2007年2月アーカイブ ..

株式会社ホテルオークラ神戸
代表取締役社長 総支配人 西本 克彦夫さん

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    『笑い』が職場を変える──顧客満足度と従業員満足度を高める試み

    顧客を満足させるには、まず従業員を満足させなくてはならない。これは、CS(顧客満足度)を追及する多くの企業が直面する命題です。では、どのようにすれば従業員満足度が高まり、顧客満足度や業績の向上につなげることができるのか。ホテルオークラ神戸の代表取締役社長 総支配人の西本克彦さんに伺いました。

  • 株式会社ホテルオークラ神戸http://www.kobe.hotelokura.co.jp/

    1989年開業。神戸港を望むメリケンパークに建つ名門ホテル。六甲の山々を背景に神戸ポートタワーと並んで建つ高層の姿は、神戸を代表する景観として絵ハガキの写真にも多く用いられている。ロビーの正面には滝の流れる日本庭園が絵画のように広がり、客室は気品ある英国調のデザイン。和と洋の美が調和する施設と一流のサービスには、根強いファンが多い。

    KATSUHIKO NISHIMOTO

    1947年生まれ。67年に大成観光株式会社(現 株式会社ホテルオークラ)入社。91年にホテルオークラアムステルダム 料飲部長、95年にホテル霞友会館 総支配人を経て、98年にホテルオークラ神戸 取締役総支配人に就任。99年に同 代表取締役総支配人、2004年に株式会社ホテルオークラ取締役に就任。

  • 現場を自分の目で見ることが、経営判断に欠かせない。

    ────1998年にホテルオークラ神戸に着任されました。総支配人として現場の情報をどのように得ておられるのでしょうか。

    毎朝出社したら、館内を巡回するのが私の日課です。基本的には、朝・昼・夜と一日に3回、巡回するようにしていますが、外出してできないこともある。ですから最低でも朝と夕方、あるいは夜、帰宅する前には調理場から何から、全部回ります。みんなと「ああでもない、こうでもない」と冗談を言い合ったりもして。「おはよう」と言うだけでも、いいと思っているんです。そうすると顔と名前も一致しますし、話しているうちにそれぞれの個性も分かってきますでしょう。

    ────そうされるようになったのは、いつ頃からですか。

    ここに着任する前のホテルでも、そうしていました。でないと、現場のことが分からないんですね。

    ────総支配人自ら館内の巡回を日課にされるというのは、ホテルオークラグループの他のホテルでもされているのでしょうか。

    それは分かりませんが、私の場合はたまたまオランダにいたときに全体を見る立場になりまして。外国だったこともあって分からないわけです、現場のことが。そこでまずは、どんな立地なのか、どんなサービスを提供しているのかといったことを知ろうと思って始めたことがきっかけでした。

    ある程度現場を知っていないと、何かを言うにしても確信を持って言えません。もう、机上の空論になってしまうわけです。私が入社した頃はウエイターから始めましたし、ハウスキーピングやベルボイーイ、ドアマン、フロントのナイトシフトと、浅いけれども一通り経験してきました。ですから、浅いけれども何となく分かる。そのことが、こういう立場になるととても役立ちますね。近からず、遠からずの視点で物事を見ることができます。

    ────着任された当時、ホテルオークラ神戸にどのような印象を持たれましたか。

    実は、私がまだ着任するなんて思っていなかったときに、ここに来たことがあるんですよ(笑)。震災(阪神淡路大震災)の後のことです。ホテルの近くに中突堤という船着場があるんですが、そこから出る観光船に乗って、戻ってきたのがちょうど夕方でしてね。船から見ると、正面にホテルオークラ神戸が建っているその後ろに、わーっと山(六甲山脈)があって。サンセットが沈んで、裾野には夜景が広がって。映画のワンシーンを見ているようでしたね。これが、第一印象。これだけの施設があってホテルオークラというブランド力もある。このことは、非常に大きな強みだと感じました。

    ブランド力を支えるためには、人材育成が不可欠。

    しかし同時に、着任して感じたのは、震災などの影響もあってホテルがさまざまなダメージを受けているということ。施設のダメージというよりは、いろんな意味で働く人が受けているダメージ、です。ですから、施設やブランド力という『外見』とサービスという『中身』を一致させなくちゃいけない。これが、最初に考えたことでした。

