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専務取締役 開発本部長 木村 智治さん (写真左)現場の自主性を育む改革とは(前編)
企業には、「創業期」「成長期」「成熟期」「衰退期」と発展段階があるといわれます。「創業期」には、創業者の強力なリーダーシップのもとで事業の基礎を固め、「成長期」「成熟期」と発展するにつれて現場への権限委譲が進み、組織としても成熟することが理想とされますが、創業者のワンマン経営から脱却できずにいる企業が少なくないのが実情です。トップダウンへの依存体質をぬぐい去るにはどうすればよいか。元気株式会社の代表取締役社長 栢森秀行さんと、専務取締役 開発本部長 木村智治さんに伺いました。
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元気株式会社 (http://www.genki.co.jp/)
1990年設立のゲームソフトメーカー。『首都高バトルシリーズ』『街道バトルシリーズ』などのヒット作で、レースゲーム界における独自の地位を確立する。剣術アクションゲーム『剣豪シリーズ』にも根強い固定ファンが多い。2002年にコナミと業務・資本提携を行い、2005年にコナミが保有する株式をダイコク電機に売却したことで、ダイコク電機のグループ企業となる。
HIDEYUKI KAYAMORI
1968年生まれ。2005年にダイコク電機株式会社代表取締役副社長に就任。2006年に元気株式会社の代表取締役社長に就任。ダイコクグループ各社(DIXEO株式会社、DAXEL株式会社、元気モバイル株式会社、DO株式会社)の代表取締役も兼任。
TOMOHARU KIMURA
1964年生まれ。1990年に創業メンバーとして、元気株式会社に入社。1999年に専務取締役開発本部長に就任。
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優秀な社員が定着する鍵は、一枚岩の経営体制。
────御社は、2006年にダイコク電機のグループ会社となり、ダイコク電機の代表取締役副社長でいらっしゃる栢森様が、元気の代表取締役社長に就任されました。就任当時、元気にはどんな印象を抱かれましたか。
※ダイコク電機:1973年設立の東証一部上場企業。本社は愛知県名古屋市。パチンコホール向けコンピュータシステムの企画開発や、パチンコ・パチスロ遊技機用ユニットの企画開発、製造、販売を手がける。
栢森 そもそもは、いちゲームファンとしての見方になりますが、新しいハード(ゲーム機器)に積極的に対応して、独自の方向性を持った商品を出しているゲームメーカーというイメージを持っていました。
そして、まずは取締役として経営に参加したわけですが、社員は優秀で能力があり、経験もある。クリエイティビティに非常に魅力がある会社です。バランスシートに脆さがあるなど楽観できない材料もありましたが、元気の社員の人たちがついてきてくれれば、グループにとっては大きなメリットがあるなと。これが『単なる作業』であれば、ダイコク電機の本社がある名古屋にも開発の下請け会社はたくさんありますし、そういったところから、「会社を買いませんか」という話もたくさんいただきます。しかし、単に「言われた仕事をやります」というような会社にはまったく魅力を感じませんから、そういったところには一切、手を出してきませんでした。元気が好きだったからこそ、グループ化しようという提案があったときに乗ったわけです。
ですから、社員がついてきてくれるかどうかということは、非常に心配でした。過去にも、あるパチンコ台メーカーがゲームメーカーを買収したものの、そこの社員のほとんどに逃げられて失敗した例などもありますしね。今、こうしてみんな頑張ってついてきてくれているのは、非常にありがたいなと思っています。
────企業買収では、『経営幹部は総入れ替え』といったドラスティックな手を打たれる例も、一般には多く見受けられます。社長が敢えてそうされなかったのは、社員の皆さんのモチベーションを大切にするためという理由もあったのでしょうか。
栢森 そうですね。もともと元気に魅力を感じたのもそこですから。といっても、グループ化した会社に対してドラスティックなことをしない方が良いとは、一概にはいえません。例えばこれが、社員よりもブランドに価値があるような会社でしたら、いかにブランドを維持するかがテーマになりますから、また違った手法になるかもしれない。状況に応じて正解は違うということです。
────優秀な方が定着する組織にするというのは、すべての企業の関心事かと思いますが、そのためには何が大切だと思われますか。
