2007年4月アーカイブ ..

株式会社アイジーコンサルティング
CEO&代表取締役 井上 剛一さん

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    組織はどうすれば蘇生するのか?
    老舗企業の自主再生ドキュメント

    強い志を持って創業した企業も、拡大期、発展期、成熟期と成長のステージを経るにつれ、さまざまな課題を抱え始めます。どうすれば、過去の惰性から脱却して組織を蘇生できるのか。株式会社アイジーコンサルティングの井上剛一C.E.O&代表取締役に伺いました。

  • 株式会社アイジーコンサルティングhttp://www.ig-consulting.co.jp/

    1899年創業、1975年設立の井上白蟻研究所を前身に持ち、「快適な住環境事業の創造を通じて社会と社員の生活向上に貢献する」ことを企業理念に、住宅のメンテナンス、リフォーム事業、耐震事業などを展開。100年を超える歴史を通じて培われ、重要文化財の保守・点検も任される技術力は高い評価を受ける。2004年にはグリーンシート市場に株式公開。

    GOICHI INOUE

    1966年生まれ。シロアリ駆除業の自営を経て、91年に井上白蟻研究所に専務取締役として入社。96年に代表取締役社長に就任、2002年にリフォーム事業や耐震事業などの関連5社を統合してアイジーコンサルティングを設立。

  • 四代目の社長が事業継承。
    最大の課題は社員のモチベーションの低下。

    ────現社には1991年、専務として入社されたと伺っています。

    そうです。父と叔父が一緒に経営していたのですがその叔父が急に亡くなりまして。「早く入社するように」という私への遺言があり、叔父の遺言ならこれはやろうと。会社の運営に関わり始めたのはそこからです。

    ────ご入社当時、会社にどのような課題をお感じになったのでしょうか。

    当時は井上白蟻研究所といいまして、明治32年からシロアリ消毒を手がけ、国の重要文化財の保守・点検を1社独占で任されるなど、伝統のある会社でした。けれども、悪い意味で"殿様商売"的な経営になっていたといいますか、"お客さま"という概念がなく顧客を"依頼者"なんて呼んでいた。妙に傲慢でこちらから営業することもせず、夕方の5時にはタイムカードの前にずらっと社員が並ぶんですよ。経営内容もよくなく、当時、売り上げが約4億で、負債が約2億、月次決算も赤字続き。そういう状況からのスタートでした。

    ────業績が悪化した要因は何だったのですか。

    昔は当社の1社独占でしたが、その当時は競合が数千社に増えていましたので、それだけ競争も激しかったんですね。たくさんあったお客さまからの申し込みも、どんどん減少していた。黙っていれば、縮小せざるを得ない状態だったんです。

    子どもながらに父の会社はもう少しいい会社だと思っていたのが、フタを開けてみたら「なんだ、ひどい会社じゃないか」と。非常にショックでしたね。私がイメージしている会社と実態とのギャップを感じまして、これは何とかしなくてはいけないと。その当時、バランスシートや損益決算書を見ても意味が分からないような状態でしたが(笑)、とにかく黒字化させないといけない。ただそれだけで始めました。

    ────社長がイメージされていた"会社像"と、どのようなギャップがあったのですか。

    私で四代目になるんですが、「昔は"先生"と呼ばれた」とか、「白衣を着て重要文化財の保守をしていた」とか、そういった話を聞かされていましたので、それならば老舗中の老舗で、伝統に培われて安定的に売り上げが伸びているんだろうという雰囲気を想像していました。

    ────しかし、実態は違った。

    伝統に対する誇りもないし、売り上げは悪い。社員は士気を失っている。そんな状態でした。

    全社員の意識を調査。
    社員を入れ替える大ナタも振るう。

    ────まず、何から手をつけていかれたのですか。

    会社を変えなくてはいけないと、『浜松経済クラブ』などの勉強会に出席していろいろな経営者の方とお会いする中で、あるコンサルティング会社の人に出会いまして。「今いる人材の活性化を考えてはどうですか」と提案があり、全社員の意識調査をしたんです。そこから、「会社を変えるんだ」という雰囲気が社内にでき始めたように思います。