    そこで重要になってくるのは、やはり『人の問題』なんです。組織が官僚的になっている部分もあって「なかなか意見が通らない」「言ってもダメだ」という風土が、なきにしもあらずでした。そういったことを、まずは変えていこうと。『意識改革』です。

    ────停滞した雰囲気というのは、どのような場面でお感じになるのですか。

    分かりやすい例で言いますと、ホテルの建物の上に『Hotel Okura』のネオンサインがあります。これが、着任した当時は夜の11時頃になると消えるんです。私は当初ホテル住まいをしていましたので、外出して夜に戻ってくると、ホテルの辺りが暗い(笑)。どうしてつけないのかと担当者に聞くと、「電気代が結構かかるんです」と。そうじゃない。あれはホテルのアイデンティなんですよ。「これでは、お客さまがいらっしゃって、ホテルオークラがどこにあるか分からないじゃないの」と。これは例えばの話ですが、そういった類のことが当時はいくつかあったわけです。

    組織がある意味で官僚的になっていたのではないかと思います。震災の影響もあって、何にしても緊縮財政、とにかく経費を節減しなくてはいけないと。けれども、経費削減にしても、削減していい部分と削減してはいけない部分があります。それが一緒になってしまっていたんですね。経費をかけるべきところも削ってしまっている、削るべきところは削り方が足りない、という面はあったように思います。

    ────そういった社長の問題意識を共有できる方は、身近にいらっしゃったのですか。

    ある程度こちらから投げかけると、みんなも分かるんです。今までは、前の通りにやっていただけ。でも「これ、どう思う?」と聞いたら、「言われてみれば、そうですね」と。そうすると、みんな考え始めるんですね。そういうことが回転していくと、非常にいい結果になってくるわけです。私が気づかないことも、逆に指摘してくれるという場面も出てくる。そうやって少しずつ変わっていくと、「変えられるんだ」「変えていくんだ」という風土になっていきますし、それが大きな力になると思います。

    今も問題点はまだいろいろとありますが、全社的な大きなオペレーションに臨むときの一体感、総合力というものは、これは大したものがあると思います。「会社として成功させなくてはいけない」となったときの力は、すごいですよ。

    ────それにはどんな秘けつがあるのですか。

    秘けつ、ということではないと思いますが、みんな使命感とプライドを持っていると思うんですね。「やらねばならない」ということが身についていますから、そういう場面になると労も惜しまないし、成功させようという気持ちを強く持ってくれます。

    ────みなさんが使命感を持つために、社長が大切にされていることはあるのでしょうか。

    人は所詮、一人では何もできないわけです。私もそうですし料理長も、部長や課長もそう。みんなの助けを借りて、同じ目的を見てやっているんですね。そういうことが、オークラに勤めているという意識につながり、ある意味ではプライドを持ってくれているのだろうと思います。とはいってもやはり勤めていれば、いろんなことが出てくると思いますが(笑)、いざというときには、こういった意識が力を発揮するのだと思います。

    時代が変わっても、『基本』をきちんと伝えることが大切。

    ────今、若い人を中心に働く意識がドライな方が増え、どのようにすれば主体的な使命感を持たせられるのかに悩む企業も多くあります。

    それは、当社もまったく同じで、私が聞きたいくらいです(笑)。ただ思うのは、「自分たちのときはこうじゃなかった」というのは、いつの時代にも言われていること。若い世代を見て、「何だよ、あいつらは。普通はこうだよ」と思う。それは世代、世代にあることですから、我々の物の見方や考え方をそのまま継ぐことは、非常に難しい。ある意味では危険なことだともいえると思います。

    ただし、その中でも基本的なことがあるわけです。それを伝える方法や考え方は、相手に合わせなければならないのですが、『基本』を伝えるということは、きちっとやる。非常に難しいことで、口で言うほど簡単ではないのですが(笑)。

