2009年4月アーカイブ

「無農薬栽培のリンゴ」と一言で言えても実行は絶対不可能だ、

と当時の専門家や農家は思っていた。
農家であった木村氏もその一人であり、「何もしない農業」について
「農学者 福岡正信」書いた本との出会いが彼を変えた。
「何もしない農業」という自然農法について書かれており、

それまでの農業の常識を逸する農法であったが、
木村氏はその思想を彼の扱う「リンゴ」へと置き換え挑戦を始めた。

 

ここから全てが始まった。

 

木村氏が「無農薬栽培のリンゴ」を初めて、彼を取り巻く環境は大きく変化した。

畑の木々は腐り、害虫が溢れ、もちろんリンゴの花も咲かなくなった。
日々の収入も極端に減り、しまいには自家用車を売り、
光熱費を稼ぐ為に金策をし、電話も止められ、子供の服や学用品すら買えなくなった。
税金も納められないので、木村氏のリンゴの木に赤紙まで貼られたという。

自らの「夢」を実現する為に、ここまでする覚悟はあるだろうか?

「何かをやりたい」こうした思いは誰もが持っているものであり、
それをただなんとなくやっていることが実は大半を占めているのではないだろうか。
ましてや、生活も考えると容易に即行動に移すことは難しいだろう。

 

木村氏は語る。
「バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。
  だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。
  同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのものに狂えば、
  いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ」【奇跡のリンゴ 著:石川拓治 P23】

 

そして、無農薬のリンゴの木の花を咲かすまで、実に9年もの月日が流れる。
木村氏に転機が訪れたのは、自らの畑で試した方法や施策が潰えて、何も次の手立てがなくなり、
全ての負の原因を自らに戒め「死」を覚悟した時に起こった。

山に入り死場所を選んでいる時に目に入った光景。
それは、山中に生えたドングリの木。

それは自然との共生が生み出す生命であり、
ここに気づきを得た木村氏は自らの「畑」で自然の共生という仕組みを造り出した。

 

この結果は、果して偶然だろうか?
いや、むしろ必然である。
木村氏は自らの畑で学んだ、木々の生態、害虫の生態、気候など、

全てのものは専門家以上に習得していた。
そして何よりも「無農薬栽培のリンゴ」を「天命」だと捉え、

実現への道に命を懸けてぶつかってきたからこそ、
無農薬でリンゴの花を咲かす道を見つけられたと言えるのではないだろうか。

 

今や、木村氏の栽培したリンゴは、お金を積んだところで手に入らない。
インターネットでも抽選で販売している程である。

今、日本に欠けた「職人気質」という姿が、ここにはあるのではないだろうか。
職人はその道をひたすら追求し、自らの手で価値を創造することが出来る。

この価値は簡単には生み出せるものではなく、

追求した時間や経験が生み出す美でもあると考える。

 

価値を問われる世の中に変わり、そこで求められる姿は何か?
それは自分の仕事や取り組みにおいて何を実現したいのか。
そして何よりもその「夢」へ深く追求を続けることである。

 

現代の私たちは、その意味を真に考える時にあるのではないだろうか。

「人が生きるとはどういうことか。」

生きる目的、生き甲斐などという言葉は、本当に自分がこれだと思える瞬間は、
もしかしたら自らの「死」を間近に感じた時なのかもしれない。 

 

『最後の授業』著者 カーネギーメロン大学教授 ランディ・パウシュ

彼の大学での最後の講義は、400人もの聴衆から始まり、
インターネットでの動画配信によって延べ600万ものアクセスを記録している。

ランディ・パウシュは当時46歳。膵臓癌の告知から、肝臓への転移により10個の腫瘍が確認され、
その時に死へのカウントダウンを始める。


もし、自分が今ここで死を予告されたらどうだろうか。

その事実を受け入れるまでに相当の時間がかかるだろうし、そこで受けるショックも計り知れない。
ましてや、やりたかった事が出来なくなる、
自らの人生設計が大きく狂うという事実は、その衝動的な事実を心底恨むであろう。


「何故私がこんな目に遭わなければいけないのか・・・・」

「こんなんじゃ、生きてる意味なんかない・・・・」


何かの事故や病気によって、どうしようもならない事実が判明した場合、そこを乗り越えられる、
またはそう思わせられるのは自分自身しかいないという事を、
本当に身に染みて感じさせてくれるのが、ランディ・パウシュの生き方である。
彼が伝えたかったこと、それは「生きる」ということであった。


少し、自分を振り返ってみて欲しい。
以下の項目に、あなたの考えはいくつ当てはまりますか?


・おとぎ話はハッピーエンドとはかぎらない
・時間を管理する
・仲間の意見に耳を傾ける
・幸運は、準備と機会がめぐりあったときに起こる
・自分に夢を見る時間を与える
・格好よくあるよりまじめであれ
・ときには降参する
・不満を口にしない
・他人の考えを気にしすぎない
・チームワークの大切さを知る
・人のいちばんいいところを見つける
・何を言ったかではなく、何をやったかに注目する
・決まり文句に学ぶ
・相手の視点に立って発想する
・「ありがとう」を伝える
・ひたむきに取り組む
・人にしてもらったことを人にしてあげる
・準備を怠らない
・謝るときは心から
・誠実であれ
・子供のころの夢を思い出す
・思いやりを示す
・自分の常識にとらわれない
・決してあきらめない
・責任を引き受ける
・すべての瞬間を楽しむ
・楽観的になる

 

これらの項目は、『最後の授業』の中でランディが自分自身に常に問いかけていた事であり、

周りの人達から学んだことの抜粋である。
ランディ自身、癌の宣告を受けて人生観に変化があったのも事実であるが、
それ以前に彼の夢に対するひた向きな姿勢と、実直な性格、そして人に愛されていたし、

彼も周りの人達を心から愛していて、感謝をしていた。
この事実が、結果として彼の本質を造り出していたのである。


壁の向こうにある「何か」を、自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスが与えられるのには意味がある。
そしてこれこそが、夢をかなえるという事である。
彼は、最後の授業でこう語った。

「人生を正しく生きれば、運命は自分で動き出します。夢のほうから、きみたちのところにやって来るのです」


人は、普通に生活している中で当たり前の様に存在するものに、どうしても感謝を抱かなくなってしまう生き物である、と思う。
人によってその価値観はまちまちであるが、何かその対象に不満を感じていても、
その存在の価値を失った時に気づくようでは遅すぎるというものである。

分かってはいながら、感情や日常に追われる中で忘れがちな存在である。


しかし、人は本当に一人では生きていけない生き物であるというのは、紛れもない事実である。
ふと考えてみると、コンビニで弁当を買うのを想像するだけでも、その弁当には実に多くの人の手が

加えられているのが分かる。
人間は、物を食べるという事も、一人では出来ないのだ。


良き人生を考える事も大切であるが、今ある人生に感謝をする事から初めてみるのもいいもかもしれない。
そこから見えてくるものが、新たな自分の扉を開く鍵であることを、ランディは教えてくれた。

 

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