    ────意識調査の結果はいかがでしたか。

    やはり、ひどかったです。目標が明確でなく、方針が現場に落ちていない。企業理念も形骸化している。そういった問題が明らかになりました。給与が低い、福利厚生が整っていないなどの、俗にいう"不満"もたくさん出てきた。しかし、結果は基本的には結果は予想の範疇。目的は社員に喝を入れることだったんです。世の中と比べるとあまりにもひどい状況なんだということを、第三者の言葉で認識させたかった。ある意味、前向きなモチベーションではないですね。「コノヤロー、ふざけんなよ」という感じでしたから(笑)。

    ────調査結果は社内にもオープンにされたのですか。

    もちろんです。全店長を集めて、結果に対して「ここがいい」「ここが悪いと」徹底的に話し合っていきました。それまで社内にはコミュニケーションがありませんでしたから、コミュニケーションができたことはよかったのですが、それでも会社は変わらないんですね。なかなか。

    では、どうしようかと。そこで考えたのが、もう一度会社を再構築しようということでした。私は父の会社を"引き継ぐ"つもりはなく、いかに"乗っ取る"かということばかり考えていたんです。やんちゃだったといいますか(笑)。けれども当時、父のブレーンともいうべき社員が約40名いまして、そこに私がパッと入るわけですから、それはすごい風当たりでしたし、誰も私を相手にしない。

    しかし、その中でも志を同じくできる社員が数名いまして、その一部の幹部と1年間ぐらいをかけて、まずは経営ビジョンを作り上げていったんです。意識調査の結果を踏まえて、どんな会社にしていくべきかを議論し、『快適な住環境事業の創造を通じて社会と社員の生活向上に貢献する』という経営理念を立て、その当時売上4億円だった売り上げを何年後かに30億円にしようと中期経営計画も策定した。ビジネスモデルも"過去物件のリピート営業"に特化することを決め、これで会社を再構築していこうと。

    次にやったのは人材の中途採用です。当時40名だったところを、同数の40名を採用して80名にしたんですよ。

    ────思い切られましたね。

    そうですね。父についてきてくれた人たちにも、もちろん感謝はしていますが、そこではもう戦えない。新しく作り上げた経営理念に賛同するメンバー40名と旧態依然のメンバー40名とを競わせようという感じですね。採用したのは、「一緒に会社を乗っ取ろう」と呼びかけた募集のキャッチフレーズに共感する20代の若い者ばかり。そうしたら、それはやっぱり結果が出てきますよね。

    ────当時はまだ専務でいらっしゃいましたが、そういった中途採用を先代の社長は反対されなかったのですか。

    今思うと、大らかでしたね。私にやらせてみようと密かに期待していたのか、叔父が亡くなって父も疲れていたのか。それは、分りませんが。

    ────80名になったときの社内の雰囲気は、どのようなものでしたか。

    私も鈍かったので(笑)、あまり気にしていませんでしたね。おそらく、古い社員は煙たがっていたところもあったんでしょうし、入社してきた若い社員も迷いなく仕事をしていたかどうかは分かりませんが、「会社が変わる」「会社を変えていくんだ」という実感は、持ったはずだと思います。

    ────採用した方々への期待は大きかったと思いますが、どのように動機付けして引っ張っていかれたのですか。

    まずは、「この会社を乗っ取ろう」ですからね。いかに乗っ取るか、です。これだけの伝統と基礎があるわけだから、いいものは徹底的に活用して、ダメなものはどんどん排除しようと。「俺たちで経営するんだ」ということは常に言い続けましたし、「弊害となるものは、どんどん私に言え。片づけていくから」というような話をよくしましたね。

    ────実際に社長にお話が上がってくることもあったのですか。

    ありましたね。例えば、「あそこの営業所では、社長に『はい』『はい』と言っていますが、実はみんなやる気がなくてサボってますよ」とか。そういう情報が入ってくるわけです。私も25歳と若かったですから、そういう話を聞くと若いやつらを連れて行ってワッと行きましてね。当時、営業所に10名ぐらいいた社員を1日で全員クビにして、全員入れ替えるということもしました。ひどいですよね(笑)。勝算はないです、何も。しかし、本気だということは見せなくてはいけない。

