2007年4月アーカイブ

「本気」
なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
つかれても
つかれが
さわやかだから
         相田みつを

僕の実家のトイレには、座るとちょうど目の前に相田みつをさんのこの言葉が書かれた紙が貼ってある。
もう何年も前に母親が貼り付けたものがボロボロになりながらも未だにそのままになっている。
この言葉を毎日読んでは高校の野球部時代を思い出す。
今から考えてもどうしてあそこまでがんばれたのか分からない。吐くまで走っても決してやめたいとは思わなかったし、野球を嫌いになることはなかった。常にあったのは、「もっとうまくなりたい。」「もっと強くなりたい。」という思いだけだった。
あの時あそこまでがんばれた自分がいたから、今でも自信に繋がっている。

僕はOBTに入社して1週間後の4月9日から、アライアンス関係を結んでいる名古屋の株式会社R4という会社で営業の研修をさせていただいている。
社会人1年目ということで右も左も分からないまま名古屋での新生活が始まった。

営業の同行から始まり、テレフォンアポイント、飛び込みと初めてのことだらけで多少の戸惑いはあったものの、やはり新しいことに取り組むのは楽しい。
10キロも走りきれないのにフルマラソンのペース配分を考えても意味がない。今はただがむしゃらに頑張るしかないことも自覚している。
何も分からない、何もできないからこそ、今は何も迷わずにただ前向きに取り組んで行くことができる。

ここでの機会を与えてくださったOBTの代表である及川さんをはじめ、OBT設立の発起人の一人でもあるR4の代表取締役の平松さん、僕の成長のために快く送り出して下さったOBTのメンバー、そして指導してくださっているR4の方々にはただただ感謝の気持ちでいっぱいである。

以前、今回の更新でOBT人材マガジンの「この人に聞く」で掲載されている井上社長への取材に僕も同行させていただいた。社長さんの生の声を僕のような新人が聞ける機会など滅多にないことなので、大変勉強になり貴重な体験となった。その中で最も印象的だったのが『「一生懸命」と「本気」とは違う』というお話と『「自分のための力」よりも「人のための力」の方が強い』というお話だった。
     
<以下井上社長談>
一生懸命やるのと、本気でやるのは全然違う。一生懸命は強制されればできる。働けと言われると一生懸命やる。でも、自分がここちよく楽しむためにやらないと本気にはなれない。本気を引き出すためには、そのプロセスが重要で、そのプロセスの中にコミュニケーションがある。けんけんがくがく議論もある。その中でメンバー同士の信頼や、一緒に作り上げていこうという意識も生まれる。そこが重要だと思う。

自分がこうしたいから、ああしたいから程度の力だと弱い。誰か1人に喜んでもらうためにやることが重要。その人を喜ばせようと思うと一生懸命やるしうきうきする。そういうのが本気だと思う。やれと言われてやるのとは違う。ひとを喜ばせようというときのモチベーションにもっていかないとだめで、そういう意識の人間が多ければ多いほど強い組織だと思う。その対象となる人間は、それぞれがそれぞれの価値観でいい。

 僕も以前「失うものがない人よりも守るものがある人の方が強くなれる」という話をどこかで聞いたことがある。
 本気になるためにも強くなるためにも、やはりそこには「人」がいる。
 僕の社会人としての生活は始まったばかり。これから先多くの人と出会っていく。

 今まで本気で誰かのために何かをしたことがあるかと問われると自信がない。つまり、本当の意味でまだ本気になっていないのだと思う。

ここでの仕事はOBTでこれからしていこうとしていることとは多少の違いはあるが、R4の社員の皆さんは本気で仕事と向き合い、一つでも多くの企業、ひとりでも多くの人の役に立ちたいと考えている。
 
やはり、何事も意識して取り組むことが大事だと思う。
 僕も、一つ一つの仕事をただこなしていくのではなく、そういった仕事に対する姿勢なども学んでいきたい。


                                 OBT協会 伊藤誠司

津軽三味線は100年ほど前に青森県津軽地方で誕生した。
当時、盲目ともなると生き方は旅芸人しかなかった。一軒一軒門付けしながら放浪し、その日の糧を得ていた。明治から大正、昭和の初期にかけて男盲芸人たちは、その日の糧を得るために一軒一軒門付けをしながら三味線を弾き、厳しい風雪や社会の差別に耐えながら生きてきた。それは生活のための、まさに生きるために弾いた三味線だった。悲しい運命を背負った先人たちによって、その奏法と生命は引き継がれてきた。

津軽三味線の名人と称えられている高橋竹山は津軽三味線奏者で戦後全国、そして世界に津軽三味線を広めた第一人者である。彼もまた2歳のころ、麻疹をこじらせて半失明し、22、3歳のころ完全失明となった。

「働かざるもの食うべからず」。誰もが一度は聞いたことがあるであろうこのフレーズ。この言葉が聖書からきていると知って驚いた。もちろん世の中にはリストラで働きたいが仕事がないという人もたくさんいる。病気や怪我などの身体的理由で働くことができない人もたくさんいる。
この言葉は人間社会に限らず、生物としてのあたり前である。動物に限らず草木であろうと厳しい自然環境や外敵に打ち勝って、はじめて生き延びることができ子孫を残すことがでる。

近年日本の社会問題となっている「ニート」。私は今年1月まで2年間ブラジルで生活をしていた。そしてこの4月から社会人になったばかり。2年ぶりに日本に帰ってきて驚いたことはたくさんあったが、その中でもこの言葉には最も驚いた。

学校にも行かず、働いてもいないし、職業訓練にも参加していない若者を意味する。Not in Education, Employment or Trainingの略語。1990年代末のイギリスで生まれた言葉が日本でも使われるようになったという。

企業が即戦力を求める一方、新卒採用の数を絞った結果、就職が難しくなったためと見られるこの現象。国勢調査のデータを基にしたニート層の年齢別分布を見ると、19歳と23歳が多く、この人たちは高校や大学を卒業したものの就職できず、あきらめてしまった若者と考えられる。

厚生労働省が発表した2004年版『労働経済の分析』(労働経済白書)でニートに相当する人の数を初めて集計した結果、2003年では52万人に達していることが分かった。現在ではその数はより多くなっていることだろう。労働人口が減少していく中で、52万人は大きい。
国にとっての資源である労働力が減るわけだから、経済成長率を下げる要因になる。本来なら社会保険料を払うはずの若者が、逆に生活保護を受ける立場になりかねず、財政の悪化も懸念される。さらに、薬物や犯罪に手を染めるなど社会問題の当事者となる可能性が高いことも問題点であると専門家は指摘する。

「なぜ働くのか」「仕事をするとはどういうことか」その価値観は人それぞれ違う。しかし、その根本にあるものは全ての人間に共通する。つまり、「食べること」であり、「家族を養うこと」である。
その昔、「働くこと」は「生きること」であった。「働く」とは「生きること」であり、「生きる」とは「働くこと」であった。生きるために獲物を捕り、米や作物を育てた。それを怠るということは直接「死」と結びついた。
これは何も大昔の話ではない。日本においてもたった数十年前のこと。今もどこかで今日の食べ物を得るために必死になっている人間はたくさんいる。

われわれ若者はもっと「働く」ということに貪欲にならなくてはいけない。


                       OBT協会 伊藤 誠司

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