    ────ホテルオークラ神戸でいう『基本』とは、何なのでしょうか。

    当社の営業目標に『Best ACSの提供(※)』というものがあるのですが、これが最大の目標になります。これをきちっと守ることが、我々の使命であると。そのために必要なことは、いたってシンプルです。例えば、ゴミが落ちていたら拾う。掃除をきちんとする。建物というものは、建った瞬間から古くなります。常に最新設備を提供することは不可能。けれども、たいていの設備は揃っている。だから、とにかくメンテナンスすること。これが最大の『Best Accommodation』であると、そう私は理解しているんです。

    ※Best ACS:『Best Accommodation』『Best Cuisine』『Best Service』の3つの『Best』からなる。

    ですから、当社は月に1度、従業員による館外清掃(地域清掃)をしていますし、館内も従業員スペースの廊下や壁のペンキ塗りは、自分たちでやっています。日頃の清掃は清掃会社の方にお願いしていますが、自分たちのことは自分たちでやろうよと。Tシャツ着てジーパンをはいて、みんな楽しそうにやってますよ(笑)。一番の狙いは、自分たちで塗ればきれいに使うだろうということ。そういった意識を持ってもらいたいということが、最大の目的です。その、二次効果として経費も少なくて済む(笑)。ホテル内の庭園の池の掃除も、スタッフがやります。

    ────それは、社長が着任される以前からされていたことなんですか。

    いえ、していなかったようですね。でも、たまには本業以外の仕事をするのも楽しいでしょう(笑)。『館内の美化』なんていったって、遊び感覚が必要でね。やらなきゃいけないと思うと、負担に感じてしまいますから。

    ────ゴールははっきりと示し、到達するまでのプロセスは楽しむというのはいいですね。

    池の掃除も、半日水遊びができるくらいに思ってね(笑)。今は、新入社員のオリエンテーションにも池掃除を入れてるんです。自分たちの働く場所は自分たちで守っていくという認識が根付けばいいなと思っています。繰り返していくことで、当たり前になってくるんですよね。

    本当に大切なことは、簡単な言葉で表現できる。

    もう一つ始めた施策に、『ニコニコ大作戦』があります。『大作戦』といっても内容はいたって分かりやすいもので、『いつも笑顔でいよう』というもの。サービス業はすべてそうなんでしょうが、やはりお客さまにとって気持ちのいい場所でなければならない。丁寧な口調、丁寧な接遇も良いのですが、この前にくるのは何かといったら『笑顔』しかないわけです。『ニコニコ』にどれだけの効果、効用があるか。ニコニコして「こんにちは」と言われたら気分がいいですが、真面目な硬い表情で「いらっしゃいませ」なんて言われてもね。

    ────『ニコニコ大作戦』は、いつ頃スタートされたのですか。

    確か、私が着任した年かその翌年です。

    ────社長のご発案ですか。

    そうです。『ホテルオークラ神戸 ニコニコ大作戦』、なんて銘打ってね(笑)。当時も、みんなの表情はもちろんニコニコしているんだけれども、どうも足りない。先ほどもお話しましたが、海と山に囲まれたこれだけ素晴らしい施設があるわけですから、『笑顔』が伴えばこんな強みはない。当社の強みをさらに伸ばすための施策だったんです。

    ────『大作戦』を発表されたときの、みなさんの反応はどうでしたか。

    「ふーん」っていうような感じでしたよ(笑)。料理長なんかは「なぜ我々がニコニコしなくちゃならないのか」と言ってきましたしね。「我々はニコニコしてちゃあ、美味しい料理が作れません」と。

    ────お客さまとは接しない調理場の方も、『ニコニコ』なんですね。

    そうです。今度は、従業員同士の問題になってくるわけです。やはり働く者同士がしかめっ面していてはね。とはいっても、調理場は火や包丁を使って危険が伴う場所だけに、ときには怒声も飛び交うんです。それは仕方がない。

    ですから、皆に話したのは、『ニコニコ』が大切だということの意味は何かということなんですね。『カスタマーサティスファクション』だとか難しい理屈で言おうと思えば、立派な表現はいくつもあります。けれども、「それはもういい」と。日々の仕事の中で、お客さまに対しても仲間に対しても『ニコニコ』していれば、居心地もいいし、お互いの心も開く。それがひいては業績にもつながる。そんな話を、ときには一緒に飲んだりもしながら、何度もしましたね。

