2007年9月アーカイブ ..

元気株式会社
代表取締役社長 栢森 秀行さん

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    専務取締役 開発本部長 木村 智治さん (写真左)

    現場の自主性を育む改革とは(前編)

    企業には、「創業期」「成長期」「成熟期」「衰退期」と発展段階があるといわれます。「創業期」には、創業者の強力なリーダーシップのもとで事業の基礎を固め、「成長期」「成熟期」と発展するにつれて現場への権限委譲が進み、組織としても成熟することが理想とされますが、創業者のワンマン経営から脱却できずにいる企業が少なくないのが実情です。トップダウンへの依存体質をぬぐい去るにはどうすればよいか。元気株式会社の代表取締役社長 栢森秀行さんと、専務取締役 開発本部長 木村智治さんに伺いました。

  • 元気株式会社http://www.genki.co.jp/

    1990年設立のゲームソフトメーカー。『首都高バトルシリーズ』『街道バトルシリーズ』などのヒット作で、レースゲーム界における独自の地位を確立する。剣術アクションゲーム『剣豪シリーズ』にも根強い固定ファンが多い。2002年にコナミと業務・資本提携を行い、2005年にコナミが保有する株式をダイコク電機に売却したことで、ダイコク電機のグループ企業となる。

    HIDEYUKI KAYAMORI

    1968年生まれ。2005年にダイコク電機株式会社代表取締役副社長に就任。2006年に元気株式会社の代表取締役社長に就任。ダイコクグループ各社(DIXEO株式会社、DAXEL株式会社、元気モバイル株式会社、DO株式会社)の代表取締役も兼任。

    TOMOHARU KIMURA

    1964年生まれ。1990年に創業メンバーとして、元気株式会社に入社。1999年に専務取締役開発本部長に就任。

  • 優秀な社員が定着する鍵は、一枚岩の経営体制。

    ────御社は、2006年にダイコク電機のグループ会社となり、ダイコク電機の代表取締役副社長でいらっしゃる栢森様が、元気の代表取締役社長に就任されました。就任当時、元気にはどんな印象を抱かれましたか。

    ※ダイコク電機:1973年設立の東証一部上場企業。本社は愛知県名古屋市。パチンコホール向けコンピュータシステムの企画開発や、パチンコ・パチスロ遊技機用ユニットの企画開発、製造、販売を手がける。

    栢森 そもそもは、いちゲームファンとしての見方になりますが、新しいハード(ゲーム機器)に積極的に対応して、独自の方向性を持った商品を出しているゲームメーカーというイメージを持っていました。

    そして、まずは取締役として経営に参加したわけですが、社員は優秀で能力があり、経験もある。クリエイティビティに非常に魅力がある会社です。バランスシートに脆さがあるなど楽観できない材料もありましたが、元気の社員の人たちがついてきてくれれば、グループにとっては大きなメリットがあるなと。これが『単なる作業』であれば、ダイコク電機の本社がある名古屋にも開発の下請け会社はたくさんありますし、そういったところから、「会社を買いませんか」という話もたくさんいただきます。しかし、単に「言われた仕事をやります」というような会社にはまったく魅力を感じませんから、そういったところには一切、手を出してきませんでした。元気が好きだったからこそ、グループ化しようという提案があったときに乗ったわけです。

    ですから、社員がついてきてくれるかどうかということは、非常に心配でした。過去にも、あるパチンコ台メーカーがゲームメーカーを買収したものの、そこの社員のほとんどに逃げられて失敗した例などもありますしね。今、こうしてみんな頑張ってついてきてくれているのは、非常にありがたいなと思っています。

    ────企業買収では、『経営幹部は総入れ替え』といったドラスティックな手を打たれる例も、一般には多く見受けられます。社長が敢えてそうされなかったのは、社員の皆さんのモチベーションを大切にするためという理由もあったのでしょうか。

    栢森 そうですね。もともと元気に魅力を感じたのもそこですから。といっても、グループ化した会社に対してドラスティックなことをしない方が良いとは、一概にはいえません。例えばこれが、社員よりもブランドに価値があるような会社でしたら、いかにブランドを維持するかがテーマになりますから、また違った手法になるかもしれない。状況に応じて正解は違うということです。

    ────優秀な方が定着する組織にするというのは、すべての企業の関心事かと思いますが、そのためには何が大切だと思われますか。

    栢森 経営陣が一枚岩であること、ではないでしょうか。これはダイコク電機の話になりますが、10年ほど前に、父の次を任された社長が主力製品の製造業者と結託してライバル会社を設立し、突然辞職したことがあったんです。そしてダイコク電機は債務超過で今にも破産するといったでたらめな風説を流布しました。いわば乗っ取りを企てたわけです。前社長のいうことだからと信じた人もいて、一年のうちに550名いたうちの100名が辞める事態となりました。結局は会社の業績、戦略、社風、待遇が悪くて辞めていったのではなく、経営の混乱が発生すると、社員は辞めていってしまうということです。ちなみにその元社長は、企てに失敗して社員の取り込みも出来ず、うちが新たな製品開発を成功させたこともあり、今は細々とやっています。