    事前に行った意識調査の結果からも、ある程度の確信は持っていたんです。あ、これはもう、ダメだなと。会社へのロイヤリティが完全にありませんでしたから。調査が後押しになり、社員の入れ替えは一気にやりました。赤字続きで、このままの態勢でいても仕方がない。やれることはやろうという感じですよね。今思うと恐ろしいですが(笑)。

    ────社内はどれくらいで落ち着かれたのですか。

    3年くらいかかりましたね。人員を整理する一方で採用も続け、3年後に約120名になった段階で落ち着いたように思います。

    ワークアウトで現場主導の改革を実現。
    不満を逆手に、社員を巻き込んでいく。

    ────採用と並行して、どのような手を打たれたのですか。

    意識調査の結果には「ビジネスモデルやビジョンが不明確」、「給与体系に不満がある」などの重要な課題も含まれていた。そういう、大きな問題点に対してワークアウトのプロジェクトチームを次々と作りました。要するに、手を挙げさせるんです。「給与が低い」という不満を言う社員がいるとします。そうしたら、彼らを集めて「どうすれば給与が増えるのか、勉強会をやろう」と。

    勉強会をすると、例えば「給与を上げるには、生産性を高めなくてはいけない」、「粗利を上げなくてはいけない」といったことに気付き始める。では、そのためには何をしなくてはいけないのかということを考えさせるわけです。業績と連動した給与にするべきなのか、どういう行動を給与に反映させるといいのかということを「自分たちで考えろ」と、巻き込んでいく。不満を逆手にとって、勉強させて、巻き込んでいくというプロジェクトをいくつも立ち上げ、そこでのアウトプットを核にしながら会社を再構築してきました。

    ────何をプロジェクトにするかということは、社長が決定されるのですか。

    問題提起は、もちろん社員から出てきたもの。それに対して、これは必要だというものには決裁を出しましたが、社員の関心が低いことはダメ。「これに対してプロジェクト作りたいが、一緒に考えたい人は?」と言って、誰からも手が上がらなければ却下です。

    ────プロジェクトにはしない、と。

    そうです。ですから、手を挙げる社員がいるか、それも信頼できる社員から手が挙がるかということが、そのプロジェクトがスタートするかしないかということに非常に大きく関わるのですが、結果的には社内のコアなメンバーの意見を抽出するということに、一番役立ちました。彼らがリーダーシップをとって、それについて行く社員がミニマムで集まるわけですから。

    といっても、いちばん最初は、社員も何をしていいか分からなかったと思いますね。もともとは不満ですから。不満を言ってみたら、「会社のために勉強しろ」と言われるわけですから、面喰ったと思います(笑)。けれども出てきたアウトプットは採用しますので、「あ、これは会社が変わるんだな」という実感が徐々に広がり始めて、みんな楽しんでやっていたと思います。「会社って変えられるんだ」と。入社当初から私が言っていた「俺たちの手で会社を乗っ取る」ということが現実味を帯びてきて、「俺たちが考えたビジョンで、俺たちが考えた戦略で、俺たちで考えた給与体系で、会社を再構築させるんだ」という意識は、参加している全員が持っていましたね。

    組織は一人の天才が作るものではない。
    全員参加の議論が、正しい答えを生む。

    ────そういったプロセスの中では、社員の目線が揃うのに時間がかかるといったことが往々にして起こり、我慢ができないという経営者の方もいらっしゃいます。

    いやあ、それはイラつきましたね。非常に。

    ────それでも、必要なプロセスだったと思われますか。

    その方が正しい答えが出ると信じているんです。一人の天才が考えるよりも、みんなで議論したほうが失敗しないという気がするんですね。トップダウンで納得させられればいいですが、それではインサイドアウト(内面から湧き出る)のモチベーションにはつながらない。軍隊のような企業風土を作ってしまえば、一生懸命にさせることはできます。しかし、"一生懸命"と"本気"とは、全然違う。"一生懸命"って、強制されればできるわけです。「働け!」と言われれば一生懸命やる。けれども"本気"とは、自分が心地よく楽しむために自ら動くこと。似ているけど、違います。"本気"にさせないと、社員の力は引き出せないと思うんです。

    その本気を引き出すためには、プロセスがものすごく重要。プロジェクトのプロセスの中にはコミュニケーションがあるわけです。喧々諤々の議論もある。でも、その中でメンバーの間に"一緒に会社を作り上げていこう"という信頼が生まれる。そこが重要だなと思うんです。

