2007年5月アーカイブ

あらゆる事柄について、見方を変えて多角的に考えなくてはいけないと、頭ではわかってはいるものの、自分でも気づかないうちに勝手に決め付けてしまっていることはたくさんある。
そういった固定観念や先入観が打ち破れたとき、自分はどうしてそんな風にしか考えられなかったのだろうと恥ずかしい気持ちになる。しかし簡単には受け入れられないし、受け入れたくないという気持ちにもなってしまう。反面、何かから開放されたような安堵感も感じる。

愛知県のホームレスの実態調査によると、4年前に比べてホームレスの数が現在半減しているという。4年前2121人であった愛知県のホームレスの数は現在1023人。名古屋市だけで見ると、1788人から741人まで半分以下になっている。これは、自治体によって多くの自立支援施設が設置されたためだと考えられる。

僕は今まで、日本のホームレスは自分に甘えているだけだと思っていた。ただ働きたくないだけなのに、全て社会のせいにして、楽しているだけだと思っていた。子供のための公園なのに、ホームレスがいるため子供どもが怖がって遊べないところだってある。
その気があれば仕事なんていくらでもあるのに、と勝手に決め付けてホームレスの人達を軽視し、偏見の目で見ていた。

しかし、働きたくても働けない人がたくさんいることを知った。というより、チャンスさえあれば精力的に働く人がたくさんいることを知った。
自分に偏見があったことをとても恥じた。そのきっかけになったのが、ビッグイシューの存在だった。
今年の1月まで2年間ブラジルにいたこともあって、僕は最近までビッグイシューの存在を知らなかった。名古屋に来てその存在を知って、すぐに買いに行った。営業に行く途中で時間がなかったので、さほど話を聞くことができなかったが、話しかけると気さくに答えてくれた。ほとんどの人が彼を無視して通り過ぎていく中で、両手で雑誌を高く掲げ、懸命に売っている彼の姿を見て衝撃を受けた。

ビッグ・イシューとはホームレスの社会復帰に貢献することを目指して、イギリスを発祥に世界で発行されている雑誌のことである。ホームレスの人の表現活動に重きをおく雑誌ではなく、誰もが買い続けたくなる魅力的な雑誌をつくり、ホームレスの人たちにはその雑誌の販売に従事してもらうというポリシーで、1991年にロンドンで創刊され、その結果、大成功を収めた。
日本では英国ロンドンで初めて『ビッグイシュー』が発刊されてから12年目の2003年9月11日創刊が始まった。

僕はこの約1ヵ月半の名古屋での営業研修で多くのことを学んだ。営業のスキルばかりでなく、仕事に対する姿勢や、一緒に仕事をしていく仲間の大切さなど、たくさん。
その中で最も強く感じたことは、『色々な人がいて、色々な考え方を持っている。』という誰もが知っている当然のこと。

この1ヶ月半の間に50社近い会社に訪問したり、同行させていただいたりした。飛び込みをあわせると200社以上の企業へ訪問した。今までこの短期間に、これほど多くの人に出会ったことはない。それに、お話をさせていただくのは僕よりもずっと社会人経験の長い大先輩ばかり。経験も知識も豊富で、お話をさせていただくだけでも勉強になった。新人の僕のつたない説明にも真剣に答えてくださり、励ましの言葉をかけてくださる方も何人もいた。そういった人の優しさに触れることによって、幾度となく勇気付けられた。

しかし、そういった人ばかりではない。厳しい方も多く、なかなか上手くいかないこともたくさんあった。むしろそのほうがずっと多かった。
当然未熟な僕に原因があるのだが、先方に固定観念や先入観があるとすれば、僕はそれを打ち破って気づきを与えられるようにならなくてはいけない。

僕自身、営業をしたこともないのに、学生時代は楽しい営業職なんてないと思っていた。しかし、実際社会に出て仕事をしてみると、とてもやり甲斐があり、楽しい。
ホームレスになったこともないのに、ホームレスの人たちは自分に甘えているだけだと思っていた。そんな風に考えていた自分が恥ずかしい。

自分が今いる状況によって考え方や見方が全く違ってくる。
逆に言えば、自分のいる立場以外のことに関しては、どの立場から見ているのか自分でも本当は分かっていないのではないかと思ってしまう。だからこそアンテナを高く立て、多くの情報や人の意見に柔軟に対処しなくてはいけない。