    では何をして立ち直ったかといいますと、敢えていうなら、それ以後は内紛がないということなんですね。業界の景気が立て直ったとういこともありますが、これは外的要因。内的要因を考えると、創業者の息子が会社に入って──男ばかり3人ですが──3人で喧嘩もなく、まとまって方針を示して、やるべき事を着実にやってきたという、その点につきるのではないかと思うんです。経営陣が一枚岩でないと、中長期的にこの会社はダメだなという風に経営の方向性が疑われてしまうんですね。
    ※現在のダイコク電機は、創業者の栢森新治氏の長男である栢森雅勝氏が代表取締役社長、次男である栢森秀行氏が代表取締役副社長、三男の栢森健氏が代表取締役専務を務めている。

    リスクのある事業と安定した事業。
    2本柱のバランスで、自由なもの作りの場を提供。

    ────御社の風土については、就任された当時、どのようにお感じになりましたか。

    栢森 業績が厳しくなっていたのは創業社長のワンマン経営によるところが大きいと感じましたが、もの作りに関しては自由に作っているなという印象を受けましたね。

    木村 栢森社長が就任されたことを機に、「元気の風土は何だ」ということを部長連中と話したことがありまして。『自由に開発できる環境』というのはそうなんですが、他社でも自由に作らせているところはたくさんあります。ですから、実は『特徴がないのがうちの風土』なんじゃないかという結論になったんです。悪くいうと『曖昧』、良くいうと『臨機応変』。どちらにでもすぐ対応できる。

    ────その『曖昧さ』は、どのような場面で発揮されるのですか。

    木村 どうでしょうか。仕事には『責任と権限』があるじゃないですか。その意味では、権限も曖昧ですし、責任も実は曖昧だったりするんです。例えば、プロデューサーが「10万本売る」と、あるゲームを企画したとします。それに対して、上層部は「分かった、任せる」と。それが例えば「1万本しか売れませんでした」といっても、おとがめはないんです。企業としては甘い部分なのですが、そういった中で自由に、失敗を恐れずに開発できるというところはあると思いますね。

    ────そういった風土は、自然に培われたものなのですか。

    木村 そうですね。逆に今は、「責任を明らかにしよう」という方向に意識的に持っていっているところです(笑)。ただし、「責任を取る」といっても取れるものではないですよね。例えば「2億円の赤字が出たから、2億の借金をしろ」というものでもありませんし、「失敗の責任を取って会社を辞める」といっても、それは責任を取ったことにはならない。そうではなくて、自分がやったことに対して「こういう原因で失敗をした。次はその失敗がないようにしていく」という振り返りを必ず行うといったことに、今、取り組んでいるところです。

    栢森 アミューズメントに関しては出してみないと分からないという面があると思います。失敗は原因が非常に明快ですが、成功は原因が分からない。映画なども同じではないかと思いますが、事前に成功の原因を特定できないものですよね。成功の原因はあくまで結果論。そういった中で、結果にだけ対して褒めたりけなしたりというのを極端にやりすぎると、「やってられるか」という話になってしまうわけです(笑)。

    親会社(ダイコク電機)は設備部門とアミューズメント部門の両方を持っているものですから、その違いを特に感じます。設備部門は、顧客のニーズをリサーチして市場動向を読んで...とやると、かなり高い精度で予想が立ちます。しかしパチンコ台は、メーカーの販売実績が当初の計画と倍ほど違うというのもよくあること。両部門を同じ社内に抱えていると、ぜんぜん違うなというのがよく分かりますね。

    ────しかし経営側とされては、そうはいってもリスクはなるべく抑えたいと思われることはありませんか。

    栢森 私は、それはもう、ハッキリしていますよ。そういった部門のリスクは抑えようとしないで、他の仕事をすることでリスクを分散しようということなんですね。親会社の制御事業部でも、メーカーから安定発注がある事業と、自分たちの創造性を発揮して積極的に提案していく事業との、両方をやっていこうと思っていますし。リスクが高い部分は、リスクが高いまま放っておかないと可能性を潰してしまうんです。バランスの問題ですね。リスクが高い事業だけをやっていては、いつ潰れるかも分からない会社になってしまいますが、他の仕事もしていれば、片方は派手に動いても大丈夫。とはいっても、なかなか理想通りにはいきませんが(笑)。