    ────『ニコニコ』というのは、とても分かりやすい表現ですね。

    そうです。組織というのは、従業員によっていろんな理解力のレベルがあります。ですから、みんなにとって一番分かりやすい言葉、実行しやすい言葉で伝えることが大切なんです。

    ────けれども、『笑う』というのは、実はとても難しいことでもあるように思います。

    ですから、『作り笑い』ということもありますね。ブスッとしているよりはいいけれども、気持ちが入っていない。けれども、そういう『笑い』にも波及効果はあるわけです。例えば、お客さまのアンケートに「挨拶が気持ちよくて、とても良かった」といったことが書かれていると、「よし、この次も」という気持ちになります。

    ────そうすると、次からは本当の笑顔になりますね。

    そうです。大人でも子どもでも、人は褒められればうれしいもの。自分のやっていることを相手が受け止めて、評価してくれているとなれば、「じゃあもう1回やろう」と思わない人はいないわけですよ。こうした経験を重ねていくと、それが喜びにつながる。そうすると、仕事が楽しくなります。

    ────『ニコニコ運動』で、ホテルの雰囲気は変わりましたか。

    古くからのお客さまに「最近のオークラは、明るくなってきたね」と言って頂いたり、変わってきたと思いますよ。そうなってくると、『ニコニコ運動』に対するみんなの意識も変わってくるんです。「なぜ我々がニコニコしなくてはならないのか」と言っていた料理長も、「やっと社長の言っていた意味が分かりました」と。それで彼がどうしたかというと、『ニコニコ運動の年間スローガン』というものがあるんですが、それを朝礼で調理場の全員に言わせてるんです(笑)。けれども、年月が経つうちに新しい社員も入ってきますから、『ニコニコ運動』を本当の意味で浸透させるには、やはり継続して言い続けることが必要です。

    ────今でも、『ニコニコ運動』は続けておられるのですか。

    もちろんです。「私はしつこいよ」と皆にも言ったんですが(笑)。

    ────もう9年目になりますね。

    この標語は、頻繁に変えるものでもないですしね。我々、ホテル業の根源となるものですから。我々は商人ですが、「笑う人」と書いて笑人なんですよ。

    自分のために働くことが、会社のためになる。

    ────そうやって意識改革をされる中で、思うように改革が進まないといった局面もあったのでしょうか。

    ありますね。一番感じたのは、スピード感の違いです。私は東京が長かったのですが、関東はスピードが速いんです。特に私は営業を長くしていましたが、お客さまのご要望に応えるためには、徹夜をしてでもやらなくてはいけなかった。でも、神戸はある意味では、おおらかなんですよ。ゆったりとしている。スピードが速ければいいとは思いませんが、好むと好まざるとに関わらず、世の中の動きがこれだけ速くなっている以上、それに対応できることが必要です。

    ────それは、今後の課題にもつながってくるのでしょうか。

    結局、みんなが持っている危機感がまだ十分ではないんですね。理屈としてではなく、自分のものとして捉えられるかどうかにかかってくると思います。物事にはどんな背景があるのか、どんな性質の物事なのかといった物事の捉え方や、いつまでに何をするかということをもっと植えつけていくことが、業績をさらに伸ばすためには不可欠だと感じています。

    先日も、新聞に『関西屈指の名門ホテル ホテルオークラ神戸』と紹介される記事が載りましたが、「名門ホテル」に値する内容かどうかを、本当に真剣に考え、それに沿ってやらなくてはいけない。ブランド力に合うレベルに高めていくということが、変わらないテーマです。さまざまな研修や教育も、すべてそのためのもの。そして、ここで働く人たちが本当の意味でそういったことを受け止めて、「ホテルオークラ神戸を経験すれば、どこへ行っても通用する」というプライドを持ってほしいと思っています。実際に、当ホテルから転職する人たちには、それなりのポジションが用意されますのでね。そして、みんなの待遇、これをもっともっと報いたい。これが、実は私にとって当初からの最大の目的です。そのためには業績を安定させないと、なかなか思うに任せないんですね。

    ────湾岸戦争やSARS(重症急性呼吸器症候群)が中国で流行したときには旅行業界が低迷しました。さまざまなご業界がある中でも、旅行やホテル業界は特に不可抗力の影響を受けるご業界だという印象があります。