見方を変えるのはそんなに簡単なものではない。自分の「考え」が「固定観念」になってしまわないように心がけなくてはいけないと思った。
 
 名古屋での営業研修も今月一杯で終わる。ここで学んだことや感じたことの多くをこれからの人生にいかしていきたい。


 OBT協会 伊藤誠司

フランスの新大統領に右派与党・国民運動連合(UMP)のニコラ・サルコジ氏が選ばれた6日夜、首都パリをはじめフランス各地で、同氏の大統領就任に反発する抗議行動が多発した。パリ東部のバスチーユ広場では、若者ら約2000人がサルコジ氏の大統領就任に反対する集会を開催し、参加者は警官隊に瓶や石を投げつけたのに対し、警官隊は催涙弾や放水で対抗した。

「フランスはこれ以上の外国人移民を受け入れられない。まずは職に困るフランス国民を助けなければならない」という一般市民の声に裏づけされるように、サルコジ氏の支持者の多くはサルコジ氏の厳しい移民・治安対策、経済活性化策に共鳴したと考えられる。
一方、ロワイヤル氏の支持者の一人は「警官隊のこの横暴はサルコジが指揮したに違いない。彼は移民をはじめ貧しい者をいじめ、金持ちだけを助ける」と語り、集会では「サルコジはファシストだ」との叫び声が響いていた。

 人権問題を含め、貧困や不平等、不正、社会的周辺化、排斥の問題は日本でも深刻な問題である。どうしてこのような問題が起こるのだろうか。これらの問題の原因は一体何なのだろうか。

昔(戦後)の日本は貧しかった。食べ物も満足になかった。しかし、今日より活気があったのではないだろうか。それぞれがそれぞれの幸せを感じていたのではないだろうか。少なくとも、現代の人より明確な目標があり、「生きている」という存在意義を認識していたのだと思う。

しかし今は違う。この現代社会では物が溢れ、何不自由なく暮らしていける。一方で心が満たされない若者で溢れている。自分の存在意義すらわからない。常に虚無感でいっぱいである。日本に限ってのことかも知れないが、僕はそのことが諸悪の根源ではないかと思う。
どうしても心が満たされない。したがって、周りが見えず、お金の量でしか幸せを認識できない。自分の利益追求のために周囲を犠牲にしてしまう。

それでは、今と昔とでは一体何が違うというのだろうか。それは、『未来』だと思う。昔(戦後)の人たちは貧しかった。しかし、『未来』があった。未来の日本は自分の肩にかかっていると多くの人が思っていた。夢を持っていた。常に前を見て前進することだけを考えていた。自分の進んでいく道がはっきり見えていたのではないだろうか。しかし、現代の人には次世代を自分の手で築いていこうというバイタリティがない。それは、多くが未来に不安を感じているからだと思う。

そういった根本にある感情が上記した社会問題を引き起こしているのではないかと僕は考える。
現代人は個人主義と自己利益にのみ集中している。強者はより強者になり、弱者はより弱者になる。そうして貧富の差は広がる。
しかし、僕は個人主義には賛成である。個人主義だからといって、伝統的な共同体が解体されるとは思わない。正義や愛、思いやり、同情、共感、共同体、連帯、そして公益に満ちた社会を築くことも十分にできると思う。
家族との絆や、地域社会との絆を除外して個人主義を唱えることに大きな問題があるのではないだろうか。

自分は自然の中で生かされている、自分を取り巻く周囲の人たちによって生かされている、と自覚している人の個人主義思想は、周囲との絆を認識していないで個人主義を否定している人より、よっぽど他人を思いやる気持ちを持っていると思う。
間違った個人主義はすべての諸問題において悪影響を及ぼす。しかし、共同体を認識していない反個人主義者も同じくらい社会に悪影響を及ぼしているのではないだろうか。

フランスの大統領選の結果にあれだけ大勢の若者が暴動を起こしたということは、それだけ政治に関心があり、自国の将来を考えているからなのではないだろうか。果たして日本での選挙結果であれだけの若者が反発するだろうか。いや、きっと何も起こらない。それだけ現代の若者は無関心である。政治だけではない。もしかしたら隣にいる人にも無関心な人が多いのではないだろうか。不平や不満は言うものの実際に行動するまでには至らない。将来に不安はあるものの、「こうしたい!」という意志が無い。関心すら持てない。

物が溢れているが故、周囲に無関心になる。目に見えないプレッシャーに押し潰され、息苦しさを感じてしまう。周囲に対する感謝の気持ち、思いやり、いたわり、優しさ。我々若者はそういった気持ちを意識して大切にしなくてはいけないのではないだろうか。

                          OBT協会 伊藤誠司

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