    木村 社長は、「チャレンジできるものは何でもやってみなさい」という考え方なんです。新しい事業を立ち上げるにしても、頭ごなしに「そんなのダメに決まっている」という考えを非常に嫌って、「やる前からどうしてそんなこというの」と。直接、そう口に出してはいわないですが、「そう(やると)判断したなら、分かった」と、答えてくれるんですね。そして結果として、「この先、こういう風にダメになる」と分かったものはそう報告すれば、「じゃあ、その事業はやめた方がいいね」と。それはつまり、「可能性があるときはチャレンジしなさい」ということだと思っていまして、自由に開発させてもらっています。

    先が見えない物事にゴーサインを出せるのは、経営者しかいない。

    ────では、現場のアイデアも、より活発に出てくるようになりましたか。

    木村 そうですね。自由に開発できる環境にあるということはみんなも非常に分かっていまして、アイデアを出してはくれます。ただし少しだけ不満があるとすると、リスクに対して突っ込むと折れちゃう人が結構いる。「それでもいいからやらせてくれ」という人が少なくなってきた感じがしますね。

    ────最近の若い人たちに共通の傾向ですね。

    木村 そうですね。他社や他業界の方に聞いても同じ話が聞かれますし、ある記事で読んだのですが、日本だけではなく海外でもそういう人が増えているそうですね。

    栢森 確かに、100円で美味しいものが食べられる時代ですからね(笑)。ハングリーさも、なければないで何とかなってしまいますし。昔は本当にね、安い物といったら不味くて、「俺は美味しい物を食ってやるんだ」とか、狭い所に住んでいて「絶対に綺麗な所に住んでやる」とかね。そういったのはないでしょうね、今は。

    ────内的な要因として、以前のトップダウンの社風の弊害という側面もあるのでしょうか。

    木村 そうですね。今まではワンマン経営といいますか、本当のトップダウンでしたからね。方や、栢森社長になってからは、「下からのボトムアップを実践してくれ」と。ただ、トップダウンに慣れていた環境で、いきなり「ボトムアップしてくれ」といっても、これはやっぱり出てこないんですよ。ですから、経営側からするとすごくイライラしますし、現場からすると不安がすごい。1年半近くはそんな混沌とした状態の中で進んできました。そこで、中間層の管理職たちに「自分たちが会社を変えていくんだ」という意識を持ってもらおうと考えて、今年の1月から3月にかけて副部長クラスを中心に組織変革をテーマにしたワークショップ形式の研修を行ったんです。その効果もだんだんと出てきています。

    一方で経営陣も、トップダウンの重要性を感じています。今ミックスしている感じですね。

    ────トップダウンであるべき部分と、ボトムアップであるべき部分は、どのように切り分けていらっしゃるのですか。

    木村 これはなかなか難しいのですが......。社長は「作品作りの細かいことにまで口を出すべきではない」という考えですし、逆にそういうところまで口を出してくれると嬉しい社員もいるじゃないですか。ですから「これはトップダウン」という風には決めてはいないですね。その場の雰囲気を感じ取った者が判断するといいますか。例えば私は社長と部長の間にいますので、「現場は社長の意見が欲しいのかな」と感じれば、社長に「これを見て意見をください」と働きかけるわけです。ただし、社長は「自分の意見がそのまま通ってしまうのが怖い」という考えですので、そこは部長にも「これは一つの意見だから、採用する、しないは自分で判断してください」と添えるようにしています。

    栢森 部下の間で議論が起きていれば、安心して意見が言えるのですが、「社長が言うからそうしよう」、「自分たちで考えなくて済むから楽だ」と受け取られてしまうことが心配なんです。一方で、先が見えなくてリスクが想定される物事にゴーサインを出せるのは上の人間しかいませんので、そこは経営陣の仕事だと思うんですね。私はオーナー的な立場に近いものですから、リスクバランスですとか、会社としての資産のバランスをどうするかといった、そちらの方の立場が主なんです。

    ────トップのゴーサインがあれば、下の方は安心して走れますね。

    木村 そうですね。そんなに安心してもらっても困るのですが(笑)。やはり、「上が言ったからいいんだ」などと思われるのは、嫌なんですよ。その途中経過において自分にもどれくらいの責任があるのかということは分かってもらいたい。そういう話は、社内によくしていますね。

    栢森 両方のバランス感覚ですよね。パチンコ業界なんて今年はかなり厳しいですから、みんな悲観的になっています。ですから、「今は来年の種をまくとき。今の業績を悲観せずに頑張れ」というような話をしているんですが、「そんなに甘いことを言ってていいのか?」と言われることもあります。ですから、ゴーサインまでは安心させておいて、「そうはいっても足元の業績は悪い。削れるところは削っていこうよ」という、危機感をあおるような策もやらないといけない。どちらか片方だけやって済むならそんないいことはないんですが、安心させることと、危機感をあおることとの両方をやらないとバランスは取れないですよね。