    そうです。平和であってこそ成り立つビジネスです。

    ────そういった不可抗力の影響を受ける中で、働く人たちが変わらず拠り所にできるものがあるとすれば、それは何だと思われますか。

    拠り所ということなのかどうかは分かりませんが、縁あって入ったこの場所で『自分はここにいて良かったと感じられること』、ではないでしょうか。簡単に言ってしまうと、『働く場として居心地がいい』かどうかということです。人生のある程度の時間を過ごす場所として、自分の成長を助けてくれる場所として、そして生活の糧を得る場所として。『働く場』を捉えるときにさまざまな側面があるのは、誰でもそうですね。例えば転職先を選ぶにしても、こうしたいろんなバランスを考えるはず。先ほどお話した、『オークラ』の名前と実際の中身を合わせていくことは、このことにもつながってくるわけです。

    ────従業員の方も幸せになることなのですね。

    そうです。ですから、みんなには「一生ここにいようなんて思うな」と言ってるんです。「自分の人生だから、自分のために一生懸命に働きなさい」と。その一生懸命ということが、結果的に仕事に全部プラスになりますから。自分の目標があれば、もっといいサービスができないか、もっと合理的にできないかと、仕事も工夫します。これはそのまま、会社のためにもなるわけです。

    ────『Best ACS』も『ニコニコ運動』も、すべて関係してきますね。

    全部、リンケージしていますね。

    ────ありがとうございました。

    (ホテル外観・内観の写真提供/ホテルオークラ神戸)

大鵬薬品工業株式会社
医薬事業部 育薬企画部部長 渋谷 裕さん

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    "いま何をすべきか"を明確にする、中期経営計画の策定とは

    中期経営計画とは、3年ないし5年後の自社の"あるべき姿"に到達するための道しるべ。会社の進むべき方向を指し示し、"いま何をすべきか"を明確にするために策定されるべきものです。しかし計画の存在がマンネリ化し、"絵に描いた餅"になってしまっている企業も多くあるのではないでしょうか。中期経営計画が"活きた計画"として機能するためには、どうすればよいのか。大鵬薬品工業の前経営企画部部長(現・育薬企画部部長)渋谷裕さんに伺いました。

  • 大鵬薬品工業株式会社http://www.taiho.co.jp/

    1963年設立。日本人の死因トップである『癌』の領域では、『フトラフール』『ユーエフティ』『ティーエスワン』などの抗癌剤を上市し、抗癌剤メーカーとしての地位を確立。同じくコア領域として掲げる『泌尿器』『アレルギー』の領域でも独創的な医薬品を創製。『グローバル・ニッチ・ベンチャー』を経営ビジョンに、研究開発型のスペシャリティーファーマ(新薬開発型企業)として独創性を発揮する。

    YUTAKA SHIBUYA

    1953年生まれ。77年に大鵬薬品工業株式会社に入社。大阪支店、広島支店、岡山営業所長、札幌支店副支店長を経て、2002年に経営企画部に異動、04年部長に就任。この間、第9次中期経営計画の策定を手がける。06年7月、育薬企画部部長に就任。

  • 中期経営計画の実現の成否は、
    その運用にかかっている。

    ────前経営企画部部長として、第9次中期経営計画の策定を手がけられました。まずは、その直前の第8次中期経営計画をどのように振り返られたのかということから、お聞かせいただけますか。

    当社では、2001年度から2009年度までの9年間を『ホップ・ステップ・ジャンプ』の3段階に分けて中期経営計画を策定し、これに基づいたライフサイクルマネジメントを実施しています。第8次は、その『ホップ期』にあたる三カ年。全体としては、売上高、営業利益、経常利益ともに順調に推移したといえますが、一部には未達成の計画もありました。

    ────未達成のものがあった、その原因は何だったのでしょうか。

    一番大きかったのは、中期経営計画が全社にしっかりと浸透しきれていなかったことではないでしょうか。医薬品業界は法規制や競合の商品開発の状況など外部環境的なことは、比較的、先まで読める業界です。ですから、外部環境が予想以上に変化したというよりは、内部環境にその原因があったのではないかと考えています。