    ────社長はプロジェクトには、どう関わるのですか。

    プロジェクトの方向性が変な方向に走ったときは、私も入って議論しました。ややもすると、労働組合みたいな状況になるんですよ。そういうときは、戦略というわけではなんですが、課題図書をこちらから出しましたね。例えばその当時、CSのプロジェクトだったら「リッツカールトンについて書かれた本を読みなさい」とか。書籍にはコアなテーマがありますから、方向性がコントロールできるんです。ですから私の読書が大変でしたが(笑)、社員数も100名や200名ぐらいまでは、みんなで作り上げるっていう感触がありましたから、楽しかったですよ。

    ────具体的にはどのようなことが形になっていったんですか。

    まずは給与体系ですね。今はその役目が終わって廃止しましたが、360度サーベイで全社員を評価する手法も取り入れました。今では当たり前のことなのでしょうが、その当時、部下が上司を評価するということは、結構センセーショナルだったんです。シロアリ消毒以外のビジネスの可能性も常にみんなで議論していましたので、「住環境全般に貢献することが我々のビジネスだ」というビジョンのもとに、新しいビジネスの模索も始まりました。 "R&E(リサイクル&エコロジー)"をキーワードに、リフォームや耐震補強の事業が生まれた。このことは大きかったですね。

    ────ワークアウトはどれくらいの期間、続けられたのですか。

    96年ごろから2000年ごろまでですから、約4年間。ひとつのプロジェクトのアウトプットまで、たいていは3か月、長いものだと半年くらいでしょうか。常に5つぐらいが走っていて、かけもちする社員もいましたね。

    3年間で売り上げは4億円から10億円に。
    しかし、第二の壁を経験する。

    ────ビジョンが明確になると、事業も広がりますね。

    そうです。シロアリを予防するという本業は変わらないのですが、事業の意味や価値をみんなで再定義したわけです。我々の仕事というのは、単にシロアリを殺すことだけではないのではないかと。それは木材保存であるし、住宅や社会インフラを守ることでもある。もっと言えば地球環境の保全でもある。やっていることは一緒でも意味や価値を定義付けることによって、社員のモチベーションが上がってきました。事業も住宅全般に目線が行くようになり、社員の視野が広くなってきたというのは、常に感じていました。

    ────ご業績はどうだったんですか。

    良くなっていきましたね。私が入社した91年当時4億円程度だったものが、同じシロアリ消毒の事業で、3年後には10億円まで行きましたから。一番の要因は、社員を入れ替えたことと、リピート営業というビジネスモデルを確立したこと。その当時は、業界でも顧客のリピート営業という概念があまりなかったんです。訪問販売はたくさんありましたが、我々は訪問販売はしない、と。工務店さんとのお付き合いの中で、新築のときから担当させていただいているお客さまのリピート営業をコアにやっていこうということが、ビジネスモデルとしてよかったのだと思います。

    ────御社の"伝統"も強みになるモデルですね。

    そこはうまくマッチしましたね。若いメンバーでもすぐに結果が出ますし、モチベーションも上がる。そんな感じで、私が入って7年目になる98年ごろまでは売り上げが伸びまして、12億円くらいまで行ったんですよ。そこで、少し頭打ちになるんです。売り上げ12億円、社員数は120名。そこでひとつの壁があったように思います。

    ────何が原因だったんですか。

    よく分りませんが、やはり企業にはそういう壁があるのだと思うんです。そこで何か新しい業態を作らなくてはいけないということをワークアウトで模索しながら、リフォームと耐震事業に参入していくわけです。それがまた、当たっちゃったんですよ。チラシを配ったら、一気に仕事がワーッと入ってきまして、34、35億円まで一気に伸びた。シロアリ消毒も営業力が付いてきて1割だったリピート率が7割近くにまで上がり、そちらの業績も20億円まで伸びた。そして、会社が一気に肥大化して、シロアリ消毒と耐震、リフォームの事業をそれぞれ分社化し、子会社をホールディングとして管理する会社を作ったんです。