栢森 経営陣が一枚岩であること、ではないでしょうか。これはダイコク電機の話になりますが、10年ほど前に、父の次を任された社長が主力製品の製造業者と結託してライバル会社を設立し、突然辞職したことがあったんです。そしてダイコク電機は債務超過で今にも破産するといったでたらめな風説を流布しました。いわば乗っ取りを企てたわけです。前社長のいうことだからと信じた人もいて、一年のうちに550名いたうちの100名が辞める事態となりました。結局は会社の業績、戦略、社風、待遇が悪くて辞めていったのではなく、経営の混乱が発生すると、社員は辞めていってしまうということです。ちなみにその元社長は、企てに失敗して社員の取り込みも出来ず、うちが新たな製品開発を成功させたこともあり、今は細々とやっています。
では何をして立ち直ったかといいますと、敢えていうなら、それ以後は内紛がないということなんですね。業界の景気が立て直ったとういこともありますが、これは外的要因。内的要因を考えると、創業者の息子が会社に入って──男ばかり3人ですが──3人で喧嘩もなく、まとまって方針を示して、やるべき事を着実にやってきたという、その点につきるのではないかと思うんです。経営陣が一枚岩でないと、中長期的にこの会社はダメだなという風に経営の方向性が疑われてしまうんですね。
※現在のダイコク電機は、創業者の栢森新治氏の長男である栢森雅勝氏が代表取締役社長、次男である栢森秀行氏が代表取締役副社長、三男の栢森健氏が代表取締役専務を務めている。リスクのある事業と安定した事業。
2本柱のバランスで、自由なもの作りの場を提供。────御社の風土については、就任された当時、どのようにお感じになりましたか。
栢森 業績が厳しくなっていたのは創業社長のワンマン経営によるところが大きいと感じましたが、もの作りに関しては自由に作っているなという印象を受けましたね。
木村 栢森社長が就任されたことを機に、「元気の風土は何だ」ということを部長連中と話したことがありまして。『自由に開発できる環境』というのはそうなんですが、他社でも自由に作らせているところはたくさんあります。ですから、実は『特徴がないのがうちの風土』なんじゃないかという結論になったんです。悪くいうと『曖昧』、良くいうと『臨機応変』。どちらにでもすぐ対応できる。
────その『曖昧さ』は、どのような場面で発揮されるのですか。
木村 どうでしょうか。仕事には『責任と権限』があるじゃないですか。その意味では、権限も曖昧ですし、責任も実は曖昧だったりするんです。例えば、プロデューサーが「10万本売る」と、あるゲームを企画したとします。それに対して、上層部は「分かった、任せる」と。それが例えば「1万本しか売れませんでした」といっても、おとがめはないんです。企業としては甘い部分なのですが、そういった中で自由に、失敗を恐れずに開発できるというところはあると思いますね。
────そういった風土は、自然に培われたものなのですか。
木村 そうですね。逆に今は、「責任を明らかにしよう」という方向に意識的に持っていっているところです(笑)。ただし、「責任を取る」といっても取れるものではないですよね。例えば「2億円の赤字が出たから、2億の借金をしろ」というものでもありませんし、「失敗の責任を取って会社を辞める」といっても、それは責任を取ったことにはならない。そうではなくて、自分がやったことに対して「こういう原因で失敗をした。次はその失敗がないようにしていく」という振り返りを必ず行うといったことに、今、取り組んでいるところです。
栢森 アミューズメントに関しては出してみないと分からないという面があると思います。失敗は原因が非常に明快ですが、成功は原因が分からない。映画なども同じではないかと思いますが、事前に成功の原因を特定できないものですよね。成功の原因はあくまで結果論。そういった中で、結果にだけ対して褒めたりけなしたりというのを極端にやりすぎると、「やってられるか」という話になってしまうわけです(笑)。
親会社(ダイコク電機)は設備部門とアミューズメント部門の両方を持っているものですから、その違いを特に感じます。設備部門は、顧客のニーズをリサーチして市場動向を読んで...とやると、かなり高い精度で予想が立ちます。しかしパチンコ台は、メーカーの販売実績が当初の計画と倍ほど違うというのもよくあること。両部門を同じ社内に抱えていると、ぜんぜん違うなというのがよく分かりますね。
────しかし経営側とされては、そうはいってもリスクはなるべく抑えたいと思われることはありませんか。