    第8次中期経営計画が策定されたときには、私は営業の現場にいましたが、当時は、中期経営計画というものが、まだ十分に現場で理解されていなかったように思います。ですから、中期経営計画上の数値目標と現場が個別に立てた数値目標がリンクせずに"ダブルスタンダード"として存在していたといったことが、現場の一部についてですが、起こっていたんですね。

    中期経営計画を、
    "コミュニケーションツール"として活用する。

    ────手がけられた第9次の中期経営計画は、どのように策定されたのですか。

    2001年度から2009年度までの『ホップ・ステップ・ジャンプ』の『ジャンプ』のゴールが明確ですから、それにつなげるための計画ということになります。第9次が終わった段階で何を達成していれば、2009年度の最終ゴールにつながるのか。まずは、目指すポジションを明確にすることが大切ではないかと思います。

    海外のグローバルスタンダードに基づいた業務展開など、具体的にはいくつかの計画を掲げましたが、まず考えたのは『成功症候群からの脱却』ということです。創立以来、ずっと順調に右肩上がりを続けてきましたが、その一方で、これまでのやり方を踏襲してしまい、効率化の見直しが手薄になっている側面があるのではないかと考えたのです。外部の方からもよく言っていただけることなのですが、全社一丸となって「攻める力」には自負があります。けれども、攻められた経験が少ない分、「守り」となったときにはどうか。今後は、海外のビッグな製薬会社の攻勢がますます激しくなります。今まで経験がなかったことをこれからしようとしているというのは、やはり脅威なんですね。

    ですから、これまでもうまくやってきたけれども、もっと変えられるところがあるのではないかと。当たり前にやってきたことを、もう一度見直そうという視点での改革を提案しました。

    ────中期経営計画の策定には、経営資源の分析や外部環境の分析などさまざまな要素がありますが、計画を立てるにあたって一番大切にされたのはどのようなことですか。

    おっしゃるように一通りの分析は行いましたが、最終的に一言でいってしまえば、"できないことは書かない"ということでしょうか(笑)。

    ────何をどこまでなすべきか。何がどこまでできるか。これを見極めるには、現場とのコミュニケーションが大切になりますね。

    そうです。ですから、各部門のトップとは何度も話しましたね。私がすべての部門と話したわけではありませんが、経営企画部内に研究所担当、工場担当と担当者を定め、それぞれが一通りどこの部署とも議論して。特に数値目標を掲げる部署については、ああでもない、こうでもないというのは、何回もやりました。

    ────その中で、一番ご苦労されたのはどんなことですか。

    販売の数値目標、でしょうか。こちらの見込みと現場が主張する数字とのギャップが、やはりありましたね。

    ────現場は目標を低く出してこられて・・・。

    と、思うでしょう。それが違うんです(笑)。

    ────それは、うれしいことではないですか。

    いえ、意気込みが強すぎると、極端に達成不可能な計画ができかねません。また、製品によって利益率も異なりますから、経営企画部としては売上高だけでなく利益も見ながら調整するわけです。その計画と、事業部が出してくる見込みとのギャップを埋める作業には、相当注力しました。

    ────現場と話しながら作るというのは、大切ですね。

    そうですね。第8次の中期経営計画が社内にうまく浸透しなかったことの一つには、作り方の問題もあったように思うんです。私は、直接は関与していませんので具体的には分かりませんが、第9次のように、あんなにいろいろな部署の人たちと話しをしたということはなかったのではないかと思います。違っていたら、先輩諸氏、ごめんなさい。

    現場に計画を浸透させるための
    手間と時間は惜しまない。

    ────そのようにして策定された中期経営計画を、社員の方々に納得感を持って受け取っていただくために、一番大切にされたのはどのようなことですか。

    納得してもらえたかどうかは疑問ですが(笑)、社員に徹底するということは意識しました。第9次が始まる半年くらい前に計画がおおよそできまして、決算が6月ですので、その3月から4カ月くらいをかけて各地を回って説明会を行いました。社長以下、専務や研究部門のトップ、営業部門のトップと経営企画部のメンバーが出席し、工場は人数が多いので課長以上にしましたが、営業については全社員に対して、30何カ所でしたか、回りました。

