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『収穫逓増型』の事業を生み出した経営の秘けつとは(前編)
事業規模が拡大するにつれて投資効率がよくなり、利益率も高まる──IT時代の象徴の一つとして『収穫逓増型』といわれるビジネスモデルが注目されています。『収穫逓増型』のビジネスを生み出し、高い競争力を持って同業他社を凌駕する秘けつは何か。セコム株式会社の顧問であり、『セコム 創る・育てる・また創る』(東洋経済新報社刊)の著者でもある加藤善治郎さんに伺いました。
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セコム株式会社 (http://www.secom.co.jp/)
1962年に日本で初めてのセキュリティ会社として創業。66年にはこれも日本で初めて、オンラインによる安全システムを開発。以来、セキュリティ事業を中核に医療、保険、地理情報サービスなど独自の技術開発力やネットワークを武器に多方面に事業を展開。"あらゆる不安のない社会"の実現に向けて「社会システム産業」の構築を目指す。
ZENJIRO KATO
1933年生まれ。岩手日報、アド電通を経て、70年に日本警備保障(現セコム)に入社。73年には広報室長に就任し、一貫して広報業務の責任者を務める。76年にセキュリティワールド社長就任、90年にセコムの宣伝・広報担当顧問に就任。NPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会の理事長も務める。著書に『セコム 創る・育てる・また創る』(東洋経済新報社刊)。
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『日本にないビジネスを作る』ことを社是に、昭和37年に創業。
────平成19年3月期の決算では、売上高が6140億円、経常利益で1000億円を超えました。日本初の事業で創業されて以来、45年間でここまで来られたのは大変なことだと思います。
そうですね。『日本にない事業を手掛ける』ことは創設の条件でしたからね。
日本は今でもそうですが、世界的にも『安心、安全な国』だという評価を得てきました。ただしそれは、自然にそうなったのではなくて、それなりの努力をしてきたから『安全、安心な国』だといわれていたわけですね。それが、戦争が昭和20年に終わり、昭和30年代も半ばを過ぎると経済が活性化してきて、犯罪や火災などの事故や事件も頻繁に起こるようになってきた。そうなると被災した会社は損失を被りますから、非常に困った事態に陥るわけですね。最近言われるBCP(Business Continuity Plan:緊急時の企業存続計画)と同じで、事業継続ができないような事態も出る。
そういう状況の中でふと考えたら、会社の安全や安心を担うビジネスが日本にないじゃないかと。こう気がついたんですね。それまでの日本の『安全、安心』は、警察や消防が優れていたから成り立っていました。しかし、こういった公的機関が動くのはトラブルが発生した後です。また、企業の内部に立ち入ることもしません。公共設備の安全は管理するけれども、私的な機関の安全管理は立ち入らない。これが原則ですね。けれども、企業などの私的機関の中でも問題は起こるわけです。これからの時代はますます経済が発展するわけだから、緊急事態を抑止するビジネスがあってもいいんじゃないかと。これが、単純なことですが、創業の狙いでした。
────その後、45年間でここまで成長された最大の勝因は何だったのでしょうか。
そもそもは、創業者の飯田と戸田(いずれも取締役最高顧問)が2人で始めた会社ですからね。企業としては、力もなければ知恵もない。発展するかどうかも分かりませんでした。当初は、パワーを発揮するビジネスは人的サービスだということで、ご契約先に警備員を常駐させるサービスを始めたわけです。けれども、創業したのが昭和37年当時、「警備サービスを提供しますのでご契約いたしませんか」と企業に売り込んでも、「日本は世界で最も安全な国だから警備なんていらない」と、理解を得られませんでした。しかしよく聞くと、そこの会社の社員の方が制服を着て、警備や受付をしていたんです。「それを代行いたしますよ」と説明して回るうちに、少しずつご契約いただけるようになりましたね。