    私は社長を退いて会長になり、次には会長も退いて、オーナーという立場で経営の前線を離れたんですが、今思えばこれが間違い(笑)。そうしたら、業績がパタッと止まったんです。本業のリピート営業が飽和したということもあったのでしょうが、何か社内がバラつき始めまして。そこで、2002年に関連5社を統合してアイジーコンサルティングを設立して再び社長に戻り、今に至っているわけです。

    自分のためではなく"誰か"のために働く。
    その原動力が、組織を強くする。

    ────組織が拡大すると、社長の目も届かなくなりますよね。

    不思議なものですね。100名までは性格と顔と、家族構成まで全部頭に入っていたのが、150名を超えた瞬間に、幹部の30名ぐらいしか分からなくなる。それまでは100名全員で作り上げてきた会社から、一部の幹部が方向付けて、それを下していく経営に変えていったんですが、それが当社には合わなかった。そのことを今、つくづく感じています。最近、社員を約140名にまで絞りましたので、もう一度、昔のような全員参加型の会社にしようと、まずは、社員の意識調査を計画しているところです。

    ────組織の何を、一番変えたいとお考えですか。

    住宅のメンテナンス業という本業にもう一度立ち帰り、お客さまと長期的なお付き合いをさせていただくビジネスモデルに戻していくことを、全社員に再認識させたいと思っています。今は、ビジョンが微妙にズレているんです。リフォームは"夢を売る"とか、耐震は"安心な住宅を売る"とかね。住宅のメンテナンス事業は"木材保存"だとか、"長期的な工務店さんとの付き合い"だと言う。少しずつズレているんです。そこをまとめて、共有できるものにしていきたい。私の中にはある程度の落とし所はあるんですが、全社員の議論の中でアウトプットしていくほうが、結果的には早いんだろうなと思っています。

    ────企業には、創業期、拡大期、発展期、成熟期とステージによって、さまざまな派生課題があると言われています。そのすべてをご経験され、今振り返ってみられて、"強い組織"とはどのよう組織だと思われますか。

    当社は今、140、150名の会社になり、大きな組織というわけではありません。この位の規模の中小企業にとっては"何をやるか"ということよりも、"誰とするか"のほうが重要だということを実感しています。コミュニケーションの中でビジョンを共有し、事業を作り上げる。それを徹底的にやることが強い企業文化を生み、強い風土を育てるのだと思うんです。

    "自分のためにビジネスを立ち上げよう"とか"自分の成功のためにやる"ということではダメで、"誰かのためにやる"という感触といいますか。"誰のため"は、誰でもいいんです。"自分がこうしたいから"という、その程度の力だと弱いんですね。でも、父親でも母親でも妻でも子どもでもいい、社員でもいいし上司でも部下でもいい。そういう"一人"に喜んでもらうためにやるという、そこがすごく重要なんです。"その人"を喜ばせようと思うと一生懸命やるし、うきうきしますよね。それが"本気"。「やれ!」と言われても、やると思いますよ。でも、それは違う。誰かを喜ばせようというときのモチベーションというか、感覚。そこにもっていかないとダメで、そういう意識の人間が多ければ多いほど、強い組織だと思うんです。

    ────"誰のため"は、誰でもいいんですね。

    いいんです。ただ一番重要なのは、オールアザーズ(その他大勢)にしないこと。例えば、私が「社員のために」と言っても嘘くさく、きれい事になってします。「鈴木を喜ばせたい」「佐藤を喜ばせたい」と、社員一人一人に対してきちっとやっていかないとダメなんです。そこがきちんとできるかできないかが勝負だと思っていまして、そのためには社員数は今いる140名ほどの規模じゃないとできないというのが実感。社員全員に対して、「あいつはこうだったら喜ぶな」、「あいつにこういう生活をさせたら、生活が楽になるな」と、そこが見えてないと私の場合はダメなんです。「全社員のために」っていうのは、できないんですね。

    ────ありがとうございました。

エレファントデザイン株式会社
管理部長兼人事部長 唐沢 真由美さん
空想生活事業部長 谷岡 拡さん

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    "あったらいいな"を形にする『見える仕組み』とは

    個の多様化がいわれる中、あるときは消費者として、あるときは従業員として個人が抱く要望は抽象化する傾向にもあります。抽象的な要望を汲み取って具体的に実現するために、ポイントとなることは何か。エレファントデザインの管理部長兼人事部長・唐沢真由美さんと空想生活事業部長・谷岡拡さんに伺いました。

