2006年4月アーカイブ

先日、我々の仲間の叔母様が亡くなった。仲間の話によると、86歳で亡くなったその方は子供さんがなく、遺言状も無かった為どのように後始末をすることが一番本人の意思に沿うことか、決めるのに大変だったと言われていた。親族皆、叔母様から聞いていることが微妙に違い、あたかも「群盲像を撫でる」状態であったらしい。昔のように、大家族で生活をし、皆が近い価値観と共通の生活シーンのイメージがあれば多少違うのであろうが、一人身で生活されている人の意思を継ぐことは不可能に近い困難なことだと思わざるを得ない。

このことから、意思について思うことが二つある。

一つは、果たして我々は、自分の意思をどれだけ人に正確に伝えられるのであろうか。
人間の意思とは、遺言状で伝えきれることなのであろうか。例え遺言状があったとして、形あるものの処理は間違いなく出来たとしても、果たして、その根底にある思いや考えを、我々はどれだけ表現できるのであろうか。甚だ疑問である。
私の場合、特に文章力が無いという点を除いたとしても、自分が意思をすべて正しく遺言状に書けるかというと不可能である。また、死を想定し、赤裸々に自分の本性を書き記すことに躊躇が無かったとしても、私は期待できないと思う。何故ならば、「多義的な解釈の成り立つ人間の思いや考えは伝える本人の問題ではなく、解釈をする受け手側の問題だ」と思うからである。
遺言状には、残された人たちが少しでも揉めない様に、形のあるものは出来る限り後始末の方法を明示しておいてあげることが親切というもので、それ以上のことは解ってもらえる人にだけ伝えておけばよいのだと思う。所詮、人間の意思など泡沫なのだと。

もう一つは、我々は、どれだけ人の意思を継ぐことが出来るのであろうか。
「本来、人間とは自分に都合よく考える動物だ」と考えている所為か、まず、他人の意思など継ぐことができるのか、甚だ疑問だと思う。ここでも結論は、「継ぐ人の思いや考えの数だけ答えがある」のだと思う。
「自分の人生という経営課題を解決するために、自分の現実の問題をテーマに、解決するプロセスで成長していく」という我々OBTが扱う課題と全く同じだと思えてならない。

自分の意思は、現世で生きている時だけのことなのか、死後も永遠に継続される、時間を越えたものなのか。私は、できれば私の意志を自分が死んだ後も誰かに継いでもらいたいと思っているタイプの人間である。だからこそ、OBTトレーナーという仕事にやりがいをもって取り組めているのかもしれない。
従って、自分は「継いで欲しい意思は日常の中で相手の心に植え込んでおかなければ」という思いが強い。例え自分が志半ばで倒れたとしても、自分より長く生きる人に、その人の心の中に、移植や接ぎ木され、芽が出て花が開かんとしていることを自分の目で見切るか、想像することしか出来ないのだろうと。

もう一方で、相手の意思を引出し、芽を見出し、花開かせる触媒や支援役になるのがOBTトレーナーの資質で、自分の思いを埋め込もうとするなんて全く不遜である、というご批判を頂戴するのも覚悟しておかなければならない。確かに、自分でもそう思うことは常であり、自戒している点でもある。

満開の桜が散り始めた4月初め、真新しいスーツに身を包んだ新入社員達をよく見かけます。まだ着慣れないスーツに、少し緊張した笑顔の新入社員を見ながら、いつになってもついこの前だったような気がする自分の新入社員の頃を思い出し、「よーし、私も今日からスタートだ!」と理由もなく元気になります。

新入社員導入研修のこの時期、新入社員の多くは会社理解や商品知識、その他もろもろのビジネスの基本を頭に詰め込み、一定の研修期間を経て最初の配属先に初出社。導入研修でロールプレイングを繰り返した元気のいい「おはようございます!」は、職場内の空気を活気あるものにし、先輩社員はつい忘れていた“元気な挨拶”の効能を改めて思い出します。
また、「失礼いたします!」や廊下ですれ違う際の「こんにちは!」や「お疲れ様でした!」など、元気のある声が会社のあちらこちらから聞こえてきます。挨拶だけでなく、新入社員の存在は、職場や会社に活気をもたらしてくれます。
しかし、入社後、着慣れなかったスーツが馴染むように新入社員が職場に馴染む頃、その活気は少しずつ薄れていき、数ヶ月後には以前と同じ職場の姿がそこにあります。

先日お会いした某社の経営企画室の方が、「うちの社員は、挨拶ができない。廊下ですれ違っても、知らん顔で通り過ぎる・・・。」と嘆いておられました。その企業では、「まずは基本から・・・」ということで、管理職全員にマナー研修を実施されたそうです。
マナーや挨拶の重要性の再確認や挨拶の仕方など、基本を押え直すことは大切だと思います。しかし、それと同じ、いえそれ以上に、重要なことがあるのではないでしょうか?

数年前に、新宿のある企業を訪問した際、廊下ですれ違う社員の方全員から「いらっしゃいませ」と挨拶をされました。受付がない会社なのですが、「部署の方はおわかりになりますでしょうか?」と声をかけてくれた社員の方も数名いらっしゃいました。
その後、その会社の経営者とお会いした時、そのことを伝え、どういう教育をされているのかを尋ねたところ、「うちでは教育は一切やっておりません。これが風土なのです」。そして、「新しく入社してくる人たちも次第にこの風土に馴染んでいくのです。」という返事が返ってきました。

鳥の雛が、卵からかえって、最初に餌をくれた人を自分の親と思う“刷り込み”という現象がありますが、組織にもそのような“刷り込み”があります。企業で働く人は、多くの場合、最初に出会った上司、配属された部門の風土や行動パターンに染まってしまい、その企業にいる間は変えることが難しいものです。

新入社員を染めていく我が社の風土や社員の行動パターンがどういうものなのだろうか?来年の春も同じでいいのだろうか?我が社の風土や社員の行動パターンなどの現状を把握するいい季節かも知れません。

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