なぜ当社のような人的サービスを代行する会社がいいのかといえば、一つは、提供するサービスに責任を持つということがあります。当社は保険をかけていますから、「万一、当社に過失があった場合には保障させていただきます」と。自社社員の警備に失敗があっても、社員に「責任を取れ」とはいえませんからね。そうなると、ご契約先も「同じ経費ならセコム(当時は日本警備保障。以下同)に頼んだ方がいいぞ」「いや、むしろセコムの方が安いぞ」と。そういうことで少しずつ契約が増え始めた。これが昭和37年から40年ごろまでのことです。
徹底した業務分析が、新しいビジネスモデルを生み出す。
ところがしばらくして、警備員が常駐先で何をしているかを改めて考えてみると、会社の入り口に一日ずっと立っているわけです。工場などは24時間警備をしますから、何人かが交替で24時間立っている。そこで、その24時間の業務を分析してみたんです。「朝7時に出勤して門を開けて、社員が出勤する状況を管理して...」と、徹底して業務を分析した。このことが、事業の費用対効果の問題を解決する取っかかりになりました。
業務分析しましたら、例えば極端な話、24時間のうち23時間30分は、必要ではあるけれども単純な仕事でした。その単純な仕事を人間にさせていいのかと考えたわけです。人がやると人件費がかかりますから、ご契約先から頂戴する料金も高くなります。そこで、人的サービスをほかの機能で代替できないだろうか、単純作業は機械を使った方がいいのではないかと発想したことが、今日につながっています。
次に、どんな機械があるのかと探したら、これがどこにもないんですね(笑)。それは困ったなということで、海外も調べました。海外はセキュリティビジネスの歴史が長くて、100年くらい前から警備業が存在しています。しかしその海外にもなく、結局は自社で開発するしかありませんでした。単純な『鍵』などは明治時代からありますが、鍵は開けられてもウンともスンとも言わないでしょう。だから、鍵を開けられたりガラスが割られたりしたら信号がくるような機械を考えたわけです。
では人は何をするのかといいますと、異常が起こったら行動を起こして対処をします。判断することと行動することだけを人がやればいいと考えたわけです。例えば24時間警備を3人交替で行うと、人件費だけで月に最低150万円はかかります。それが、23時間30分相当分は機械にさせて人間は1人だけ、それも一日30分だけでいいとなると、人件費がかなり削減できます。
ただし、オンラインの安全システムが成功するには条件が一つあります。欧米では機械類をすべてお客さまが購入するシステムでした。しかし、お客さまが購入すればそれはお客さまのモノですから、メンテナンスもお客さまの責任になります。機械が当社の資産であれば当社の意思でメンテナンスできますし、革新的な機器が開発されたときには、当社の責任で機器を交換できる。そこで、当社が開発したのがレンタル方式でした。将来的に契約が10万、20万と伸びたときのことを考えると、レンタル方式でなければサービスが閉塞状態に陥る危険があると考えたのです。
また欧米では、機械が異常を感知したらお客さまが自分で警察や消防に連絡をしますが、当社は違います。当社の監視センターで異常を感知して当社からお客さまにご連絡し、警察や消防にも連絡する。つまり、機械と緊急対処という人的サービス、この能力も合わせてレンタルする方式にしたのです。
このことが結果的に、お客さまのコストダウンにもつながりました。機械を買えばイニシャルコストがかかりますが、レンタル方式では月々のレンタル費用さえ払えば、安全管理を24時間受けられるわけです。そうすると、警備員を置くような企業以外にも、一般家庭にも普及するようになった。安くできるから家庭も対象になったんですね。今では、当社とレンタル契約する契約先は112万契約にまで伸びています。
────法人、個人合わせてですか。
合わせてです。アジアのご契約先も含めると約165万契約。欧米には、当社のようなサービスはありませんね。
けれども、初めは人気がなくてね(笑)。オンラインの安全を始めた昭和41年に取れた契約は、13件。1年間で、ですよ。それが今や、110万件ですからね。今、日本の世帯数は4700万世帯位あるそうですから、その1%と考える47万。現在の一般家庭の契約が40万位ですから、まだ1%に満たないのですが、それももう時間の問題でしょう。