    そういう意味では、私は元気では安心させるようなことばかり言っていまして、部長クラスが厳しいことを言う、そんな役回りをしてくれています。助かっているなと思いますね。

    コミュニケーションを活性化することで、風土の改革を図る。

    ────経営内容も社内に公開されているのですか。

    栢森 そうです。これまでは、社員に対する説明はなかったようですが、私が就任してからは社内の要望もありましたので、2、3カ月に一度、全社員を集めていろいろと説明する場を設けています。私が細かいことに口を出さない主義で、みんなと顔を合わせる機会が少ないものですから、本当は2、3カ月に一度といわず、別の機会も設けないといけないなというのは、今考えているところです。

    ────そういった情報に触れることで、社員のみなさんの意識も変わってこられたのではないですか。

    木村 そうですね。当事者意識を持ち始めてくれている人もいますし、変わらない人もいますが、全体としては、いい方向に向かっていると思いますね。

    ────意識が変わる方と変わらない方というのは、何が分かれ目になるのでしょうか。

    木村 当社は開発がメインになります。そこには「開発をしていればいい」という考え方が基本的にはあるんですね。開発されたものがどのような商品になり、どう収益に結びつくかを考える立場にない人は、それでいいと思うんです。もの作りに対してだけ真剣になってくれればいいわけですから。けれども、マネジメントをする人間は、その辺の意識を持っていないといけない。開発したものにどういった価値を見出すかをマネジャーとして考える必要があるわけです。そういった当事者意識といいますか、「俺が会社を経営しているんだ」という意識で動いてくれる人間が、何人か出てきたなという気がしています。

    ────それは、さきほどおっしゃられた研修の効果なのでしょうか。

    木村 研修を受けた人間もいますが、受けてない人間の中からも出てきていますね。研修では6回のワークショップを行ったのですが、それが終了した後も引き続き「ワークショップ継続会議」として開催して活発な議論を続けていまして、そういった動きに刺激を受けて「自分でも何かできることはないか」と取り組んでいるマネジャーもいるんです。

    ────研修が研修で終わらずに、現場に定着されているのはすごいことですね。

    木村 議論をするようになったのは、大きな変化です。今までは、声の大きい人や力の強い人が会議を進めてしまったり、会議と名がつくただの報告会だったり。それが、そこで議論を少しするようになったということと、会議の目的を理解して参加するようになった。まだ、「会議なんて時間の無駄だ」という人間がいますが、その辺はずいぶん変わってきたと思いますね。

    ────会議がコミュニケーションの場になっているのですね。

    木村 そうですね。それでも、コミュニケーションはまだ足りないんです。日常のやり取りは、メールやメッセンジャー(※)のようなものを使うことが多いのですが、それだけで終わってしまう人が多いんですよ。例えば隣の席の人が休んでも、まったく気にしない者もいますし。そういったことを改革していくのは非常に難しいですね。先ほど社長がお話しました全社集会も、効率の面でいえば無駄かもしれませんが、そういう場を設けてトップからのメッセージを直接聞くことが大事なんじゃないかという考えで開いているんです。そのほかにも、現場からのアイデアで、コミュニケーション活性化のための策をいくつか始めているところです。

    ※メッセンジャー:インターネット上でメッセージをやり取りするソフトウェア

    (後編へつづく)
    コミュニケーションを活性化し、現場からのボトムアップでアイデアが生まれる風土を作るにはどうすればよいのか。後編では具体的な施策に迫ります。

*続きは後編でどうぞ。
  現場の自主性を育む改革とは(後編)

寿がきや食品株式会社
代表取締役社長 遠矢康太郎さん

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    設立から45年。老舗の食品メーカーが挑む改革とは

    大手保険会社による保険金不払い問題やテレビ番組のねつ造事件などの不祥事が後を絶たず、蟻の一穴から堤防が崩れるように盤石と目されたブランドが崩壊する様が、あまりにも多く見受けられます。企業の歴史を守り、消費者から信頼される企業であり続けるためにはどうすればいいのか。創業61年、設立から45年の歴史を持つ寿がきや食品の代表取締役社長、遠矢康太郎さんに伺いました。