  • エレファントデザイン株式会社http://www.elephant-design.com/

    1998年設立。ユーザーから集めたニーズをもとに商品を開発し、需要を予測したうえで損益分岐点を越える商品のみを生産する『DTO(Design To Order)』と呼ぶビジネスモデルでの商品開発支援サービスを展開。こだわりのある消費者を満足させるニッチな開発支援には定評があり、商品化したIHクッキングヒーター『COMPACT IH』は、2006年にグッドデザイン賞を受賞。運営サイトに『空想生活(http://www.cuusoo.com/)』『空想無印(http://cuusoo.jp/muji/)

    MAYUMI KARASAWA

    1974年生まれ。97年、経営コンサルティング会社に入社。99年に税理士事務所に移り、会計業務の経験を積んだ後に、2005年にエレファントデザインに入社。現職に就任。

    HIROSHI TANIOKA

    1983生まれ。2006年にエレファントデザインに入社し、現職に就く。『空想生活』の運営を担当。

  • もの言う株主"ならぬ、"もの言う消費者"。
    個人の声が企業を動かす。

    ────御社が手がけておられる『デザイン・トゥ・オーダー(以下、DTO)』と呼ばれる商品開発は、どのような仕組みのものなのですか。

    唐沢 大量生産や大量販売では、本当にほしい商品が手に入らないことがありますよね。そこで消費者から"ほしい"を聞いて商品開発を進め、消費者から予約を取ったうえで需要に応じてメーカーが生産する。大まかに言えば、こういう仕組みになります。

    当社の具体的な活動としましては、DTOを実現するためのシステムとして『空想生活』というサイトを運営していまして、そこに集まるユーザーから、「こんなものがほしい」という意見なり新しい商品開発案なりをサイトに寄せていただき、サイト上のコミュニティ間で要望やデザイン案を煮詰めてもらいます。生産してくれるメーカーはこちらで開拓します。メーカーから原価計算にもとづいた価格を提示いただいて消費者から予約を募り、損益分岐点を越えれば生産が決定。価格は、例えば「100個なら1万円、200個集まるなら8000円」などと、予約数によって価格が設定できるのが特徴の一つです。

    商品化された物に対してはメーカーからロイヤリティをいただき、デザインを手がけたデザイナーにも分配する仕組みにしていますので、商品開発に参加することで報酬を得ることもできる。さらに今後ユーザーにまで分配できるようになれば、各ユーザーの想像力がより活性化すると思うんですね。特に主婦の方など、子どもが生まれて仕事ができなくなったという人たちに"商品化が達成した場合にはロイヤリティが支払われます"という場が提供できれば、一般の人たちが商品企画に携われる環境が実現できるのではないかと思っています。また、デザイナーにとっては自分の作品が世に出せるチャンスですし、メーカーにとっても、需要予測ができるため在庫を抱えるリスクがないというメリットがあります。

    ────デザイナーはどういう方が参加されるのですか。

    谷岡 インハウス(企業に所属する)の方もいますし、フリーの人もいます。いずれにしても、本業では商品開発担当者の指示に従ったデザインしかできないところが、『空想生活』では消費者の声をもとにゼロからアイデアを考えることができますので、楽しんでいる人が多いですね。

    個人の声が「見える」仕組み──その1。
    実際に、目で見えるようにする。

    谷岡 ただし難しいのは、ユーザーから"ほしいもの"をどのようにして引き出すかということなんです。ユーザーが声を出す時って本当に漠然としていまして、例えば「片づけが面倒くさいのでどうにかしてほしい」とかですね、そういう感じなんですよ(笑)。それを、どのようにしてメーカーが製造できるレベルにまで落とし込んでいくかというフローを、効率的に運営していかないといけないわけです。

    ですから、サイトでは『でんき(家電)』『くうき』『すまい』などのカテゴリーを設け、その中に『煙の出にくい灰皿 開発コミュニティ』など、テーマを絞り込んだコミュニティを開くという方法をとっています。ユーザーの意見はそこに投稿される仕組みなのですが、必要なのはユーザー同士の交流で意見がブラッシュアップされる仕組み。そのことによって、商品化すべきものが自然と選りすぐられていくという状況ですね。

