても手づくりです。約10メートルの巨大クジラと5メートル近い巨大タコを、みんなで夜集まってつくったわけです。

    「タコ鼻から墨を出すのはどういう風にしたらいいのか」、「それなら黒いテープをこうして、ああして」と、みんなでアイデアを出しながらやる。そういうことが大事なんですね。はりぼてに台車をつけるとなれば大工道具を持ってきて、滑車から車から自分たちでつくる。大工仕事が得意な方、電気関係が強い方と、みんな得意分野がちゃんとある。そうやってみんなでやることで、非常に盛り上がるわけです。

    また、そうやってやることで、やり遂げた後の達成感も格別なものがあります。実行委員長の中には涙を流される方もいるわけで、そういうのを見ていますと、やはりこのお祭りは続けていかないといけないというのがあるんだろうと思いますね。

    近隣と競争するのではなく、協力することで商店街の力を高める

    ────そのようにしてイベントを通じて連盟の団結力を高め、人材を育ててこられたことは大須商店街の大きな強みだと思いますが、改めて伺います。大須商店街の競争力とは何だとお考えですか。

    私どもは「競争」という意識はまったく持っておりません。あるのは、いかに今より良くしていくかという考えです。絶えずいろんなことに挑戦することが一番大事なのであって、他所と競争というつもりはまったくないですね。

    大須商店街に隣接する栄地区にはパルコや松坂屋、三越といった商業施設がありますが、これも張り合うのではなく、一緒に協力し合おうということです。例えば、12月から1月末までの間、共同でイルミネーションを実施するということもやっています。そうすることで、大須商店街としてのイルミネーションはわずかでも、全体としては大きなものになる。栄から大須まで回遊性を持たることもできるわけです。もちろん、大須から栄へ行っていただくことも歓迎です。

    また、私どものイベントに栄地区の役員の方を招待したり、あちらがパーティーをされるときにはこちらが呼ばれたり。競争という小さな考えではなく、いかに一緒に協力していくかという広い考えが大事だろうと思います。

    商店街のアーケードにかかるフラッグ。「お店もぎょうさん 若者もぎょうさん 年寄もぎょうさん それが大須だぎゃー」というキャッチフレーズからも、老若男女を問わずに人をひきつける大須の魅力が伝わってくる。

    ────シャッター街化の一途をたどる商店街と、再生を果たした大須商店街との一番の違いは、何だとお考えになりますか。

    方策は地域によって、いろいろと違うのではないでしょうか。ただ、いかにお客様が来ていただけるような街にするということは基本ですね。お客様にたくさん来ていただければ、店というのは自然と続いていくものです。高齢で店を続けられなくなったとしても、借り手が見つかったり、息子さんが会社を辞めて店を継ぐという話が出るかもしれない。人が来なければ、会社を辞めてまで店を継ぐという気にもなりません。ですから、いかに大須に来てもらえるようにするかということは、いつも主眼に置いています。

    ────店が入れ替わることも、やはりあるのでしょうか。

    ありますね。店の名前が変わったり、業種替えしたり。大須商店街全体で、年間に10軒ぐらいは変わっているのではないですか。それでも全体の6割ぐらいは、大須大道町人祭の第1回目当時から続くお店です。

    ────多いですね。

    多いですよ。メガネ屋から飲み屋に変えるなど、商売替えしている店はありますが、代々続いている店が結構多いんです。さらにここ15年は、商店街の空き店舗がゼロという状況が続いています。複数店舗を持っている方が、いくつかを倉庫代わりにしているというものもありますが、実質的には空き店舗はゼロ。出店の希望は多いのですが、何分、空きがない。そのため商店街と商店街の間の、今までは民家だったところにも店が増えました。そういう店舗は組合員外になるため正確には把握していないのですが、組合員と合計すると1000軒を超えているだろうと思います。

    ですから、お客様に来ていただければ、高齢化や後継者といった問題も全部クリアしていくんだろうと思います。そのためには、地域の方と協力してやっていくことが一番大事ですね。例えば、他の団体から「大須でイベントをやりたい」という依頼を受けることもあります。先日も、警察署と大須ロータリークラブの共催で、青少年健全育成キャンペーンの一環のパレードを大須商店街で行いたいという話があって協力しました。

    私どもは大須学区という区域の中の商店街連盟ですから、学区内の方々いかに密に、協力しい合いながらやっていくかということを、絶えず考えています。そうすると、商店街の事業に対して協力もしてもらえるわけです。「イベントの人手が足りないからお願いしたい」といって出てもらったりですね。そういう密度が深まるほど、事業の内容も良くなっていくんだろうという気がします。

    ────イベントは集客のツールというだけでなく、人材育成や地域との関係強化など、さまざまな役割があるのですね。

    そうですね。協力して何かをすることで、お互いに達成感を味わう。喜びを味わった人は、また参加します。急激に大きな輪をつくること無理でも、2人から3人、5人、10人という輪になっていけば、加わる方も大きくなってくる。小さいうちからゆっくり温めていくことだろうと思いますね。

    ────ありがとうございました。

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