  • 寿がきや食品株式会社http://www.sugakiya.co.jp/

    1946年、創業者の菅木周一氏が名古屋市に甘党とラーメンの店「寿がきや」を開店。58年に寿がきや(現スガキコシステムズ)、63年に寿がきや食品をそれぞれ設立。スガキコシステムズは外食事業、寿がきや食品は即席めん、スープの製造・販売を手がける。60年を超える歴史を持つ「寿がきや」ブランドの人気の秘密は、60年来のレシピを守り続ける伝統のスープ。「名古屋人なら必ず食べたことがある」といわれる高い認知率を誇る。

    KOTARO TOOYA

    1961年生まれ。84年に全日空輸に入社。95年コンビニチェーン向けの調理麺ベンダーであるニッセー(現ニッセーデリカ)に移り、2000年に代表取締役社長に就任。売上高が200億円に迫る企業に成長させる。その後03年に現社に入社。04年1月に上席執行役員専務、同年5月に代表取締役社長に就任。

  • 創業60年目にして3工場を一カ所に集約。

    ────寿がきや食品の代表取締役社長に就任されて3年半が経たれました。本日は、この間のお取り組みについて伺えればと思っております。

    スガキコグループには、外食店をチェーン展開するスガキコシステムズと加工食品メーカーである寿がきや食品とがあり、スガキコシステムズは創業から61年、寿がきや食品は設立から45年という歴史を持っています。この61年、45年という年月には、創業者(菅木周一氏)や現オーナー(代表取締役会長 菅木伸一氏)を始めとする先輩たちが、名古屋に根付いて信頼を築き、愛情を込めて作ったレシピを維持してこられた歴史がある。そして今もなお、スガキコグループの商品が地元に愛されている影には、グループの社員一人ひとりの努力があります。

    一方で、食品業界を取り巻く環境は、この数年で大きく変化しました。ここにきて、不祥事を起こして営業停止や廃業に追い込まれる企業が後を絶ちません。企業のコンプライアンスがこれほど厳しくわれる環境に突然追い込まれるなんてことは、誰も想像していなかったのではないでしょうか。

    ────その中で御社は、グループ内に3カ所あった工場を1つに統合されました。

    そうです。食品業界にそういった風が吹くか吹かないかというときに、工場を統合したことは正解でした。その目的の一つは、中小のメーカーとしてグループ内のシナジー効果を最大限に活かすため。そしてもう一つは、お客さまの口に入るものを『正直に作る』ことを徹底するため。もちろん、創業以来、正直なモノ作りを貫いて今があるわけですが、トレーサビリティのシステム構築など時代の要請に応える必要があったということです。

    そもそも、食品会社の経営の理念は『正直』であること、お客さまの口に入るものを、嘘をつかないでご提供する。これにつきます。当たり前のつまらないことに思えるかもしれませんが、実はその当たり前のことに一番お金がかかるんですね。工場の統合にも大規模な投資が必要でした。ですから、そのことを理解して、投資を決裁したオーナーの決断があったからこそなしえた事業だったといえます。

    工場の統合にあたっては、オーナーが全社員の前で直接話し、会社が進む方向性を示してもらう場も設けました。中には反対する社員もいましたが、大事なのは向かう方向が一緒だということです。船頭が方向を決めたら、それは外れてはいけない。オーナー自らがスガキコグループの共通理念を掲げ、全社員に対して愛情を持って方向性を示せば、60年を超える歴史を持つ船も動き出す。今回の工場統合では、そのことを実感しましたね。

    基本を大切にすることが企業の永続につながる。

    ────では、工場の統合を進める過程では、社員の方々の気持ちが一丸となる手ごたえも感じられたのでしょうか。

    そうですね。ただし、やはり中には同意できない人もいます。工場が3カ所にあったということは、その地域で働いた人たちがいたということ。それが、いくら工場新設のためとはいえ、生活の糧にしていた場所がなくなってしまうわけですから、私としても苦渋の決断を迫られた面も多少はありました。

    しかし、だからといって、現状を見てみないふりはできない。50年以上も操業していれば、 冷蔵や空調の問題など、製造ラインにも見直すべきことがあるわけです。そのときにすべてに優先すべきは、『お客さまに安心なものを届ける』という基本であって、ほかの問題は基本をクリアしてからの話です。ですから苦労をかけた人たちもいましたが、極論をいえばこの企業が潰れてしまっては何にもならない。食品業界を取り巻く環境はそこまで来ているわけです。消費者側には、「この商品は安心だろうか」と疑っていることが沢山あるわけでしょう。

    一度信用を失ったら、取り戻すのに何年もかかる。だからこそ、『正直』なモノ作りが大切なのです。例えば、「この材料は何月何日にどこから購入して、製造ラインのどこに納入されたものをいつ開封して、どのように保存して...」といったことを全部記録する。そして、万が一にも原材料に何か問題があるとなれば履歴をポンッと叩いて、生産工程のどの段階までの商品を回収すべきかが瞬時に分かるとかね。このように情報を川下から川上にさかのぼって遡及することを『トレーシング』というわけですが、そういうことができる体制にするには工場を変えなくてはいけないわけです。