    ────それは、大変に手間をかけられたのですね。1回につき、どのくらいの時間を割かれるのですか。

    だいたい半日はとっていましたね。こちらからの説明だけでなく、質疑応答もしましたから。

    ────質疑応答には、どんな質問が寄せられましたか。

    たとえば、将来海外展開をどうしていくのかといった質問が、これは若い社員から多く出ました。社長に直接質問できましたので、比較的若い人たちからも自由に質問が出て、社長も率直に答えるという場でした。

    ────何人くらいの単位で集められたのですか。

    基本は支店単位ですとか、京阪神でしたら兵庫、大阪、京都を集めてやりましたので、多いときで百人強、少ないときは30人くらいだったでしょうか。出かけるほうも多かったですしね。社長以下、10人くらいで行っていましたから。人数は少ないにこしたことはないですが。数十人程度でしたら一人ひとりに話しかけるような感じで説明できても、100人を超えると後ろのほうの人は遠くて(笑)。ですが、東京などは分けてというわけにもいきませんので、百数十人を対象に一度に行いました。

    ────計画の全体像を周知した次の段階として、事業部や部門、課、担当のレベルで何をしていくべきなのかという翻訳の作業が必要ですね。

    そうです。部門別の計画や目標は以前からもあります。ですが、これまでは中期経営計画が視野に入っていなかったきらいがあると思っていましたので、今回は、中期経営計画に基づいて具体的なプロジェクトを部門ごとに作り、改善活動を行っていきました。現場からすれば、やっていることはこれまでと一緒なのかもしれませんが、それぞれの部門長が中期経営計画を意識したうえで活動したということが、第8次と第9次の違いだったかもしれませんね。

    例えば、第9次の計画で大きなテーマの1つとして掲げていた『生産の効率化』のほんの一例でいえば、工場の人材を有効活用するために "多能工"を置く部署を作り、各ラインの欠員を柔軟に補充できる態勢を整えました。こういったことも、若手の課長クラスを中心にワーキンググループを作って、どうしたらいいかということを自分たちで議論しながら形にしていくんです。それを工場長や生産センター長や、もちろん社長もバックアップします。

    弱みを改善する一方で、強みを明確にし、
    伸ばす施策を打ち出す。

    ────そうした改善点に取り組まれる一方で、御社の強みを伸ばすという意味では、どのような取り組みをされたのですか。

    当社のメインは医薬品事業になりますので、そこで言いますと、MRの果たす役割がだんだん変わってきています。以前は、製品を紹介して「使ってください」という情報提供が中心でしたが、特に、強い抗癌剤を上市してからは、『適正使用』を一番に掲げていいます。ですから、安全性の情報や副作用の対処法、あるいは患者さん一人ひとりに対して、こういう症状ならこういう治療法はどうですかといった提案ができることを目指していこうと。

    事実、安全管理の体制については厚生労働省や医療機関からも評価いただけた、と考えていますし、抗癌剤を手がける海外の製薬会社からもノウハウを提供してほしいという話がきたこともあります。この、安全対策への高い評価が、当社の一番の強みだと思います。

    ────では、それをブラッシュアップしていこうということですね。

    そうです。実際にMRが行っているのは、「使ってください」ではなく「正しく使ってください」ということ。患者さん一人ひとりの状況を医師から聞いて、「この者さんには使わないでください」ということもあります。MRが自社の製品を「使わないでください」というなんて、昔はあまり考えられなかったのではないでしょうか。

    これは私がMRをしていた時代から行っていましたので、第9次の中期経営計画で初めてうたったということではありませんが、計画内でも改めて安全管理体制の強化は掲げています。エリア毎に安全管理対策の責任者を置くなど、組織体制も合わせて強化しました。

    ────まさに医師へのコンサルティングですね。

    当初は医療機関から「なぜそんなことを指図されないといけないのか」といわれるなどの軋轢もありましたが(笑)、今となっては非常に評価していただいていると自負しています。当社の新入社員も、コンサルティング的な仕事ができるということに関心を持って入社してくれる人が多いようですね。