栢森 私は、それはもう、ハッキリしていますよ。そういった部門のリスクは抑えようとしないで、他の仕事をすることでリスクを分散しようということなんですね。親会社の制御事業部でも、メーカーから安定発注がある事業と、自分たちの創造性を発揮して積極的に提案していく事業との、両方をやっていこうと思っていますし。リスクが高い部分は、リスクが高いまま放っておかないと可能性を潰してしまうんです。バランスの問題ですね。リスクが高い事業だけをやっていては、いつ潰れるかも分からない会社になってしまいますが、他の仕事もしていれば、片方は派手に動いても大丈夫。とはいっても、なかなか理想通りにはいきませんが(笑)。
木村 社長は、「チャレンジできるものは何でもやってみなさい」という考え方なんです。新しい事業を立ち上げるにしても、頭ごなしに「そんなのダメに決まっている」という考えを非常に嫌って、「やる前からどうしてそんなこというの」と。直接、そう口に出してはいわないですが、「そう(やると)判断したなら、分かった」と、答えてくれるんですね。そして結果として、「この先、こういう風にダメになる」と分かったものはそう報告すれば、「じゃあ、その事業はやめた方がいいね」と。それはつまり、「可能性があるときはチャレンジしなさい」ということだと思っていまして、自由に開発させてもらっています。
先が見えない物事にゴーサインを出せるのは、経営者しかいない。
────では、現場のアイデアも、より活発に出てくるようになりましたか。
木村 そうですね。自由に開発できる環境にあるということはみんなも非常に分かっていまして、アイデアを出してはくれます。ただし少しだけ不満があるとすると、リスクに対して突っ込むと折れちゃう人が結構いる。「それでもいいからやらせてくれ」という人が少なくなってきた感じがしますね。
────最近の若い人たちに共通の傾向ですね。
木村 そうですね。他社や他業界の方に聞いても同じ話が聞かれますし、ある記事で読んだのですが、日本だけではなく海外でもそういう人が増えているそうですね。
栢森 確かに、100円で美味しいものが食べられる時代ですからね(笑)。ハングリーさも、なければないで何とかなってしまいますし。昔は本当にね、安い物といったら不味くて、「俺は美味しい物を食ってやるんだ」とか、狭い所に住んでいて「絶対に綺麗な所に住んでやる」とかね。そういったのはないでしょうね、今は。
────内的な要因として、以前のトップダウンの社風の弊害という側面もあるのでしょうか。
木村 そうですね。今まではワンマン経営といいますか、本当のトップダウンでしたからね。方や、栢森社長になってからは、「下からのボトムアップを実践してくれ」と。ただ、トップダウンに慣れていた環境で、いきなり「ボトムアップしてくれ」といっても、これはやっぱり出てこないんですよ。ですから、経営側からするとすごくイライラしますし、現場からすると不安がすごい。1年半近くはそんな混沌とした状態の中で進んできました。そこで、中間層の管理職たちに「自分たちが会社を変えていくんだ」という意識を持ってもらおうと考えて、今年の1月から3月にかけて副部長クラスを中心に組織変革をテーマにしたワークショップ形式の研修を行ったんです。その効果もだんだんと出てきています。
一方で経営陣も、トップダウンの重要性を感じています。今ミックスしている感じですね。
────トップダウンであるべき部分と、ボトムアップであるべき部分は、どのように切り分けていらっしゃるのですか。
木村 これはなかなか難しいのですが......。社長は「作品作りの細かいことにまで口を出すべきではない」という考えですし、逆にそういうところまで口を出してくれると嬉しい社員もいるじゃないですか。ですから「これはトップダウン」という風には決めてはいないですね。その場の雰囲気を感じ取った者が判断するといいますか。例えば私は社長と部長の間にいますので、「現場は社長の意見が欲しいのかな」と感じれば、社長に「これを見て意見をください」と働きかけるわけです。ただし、社長は「自分の意見がそのまま通ってしまうのが怖い」という考えですので、そこは部長にも「これは一つの意見だから、採用する、しないは自分で判断してください」と添えるようにしています。
栢森 部下の間で議論が起きていれば、安心して意見が言えるのですが、「社長が言うからそうしよう」、「自分たちで考えなくて済むから楽だ」と受け取られてしまうことが心配なんです。一方で、先が見えなくてリスクが想定される物事にゴーサインを出せるのは上の人間しかいませんので、そこは経営陣の仕事だと思うんですね。私はオーナー的な立場に近いものですから、リスクバランスですとか、会社としての資産のバランスをどうするかといった、そちらの方の立場が主なんです。
────トップのゴーサインがあれば、下の方は安心して走れますね。