    ────それはどんな仕組みなんですか。

    唐沢 一つ有効なのは『オブザーベーション』と呼んでいる方法で、ユーザーに自分の生活環境の写真を提供してもらうんです。分かりやすい例で言いますと、かばんの開発で「ポケットがほしい」という声があったとします。それをただ「ポケットがほしい」と言うのではなく、自分が日ごろ使っているがばんの中を写真に撮ってサイトに上げてもらうことで、「ペットボトルの収納がほしい」「文庫本が入るポケットがほしい」と、ユーザー同士の会話が具体的になります。「ではこういう工夫をしましょう」とデザイナーも商品開発の次のステップを具体的に示せる。写真は嘘をつきませんので、この方法は有効だと思っています。

    ────『空想生活』ではメーカーが開発する前の商品をCGで見ることができます。この「見える」仕組みの効力は大きいと感じていましたが、ユーザーの声を収集する段階から「見える」仕組みが必要なのですね。

    谷岡 先ほどの「片づけが面倒」という例で言いますと、どういう部屋でどういう物を持っているのかが写真つきで投稿されることもありますし、収納にどういう工夫を行っているのかを写真に撮るユーザーもいます。ユーザーの声は、より具体的な形でもらう必要があるんです。

    そして、その次のステップとして重要なのがユーザー同士の交流。当社は、あくまでシステムを提供する黒子です。運用上、ユーザーの声の一つひとつには対応できない。ですから"片付け"の例で言えば、片付けに困っている人たちのコミュニティを設けることによって、その中で意見交換をしてブラッシュアップしてもらう。物が多くて困っているのか、収納が少ないのか、単に片付けられないという日々の習慣の問題なのか、そこらへんをユーザー同士の会話でやってもらって、意見の集約を図るということですね。

    個人の声が「見える」仕組み──その2。
    コアユーザーを養成する。

    ────ユーザーの意見は、自然に集約されるものなのですか。

    唐沢 いえ、やはり誘導は必要です。効果的なのは、ユーザーの中でもコアとなるユーザーを見つけることです。ある商品がユーザーから提案されても、人数が集まらなければ要望もブラッシュアップされませんし、商品化のための予約も集まらない。動かしていくユーザーが必要なわけです。その"コアユーザー"を育てていくことは、陰ながらやっていく必要があると思っています。

    ────どんな方がコアユーザーになりえるのですか。

    谷岡 もの作りに興味がある人たち、ですね。「こんなものがほしい」という悩みって、一人の人がそんなにいくつも持っているわけではない。次々に新しい「ほしいもの」の要望を出すことは難しいと思うんです。けれど、もの作りに興味があって、みなさんが抱える悩みをもの作りによって解決したいとなれば、Aさんの悩みが解決したら次はBさん、その次はCさん、と解決のためのアイデアを出していき、そこでコアユーザーになっていくというイメージですね。

    今、そのコアユーザーを作るためのワークショップを行っていまして、既に約100人の方が参加しました。ポイントは、ネット上だけではなく、リアルの場で接点を持つことによって育成するということ。ワークショップでは、まずユーザーの声をズラーっと机に並べ、ブレストをして最終的にデザインとして一つの形に落とし込む流れを体験します。サイトに悩みを投稿する人はたくさんいるんですが、それを解決するクリエイティビティって実は誰でもできるわけではないんですね。それを担うのがコアユーザーであり、そういう人たちをリアルな場でも育てていくということです。

    個人の声が「見える」仕組み──その3。
    声の背景にある"ストーリー"をつかむ。

    ────ユーザーの方々のにとっては、何がモチベーションの源になるのでしょうか。

    唐沢 自分の実現したい未来やほしいものが手に入るということが、一番大きなモチベーションではないでしょうか。ただしそれだけではなくて、その物が手に入ることでどういう問題が解決するのか、どういう世界が実現するのかというストーリーがあるんですね。そのストーリーに共感する人たちが参加しているのだと思います。