    それはもう大変なことではあるんですが、社内にその必要性を根気よく説明して、口説く。これしかないんですね。3年後、5年後、10年後に生き残るための生産、研究、開発、営業拠点作りのためにも、新しい本社工場は必要でした。ですから、寿がきやの生産環境はその辺のメーカーには負けませんよ。

    新工場設立は社内のプロジェクトに任せる。

    ────社内には「そこまでしなくてもよいのではないか」といったご意見はなかったのでしょうか。

    私は聞こえなくなりますからね、そういう意見は(笑)。そういった声を聞いてしまってはダメなんです。妥協は妥協を呼びます。そうしたら、初志貫徹にならないでしょう。『正直なモノ作り』のための環境は、何があっても初志貫徹する。それ以外については、多少は曲げなくてはいけないこともありましたが、モノ作りのクオリティを保つためには情けはありません。

    一番苦しいのは現場の人たちなんですね。日勤だけだった工場を、早朝からの稼動に操業を拡張しましたし、将来的には24時間操業も考えています。コンビニエンストアのチェーンに納入するベンダーなどでは24時間、365日の操業が当たり前ですが、そうではない環境から24時間体制に変えるのは大変なこと。ですが、「それがきついとか何とかいっていたら、どんどん置いていかれるよ」と社内には言っているんです。それはみんなも話せば分かるから、「それならば、自分たちで企画しよう」と。そんなことから、新工場作りは始まったんです。

    ────新工場の建設には外部のコンサルタントを起用せず、工場長を始めとする社内のプロジェクトに任せられたと伺っています。

    そうです。外部のプロを呼んできたって、彼らの頭の中には成功事例しかないでしょう。成功事例を持っている人というのは、それしか正しいと思わないわけです。けれどもそうではなくて、寿がきやには寿がきや独自のやり方があってしかるべき。食品メーカーであり外食チェーンであり、液体スープも粉末スープも作っている。この業態に対する改善策をパッケージとして持っている人がいるなら構いませんが、たいていは一般的な能書きだけですから。それよりも、寿がきやの生え抜きの人たちが「自分たちにあったレギュレーションはこうだ」というものを作れば、それが最高のものなんです。そのたたき台があってから、外部の方々と詳細設計に入っていけばいい訳です。

    ────社内に任せることのリスクはなかったのでしょうか。

    それはもちろん考えました。最悪のケースでいえば工場が建たないということもあったでしょうし、そこまでいかなくても製造ラインに欠陥がある、ラインがうまく稼動しない、不良品が出るかもしれない・・・。不安要素はいくらでも出てきます。けれどもリスクはあらかじめ手を打つことができるわけで、それよりも得るメリットのほうが大きいわけです。現場や現状、現実に即した工場を作ることができますし、何よりも『自分たちで作った工場』です。現場の連帯感は間違いなく強化されますし、工場の新設を経験することで個人のスキルも磨かれる。それが業務推進力の強化につながり、企業としての強さにもつながっていくわけです。

    工場が形になるまでは、少し我慢する時間は必要でしたが、冒頭にお話しした通り、寿がきやは地元に愛されてきた会社です。だから、新工場も寿がきやの生え抜きのメンバーで作る。そういうやり方があってもいいと思うんですね。

    ────プロジェクトのメンバーは、どのように選抜されたのですか。

    関係するすべての部署から、中堅社員を選抜しました。いわば、今後会社の中心を担っていく人物。当初は、方向性が分からないといった戸惑いがありましたが、それを乗り越えたことが「やればできる」という彼らの自信になり、「会社の中に壁はない」「できないことはない」という社風ができた。これは企業としても大きなステップアップにつながりました。

    実際に効果も出ていまして、食品メーカーにとっては原価率を1ポイント下げるだけでも大変なことなのですが、それが昨年から今年にかけて1ポイントどころではない原価率の削減に成功しているんです。

    ────原価率を下げる秘けつが何かあったのでしょうか。

    いえ、トヨタ方式ではないですが、日々の一つひとつの工程を、自分たちで見直していったということです。5Sを基本に、アイデアをみんなで出し合い、それを効率につなげる努力を日々重ねるということです。そういう努力を会社は評価しなくてはならないし、そういう会社にしないと、作る側はちっとも面白くない。そういった変化が徐々に起こってくると、現場も面白くなってくると思うんですね。

