2010年10月アーカイブ

オフィス街の路地裏で隠れ家的なレストランを発見した。時間は14時過ぎ。ランチメニュ
ーの看板がまだ出ていたので、少し遅めの昼食をとることにした。

店内に入ると、年季の入った調度品や照明、BGMはクラシック。厨房には、コック帽を
かぶったシェフのような姿も見える。どうやら昔ながらの洋食屋のようだ。思いがけず老
舗の洋食屋に出合えたことに、胸が高鳴った。ハンバーグやカレーは人気のようで、す
でに売り切れ。それなら、と日替わりのポークソテージンジャーを注文した。店の奥から
は、賑やかな声が聞こえる。かなり大人数の客が入っているようだ。ウェイトレスの愛想
は正直いまいちだが、きっと味は確かなのだろう。期待はさらに高まっていく。しばらくす
ると、サラダとスープが順番に運ばれてきた。

さて、いよいよ食事が始まろうか、という時に、奥から続々と20人ほどの客。と、ここまで
はよかったのである。

まずサラダをひと口食べて、最初のガックリ。野菜がまるで生きていないのだ。トマトは
ぬるく、レタスもヘナヘナ。コンソメスープは煮詰まってしまっていて味の原型を留めてい
なかった。次に、ライスとソテーが運ばれてきたのだが、どうやらほぼ同じタイミングで先
ほどの団体客の片付けが始まったようである。ガシャンガシャンと乱暴に食器を扱う音。
BGMのクラシックなど、かき消すほどの騒音だ。その後も大きな音が治まる気配はまる
でなく、落ち着いて食事ができるような雰囲気ではまったくなくなってしまった。

さらに肝心のソテーの味は、というと、焼き加減もソースの味もどちらも残念としかいい
ようのないお粗末なもの。厨房から聞こえてくるスタッフの話し声が大きくなってきたか
と思ったら、しまいには休憩に入った若いスタッフが店内をウロウロ。まるで「早く帰って
くれ」と言われているようで、食事もそこそこにレジへと向かった。慌てて愛想のないウェ
イトレスが「まだコーヒーをお出ししていませんが...」とひと言。席に戻ろうかとも考えた
が、騒音にイライラしながらコーヒーを飲むのもどうかと思い、そのまま店を後にした。

本当はどんな店だったのか。調べてみると、創業50年ほどの洋食屋だということがわか
った。3年ほど前まではホールには気さくなおばあさんが、厨房にはシェフを務めるおじい
さんがいたようだが、最近は高齢のためあまり店には立っていらっしゃらないようだ。気
取らない雰囲気が売りの洋食屋のようだったが、当時の評判は決して悪くない。これは
推測であるが、料理の腕も店の雰囲気も昔とはまるで別のものになってしまったのだろ
う。若いスタッフばかりで、昔の店を知っているような風には決して見えなかった。初めて
来店した私でも、現在のスタッフたちのベクトルが、創業者のそれとはまったく別のところ
を向いているのが分かる。例え小さな街のレストランであっても――いや小さなレストラン
だからこそ余計に、皆が歴史と同じ方向を向いて働くことが大切のように思えるのだが。

数十年来の常連客は、今もまだあの店に足を運んでいるのだろうか。老舗の末路を見て
いるようで、なんだか悲しい気持ちになった昼食のひと時であった。

先日、ある料理人の方に話を伺う機会があった。無添加の調味料や無農薬の野菜を
はじめ、肉や魚、卵にいたるまで、食材選びには強いこだわりがあることで知られてい
る方だ。

彼のすごいところは、サンプルなどは決して取り寄せないということ。どんなに遠くても
必ず現地まで足を運び、自分の目で確かめ、自分の舌で味わい、自分の耳で生産者
から直接話を聞くという。「料理を作る人間というのは、生産者が作ったものを消費者
に届けるつなぎ役。生産者の努力や食材のおいしさを、調理というひと手間を加えて
消費者に伝える伝道者である」という考えから、「どんな思いで、どう作られているのか」
を知るために、畑や漁港はもちろんのこと、例えば扱う食材が『鰹節』であれば、削る
ところまですべて見学をするのだそうだ。食材を何よりも大切にしているその店では、
小魚一匹、ネギの根ひとつも捨てることがない。

「おいしいものをいただく、ということは、命をいただくということ」。
その言葉が胸を突いた。

有機野菜について及ぶと、興味深い話を伺うことができた。
「農薬を使っている野菜は、無農薬の物に比べて治癒力が弱い」というのだ。

人間でも「薬を多く服用していると、免疫力が低下する」という話をしばしば聞くが、そ
れは野菜でも同じことらしい。例えば、農薬をたっぷり使ったネギは、無農薬のものと
は対照的に、常温で置いておくとすぐに"溶けて"しまうのだという。農薬を使ったジャ
ガイモと有機栽培で育てたジャガイモをそれぞれ水の入った瓶に入れておくと、農薬
を使ったジャガイモは水ごと腐ってしまうが、有機栽培で育てられたものは、何年も原
型を留めている、という話にも驚いた。

農薬や肥料に頼っている野菜は、腐るのも早い。病気や害虫から身を守るための薬
が、野菜の持つ自然治癒力を奪ってしまうというのは、なんとも皮肉な話である。過
酷な環境で育ったトマトは甘い実を付けるというが、人間もまた然り。苦労や試練を
乗り越えた後に大きな成長があるというものだ。

また、食材の力強さは味の濃さにも関係する、とも。例えば、通常ならニンジン10本を
使わないと味が出ないものでも、味の濃い食材であれば2本ぐらいで済んでしまうこと
もあるという。聞けば、「仕入れ値が多少高くても使う量が少なくて済むため、結果的
に安上がりになることもある」とか。

これは、人財に関しても言えることなのかもしれない。同じ雇うなら"濃い"人財を雇い
たいし、同じなるなら"濃い"人財になりたいものである。

食糧問題や食の安全はもちろんのこと、仕事と向き合う真摯な姿勢や人財雇用・育成
までもを考えさせられることになるとは!

食材選びについて伺うつもりが、多くを感じる貴重な機会となった。


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