    また、MR活動だけでなく、第9次の3カ年で非常に重要だと思っていたのは、インフラの整備です。例えば、研究データを医療機関にフィードバックする体制。今は、EBM(Evidence based Medicine)といって、臨床研究のデータに基づいた薬の処方が求められます。ドクターが患者さんに説明するためにも、「世界の研究にはこういうデータがあって、その結果、あなたの症状にはこういう治療法の選択があり、その中から選びたいと考えている」と、そういう説明のための材料がいるんですね。その材料を作るための臨床研究が、今、非常に重要でありまして、そこに資源を投入しています。

    インターネットのウェブサイトなどを通じての医師や患者さん向けの情報提供も注力したことの一つ。特に、癌関連の情報提供については、質・量・速度のすべてにおいて業界トップを目指すことを計画に掲げました。医療関係者向けのページではクリティカルパス(※)の材料をドクターに提供したり、薬剤師の先生向けに抗癌剤の使い方や副作用情報のe-ラーニングのページを設けたりと、ニーズに合わせた情報発信は充実しているほうではないかと思っています。実際、サイトが表彰されたこともありますし、ライバル会社からのアクセスも多いようですよ。

    ※クリティカルパス:患者ごとに作られる入院から退院までの計画。治療の方針や内容、検査の予定などが一覧でき、質の高い医療を患者に提供するために作られるもの。

    当社の将来構想は、"Global Niche Venture(グローバル・ニッチ・ベンチャー)"です。ニッチは、一般には『隙間』と訳されますが、『適所』という意味もある。当社のコア領域である『癌』『泌尿器』『アレルギー』の分野でのステータスを高めるには、安全性対策は欠かせないのです。

    ────計画を浸透させた後の課題として、"モニタリング"があるかと思います。それぞれの戦略や計画の進捗はどのようにチェックされたのですか。

    具体的な作業としては、数値目標は3カ月ごと、それ以外の施策は半年ごとに見直して、経営会議に報告します。そこで必要があれば微調整をするわけですが、今のところ幸いにして上方修正はしましたが、下方修正はあまりしていませんね。

    計画がきちっとしていれば──というのは、方針と戦略を掲げ、選択と集中を明確にして、各部門にまで下ろす──この一連ができていれば、当社には"目標達成のために全社一丸となってまい進"する風土がありまして、これが強みとして活きてくるように思います。

    脅威があるところには、チャンスもある。
    目指すポジションを明確にすることが、攻めと守りの基本。

    ────先ほど、海外勢の進攻が脅威だというお話がありましたが、脅威があればチャンスもあると思います。どの辺にチャンスがあるとお考えになりますか。

    そうですね。1つには、「泌尿器」の頻尿の分野にも外資の大手が乗り出しているんですが、頻尿というのは患者さんがいても医療機関にかかる率は非常に少ないんですね。10%か多くても15%程度、でしょうか。そこに海外のビッグなところが出てきて、迎える国内勢もそうですが、テレビコマーシャルなどで「夜に何回トイレに行けば、頻尿ですよ。けれども、薬で治療できますよ」という、疾患啓蒙の活動が今、多く行われているんです。それによって患者さんの意識が高まって、医療機関にかかる率が高まる。すると製剤の市場も広がる。

    海外の大手が来ることは脅威ではありますが、市場を広げるという効果もあります。その動きの中でわれわれも、先ほどお話したウェブサイトの取り組みもそうですが、患者さんへの情報提供も積極的にしていこうと考えています。

    ────御社がこれまでに医療機関と築いてこられた信頼関係も、強みになりますね。

    そうですね。何の心配もなく使える商品でしたら「どうぞ使ってください」だけでいいんですが、薬は効く一方で副作用も当然ありますので。その情報提供や、あるいは医療機関から情報をいただくとかですね、それも含めての商品だと思います。

    ────2006年の7月には育薬企画部の部長に就任されました。今後は、どのような取り組みをお考えですか。

    "育薬"は、"市場に出た薬を適正に使っていただけるように育てる"こと。剤形(内服剤、注射剤など)の追加や効能の追加であったり、安全性を確保するためにどういうことをするかであったり、先生方への情報提供のバックアップもありますね。薬というのはモノだけでなく情報がついての商品ですから、さまざまな施策を検討しているところです。大切なのは、その薬を将来的にどういうポジションに育てたいかというビジョンがまずあって、そのために何をするかということ。中期経営計画策定の考え方と、そこは似ているかもしれませんね。

    ────ありがとうございました。

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