    商品開発体制を一新し、女性中心で開発した新商品も誕生。

    ────商品開発も、営業や製造スタッフが加わる体制に変えられたと伺っています。

    当社に来たときに一番印象的だったのは、営業が「売ってきてやる」という言葉でした。そして、開発は「作ってやる」という。どちらも、「何様なんだ」ということですよ。そして、その横で品質管理がいいたいこといえずにいる。そこでまず、品質管理を社長直轄にしました。今では、当社の品質管理は生産ラインに何か問題を発見した場合は、社長である私の許可なくラインを止めることができます。品質管理の担当者が、本部長よりも役員よりも偉いわけです。一般的に品質管理というのは利益を生まない部署ですから、社内のステータスは高くありませんね。けれどもそれを社長と同等に格上げして自信を持たせ、逆にいえば勉強もさせた。そういう意味では、苦労したナンバーワンはまず品質管理なわけです。

    かたや営業は「売ってきてやる」と、一番偉いつもりでいる。けれども、例えば商品に何かクレームが入れば、いちいち持ち帰って工場にレポートを作成させて、それをまた客先に説明に行ったりしているわけです。生産工程の知識もなくて、どうやってモノが売れるんだということですよね。ですから、営業は全員、工場で研修を受けさせました。そうすると「売ってきてやる」などとはいわなくなりますし、開発は開発で、売る立場になった開発をするようになります。コンセプトを明確にして、どういう風に売ってほしいかというシナリオを持って開発すれば、営業も売りやすくなるわけです。

    実はこれは私の父の教えでもあって、よくいわれたのが「人に"〜してやった"というぐらいなら、最初からやるな」ということ。「そういうことをいう奴は、もともと大した奴じゃない」と。そうかもしれないなと思いますね。

    ────初の試みとして、女性が中心になった商品開発にも挑戦されたと伺っています。

    『SOUPS(スープス:スープタイプのカップ麺)』ですね。消費者には男性だけでなく女性もいます。男性中心の開発から脱して、買い手の発想で「自分が買いたい」と思う新規商材を作りたい。その考えから試みたことでした。

    ────『SOUPS』のプロジェクトに選ばれた女性の皆さんの反応はいかがでしたか?

    企画から開発、発売まで任せましたから、やりがいは感じつつも不安も大きかったようです。そこで男性社員のオブザーバーもつけたのですが、徐々にオブザーバーの存在意義がなくなるほどの力を発揮し始め、途中からは女性メンバーだけの活動になっていきました。

    プロジェクトが発足して最初にメンバーで決めたスローガンは「できないと言わない!」。当初は、作り手主導の旧メンバーと「お客さまが欲しいモノを作りたい」という女性メンバーとギャップを埋めるのが大変でしたが、このスローガンを最後まで貫くことができたので、今までにない商材『SOUPS』が完成したんです。これによって性別も年齢も関係ないという社風が生まれ、「次回作は何?」と商品への関心も高まった。何よりも「チャレンジできるんだ」という前向きな気持ちが社内に生まれましたね。

    ▼商品開発の新体制で生まれた、『「弾」えび入りかき揚げうどん』と『「吟」えび入りかき揚げそば』

     

    社員一人ひとりが本物の美味しさを追及する姿勢から生まれた商品。本当に美味しいと思えるものをつくるため、うどんの本場四国に足を運び、研究・開発。かき揚げは、さくさく感を実現するため、機械ではなく手作りで一つずつ揚げている。発売3年目を迎えて、こしに加え、つるみなども加わったより美味しい麺にリニューアル。2007年9月10日より全国(沖縄を除く)で発売中。

    社員を信じて任せることで組織は強くなる。

    ────工場新設を決定された当時、現場の方々は会社の将来に対する危機感をどの程度に感じておられたのでしょうか。

    最初は危機感はあまりなかったと思いますよ。けれども、いいタイミングで某大手食品メーカーが営業停止になり、廃業に追い込まれるメーカーも出てきて...と、次々と始まったわけです。

    ────しかし、世の中の動きを"わが事"に置き換えられない企業も多くあります。

    そう。「うちは大丈夫だろう」と思いがちですね。ですからそれはもう、耳にタコができるぐらいに社内にいい続けました。そうするうちに、みんな分かってくれましたしね。工場新設には副次効果もあって、若い人たちに主体性が出てきたのもよかったことの一つ。新しいシステムや機械が入ると、年輩者はついて来られなくなってくるでしょう(笑)。まあ、意地でも分かったフリをするわけですが(笑)、そうすると若い連中とベテラン陣とがいい連携になってきて、若い社員が得意なことを伸ばせる環境になっていくわけですよ。工場の会議で数字を発表するのは40代、50代の社員ですが、事例研究や5Sの発表をするのは、今では20代の社員。これは、面白いですよ。