────しかし昭和41年の当時、先駆者がいない段階で人的警備の業務分析をして機械警備に置き換えるというその発想は、どこから出たのでしょうか。
これは、経営者の資質でしょうね。何しろ、「誰もやってないことをやろう」というのが創業のきっかけですから。それは大変だったと思いますよ。先生も経験者もいないんですから。その代り、自分たちの好きなように作ることができましたね。
ただし、お金もなかった。そんな零細企業に金融機関がお金を貸してくれるわけもありませんのでね。そこで、資金がなくてもできる経営の仕組みも考えました。どういうことかといいますと、ご契約先とレンタル契約する場合に、5年間の契約をしていただくんです。長期契約ですね。料金は3か月ずつ前金で頂戴します。この契約方式も日本初。日本で初めてのサービスを、日本で初めての契約方式で展開した。これによって、独自性を持って新事業をスタートできたわけです。
────通常は後払いのところを先払いにということを、お客さまにご了解いただくのは大変ですね。
それはもう、納得いただくまで大変苦労しました。中には「後金なら契約するよと」おっしゃった企業もあったようですが、「自分たちの決めたことはまっとういたします」と、そういう企業とは契約しませんでした。後になって「仕方がない、やるよ」と、ご契約いただいたようですけれどね(笑)。
労働集約型のサービスから、システムを活用するサービスへ。
今では112万契約分のレンタル料が3カ月分ずつ入ってきます。すると、キャッシュフローが成り立つんですね。ただし当初は、機械を当社の資産として抱えるわけですから、キャッシュフローがとてもキツかったそうです。3か月前納制という仕組みで、何とか資金繰りができたような状況でした。
しかし先ほども言いましたように、人件費比率が高いサービスも、人を機械に置き換えることで人件費比率が下がっていきます。例えば、『オンラインの安全システム』は管制センター1か所で、十数万契約のご契約先とつながっています。そのシステムがベースにあると、当初の3年か4年は赤字でも少しずつ利益を生み出すようになるんですね。
これを我々は、『スケールメリット』と呼んでいます。『収穫逓増』という言葉もありますね。契約数が伸びると、売上高も利益も右肩上がりを続ける。平成18年3月期決算の売上高が5670億円、平成19年3月期が6140億。平成20年3月期の予測は7000億です。成長は、今後ますます加速するでしょうね。
────すごいですね。
まさに、『収穫逓増』の原理ですよね。売上に対して経常利益率は、平成19年3月期で約1000億円、来期は1120億円位を見込んでいます。売上高1兆円を達成するのが何年後になるかが、楽しみです(笑)。
────『収穫逓増』という概念は、当初から戦略的にお考えだったのですか。それとも、結果論なのでしょうか。
レンタルの契約方式を始めた頃に仮説で、『1万契約になったら収入はいくらで、そのときの人件費率が何%、経常利益はこう...』という計画を作ったそうです。私が入社したのは昭和45年ですが、社長(現・飯田取締役最高顧問)の部屋に行くと、大きい白い紙を何枚もつなげてズラーっと床に並べてありましてね。数千件、数万件と目盛があって、将来はこれくらいになる可能性があるという仮説を読んでいたようですね。でも、当時はあくまでも仮説、ですよ。
────そういう意味では、御社は『収穫逓増』という言葉そのもののモデルとなられたように思います。
いえ、結果的に『収穫逓増』の方式だったのだなということですね。2003年の末に著書を出版した際に調べた時点で、サービスは実に170種類。人的警備から始まって、オンラインの安全システム警備を始め、「防犯ができるなら防火もできるね」「ビル管理もできるね」と広がっていきました。しかし、システムの基本は全部同じなんです。
今では、セキュリティで培ったネットワーク基盤を活用して、医療サービスの領域も手掛けるようになりました。在宅医療を支援する訪問看護や遠隔画像診断支援サービスなどが代表例ですが、そういった形で次々とサービスが広がりを見せています。
(後編へつづく)
後編では独自サービスを生み出した、セコムの組織風土に迫ります。
*続きは後編でどうぞ。
『収穫逓増型』の事業を生み出した経営の秘けつとは(後編)