木村 そうですね。そんなに安心してもらっても困るのですが(笑)。やはり、「上が言ったからいいんだ」などと思われるのは、嫌なんですよ。その途中経過において自分にもどれくらいの責任があるのかということは分かってもらいたい。そういう話は、社内によくしていますね。
栢森 両方のバランス感覚ですよね。パチンコ業界なんて今年はかなり厳しいですから、みんな悲観的になっています。ですから、「今は来年の種をまくとき。今の業績を悲観せずに頑張れ」というような話をしているんですが、「そんなに甘いことを言ってていいのか?」と言われることもあります。ですから、ゴーサインまでは安心させておいて、「そうはいっても足元の業績は悪い。削れるところは削っていこうよ」という、危機感をあおるような策もやらないといけない。どちらか片方だけやって済むならそんないいことはないんですが、安心させることと、危機感をあおることとの両方をやらないとバランスは取れないですよね。
そういう意味では、私は元気では安心させるようなことばかり言っていまして、部長クラスが厳しいことを言う、そんな役回りをしてくれています。助かっているなと思いますね。
コミュニケーションを活性化することで、風土の改革を図る。
────経営内容も社内に公開されているのですか。
栢森 そうです。これまでは、社員に対する説明はなかったようですが、私が就任してからは社内の要望もありましたので、2、3カ月に一度、全社員を集めていろいろと説明する場を設けています。私が細かいことに口を出さない主義で、みんなと顔を合わせる機会が少ないものですから、本当は2、3カ月に一度といわず、別の機会も設けないといけないなというのは、今考えているところです。
────そういった情報に触れることで、社員のみなさんの意識も変わってこられたのではないですか。
木村 そうですね。当事者意識を持ち始めてくれている人もいますし、変わらない人もいますが、全体としては、いい方向に向かっていると思いますね。
────意識が変わる方と変わらない方というのは、何が分かれ目になるのでしょうか。
木村 当社は開発がメインになります。そこには「開発をしていればいい」という考え方が基本的にはあるんですね。開発されたものがどのような商品になり、どう収益に結びつくかを考える立場にない人は、それでいいと思うんです。もの作りに対してだけ真剣になってくれればいいわけですから。けれども、マネジメントをする人間は、その辺の意識を持っていないといけない。開発したものにどういった価値を見出すかをマネジャーとして考える必要があるわけです。そういった当事者意識といいますか、「俺が会社を経営しているんだ」という意識で動いてくれる人間が、何人か出てきたなという気がしています。
────それは、さきほどおっしゃられた研修の効果なのでしょうか。
木村 研修を受けた人間もいますが、受けてない人間の中からも出てきていますね。研修では6回のワークショップを行ったのですが、それが終了した後も引き続き「ワークショップ継続会議」として開催して活発な議論を続けていまして、そういった動きに刺激を受けて「自分でも何かできることはないか」と取り組んでいるマネジャーもいるんです。
────研修が研修で終わらずに、現場に定着されているのはすごいことですね。
木村 議論をするようになったのは、大きな変化です。今までは、声の大きい人や力の強い人が会議を進めてしまったり、会議と名がつくただの報告会だったり。それが、そこで議論を少しするようになったということと、会議の目的を理解して参加するようになった。まだ、「会議なんて時間の無駄だ」という人間がいますが、その辺はずいぶん変わってきたと思いますね。
────会議がコミュニケーションの場になっているのですね。
木村 そうですね。それでも、コミュニケーションはまだ足りないんです。日常のやり取りは、メールやメッセンジャー(※)のようなものを使うことが多いのですが、それだけで終わってしまう人が多いんですよ。例えば隣の席の人が休んでも、まったく気にしない者もいますし。そういったことを改革していくのは非常に難しいですね。先ほど社長がお話しました全社集会も、効率の面でいえば無駄かもしれませんが、そういう場を設けてトップからのメッセージを直接聞くことが大事なんじゃないかという考えで開いているんです。そのほかにも、現場からのアイデアで、コミュニケーション活性化のための策をいくつか始めているところです。
※メッセンジャー:インターネット上でメッセージをやり取りするソフトウェア
(後編へつづく)
コミュニケーションを活性化し、現場からのボトムアップでアイデアが生まれる風土を作るにはどうすればよいのか。後編では具体的な施策に迫ります。
*続きは後編でどうぞ。
現場の自主性を育む改革とは(後編)