    谷岡 例えば育児グッズの開発で"2人目の子ども"がキーワードになったケースがあります。要望をよく聞くと、「2人目の子どもがほしいが、生める環境にないことをどうにかしたい」というような深いニーズがあった。そういった、希望する将来の生活に対して自分から関わっていくということも、モチベーションの一つなんです。かっこいいデザインの物がほしいという単純な要望に対応する商品開発もありますが、深いレベルでビジョンが共有できると商品を開発しなくても問題が解決することもあります。そういったことも含めて、自分が求める未来に対して自分がどう関わっていくかという場が、『空想生活』なんだと思うんです。

    この"ビジョンを可視化する"というノウハウの新たな応用も今、考えていまして、先日、ジャパンソサイエティという日米交流の団体が主催したイベントで、人材育成事業手がけるある会社と当社が共同で『イノベーターズプログラム』というワークショップを開きました。経営者やNPOのトップといった世界のイノベーター約30人が参加して、"30年後の未来のビジョン"をみんなで書き出すんです。「こういう世界を作りたい」でも、「個人的にこういう生活をしたい」ということでもいい。それを文字だけではなくビジュアルとして可視化すると、意外に個性が出る(笑)。一人ひとり、本当に違うものが出てきます。

    これを応用して、経営者が社員に理念を問うといったことや、消費者が「こういう世界を実現してほしい」ということを企業に投げかけるといったことができないかなと思ってるんです。"物言う株主"ではありませんが、消費者が「こういう生活を実現したい」といったことをアピールして、それにコミットしてくれる企業を探すツールといいますか。『空想生活』のインフラ自体はプロダクト用というわけではありませんから。

    唐沢 新入社員研修にも応用できると思います。"30年後"っていうのがキーで、これが"5年"だと、確実に達成できそうな目標になってしまうんですね。けれども、"30年後"というと恐らく何でもアリで、その人の本質が出てきやすい。会社が社員を知るきっかけになるのではないかと思います。

    理念に共感できること。これが一番の採用基準。

    ────そういったアイデアが広がる一方で、『空想生活』では、御社はシステムを提供するという黒子に徹しておられます。

    唐沢 そうです。『空想生活』の管理をする空想生活事業部、デザイナー対応をするDTO事業部、メーカー対応をするセルフ事業部と、社内の役割を3つに分けて運営していますが、商品化を私たちが直接手がけることはしません。それをすると非常に労働集約的になってしまって、事業としてうまくいかないんですね。

    ────黒子に徹する社員の方のやりがいは、どんなところにあるんですか。

    谷岡 黒子は、言葉を変えると『インフラ』。我々はユーザーが将来のビジョンを実現するためのインフラを作ることを目指しています。一つのデザインを商品にするよりも、もっと大きいことに挑戦しているという気持ちがある。そのことに興味を持っている人たちが集まっているんです。

    唐沢 採用でも、そこはハッキリと伝えています。先端を行くかっこいい会社というイメージで応募してくる方も多いんですが、「そうではありません」と(笑)。"空想力と技術によって消費者と企業を結ぶことで、これまでにない新しい価値を社会に提供したい"という理念に共感する人。これが、一番の採用基準です。ですから、社員にとっても恐らく会社は一つの利用ツールであって、自分たちが思い描いている実現すべき世界を、エレファントデザインという会社に関わることで実現する。そのことで、自己満足を得ているんだと思います。

    理想は、ユーザーが当社の社員になってくれることですね。実際、役員の一人がもとユーザーなんです。当社のインターンに参加して社員になり、今では役員。ユーザーから入ってくる人は、そういったそういう信念みたいなものが強いです。

    ────一方で、黒子と言いましても、ユーザーの方々のさまざまなニーズを扱うためには、アンテナを張った情報感度の高さが必要かと思いますが、採用時にそういった能力をどう見抜くために、どのようなことをされているのですか。

    唐沢 何か試験をして分かるものでもありませんよね。実際は過去の経歴や働きぶりを見て判断するしかないと思ってます。しかし就業経験のない学生の方には、インターンシップ制度を導入しています。数カ月といった期間で一つの業務を任せてコミットしてもらうことで、コミュニケーションを取りながら考え方や能力を把握します。当社に就職する意思がない人もインターンに参加することは可能ですが、インターンの募集を告知するのは自社サイトでのみとなってますので、当社に興味を持った人に来てほしいと思っています。

    ────ありがとうございました。

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