2009年6月アーカイブ

 

少子高齢化で一人あたりの子供への投資が進む中、ほめて伸ばす教育が浸透しつつある。


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先日の某テレビ番組でも特集がくまれ、人財育成にまで及ぶ"ほめる"の風潮。

とある調査会社では「ほめる覆面調査」というビジネスが始まっている。依頼は特に飲食店などが多く、覆面の調査員が店舗に出向き、店員の接客を監視し良い点・ほめる点を見付け、依頼者に報告するという流れだ。従業員は、その言葉に喜びを覚え、更にクオリティの高い接客を心に誓う。自らの目標を各々が明確に持つことができ、またやる気につながるという。

 

現代人は、ほめられることに飢えているのか?

 

サイトでは『ほめられサロン』なるものも登場している。
名前や性別を入力すると、たくさんのほめ言葉がもらえと、ネットで話題になっている。
仕事の合間など、ちょっとした息抜きにアクセスする人もいるそうだ。

 

人財育成について、べルの奥氏はこんな事をおっしゃっていました。

 

 「人財を育てることが、他社と差別化するための最大の戦略」


大切なのは、みんなが自主的に考えて自発的に取り組む環境を作ることなんです。

人を成長させるのは、欠点を直すのではなく、小さくても可能性のある貴重な才能の芽を信じ

自らで発芽出来るだけの肥料を注げるか、なのではないだろうか。

 

 

-断念の術さえ心得れば人生も結構楽しい-

これは、精神分析の創始者であるジークムント・フロイトの言葉である。

ひとは、事実をしっかり受け止め断念と喪失をきっちりと味わうと
自己肯定に至るという。

 
我々は時に、自分の身に起きている事実をまっすぐに見ることができなくなる。

「普段の自分ならこんなミスはしないはずだ」

「今回の企画が通らなかったのは、タイミングが悪かっただけだ」

「もっと良い上司に恵まれていれば実力が発揮できたはずだ」

 
目の前で起きている事実をそのまま受け入れることができず
知らず知らずのうちに"誤魔化しの術"をサラッと使いこなす。

本当は、
「ミスをした」、「企画は通らなかった」、「今の上司が上司である」
ことが事実ではあるが、それを受け入れることはなかなか難しい。

もしかしたら、素直に受け入れられていないことにも
気づけていないのかも知れないと、ドキッとしてしまう。

 
"失敗から学ぶ"とはよく耳にする言葉だが
一方でその学びを阻害する要因がいくつか考えられる。

ひとつは心理的な障害である。

我々は、"失敗した"事実を受け入れるのに
非常に抵抗感を抱く。
まずはこの心理的な障害を越えなくてはならない。

そしてもうひとつは、失敗を招いた本質的な原因を
自分自身で見抜けていない点ではないだろうか。

なぜこの結果を招いたのか
自分自身のどの言動がこの結果につながったのか

これらを自問自答し、時には周囲の客観的な評価を取り入れ
原因を的確に把握た時に"学び"が生まれるのではないだろうか。

 
我々は、楽しいこと・嬉しいことに対してはとても能動的である。
一方で悔しいことや悲しいことはできるだけ避けたいと考えてしまう。

ただ、フロイトのこの言葉を信じるのであれば
"断念する"事からは人生を楽しくできる可能性が見えてくる。
そうであるならば、能動的に"断念の術"を習得してみたい。

むしろ、習得しないのは損なのではないだろうか。

-なぜならばその先には、更に楽しい人生が待っているのだから。

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