    ────そういった変化は、社長から何か仕掛けをされたことなのですか。

    いやいや、私一人ではまったく何もできないわけで、全部私が仕掛けたのでは、会社は変わりません。本部長や部長クラスへ権限を分散し、各部門が精一杯動けるような環境を作る。これだけです。その過程では多少のトラブルは付き物ですから、対外的なクレームにつながる場合は私が行って謝る。社長は謝るのが仕事ですから(笑)。朝礼や会議も最初は私がしゃべりっぱなしでしたが、今では私が発言することもかなり減りました。

    ────口を出したくなることはありませんか。

    社員の間に自主性が出てきましたからね。朝礼の手順もすべて30代の課長たちが組んでいますし。だいたい、つまらないじゃないですか。社長がどこかから仕入れてきたような話をしても(笑)。ですから、今は本部長や部長クラスがそれぞれ時間を持って現状を話すようにして、私の話はそれを受けて少しだけというようにしているんです。

    そもそも社長なんていうのは、いなくても会社が回らなくてはしょうがないでしょう。オーナーが示した方向に従って、肝心なときに決断するのは社長かもしれないけど、例えば社長が何かで入院したら会社が潰れてしまうのでは困るわけです。

    「正解」は誰かが与えてくれるものではない。

    ────また、社長は社員の方々の名前を覚えておられるだけでなく、家族構成や置かれている環境など、皆さんのことをよくご存知だとお聞きしています。

    300名弱の会社ですからね。願わくば全員が辞めないでくれればいいけれど、そんなことは無理ですよね。それぞれに人生がありますから。でも、せめてここに関わっている間は、お互いのことを多少は分かっていてもいいかもしれないとは思いますね。いつかまた、どこかで会うことがあるかもしれないわけですから。

    私自身も前々職の航空会社からは遠く離れた業界に来ましたが、今この名古屋で全日空時代の上司(現・全日空名古屋支店長)との交流が復活したんです。全日空を入社11年目で辞めたときはもう会うこともないと思っていたのが、こうやって会うんですね。こういう想像し得ない出会が、この先にもまたあるかもしれない。そのときそのときの関係を丁寧に築いておけば、それはいつか自分に返ってくるわけです。

    ────社長から見て、社員の方々にこうあってほしいという"求める像"はどのようなものなのでしょうか。

    『正直』であること。『嘘をつかない』こと。これだけですね。これからは、コンプライアンスが問われる時代です。そうなったときに、『正直』であることだけは譲らないという人でないと、特に食品なんていう事業は成り立たないわけです。新工場はモノ作りの環境を徹底して整えていますが、それでも悪いことをしようと思えばいくらでもできる。工場の規模が大きくなればなるほど、そういうチャンスも増えますから。

    ────想像するだけでも、恐ろしくなりますね。

    そう。考え始めると、寝てもいられなくなりますよ。

    ────ご業界は違いますが、例えばIT企業などでは、パソコンのログインを指紋認証に切り替えるなどの対策を採っている例があります。見方によっては性悪説に立っているともいえますが、こういった風潮をどのようにお考えになりますか。

    どういった対策が有効かは、業界によるのではないでしょうか。当社でも工場では制服に着替えますし、ピアスも指輪もすべて外す決まりになってしますしね。ただ一ついえるのは、どれだけの対策を講じようと悪いことをしようと思えばいくらでもできるということです。しかし、会社が大きな投資の決断をして、こういう方向でいくんだということを示して、みんなで一丸となって頑張っている姿を見れば、悪いこともできないんじゃないかと思うんですね。仮に社長のことは嫌いでも、一緒に働いている仲間は憎くないわけですから。

    ────現場の信頼関係が、砦になるのですね。

    そうあってくれればいいと思いますね。「人には生まれ持ったものがあって、それは変えられない」というのが私の父の持論でした。だから、「努力しろとか何とかいっても、生まれ持ったものを変えようとすることだけはやめろ」と。けれど私は、そのうちの何%かは変えられると信じているんです。

    そうしたときに何が拠り所になるかというと、身近な人のことを好きでいる人に悪い人はいないということなんですね。今まで何人も採用の面接をしてきましたが、両親や家族、同僚を大切にする子に悪い子はいません。

    ですからそんなことも含めて、地元に愛されて育ってきたスガキコグループのビジネスモデルは、ここにしかないビジネスモデル。どこかに参考になるいい事例があるのではないかとか、誰か指南役がいて新しいアイデアを出してくれるのではないかとか。そういう誤解をしがちですが、そういったことはまったくないわけです。地元で愛されている会社ですから、地元の社員がリーダーシップを握ってやっていくのが一番。地域密着の企業がビジネスモデルを組み立てるというのは、そういうことなのだと思いますね。

    ────ありがとうございました。

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